ギルドマスター処すべし。慈悲はない
早朝。何時ものように起きてしまったカルナは、上半身を起こして伸びをした。
頭はスッキリとしていて、疲れもない。
久しぶりによく眠れた。
(これも全てピアナのおかげだな)
カルナがチラリと横を見れば、気持ち良さそうに寝ている彼女がいる。その頭を優しく撫でたカルナは、起こさないようにゆっくりと立ち上がった。
そして、もう一度大きく伸びをする。
翼を広げ、尻尾を真っ直ぐ伸ばす。何時もより良く動く。こちらも絶好調のようだ。
そのまま日課のランニングに行こうとして、ドアノブに手をかけたところで思い出す。
(そうか、もう騎士を辞めたんだった)
じゃあ、やらなくていいなと頷いたカルナだったが、そこで考える。
果たして本当にやらなくていいのか。
一日サボれば明日も――その次の日も――それだけ身体はたるみ、いざと言う時に動けなくなってしまう
そして、筋肉が減ればその分代謝も落ちる。
代謝が落ちればどうなるのか。簡単だ。
太る。
筋肉も代謝もなくなるのに、食欲だけは普段通り。
何もしないでぐうたらして、食べて寝てればぽっちゃり竜人の出来上がりだ。
それは断じて許されることでは無い。
やはり走るしかないなと頷いたカルナが、ドアノブを回そうとして――またも止まる。
カルナは、下着姿だった。
ただの下着ではない。機能性を重視した作りになっており、この姿でも戦えるほどには耐久性も十分だ。
だかしかし、下着姿でランニングはありえない。不審者もいいところだ。それに、一応国外追放された身としては、目立つ行為は控えるべきだ。
では、ランニングの代わりに筋トレはどうだろう。
鍛えたい部位を効率よく鍛えられる。消費カロリーも多い。そしてなによりこの部屋の中で出来る。
完璧だ。だがしかし、下着の替えがない。
今でさえかなり無理して着ているのに、これ以上汗臭い下着をつけるのは、流石のカルナでも無理だ。
風魔法が使えれば下着を洗って直ぐに乾かすことが出来るが、生憎カルナは風魔法は使えない。
(……お風呂に入るか)
仕方がないので大人しく部屋に居ることにしたカルナは、風呂場に向かった。
☆
「ふぁ~、カルナさんおはようございます」
「おはようピアナ」
お風呂から出たカルナが鎧を着ていると、ピアナが目を覚ました。大きな欠伸をして眠たそうに目をこすると、のろのろと布団から出てきた。
どこから出したのか、仕事着に着替えたピアナがカルナに言う。
「朝ごはん、食べに行きましょうか」
「あぁ!!」
二人は部屋を出て、一階の食堂へと足を運ぶ。
既に他の宿泊客や近所の住人たちでかなりの席が埋まり、賑やかな朝の風景が広がっていた。
四人掛けの机に座っている冒険者風の男たちが、朝食を食べながら今日の依頼について話し合い。隣の席では茶色のローブを着た女性が、全身鎧を着た人物と食後のデザートを食べている。女性は別として、全身鎧を着た状態で食べれるのか疑問は残るが、皆が思い思いの朝の過ごし方をしていた。
その中にはカルナとピアナに気付き「冒険者ギルドの受付嬢と一緒に居るあの綺麗な竜人は誰なんだ」と仲間で話している者もチラホラいた。
「おはようピアナにカルナ! あんた達の席はここだよ!」
「クルスさんおはようございます!」
「おはようございます」
忙しそうにカウンターで働いていたクルスが、二人に気付き手招きする。そのままカウンター席に座ると、用意していたかのように朝食が出された。
今日のメニューは、パンと野菜スープ。目玉焼きにソーセージだ。
これだけ豪華な朝食なのに、一食五銅貨は安すぎる。勿論、宿泊代と同様でカルナはタダだ。
クルスに礼を言い、カルナは手を合わせる。
置かれていた水差しからコップに水を注いで、朝食の時間だ。
まずは野菜のスープだ。木彫りのスプーンで掬って食べる。
美味しかった。少し塩気が物足りない気がするが、朝はこれくらいがちょうどいい。
ソーセージも、噛めば噛むほど肉汁が溢れ、口の中に旨みが浸透してくる。
そして、目玉焼きとパンだ。
スライスされたパンの上に、目玉焼きを乗せる。なんて贅沢。罪深い料理の完成だ。
黄身を割ると、中から黄金色の黄身が溢れてくる。
ごくりと唾を飲み込み、豪快に一口かぶりつく。
「はぁ……美味しい」
あまりの美味しさに、溜息がでた。
外はさっくり、中はしっとりとしたパン。とろっとした黄身に、柔らかいが存在感がある白身。全てが絶妙なバランスでお互いの良いところを引き出している。
幸せだ。久しぶりに至福のひと時を過ごしていた。
後ろで客たちがジロジロと見ているのが気になるが、騎士団に居た頃に向けられていた敵意のこもった視線より何倍もマシなものだった。
「なぁ、あんた」
「む?」
その一つが、恐る恐る声をかけてきた。
はしたないが、パンを咥えたままカルナが後ろを振り返ると、革の鎧を着た男が一人立っている。茶髪に堀が深い顔、鍛え抜かれた精強な体つきをしていた。
パンを咥えたままのカルナを見て一瞬呆けた表情をしたが、直ぐに鋭い視線を彼女に向ける。
それに合わせ、カルナも何が起きても対処できるように身構える。パンを咥えたまま。
「やっぱり! あんた片翼の英雄……カルナ・リーヴェだろ!!」
「「…………なにっ!?!?」」
革鎧の男が大声をあげる。
一瞬の沈黙、男の発言で一斉に彼女を見るその他大勢。
パンを咥えたままのカルナは、英雄と呼ばれて何が何だかわからない表情をしている。
その隣で、これから起こる事が想像できたピアナは、彼女を心配するように見つめた。
この場にいる全員の視線がカルナに向けられる中、当の本人はとりあえずパンを食べようと口を動かす。
サクッサクッとパンを食べる咀嚼音が響き、最後の一口まで味わったカルナが口を開く。
「カルナ・リーヴェで間違いない……だが、英雄ではないと――うぉっ!?」
カルナが言い終わる前に、革鎧の男とその他が群がる。
人波に飲み込まれたピアナが一瞬で見えなくなった。
「こんな場所で会えるなんて夢にも思いませんでした!!」
「握手を!! 握手して下さい!!」
「俺はハグを所望する。キスでも可」
「てめぇ! どさくさに紛れて何言ってやがる!!」
阿鼻叫喚。朝の静かな時間が、混沌とした世界へと変わる。
三人目の全身鎧の男に至っては、周囲から袋叩きにされていた。殴っている方が痛くないのだろうか。とりあえず、彼の無事を祈る。
(なにこれ……どうすればいい!? どう対処すれば……ピアナっ!?)
助けを求めるようにピアナの方を向くが、彼女の姿がない。慌てて人混みに目を向け――。
「カルナさん! 助けっ……うぴゃっ」
「ピアナっ!?」
見つけた。
人の壁に挟まれたピアナが、間抜けな顔をして助けを求めている。
急いで彼女の手をつかみ、引っ張り出す。すっぽーんという擬音が似合うほど、気持ちよく抜けた。
「今のは面白いな……」
「カルナさん酷いですぅ……ってか貴方たち!!! 人の事殺す気かっ!!! そこに並べっ」
「「あ、はい……」」
泣き顔から一変、ピアナは憤怒の表情で彼らを睨む。心なしか、何か怒気のようなものが滲み出ている。
びくりと肩を上げた客たちが、横一列で綺麗に並ぶ。手慣れた見事な動きだ。だがその顔は、大好きな飼い主に叱られた犬のようにしょぼんとしている。
見慣れた光景なのか、クルスがカウンターの近くでやれやれと首を振って笑っている。
この状況に付いていけないのはカルナだけだ。
恐る恐る、ピアナに声をかける。
「この状況は何? どうなってる……」
「彼らは、カルナさんを尊敬する冒険者の皆さんです」
そうですよね皆さん。とピアナが言うと、冒険者たちが首を激しく上下に動かして肯定する。
ありえない。そんなことがあるかとカルナは疑う。
王都では侮蔑の視線は向けられても、尊敬の眼差しなど間違っても向けられたことはなかった。
それに、ただの騎士である自分を尊敬するのはおかしい。人違いじゃないのかとカルナが言うと、冒険者が全員信じられないと騒ぎ始めた。
必死になって全員が身振り手振りでカルナに向かって何かを言っているが、この人数の会話を聞き取れるわけがない。
(ど、どうすればいい)
カルナはおろおろと首を動かし、ピアナに助けを求めた。
「うるさいですよ」
「「はい。すみません」」
たった一言。ピアナが放った言葉で静かになる冒険者たち。
「ピアナ殿、流石です」
「えっ!? ちょっとカルナさん? 何でいきなりそんな口調になるの!?」
「いえ、お気になさらず」
「めっちゃ気になりますよ! お願いですから普段通りに接して下さいぃ」
「……わかった。では、ピアナも普通に接してくれ」
「良いんですか!? じゃなくて、いいの!?」
「あぁ、勿論」
「わぁっ!! ありがとう!!」
ピアナがカルナに抱き着く。
突然の出来事で一瞬反応が遅れたカルナだったが、笑顔でピアナを抱き締めた。
それが終わると、カルナが意を決してピアナに話しかける。
「ピアナ……その……」
「どうしたの?」
指をもじもじとさせ、顔を赤らめるカルナ。
翼はぱたぱたと動き、尻尾が忙しなく左右に行ったり来たりしている。
「わっわわ私と友達になってくれないか」
「うん、いいよ」
「ほっほんとうか?」
「もちろん!」
「ピアナ! ありがとうっ!」
「わわっ」
今度はカルナがピアナに抱き着く。
人生で初めて友達が出来た。こんなに幸せなことはない。
カルナの内面を表すように、翼と尻尾が暴れまくる。
ピアナもまた、王国で初めて出来た友達に喜んだ。
(微笑ましい光景だ)
(あぁ、朝からイイもん見せてもらった)
(俺もハグして貰いたい。キスでも可)
(てめぇはちょっと黙っていようか)
冒険者たちは、そんな二人を見て笑顔になる。主に野郎共が。
カルナは文句なしの絶世の美女。ピアナもまた、茶髪に大きな瞳が特徴的な、小動物のように可愛らしい顔立ちをしている。
そんな二人が抱き合っている。眼福である。これ以上の光景は、もうお目にかかれないだろう。
美女二人を目に焼き付けるように見る野郎共。完全に不審者だ。
周りでは、女性の冒険者たちがゴミを見る目で彼らを見ていた。
「ちょっといいかしら?」
このままでは埒が明かないと思った冒険者の女性が、仕方なくカルナたちに声をかける。
おっとりとした雰囲気の黒目が特徴的な女性だ。一歩前に出て、お辞儀をする。
「私たちがカルナさんを尊敬しているのは紛れもない事実です。話せば長くなりますが、この場にいる全員……貴女に何らかの形で助けて頂いた者たちです」
うんうんと頷く冒険者たち。
未だに信じられないのか、難しい顔をして「そうなのか」と呟くカルナ。
「はい、そうなんですよ。それで、とても遅くなってしまいましたが……」
わかってんだろうな。お前ら。とにっこりと笑った女性が、野郎共を見る。
ビクリと肩を上げ、壊れたおもちゃのように頭を上下に動かした彼らが、一斉に頭を下げた。
「「助けて頂き、ありがとうございます」」
まるで示し合わせたかのように声が重なる。
これだけ気持ちのこもった感謝の言葉を貰えば、彼らの言っていることが本当の事だと嫌でもわかった。
カルナは昨日のように目頭が熱くなり、涙が溢れそうになる。だが、今回は我慢できた。
王都とは違い過ぎる対応に、本当はここは王国ではなく別の国なのではと疑いたくなる。
いや、きっとそうだとカルナは思った。それ程、彼女に対する反応に違いがある。
「それで……カルナさんはどうしてここに? 何か、任務などでしたら私たちにお手伝い出来ることがあれば喜んで協力させて頂きますが」
「いや、そうではないが……」
カルナは考える。
自分の身に起きたことを彼らに分かりやすく伝えるには、どうしたらいいのかと。
答えは直ぐに出た。これしかいないと、自信を持って言える。
「騎士を辞めて国外追放された」
「「…………はい?」」
ピアナを除く、この場にいる全員が固まる。
何とも言えない雰囲気が、食堂を支配した。
全員がどういうことだと聞きたいが、張本人のカルナが満足げに頷いているので聞くに聞けない。
そのまま隣にいるピアナに全員の視線が集まった。
「あー……私がカルナに代わって説明しますね」
言葉足らずのカルナの説明に、ピアナが付け加えて説明する。
なるほどと初めは聞いていた冒険者たちだったが、途中からワナワナと震えだし、遂には怒り始めた。
デジャブである。
「なんて奴らだ!!」
「やはり騎士は信用ならん!」
「騎士の名を語る悪魔め。処刑でも可」
思い思い口に出して自分の事のように怒る冒険者。
カルナは嬉しいと思う反面、物騒なことは考えないで欲しいとも思う。特に全身鎧の男。
「ギルドマスターも同罪だ!」
「そうだそうだ!」
「許しがたい。処刑でも可」
そして、当然の流れとでもいうように、ヘイトがギルドマスターのロッシュへと向かう。
デジャブである。
カルナは恩人であるロッシュを庇おうと口を開く。
しかし。
カルナの偉業を我が子のように自慢していた男—―ロッシュ。王都でのカルナの活躍を知っていたのなら、当然彼女が受けていた理不尽な扱いも知っていたはずだと冒険者たちに言われ、何も言えなくなってしまう
「そうだ。今からギルドマスターを殴りに行こう」
そう言うや否や、冒険者たちは足早に出ていく。
後に残るのは呆然とした表情のカルナと、当然の報いだと頷くピアナだけ。
(ロッシュ殿……すまない。無事でいてくれ)
カルナは、まだ見ぬ恩人の無事を祈るしか出来なかった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
帝国に行ってからが本番なのに、まだ王国すら出ていない……あと1話か2話で帝国に行きます……