国王の登場、そして〈食事会〉
王宮はこの都の端に位置する。ギルド本部からちょうど真反対なので、かなり遠い。歩いて二十分以上はかかる。
当然のことだが、王宮に繋がる移動魔法は一つも存在しない。それは国家重鎮や軍幹部とて同じで、どんな人物でも王門からしか入れないのだ。
「なあ、ラグナ」
「ん?」
「お前が〈食事会〉に参加するのはわかるが、なんで俺まで呼ばれるんだ」
「えっ、聞いてないのか?」
「聞いてないな。使者は招待状だけ渡して帰って行ったよ」
「ははあ」
一人、何かを飲み込んだらしいラグナが納得したような声を出した。
「そういうことなら俺の口から言わないほうがよさそうだな」
「随分もったいぶるな」
「まあ、小一時間後にはわかるんだ。今は言わないよ」
悪戯っぽい輝きを瞳に浮かべて、微笑するラグナ。
ジルからすれば不安も甚だしいのだが、無理に聞くことでもないのでこの話はいったん打ち切りになった。
その後はしばらく黙々と歩く。
途中の屋台で二人分の飲み物を買い、ちびちびとすすりながら、王宮を目指す。
「これ美味いな」
フルーツミックスのような飲み物を一口飲んで、ラグナが驚嘆の声を上げた。
「マンゴーベースのミックスジュースだってよ」
「へえ……。本部の食堂のメニューに入れようかな...」
「ははは、屋台のおっちゃんが喜ぶだろうな」
「うちの職員も喜ぶだろうな」
「決定だな」
冗談ではなく、本当にその場で交渉を始めるラグナ。
こういう些事が少々あっただけで、あとは何事もなく王宮の門前にたどり着いた。
一目見ただけでかなりの値打ちものだとわかる装備で身を固めた門番兵が近づいてきて、言った。
「王宮に何か御用が?」
ジルがそれに答えた。
「ああ、陛下に友人が二人来たと伝えてくれ」
「...失礼だが、今宵そのような催し物があるとは聞いておらん。何か身分を証明できるものがあれば提示を願いたい」
明らかに不審そうな声色である。
ちなみに、今二人は頭からフードを被っており、顔が見えない状態だ。もし顔が見えていたならば、当然ラグナに気づいていただろうが、王宮にたどり着く前に二人で示しあわせて、
「どうせなら門番にちょっとした悪戯を仕掛けよう」
ということで話がついていたのである。
人の悪い二人の餌食になった門番は可哀想だというほかない。
ジルは冒険者証を、ラグナはフードを外す。
途端、
「あッ、ら、ラグナ閣下であらせられますか!」
「見ての通りだよ」
「こ、これは大変失礼致しました!今、兵長をお呼びいたしますので、しばらくお待ちください」
慌てて敬礼をすると、あたふたと門内に駆け込んでいった。
「予想通りの反応だったな。つまらん」
ぼそりとラグナがつぶやいた。
「ははは、まあ面白かったからいいじゃん」
「全くいい性格してるよ」
「黒か?」
「ぎりぎり灰色だな」
と、好き放題言っていると、先ほどの門兵が一人の青年を連れて戻ってきた。
ジルとは初対面である。
誰だろうと思っていると、目の前に来た途端、二人に拝跪を施した。
「お久しぶりです、ラグナ閣下。お変わりの無いようで安心いたしました」
「やあ、カリネロ。本当に久しぶりだねえ、元気だったかい?」
「お陰様で。いつも姉がお世話になっております。……ところで」
と、青年――カリネロ――はそこで言葉を切ると、物静かな瞳をジルのほうへ向けた。
「ところで閣下、こちらの御仁は?」
「ああ、こいつはジル。今日の〈食事会〉に呼ばれてるんだ」
「...なるほど、貴方がジル殿ですか。初めまして、私は王宮兵長を務めさせていただいております、カリネロ=ラ=トーネと申します。以後、お見知りおきを」
「そんなご丁寧に...。私こそ一介の冒険者、カリネロ殿に跪かれるような者ではありません。どうか頭を上げてください」
事実、王宮兵長という肩書は読んで字の如く、王宮内全ての兵士の統括者を意味する。
また、この国で名前に「ラ」が入っているのは国王直属の部下の中でも高位である証であり、「サー」や「騎士」などと同じ意味合いを持つので、ジルが跪くのが本来なのである。
ちなみにラグナの本名はラグナ=ラ=ビルクリオで、ジルはただのジルである。苗字を持てるのは貴族階級だけなので、庶民にすぎないジルは苗字を持たないのだ。
「あー、カリネロ。こいつ、堅苦しいの苦手だからもっと軽くしてやってくれ」
ジルの性格をよく知るラグナが横から助け舟を出してくれた。
が、カリネロは即座に首を横に振り、
「いえ、それは出来ません。我が主より最上の敬意を払うようにと命令されております」
「ニクスがか?」
「はい、特に丁重にご案内するよう、きつい仰せでございます」
「……すまん、ジル。慣れてくれ」
「...分かった、よろしく、カリネロさん」
「『さん』は不要です。カリネロとお呼びください」
「……よろしく、カリネロ」
満足そうなカリネロはさておいて、ジルは聞こう、聞こうと思っていたことを思い出した。
「おい、ラグナ。そろそろなんで俺が今日呼ばれたのか教えてくれてもいいだろ」
軽く肩を小突きながらそう言うと、
「いや、教えたいのはやまやまなんだけど、下手に言えないんだよ」
「下手に言えない...?」
と、そこで懐中の通信機を操作していたカリネロが、すっと立ち上がった。
「ジル殿、我が主から伝言です」
「え?」
「『どうせ俺が説明するから四の五の言わずに早く来い』とのことです」
「相変わらず強引な……」
思わず呆れたような声が出ると、隣でラグナが苦笑しながら、
「まあ、あいつがそう言ってるんだ。ここでうだうだ言ってても始まらないだろ?」
「では、僭越ながら私が案内役を務めさせていただきます」
こちらです、と掌で城門内を示しながら先に立つカリネロ。
「ほら、行こう。もう始まりそうな時間だ」
ラグナに背を押されて、ジルは遂に王宮内へと足を踏み入れた。
「……なあ、前来たも凄かったけど、城の内装、また増えたり変わったりしてないか?」
カリネロの背に続きながら、ジルはラグナにそう耳打ちした。
今、ジルたちがいるのは、奥の院に向かう回廊である。
ニクス自身が他国から畏敬を込めて〈炎帝〉と呼ばれることもあってか、赤系統の色合いが目立つ装飾が施されている。
そろそろ月が空に浮かぶ頃合いなので少し薄暗く、横に広い回廊の隅までは目を凝らしても見えない。
「……そうか?俺はしょっちゅう来てるからあんまりわからないな」
「いやいや、あ、ほら、あの壺なんてこの前はなかったぞ」
「ジルが最後に王宮内に来たのってどのくらい前だ?」
「一年以上は確実に立ってる」
「……そりゃ王宮じゃなくても変わるだろ」
と、後ろでぼそぼそ喋っていたのが聞こえたのか、カリネロが振り返って、
「王宮内の調度品や内装は、レア様が全ての権限を一任されております。これらの骨董品もあの方のお好みですよ」
レアというのはニクスの妻、つまり王妃である。
「ニクスって嫁と娘にはとことん甘いんだよな」
苦笑交じりにラグナがつぶやいた。
そうだな、とジルも返そうと口を開いた、正にその時であった。
突如として左から強烈な殺気がジルの心臓を貫いた。いや、殺気だけではない、柱の陰から実際に剣がジルの心臓めがけて繰り出されていた。
反射的に後ろに飛び退きそうになるが、打突に対して後方回避は自殺行為に等しい。
「チィッ!」
思わず舌打ちをこぼしながら、半身になってギリギリのところで剣を躱し、胸元に伸びた手を手刀で強かに打ち落とした。
直前に魔力で手を強化したので、かなりのダメージだったのだろう、軽い悲鳴のようなものが聞こえたので、その方向へ追撃を加えるべく、ジルは一歩踏み出そうとした―――その刹那であった。
「おぅ、ジル。そこまでだ」
からりと味のある声が前方から聞こえてきて、ジルは全神経を脚に集中させ、なんとかその場に踏み止まった。
じろりとそちらを睨みつけ、あえて不機嫌を声に乗せてその人物に話しかけた。
「……ニクス、悪戯にしちゃ、剣筋が殺しに来てたぞ」
「カカカ、そりゃ殺すつもりで行くように言ったからなァ」
「はぁ?」
そりゃどういうことだ、と続ける間もなく、ニクスはジルに襲い掛かってきた影に振り向いた。
「で、どうだ。一瞬とはいえ、こいつとやりあった感想は?」
「正直、驚きました。私の闇討ちを初見で躱されたのもですが、あの数瞬の中で魔力強化が加えられた反撃までされましたから」
驚くべきことに、答えたその声は女性のものだった。
手刀が当たった際、やけに身体、正確には手首の線が細かったことをジルは思い出していた。それも女性だということであれば納得である。
「カカカ、俺の言った通りだろう?」
「はい、これならばなんの問題もないでしょう。陛下の慧眼に感服するばかりです」
ニヤリと得意げに笑うと、ニクスはいつの間にか跪いていたカリネロに向き直った。
「おい、カリネロ。青龍礼堂の椅子を一つ増やしておけ。〈食事会〉が終わるまでには頼むぜ」
「かしこまりました。……では、閣下、ジル殿、失礼させていただきます」
一礼し、静かに立ち去っていくカリネロを目で追いながら、ジルはもう一度ニクスに視線を投げた。
何よりもまず深紅色の髪の毛が目に飛び込んでくる。少し長めの髪の間から、髪と同じ色の瞳がのぞいており、一言でいえば苦み走った良い男だ。
と、ジルに視線に気づいたのか、
「じゃあ、二人とも。奥の院まで案内してやる」
鋭い八重歯を口元に覗かせながら、ニクスはそういった。
「炎帝」とも呼ばれるニクスだが、それはあくまでこの国の統治者としての呼称であり、本来はもう一つ、世界的に知れ渡った呼称がある。
「魔王」ニクス。
この世界の歴史を学ぶ上で、聞かぬことはないといわれるほど強烈な名前であり、「炎帝」と「魔王」の二つから推測できる通り、ニクスは火系統魔法に関して世界最強であると認識されている。
今、ジルの目の前にいるのはそんな次元の違う存在なのだ。
ラグナとともにニクスの後を追いながら、ジルはその服装に目をやった。
やはり本人も紅が好きらしく、赤い羽織を着ている。
初めてこの服を見たときは、和服と酷似していたので驚いたが、ニクス曰く、ジルよりも前にここへ渡ってきた日本人が普及させたそうなのだ。
自動ドアなどの、世界観にそぐわない技術もその日本人が広めたらしい。
「おい、ジル。正装してきたのは流石だが、そのスーツじゃ品格が足りねぇ。侍従に言ってあるからあそこで着替えてこい」
懐から手を出したニクスが示した方を向くと、なるほど、ニクスの侍従が二人かしこまっていた。
「品格が足りないってどういうことだよ」
「端的に言えばもっと上等なのに着替えろってことだ」
そういうことらしかった。
言われた通り、回廊を抜けたところにある部屋で持ってきたスーツを脱ぎ、ニクスの侍従に差し出された物を身に着ける。
なるほど、先ほどまで着ていたスーツとは肌触りがまるで違う。シルクかと思うような滑らかさと軽さがあるが、それでいて丈夫な素材。
「すみません。これ、自分用に一着欲しいのですが、どこで手に入りますか?」
侍従の一人にそう聞くと、
「こちらは王宮関係者のみの特注品ですので外部ではお買い上げいただけません。差支えないようでしたら、後ほど一着新しいものをお持ちいたしましょうか?」
「え、良いんですか?」
特注なのに、という言外を悟ったらしく、侍従はもう一度頷いた。
予期せぬ収穫があり、思わず口が緩んだが、未だになぜ自分がここにいるのかは分かっていない。
だが、この四年の付き合いで、ニクス、ラグナと口論になれば泥沼化すること必至なのは学習済みだ。流れに身を任せるのが最上の選択だと嫌という知っていた。
「着替えたか」
部屋から出てきたジルを見て、ニクスとラグナはソファーから腰を上げた。
どうやらジルを待つ間、ここで軽いお茶をしていたらしい。
「よし、じゃあ行くぞ。俺たちが最後だからな」
下駄でも履いていれば、からころと音が鳴りそうな歩調で、ニクスが先を行った。
ニクスとラグナが最後なのは良いとして、ジルはまずい。
ここまで来た以上、もう後戻りをするつもりもないが、少し顔が引き攣るのは仕方のないことだった。
ここで、少し〈食事会〉について話しておかなければなるまい。
〈食事会〉とは、言葉の通りの「夕食会」では、勿論ない。
それならばジルの気が進まないこともないだろうが、この〈食事会〉の真の正体を知るジルとしては、出来る限り避けて通りたいイベントなのである。
参加者は国王と首都太守、そして軍幹部のみ。そして、その内容は関係者のみしか知り得ない。
つまり、国家機密会議である。軍幹部まで招集されることから分かるように、その議題は主に他国との戦争や、そこまでいかなくとも何かしらの重要問題が持ち上がった時だけなのである。
そうそうたる面子が並ぶ中に、いくら国王と親しいといえど、その身分は一般、しかも冒険者に過ぎないジルが何故か呼ばれているのである。
一度だけニクスから、この〈食事会〉なるものについて聞いた時は、自分とは全くの無縁だと思っていた上、絶対かかわりたくないとも思っていたのだが、どうしてだが今日こんな羽目に陥っているのであった。
しかし、いくら「招待」という名目であっても、実質は命令に近い。
逆らうことなど、端から無理だとわかっていたからここまで来たが、やはり気後れはするものである。
王宮の最奥の一つ手前の区域、ここが通称【奥の院】である。ちなみに、最奥は【秘殿】と呼ばれる、ニクスとその家族の住まいだ。
その奥の院の一室が今回の〈食事会〉の会場である。
木の香りが真新しい木材の床に、見事な大理石の円卓。それを囲んで七つの椅子が備えられている。
まさしく今、ジルはその一つに座っているのだが、周りの人物たちから立ち上る魔力が桁違い過ぎて、逆に潔い心持になっていた。
「すまんな、待たせた」
常日頃と変わらず、磊落な調子で最後に登場したニクスが言った。
「よし、では始めるとするか―――――〈食事会〉を」