ギルドマスターの災難な一日とカルナの出発
城塞都市システ・ソレイユの居住区にある一画。
レンガ造りの一軒家に住む冒険者ギルドのギルドマスター――ロッシュ・カーバルトの朝は早い。
日が昇り始めた頃に起き上がり、日課になっているランニングと筋トレを行う。
その後、庭にある畑に植えてある野菜たちの様子を見に行く。
丹精込めて育てられた野菜たちが、朝日に反射してきらきらと輝いていた。
あと少しで収穫時期だ。
我が子のように一つ一つ丁寧に確認したロッシュが、満足そうに頷く。
「ふぅ……っと、そろそろ時間か」
畑の水やりを終えたロッシュが、時計を見て急ぐ。
妻特製の手作りサンドイッチを食べ、手早く歯を磨いて仕事着に着替える。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいあなた」
「パパ行ってらっしゃい!」
玄関先で妻と娘に行ってきますのハグをした後、ロッシュは足早にギルドへと向かう。
途中、ご近所さんたちに挨拶をしながらふと空を見上げると、雲一つない快晴であった。
(平和だ)
何時もと変わらない日常。
今日もそうだと思っていた――。
「ん……?」
あと少しで冒険者ギルドというところで、ロッシュの前に立ちふさがる人物が一人。
漆黒の全身鎧に、巨大なグレートソードを背中に担いだその人物は、ロッシュの良く知る人物だった。
「黒騎士じゃないか! お前一人か? 黒魔女はどうした?」
冒険者の階級は全部で五つ。
上から、白金、金、銀、鉄、銅級とある中で、城塞都市に数人しかいない金級冒険者の一人。『黒騎士』。
城塞都市でも指折りの実力者である彼が、何故か大通りのど真ん中で仁王立ちしている。
ぴくりとも動かない。
一言も話さなず、銅像のよう動かない黒騎士の態度に若干の違和感を覚えながら、ロッシュは彼に近づく。
「どうしたんだよお前、立ったまま寝てんのか?」
あと数歩も歩けば黒騎士に当たるという距離で、ロッシュが声をかける。
すると。
見計らったかのように彼の兜のスリットから覗く瞳が、きらりと光った。
「遺言はそれだけか? 辞世の句でも可」
「おいおい何言って……っ!?」
グレートソードを抜いた黒騎士が、ロッシュに斬りかかる。
一瞬の出来事。
大きく踏み込み、剣圧で砂ぼこりが舞う。
上段から繰り出された必殺の一撃が、ロッシュの脳天目掛けて一直線に振り下ろされた。
「おまっ!? 気でも狂ったか!!」
ロッシュは腰に差していたロングソードで受け流すと、距離をとって黒騎士を睨む。
石畳に当たる寸前でグレートソードを止めた黒騎士が、無言でロッシュに剣先を突き付けた。
理由はわからないが、どうやらヤル気らしい。
金級冒険者とギルドマスターの喧嘩が始まったと通行人たちがロッシュたちの周りを囲み、野次を飛ばす。巻き込まれないように遠くで見ているので、何を言っているのかはわからなかったが。
野次馬はどうでもいい。問題は黒騎士だ。
実力はロッシュとほぼ同じ、辛うじてロッシュの方が上だが苦戦は免れない。
「甘んじて受け入れよ。自決でも可」
「だからさっきから何言って……」
「「黒騎士!! お前! 何やってるんだ!」」
突然の大声。
黒騎士に意識を残したまま、ロッシュは後ろを振り返る。
数人の冒険者たちが、血相を変えてこちらに向かって走ってきていた。
黒騎士の奇行を見て慌てて止めに来てくれたのだろう。
思わぬ援軍である。これで勝てる。
ロングソードを肩に担いだロッシュが、冒険者たちに手を振った。
「おうお前らいいところに来たな! 一緒にこのイカレタ野郎を……」
「こいつをボコるのは俺たちだ!!!」
「…………は?」
ロッシュが呆然としていると、一斉に飛び掛かってくる冒険者たち。
後ろに逃げようにも、後ろには黒騎士がいる。
左右はどうかと慌てて見れば、何時の間にか別の冒険者たちが逃げ道を塞いでいた。
ロッシュの右側には銀級冒険者が一人と、鉄級冒険者が三人。
左側には女の冒険者が一人いるだけだ。だが、その一人が曲者だ。
「お前もかよ……黒魔女」
「ふふ」
茶色のローブを纏った女性が、妖艶に笑う。
黒騎士と同じ金級冒険者の一人である『黒魔女』。こういった騒動にはあまり首を突っ込まない――むしろ止める側の彼女までもが、ロッシュを捕まえようとしている。
多勢に無勢。四面楚歌もいいところだ。
「降参する……」
一人ならまだしも自分と同じ実力の金級冒険者が二人いる時点で、逃亡できる確率はなくなった。
早々に諦めたロッシュは、両手を上げて降参の意を示す。
冒険者たちの先程の様子から、二、三発殴られるのを覚悟していたが、拘束されるだけで済んだ。
流石に彼らも、無抵抗の人間を寄ってたかって殴るような非常な人間ではないらしい。ただし、黒騎士は除く。
理由もわからないまま拘束されたロッシュ。
そこに、またもや思わぬ人物が声を上げる。
「あ、いたっ!!」
冒険者たちが走ってきた方向から、茶髪をポニーテールにしたギルドの受付嬢――ピアナが歩いてきていた。
「ピアナじゃねえか! お前どうし……」
「くらえやっ!!」
ロッシュを見つけるや否や小走りで近づいてきたピアナが、彼の腹目掛けて拳を突き出す。
想定外の人物からの想定外の攻撃。
拘束されてるだとか、自身の上司だからと手加減はしない無慈悲な一撃が、無防備だったロッシュの腹に吸い込まれた。
ドゴッ! と鈍い音が大通りに無情に響く。
「ふぐっ!?!?」
体をくの字に曲げたロッシュが、数歩後ずさりする。
腹を抑え、苦悶の表情でピアナを見上げた。その眼には、疑問の色が色濃く浮かぶ。
周りでは、冒険者たちが呆然とした表情でロッシュとピアナを見る。数人は、腹を抑えて自分の事のように痛がっていた。
ガクリと膝を地面につけ、ロッシュは首を垂れる。
「ロッシュ殿!?」
「む……その声……カルナ……か」
遠のく意識の中、ロッシュが最後に見たのは心配するカルナの顔だった。
☆
「申し訳ねぇ……」
ロッシュは、流れるような動作で床に頭をつけて謝る。見事なものだ。無様ともいう。
そんな彼を見てカルナはおろおろと挙動不審になり、ピアナは冷たく見下している。
冒険者たちはいない。彼らは、自分たちの受けた依頼をやりにいった。
なぜ、ロッシュがこうなっているのかというと、時間は少し――彼が目覚めた時まで戻る。
ロッシュが意識を失って目覚めると、ギルドの一室に寝かされていた。
状況をいまいち飲み込めない彼は、自分を見つめる二つの視線に気づく。
一つは心配した様子で見つめるカルナのもので、もう一つはゴミを見るような目で見つめるピアナ。
どうしてここにカルナが。何故ピアナはそんな顔で見つめる。
両極端な二人の表情に、ロッシュの頭は更に困惑する。
ピアナは怖いので放置。触らぬ神に祟りなしだ。
とりあえず、カルナとの久しぶりの再会を喜ぼうと彼女に笑顔を向けたロッシュ。
そんな彼の表情を見たピアナの顔が、怒りの色に染まっていく。直視できないほどに。
「カルナ、もう一発殴っていいかな?」
「だめだピアナ、落ち着いてくれ」
ボキボキと指を鳴らし、ロッシュに近づくピアナ。
慌てて止めに入ったカルナと、何が何だかわからないロッシュ。
「カルナに代わって私が説明してあげますよ。ギルドマスター」
ピアナから聞かされたカルナが受けていた不当な扱いの数々。
そして、騎士を辞めて国外追放されたこと。
それらを黙って聞いていたロッシュが謝り――今に至る。
「ロッシュ殿、顔を上げて下さい!」
「いや、そういう訳にはいかねぇ。すまん……辛い思いをさせた」
床にめり込むほど強く頭を下げるロッシュ。
カルナが騎士たちから嫌がらせを受けているのは知っていた。
だが、実力を妬む者がする低俗な嫌がらせ。自分も受けていたよくあるものだと勝手に判断して放置していた。むしろ、それだけ目立つようになった彼女に喜んでいた節もある。
しかし、まさか王都の騎士団全員—―民たちからも酷い扱いを受けているとは思わなかった。
彼らはわかっているのだろうか。
あの、恐ろしい魔王軍からカルナが自身の命を懸けて守ってくれていたという事を。
いや。わかっていない。
わかっていたら恩を仇で返すような、カルナの善意に糞を塗りたくる真似などするはずがない。
たとえそれが誘導されたものだとしても、彼らがカルナにしてきたことは到底許されるものではなかった。
それは、ロッシュ自身にも言えることだ。
彼に憧れ、家族の反対を押し切って騎士となったカルナ。
彼女の活躍を知っていた。それなのに、守ってやれなかった。
「本当に、本当にすまん……虫のいい話だが、償わせてほしい」
ロッシュは誓う。
これからは、何があってもカルナを守ると。
全ての人間が敵になったとしても、自分だけは彼女の味方でいようと。
決意を新たにしたロッシュが、カルナを真っすぐと見つめ――。
「いえ、大丈夫です」
断られた。
それはもう、ばっさりと。
「えっ!?」
「ピアナや冒険者たちから感謝の言葉を貰いました。それだけで十分ですから」
「いや……ちょっと、カルナ?」
「だから、別に気にしないで下さい。私も気にしてませんから」
それにと付け加えたカルナ。
「私もこう見えて強くなったんですよ。ロッシュ殿に守られる昔の弱い私ではありません」
「そうか……そうだよな」
握り拳を作り、笑顔を見せるカルナ。
確かにそうだとロッシュは思う。
今の彼女はあの頃の弱い彼女ではない。立派に成長し、騎士としてこの国を守ってきた。
今更、誰かに守られるようなやわな存在ではない。
子供が成長して自立していくような寂しさと感動で、ロッシュはちょっとだけ泣きそうになる。
部屋は、温かい雰囲気に包まれた。
だが、静かに聞いていたピアナが特大級の爆弾を落とす。
「マスターよりカルナの方が強いもんね。自分より弱い人に守られても……ねぇ」
「えっ……?」
「ピアナ! 何てことを言うんだ。ロッシュ殿違うぞ! 貴殿は確かに私よりも弱いが……ってそうじゃない! ロッシュ殿には守るべき家族がいる。うん、だからそちらを優先してほしい」
慌てて言い直すカルナだが、もう遅い。
遠まわし――いや、どストレートに言われてしまったお前弱いじゃん発言。
ガンガンガンと何回も鈍器で殴られたような衝撃がロッシュを襲う。
娘から拒絶された父親の気分を早くも味わう。
先程とは違う意味で、ロッシュの頬を一筋の涙が伝った。
☆
恩人であるロッシュに別れの挨拶――と呼ぶべきかはわからないが、とりあえず挨拶をしたカルナは、隣国である帝国へと向かう。
見送り人はピアナとロッシュだ。
「短い間だったが、ピアナには色々なものを貰った。ありがとう」
「大げさだよ。こっちこそありがとうね」
カルナとピアナは微笑む。
たった一日という短い期間だったが、カルナはピアナと出会えて良かったと思っている。
国外追放さえされていなければ、カルナは彼女の元を離れなかっただろう。それ位、ピアナの事を好きになっていた。
だが、ここにいてはピアナの迷惑になってしまう。
惜しみながらも別れの握手をした後、カルナはもう一人—―ロッシュの方を向く。
「ロッシュ殿に救われてなければ、今の私はここにはいないだろう。感謝します」
「俺の方こそ……いや……帝国でもカルナの活躍を楽しみにしている。頑張れよ」
「はい」
お互いに握手をした後、カルナは頭を下げる。
ロッシュは守れなかった事を謝ろうと口を開くが、今言うべき内容ではないと思い、彼女の健闘を祈る。
「では、行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
「カルナ、頑張ってね! あと、これ私とギルドマスターからの餞別」
「ありがとう」
ピアナから花柄の可愛い巾着袋を受け取る。
中身はどうやらお金のようで、ジャラジャラと硬質の物体が当たる音が聞こえた。
「必ず返しに来る」
「気にしないで! じゃあ……行ってらっしゃい」
別れの時間は短い方が良い。ずるずると長引けば、それだけ気持ちは揺らいでしまう。
巾着袋を大事にしまうと、カルナはもう一度頭を下げる。
そして、帝国へと出発した。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
そして、遅くなってしまいましたが誤字脱字の訂正をしてくださった方、本当にありがとうございます。
次からやっと本番の帝国編だ……