君が死ぬとしたら
雨の滴るとある日、恋人との最後の同棲生活が始まった。
肩を貸し、彼女を新品のベッドへ案内する。隣にあるわたしのベッドを見て「何で一緒じゃないの~」とか駄々を捏ねたが、残念ながらこちらの問題で同衾はNGなのだ。寝相は簡単に直せるものではない。
「もし、うちが一ヶ月後に死ぬとしたら、どうする?」
退院間近だと聞かされていた病室で、彼女にそう尋ねられた。
あぁ、そうか。治ったから退院、ではない。もう施しようがないから退院、なのだ。
滲む涙を堪えながら、わたしは「一緒に暮らそう」と絞り出した。声は酷く震えていた。花瓶に刺した躑躅の花が一輪、ポトリと落ちたのを覚えている。
躑躅が散って、藤の花が咲き乱れる公園のベンチに二人、腰掛ける。先程まで雨が降っていたので、お尻が冷たい。
「初めてコトに告白したの、ここだったよねぇ。……覚えてる?」
「あれが告白だったの、未だに納得いかないんだけど」
三年前、わたし達がまだ中学生だった頃。このベンチで、彼女がわたしの手を握って来た。耳を真っ赤にして、恋人繋ぎの様に指を絡めて。女同士で手を繋ぐなんて、皆普通にやってる事なのに、何を恥ずかしがっているのだろう、と思っていたわたしでも、気恥しくなる雰囲気だった。
それから、明確に他の子とは違うのだと気付くまでには、紆余曲折あったが。
今、わたし達は自他共に認める「恋人」である。
最後まで、ううん、君がいなくなっても。
もう一人で歩ける体ではないのに、歩いて家まで行きたいという彼女の我が儘に付き合って、病院から公園、公園から学校、学校から危険区域の境界、ようやく我が家へと長い散歩道を辿った。
自分が守ったもの、守れなかったものを噛み締めて、彼女は微笑みながら泣いていた。傘を差していたから、雨に濡れる事はない筈だから。
彼女が家に来る事になって、わたしはごちゃごちゃとしていた部屋の物を粗方処分した。家具も、食器も、お揃いのもので揃えた。夫婦茶碗なんかだと、どっちが妻だ夫だでもめるので、カラーバリエーションのある商品から互いの好きな色で集める、と決めたのが中々に大変だった。
白と黄色のマグカップに、温かい麦茶を注ぐ。良く冷えた飲み物を出すにはまだ、ほんの少しだけ早い。
細い指でカップの取っ手を摘まむ彼女。見た目だけお嬢様風のわたしよりずっと育ちが良くて、繊細で、本当は体力も無くて……。
何故、彼女だったのだろう。彼女でなくてはならなかったのだろうか。
世界を救って消えるのが、他の誰かだったら、どんなに……。
何度も、何度も、浮かんでは飲み込む言葉。きっと、その誰かにだってわたしの様な人がいただろう、と彼女は言うだろう。
そんなところが、好きで、嫌いだ。
「コトのお茶は美味いなぁ~」
「なんか嫌だなぁ、その言い方」
「オフィスじゃなくて恋人の専属お茶汲み係だよ? サイコーじゃん」
「だったら彼方がやってよ」
「うち箸より重い物持てないのョョ……」
「そのカップ、箸より重いと思うなぁ」
冗談めかしてそうは言ったが、わたしの声は少し擦れていた。
実際のところ、彼方のいう事はそれ程外れてはいない。一人でまともに歩けない。寝姿勢から起き上がる時にも、介助が必要で。本当に重い皿を持たせたら、落としてしまうだろう。
「ねぇ、コト、お茶菓子も欲しいなぁ、上等なものをゆ~っくり探してきておくれ」
「……しょうがないなぁ」
寝室を出て、台所へ向かう。その途中で、わたしは膝から崩れ落ちた。
散々フローリングを濡らした後、フラフラと立ち上がって、何とかティッシュ箱を手繰り寄せる。
お茶菓子の在りかは、最初から知っているから。今は時間の許す限り、彼女の許す限り、わたしの”意地”を通させてもらおう。
だって、残り少ない二人の時間なのに。彼女の前で泣き腫らしてなんていられないじゃない。
少しでも、笑っていたいじゃない。
今だけ。今だけを終えたら、わたしは何もなかった様な顔で、マドレーヌを持って部屋に戻る。
君が、もう直ぐ死ぬとしたら。
ただ、わたしが後悔しない為だけに、君の時間を使わせてほしい。
昔から、君よりわたしの方が、我が儘なんだよ。
分かってて、好きになったんでしょ?
寝室に戻ると、彼女は目を赤くして、満面の笑みでわたしを出迎えた。