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言わなきゃ分からない事

「コトは可愛いねぇ」

 わたしの髪を解かしながら、彼方がにやつく。

「このゆるウェーブが良いんだなぁ、お人形さんみたいだねぇ」

「癖っ毛で悪ぅございました」

「おかげで毎日うちがお手入れできるんじゃないの~おーよしよしよし」

 湿気で毎日爆発寸前になるわたしの髪を、彼方が朝晩と丁寧に解かすのがここ数日の日課になっている。犬猫を可愛がる様にもしゃもしゃと撫でては解かし、撫でては解かしを満足するまで一時間程繰り返す。どうせ梅雨時は外出が減るので、問題はないのだが。コンプレックスをこんなに喜ばれるというのは、どうにもむず痒く。


 癖っ毛の手入れが面倒で、昔から肩より下には伸ばさない様にしていた。それが彼方の熱烈な押しにより、今では立派なロングヘア―。

 新しい恋人が出来る度に容姿を変える女を馬鹿にしていたわたしだったが、今では自分もその一員となってしまった訳で。本当に、人は何がきっかけで変わるか分からないものだ。

 彼方の方も、わたしと付き合う様になってから、洋服の選び方が変わったと聞いた事がある。確かに、昔は恥ずかしがっていたフリル付きのスカートを、今では当たり前に着る様になった。

 洋服。恥ずかしながらわたしには、少女趣味がある。フリルやレースを盛り盛りで、淡い色と花柄が好きで。ぶりっ子と馬鹿にされ、基本女子受けの悪い服装だったが、彼女だけは違った。

「お人形さんは女の子の夢だからねぇ」

 こういう服しか持っていないのだ、と相談した時、彼女は笑ってそう言った。

「可愛いのは、何も悪い事じゃないよ。可愛いのは良い事だよ。そりゃあ妬む奴はいるだろうけどさぁ、自分の好きは、変える必要も曲げる必要もないんだから」

 それが、彼女は良い人だなぁ、と思った最初のきっかけで。今でも心の支えとなっている言葉の一つで。


 あぁ、そうだ。語った人がいなくなっても、言葉は消えない。偉人の名言しかり、お祖母ちゃんの知恵袋しかり。誰かが覚えている限り、消える事はない。

 でも、きっと滲んで、ぼやけていってしまう。それは、嫌だなぁ。


 どうしてわたしは、彼女が死んだ後の事を、当然あるものとして考えているのだろうか、と時々思う。

 彼女がこんなに早くいなくなってしまうなんて、昔は一切考えもしなかった。当然の様に明日も会えて、高校卒業して、大学に行って、就職して。結婚して、一緒に、お祖母ちゃんになるまで、ずっと……。

 全ての命に、命の無い物にだって、終わりが来る事を知っている。当たり前に知っているのに、何故それが明日ではないと、無意識のうちに思っているのだろうか。

 もしかしたら、彼女より先にわたしが死んでしまう事だって、あるかもしれないのに。

 ……見送られるのも、見送るのも、嫌だ。どうして、どちらかしか選べないのだろう。

 いっそ、今ここで、心中でもしてしまおうか。

 きっと、彼女の同意は得られないだろうけれど。


「何か言いた気な顔してますねぇお客さん。痒い所ありますか?」

 茶化した様に言うが、ドレッサーの鏡に映った二つの顔は、両方共笑っていなかった。わたしは泣きそうに俯いて。彼女は困り眉で。

「好きだよ、コト」

「何、急に。そんな分かり切ってる事」

「分かってる気でいてもさ、言わなきゃ分かんないじゃん。うちテレパシー使えないもん。ほら、コトも言いたい事あるなら言いなよ~」

 引っかかりを解き、ブラシを下へ滑らせる。それは、頭を撫でられている感覚に近い。

 一滴、膝に零れた。


「わたしも一緒に死にたいって言ったら、OKしてくれる?」


 手が止まって。ほんの数秒、時まで止まったかの様な時間が流れた。きっと五秒にも満たないけれど、自分の嗚咽と心臓の音が頭に響いて。長く、長く感じた。

「……ごめんね、コト。うち、今から酷い事、言うね。


 コトは生きて。うちの分まで。うちも、死ぬまで精一杯生きるから」


 分かっていた。分かりきっていた。知っていた。彼女はそういう人だって。これまでの人生が、彼女をそうさせたんだって。

 でも、実際こうして言葉にされると、胸が苦しくて、呼吸が乱れて。

 今この瞬間、絶対に破る事の出来ない約束を結ばされたのだと感じる。

 櫛の動きが再開する。わたしのものではない、鼻をすする音が聞こえる。

「好きだよ。死んでもずっと、大好きだよ」

「……わたしだって……」

 好き、と言ったつもりだったけれど、空気が漏れた様な音しか出なかった。彼方がフフッと笑って、意地悪な顔になる。

「ちゃんと言ってくれなきゃ、わかんないなぁ~」

「……好き。わたしだって、彼方の事、好きだから!」

「……うん、ありがと」

 やっぱり、震えてちゃんと発音出来ていなかったけれど。彼女は聖母の様に優しく微笑んだ。目にいっぱい浮かんだ涙を必死に堪えて、先程から上ずった声で。


 前にも一度、こんな事を言い合った記憶がある。あれは彼女が戦いに赴く前で。きっと、その時からもう、覚悟は出来ていたのだろう。ウザさが増したのも、バカップルみたいな事をする様になったのも、その頃からで。


 どんなに恥ずかしくても、分かっているつもりでも、言葉にしないと、分からない事。言葉にして、初めて分かる事。


「これからは、わたしもいっぱい好きって、伝えるから。その度に泣かないでよ?」

「泣いてない~。あはは、嬉しいなぁ、こんなに可愛い恋人と、毎日いちゃいちゃ出来るなんて」

「……彼方はちょっと控えて」

「えぇ~!?」

 顔が赤いのが、泣きそうだからなのか、恥ずかしいからなのか分からないくらいになっていた。彼女も……いいや、顔はそれ程でもないが、耳が真っ赤だ。自分で自分の言葉を咀嚼して、気恥しくなっているのだろう。


 でも、言わないで後悔するより、言ってから後悔する方が、きっと良い。


 ねぇ、あと何回、君に好きと言えるかな。

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