感謝の言葉
隣国ガルバス帝国の境界に位置するアウトリア王国の城塞都市システ・ソレイユ。堅牢な城壁に囲まれ、幾度となく敵の侵攻を阻んだ都市は、難攻不落と有名であった。
だが、それも過去の話だ。
帝国が王国と和平を結び、攻めてくる国が実質なくなった城塞都市は、王国で一番安全な場所になった。魔王軍との戦いも都市から遠く離れた境界で行われているので、王都が攻め落とされない限りこちらに来ることはない。魔獣や亜人の襲撃も、優秀な冒険者たちが対処してくれるので、騎士たちの役目は都市内の治安維持程度だ。それからというもの、騎士はどんどん腑抜けになり、腐敗していった。
平和で、何も起こらない。起こったとしてもちょっとしたいざこざが起こる程度。剣を少しチラつかせれば直ぐに治まった。
命の危険もなく、それなりに楽にお金が稼げるので城塞都市に配属希望を出す騎士が後を立たなかった。それがまた、都市内の騎士の質を低下させてはいたが。
城塞都市の大通りを、一人の女が歩いていた。
チラホラと扉の隙間から明かりが見える店は全て飲み屋であろう、人々の酒気を含んだ活気あふれる声が漏れ出ている。
そんな大通りを、黙々と女は歩く。
酒瓶を片手に泥酔者たちが女に声をかけるが、女の身なりを確認して慌てたように去っていく。少し寂しいと思いながらもその背中を見送ると、再び歩き出した。
石畳の上を音もなく歩いた女が立ち止まった建物は、堅牢な作りをしたレンガの建物だ。
女は木の扉の上にかけられた看板の名を読み、そのまま扉を押して中へと入っていった。
☆
冒険者ギルドの受付は、暇な時間とそうでない時の差が激しかった。
特に今は前者である。暇なのだ。それも、超が付いてもお釣りが来るほどに。
誰かこの暇を買い取ってはくれないだろうか。今ならたったの銅貨三枚。
「バカみたい」
そう呟いた冒険者ギルドの受付嬢――ピアナ・アラマンテはカウンター席に座りながらぼんやりと天井に付けられた照明を眺めていた。
暇だ。それに眠い。
欠伸を噛み殺しながら壁にかけられている時計を見れば、時刻は夜の十時を指していた。
普段はとっくに寝ている時間である。
これが昼間の十時であるなら、ここは依頼者やそれを受ける冒険者で賑わっていただろう。
だが、今はピアナ以外誰もいない。とても静かであった。
今まで通りのんびりと夜勤の交代時間まで過ごしていればいいわけだが、それでも暇であった。
緊急の依頼などが来れば話は別だが、ピアナが勤めてからそんな事は一度も起こったことはない――まあ、起こってもらっても困るのだが。
そんな事を考えながらのんびりと過ごしていると、木の扉が音を上げてゆっくりと開いた。
暗闇から現れたのは、一人の美しい女であった。
(わぁ……とっても綺麗な竜人?さん)
頭に生えた竜の角と翼を見て、彼女が竜人だと判断する。翼が片方しかないが、それでも文句の付け所がない。綺麗な女性だとピアナは思う。それも、超が付く程だ。
白銀の長髪に人形の様に整った顔、年齢はピアナと同じ二十代前半だろうか。
長髪と同じ白銀の篭手と鎧を身にまとった姿は、まさに理想の騎士だ。
この都市の騎士も見習って欲しい程に、彼女の姿は凛々しく、美しかった。
(あぁ、本当に綺麗な人。小さい頃聞いた話に登場する姫騎士みたいだわ……たしかあの話は)
昔話を思い出そうとしたピアナは、ふと自分に向けられた視線に気づく。
何時の間にかピアナの前まで来ていた女と、ピアナの視線が合う。
「こんばんは」
「えっ……あっ! こんばんは」
女は、警戒色を含ませた声で挨拶する。
ピアナも反射的に営業スマイルで挨拶するが、女が何時の間にか目の前にいた事に驚き、挨拶が遅れてしまった。
(失敗した)
ピアナは営業スマイルのまま女を観察する。
こちらの挨拶が遅れた事に腹を立てているのか、それとも驚いたことが気に障ったのかはわからないが、女は無表情であった。ピクリとも表情筋が動かない。
これは本格的に不味い事になったとピアナは考える。
目の前の美人はどう見ても何処かの国の騎士だ。でなければあの様な質の良い鎧は着れない。冒険者という線も考えられるが、こんなに綺麗な人を知らないはずがない。
とりあえずわかることは、彼女が普通の身分ではないということだ。
(でも、何をしに来たんだろう?依頼ってわけじゃなさそうだし……)
ピアナが考えていると、美女が口を開いた。
「私の名はカルナ・レーヴェ。ギルドマスターのロッシュ殿にお会いしたいのだが……」
「…………はい?」
笑顔が凍りつくピアナ。
想定外だ。今、この美人は何と言った。
「私の名はカルナ・レーヴェ! ギルドマスターのロッシュ殿にお会いしたいのだが」
はっきりと大きな声で美人が言う。それに合わせて、尻尾がくるくると自己主張をしていた。
ピアナの聞き間違えではなかった。目の前の美人は、自身の事を「カルナ・レーヴェ」と名乗った。
王国内でその名を知らぬ者はいない程の有名な騎士だ。良い意味でも、悪い意味でも。ただ、ギルドマスターが彼女の成した偉業をわが子のように自慢していたので、この都市での評判はかなり高い。
「片翼の英雄」と賞賛する者もいた。
そんな彼女の特徴は、片翼の竜人。言われてみれば、確かに特徴と一致している。ただ、王都から来た騎士たちから聞いた話では、見るに堪えない醜悪な顔をしていると言っていた。
(やっぱり騎士は当てにならないなー……)
カルナの何処をどう見たら醜悪なのかと思う。どっからどう見ても、文句なしの絶世の美女だ。
騎士の言うことは宛に出来ない。システ・ソレイユの冒険者の中での共通認識だ。それが今、更に強固なものになった。
(明日、カルナさんはめっちゃ美人だって皆に言いふらしてやろう)
うんうんとピアナがそんなことを考えていると、心配そうにカルナが声をかけた。
「あの……それで、ギルドマスターに会わせて貰えるのだろう……か……」
会わせて貰えないと思ったのか、カルナの言葉がだんだん小さくなっていく。それに合わせてピンとしていた尻尾もぐにゃりと曲がり、遂には床について動かなくなった。
慌てたピアナは、以前よりギルドマスターに言われていたことをカルナに伝える。
「はい! 大丈夫ですよ。カルナが来たら何時でも通してくれってマスターが言ってましたから!」
「っ!! 良かった!!」
カルナの尻尾が、見違えるほど元気に動き回る。
よっぽどギルドマスターに会えるのが嬉しいんだろうなっと思うピアナだが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ただ、今の時間帯はこちらにはおりません。申し訳ありませんが、明日の昼間にまたいらして下さい」
「あっ……そうだな。また明日出直す」
しゅんっと尻尾が下がり、今度は翼も元気なく垂れる。カルナには申し訳ないが、感情が尻尾と翼に反映されるのが可愛いと思ってしまうピアナだった。
尻尾をずるずると引きずりながら木の扉に手をかけたカルナだったが、何かを思い出したかのようにピアナの方に顔を向ける。
「どうかされましたか?」
「あっ……いや、その……」
カルナの片翼がぱたぱたと小刻みに動き、もじもじと指を合わせる。口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返している。先程までの凛々しい騎士の面影がまるでない。それはそれで可愛いと思ったピアナは、微笑んだ。
「……一晩で良いから泊めてはくれないか?」
「…………はい?」
再び笑顔が凍りつくピアナ。
デジャブだ。今、カルナは何と言った。
「一晩……泊めて下さい」
そう言って、頭を床に擦り付けてお願いするカルナ。
何がどうなっているんだとピアナは慌ててカウンターを乗り越える。
「ど、どうしたんですか! なんで……えぇっ!?」
「騎士をやめて王都を飛び出してきたのだが、お金を持ってくるのを忘れてしまった……」
何処から突っ込めばいいのかわからない。
とりあえず、カルナの話を聴こうと椅子に座らせたピアナは、彼女にお茶を出した。
「ありがとう」
ピアナに礼を言ってから、綺麗な所作でお茶を一口飲んだカルナは、今までの経緯を説明する。
騎士になった理由。一人で戦っていたこと。騎士団長や騎士たちから受けてきた不当な扱い。
初めは「なるほどなるほど」と聞いていたピアナだったが、途中からワナワナと震えだして、遂には怒りに任せて机を強く叩いた。
「なんですかそれっ!! カルナさんをトカゲって……使えない奴って……王都の騎士って馬鹿じゃないのっ!! 目ん玉どころか頭まで腐ってんじゃないの!!」
「あ、勿論泊まって大丈夫ですからね!」と憤怒の表情から一変、女神のような慈愛に満ちた表情をしたピアナが、カルナに語りかけた。その豹変ぶりが怖い。とは口が裂けても言えない。
「っていうかマスターもマスターですよ!! カルナさんが頑張ってるのは知ってるはずなのに!! 明日、文句言ってやりますよ!!」
「あ……いや、ロッシュ殿は私の恩人で……」
「尚更です!!!」
「あ、はい……」
いや、今からでもいいな。と立ち上がってギルドマスターのところに行こうとするピアナを、どうにかこうにか落ち着かせて席に座らせる。
これじゃあ、興奮状態の獣を落ち着かせるほうが簡単だと思うカルナだが、自分のことのように怒ってくれるピアナを見て、とても嬉しかった。
だから、明日どうやってマスターを殴ろうか考えるのだけはやめて欲しい。とても恐ろしい顔をしている。
ピアナが思考の世界から帰ってくる。
どうやら右ストレートでぶっ飛ばすようだ。右腕をぶるんぶるんと回す彼女を見て、カルナは恩人に祈りを捧げた。
お茶を飲み干したタイミングで、ピアナがカルナに声をかける。
「カルナさん、今更なんですが」
「うん?」
「何時も私たちを守って頂き、ありがとうございます」
「っ!?」
突然だった。不意打ちもいいところである。奇襲の方が何倍何十倍も生易しい。
初めてもらった感謝の言葉に、目頭が熱くなり、涙が溢れそうになる。寸前のところで我慢したカルナは、誤魔化すように天を仰ぐ。
王都では誰も言ってくれなかった。
勿論それを望んでいたわけではないが、それでも言って欲しかった。だが、罵倒や暴言はあっても、感謝など一度もされたことがない。民たちからは後ろ指をさされてきた。気持ち悪いと石を投げられたこともある。
頑張りが足りないんだと自分を誤魔化すように納得させてきたが、遂に叶うことはなかった。
しかし、自分が今までしてきたことは、間違ってなかった。
辞めてからやっと貰えた感謝の言葉に、カルナの涙腺は我慢の限界を超えて溢れ出す。
「っ……すまない。みぐるしい姿を……」
拭いても拭いても溢れ出てくる涙。
「ありがとうございます」たった一言、初対面の女性から言われた感謝の言葉。
それだけで、カルナの心は救われた。
読んで頂きありがとうございます。
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