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人竜千季  作者: 秋谷イル
第三部(前編)

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二章・朱糸(1)

 カトリーヌが自分の正体を打ち明けてから、さらに数日後。


「お願いします!」


 一転、アサヒは勇気を出してある場所へ乗り込み、頭を下げた。特異災害対策局の局長執務室である。

「……何だ?」

 いつも通りデスクワークをこなしていた神木(かみき) 緋意子(ひいこ)は、突然入って来た少年の不躾な行動に眉をひそめる。部下達は入室を止めようとしたが、相手が相手だけに強気の対応はできなかったようだ。今は申し訳なさそうに彼の背後で佇んでいる。

 さもありなん。この少年は今や名実共に王族の一員。しかも未来の女王の夫。そもそも彼が本気を出せば、力づくで進行を阻むことは不可能に近い。

「申し訳ありません局長」

「アサヒ様、急な訪問は困ります。どうか一旦、お外へ──」

「かまわん。お前達、下がりなさい」

 彼女が言うと、部下達は意外そうに驚く。監視役として少年についてきた護衛隊士もだ。たしか大谷といったか。

「よろしいのですか?」

「ちょうど休憩に入ろうと思っていた。アポイントを取らなかったことは褒められないが、まがりなりにも身内。この程度の非礼は許容しよう」

「すいません、いきなり来ちゃって……」

 彼女の冷静な対応を受け、自らも気が落ち着いたアサヒは、恥ずかしそうに頭を下げた。気が逸っていただけなのだと、緋意子も気持ちを汲み取ってやる。

 用件も察しがついた。至極私的な相談だろう。

「少しの間、二人だけにしてくれ」

「わかりました」

 再度退室を促され、部下達と護衛隊士は部屋を出て行く。神木は目を通していた書類を机に置き、改めて眼前の少年を見上げた。


 背が高い。細身だが、それは無駄の無い肉付きをしているから。戦士としては理想的な体型。少しばかり意志薄弱なところはあるようだが、ここぞという場面でなら胆力を発揮することも知っている。顔立ちも悪くない。

 しかし“彼”には似ていない。朱璃(あかり)が惹かれるとすれば、父親のような男だと予想していたのに、そうでもなかったらしい。


(まあ、部分的になら共通点もある)

 彼女の夫、朱璃の父、星海(ほしみ) 良司(りょうじ)は妻子を全身全霊で愛していた。それでいて自分自身のことには無頓着な男だった。何度も危険だから断るべきだと訴えたのに、結局は東京へ行って、そして──

 いや、今はそんなことはいい。脳裏によぎった追憶を振り払い、問いかける。

「朱璃のことか?」

「はい」

 それはそうだろう。自分と彼の接点は少ない。これまで積極的に関わっても来なかった。なのに頼み事をして来るなら、それは彼女のこと以外では考えにくい。

 彼が“誰”に対して物申すつもりなのかで、こちらの対応は変わる。ひとまずは相手の話を聞き、それを確かめてみようと決めた。

「言ってみなさい」

「はい……えっと」

 促したものの、少年はなかなか話を切り出さない。冷静になったことで逆に気後れしてしまったようだ。

 まったく、地下都市を瞬時に滅ぼせるほどの力を持っていながら、平凡な人間一人何が恐ろしいというのか?

 さらにもう一度促そうとすると、そのタイミングでようやく切り出す。

「お義母(かあ)さん」

「……」

 今度は神木がたじろいだ。まさか、そんな呼び方をされるとは思っていなかったから。

「お願いします! 明後日、朱璃を見送りに来てやってください!」

 そう言って深々と頭を下げる彼。なるほど、やはり“局長”でなく“朱璃の母親”への用件だったか。

 そういうことなら見当違いも甚だしい。

「言われるまでもなく見送りには行く。用がそれだけなら、もう帰りなさい」

「でも、朱璃は“お母さん”に来て欲しいと思います」

「……血縁上、私は母親だ」

「そういうことじゃなくて」


 わかっている。彼が何を言いたいのかは理解できる。

 しかし無理だ。自分にはできない。


「私はもう、彼女と親子の縁を切った。上司と部下ではあっても、家族ではない」

「どうしてなんですか?」

 そう問いたくなる気持ちもわかる。初代王・伊東(いとう) (あさひ)の母親は女手一つで彼を育て上げ、最期の瞬間まで息子を庇って絶命した。その逸話は王国の始まりを彩る美談として、今も語り継がれている。


 親は子を愛するもの。

 彼の認識ではそうなっている。

 それが正しいという確信がある。

 逆に言えば、お前の態度は間違いだと責め立てられているわけだ。

 神木はしばし考え込み、やがて返答する。


「私は、あの子が怖い」

「え……?」

「昔、夫が死んだ日のことだ。東京の街が消し飛ばされ、その輝きは遠く離れた福島からでも見えた。

 私と朱璃はそこにいた。あの子は赤く燃える空をじっと見つめていたよ。私はまだ夫が死んだという実感すら持てず、ただ困惑するだけだったのに、あの子はすぐに復讐を決意していた。

 そんな娘が怖くなった。同じ“人間”だと思えなくなって、あれ以来、一度も正面から目を見て話すことができない。だから親子の縁を切ったんだ、私のような臆病者が近くにいては、あの子の邪魔になると思った」


 我が子を恐れるようになり、同時に自らを憎んだ。母親らしく振る舞えなくなったこと。大切な娘を大切だと思えなくなってしまったこと。そして自分では到底成し遂げられない復讐も、朱璃になら可能かもしれないと考え、彼女の復讐心をそのままに放置したこと。

 それら全ての行いに、自分自身で嫌悪感を抱く。


「どうして……」

 アサヒは呆然とこちらを見つめている。理解できないだろうなと神木は自嘲気味に苦笑した。彼には我が子を恐れる母親の気持ちも、彼女の中の憎しみも、そして、何故こんな話をしたのかもわかるはずがない。

 神木自身でさえ、どうして本音を話すつもりになったのか釈然としない。

(いや……)

 よく考えたら、夫が死んだあの日から、こんなに真っ直ぐぶつかって来てくれた相手はマーカスと彼しかいなかった。

 だがマーカスはマーカスで、やはり他人には言うことのできない負い目があり、それが壁になってしまっている。

 だから本当に何の障害も無く向き合えた相手はアサヒが初めてだ。おかげで、こちらも気負わず打ち明けられたのかもしれない。


 対するアサヒも、神木の表情に変化が表れたことに気付く。

 けれど、あえてそれは指摘せず、もう一度頼んだ。


「お願いします。どうか、朱璃のお母さんとして見送りに来てあげてください」

「……君は、どうしてそこまであの子のために懸命になれる?」

 実を言うと、以前からずっと疑問だった。結婚式の最中、人斬り燕が現れ、彼は我が身を盾にしてまで朱璃を守り抜いた。記憶が確かなら、最初に会った頃は結婚を渋っていたはずなのに。

 剣照(けんしょう)に撃たれ朱璃が死にかけた時も、自らが瀕死の状態なのに構わず、何度も彼女の名を呼び続けた。その姿が今も鮮明に脳裏に焼き付いている。どう見ても本気で朱璃を喪うことを恐れていた。


 ──あの瞬間、誰の目から見ても明らかになった。この少年は朱璃を愛している。心底大切に想ってくれていると。かつて自分の夫がそうだったように。


 本当に不思議で仕方ない。二人の出会いについては報告を受けている。福島までの道中の話も、福島滞在中の扱われ方も、秋田へ来て以降の両者の距離感の変遷も。

 彼は朱璃に実験動物呼ばわりされ、実際に非人道的な扱いも受けてきた。だったら憎み、嫌ってしまうのが当たり前ではないか? 結婚式の直前まで、やはり嫌がっていたという報告もある。

「ひょっとして、君はマゾヒストか?」

「ち、違います」

「そうか」

 あまり考えたくない可能性だったので、否定されたことで安心する。

 だが、そうなるとやはり朱璃に対する愛情は不可解でならない。

 次の瞬間、少年はここへ来てから初めて目を逸らした。頬を掻き、照れた様子で「言わなきゃ駄目ですか?」と訊ねてくる。

 神木は頷いた。実際のところ彼にそれを明かす義務は無い。けれど聞いておきたい。

 アサヒはしばし躊躇っていたが、それでも、自分自身の心の内を確認するように訥々と語り出した。

「目を覚ましてから、俺もどうしてなのかわからなくて、考えてみたんですけど……」


 言い訳するように前置いて、自分なりの結論を述べる。


「──というわけで、あの時から俺は、ちょっとずつ朱璃のことが好きになっていったんだと思います」

「なるほど」

 聞いてみれば、なんということのない、本当にごく普通の理由だった。

 でも、だからこそ納得できる。いや、共感できたと言うべきか。自分と夫の恋もそんな何気ない日常の一つが始まりだったから。

(私が、難しく考えすぎていただけだな)

 人は小さなキッカケさえあれば、それだけで他人を愛せるようになる。結局、そういうことだった。

 なのに、どうして複雑化してしまったのだろう? その理由を考えた時、彼女はやっと思い出す。


 それは自分が“親”だから、だと。


「……考えておくよ」

 まだ踏ん切りはつかない。一応、そう答えて視線を落とす。

「わかりました。よろしくお願いします」

 アサヒも意外と簡単に引き下がった。神木は、さっきとは別の意味で苦笑する。流石は自分達の祖先。愚直なようでいて機を読むことには長けている。ここで不必要にしつこく食い下がられていたら、こちらの気も変わってしまっていたかもしれない。

 考えておくなどと言ったが、おかげで神木の意志は固まりつつあった。

 だから自分達の関係がどうなるかは、もう、あの子次第。

(……いや)

 子供に委ねてばかりでは情けない。こちらが親なのだから。

 緋意子はアサヒを退室させた後、再び書類と向き合い、自省しながら職務へ戻った。

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