騎士辞めます。
見渡す限りの死体の山。そこに、ぽつんと立つ人影が一つ。
白銀の鎧を身に纏った美しい女性。大地が死体と血の海で赤く染まっていなければ、女神と見間違うほどの美貌の持ち主だ。清流のように澄んだ青色の瞳に、鎧と同じ色の銀髪が風でなびいて輝いている。
非の打ち所がない絶世の美女。だが、その頭からは二つの黒色の角が飛び出していた。
それだけではない。肩甲骨のあたりから竜の翼が生えており、尻尾もあった。
彼女の種族は竜人。数ある亜人の中で、唯一空を飛べる誇り高い種族だ。
しかし、彼女は飛べない。幼い頃に魔獣によって片方の翼を失ったからだ。もう少しで彼女自身も死ぬところを、アウトリア王国の騎士に助けられた。
そして、自分もあの人のように弱き者を守れるようになりたいと思い、彼女―――カルナ・レーヴェは王国の騎士となった。
その時にはもうカルナを救ってくれた恩人は騎士団にはいなかったが、彼女は頑張った。
亜人を快く思わない騎士や王族の嫌がらせにも負けず、どんなに武勲をあげても評価はされなかったが、彼女は弱き者の為に剣を振った。
いや、訂正しよう。最近はカルナの実力が評価され、彼女一人で任される仕事が多くなった。
山賊の殲滅や、魔獣狩り、更には魔王軍とまで。流石に軍相手に一人は無理だと抗議したが、聞き入れてもらえず孤軍奮闘した。そして、まさかの勝ててしまったのだから、上層部は更にカルナを酷使した。
これも全て弱き者の為だと自分を無理やり納得させたカルナは、今以上に頑張った。彼女のおかげで騎士団の被害は最小限どころか0に抑えられ、魔王軍との戦いも全戦全勝だ。当たり前だ。カルナ一人で戦っているのだから。
身を粉にして働いても、返ってくるのは上司や騎士、そして守るべき民たちからの非情な言葉。感謝など一度もされたことがない。
そして、今日もカルナはたった一人で魔王軍と戦った。
「……終わった」
見渡す限りの死体の山。全て、魔王軍のものだ。
仲間の騎士はいない。どうせ、今日も後方でのんびりとしているのだろう。
せめて一緒に戦って欲しいと言ったが、「お前が突破されたら誰が食い止めるんだよ?俺たちだろ!!!」と、騎士団長のありがたい言葉を頂いた。
疲れ果て、何処かに座りたいが、どこもかしこも血で汚れてとてもじゃないが座れない。
はぁ。と一つ溜息をついて剣を鞘に収めたカルナは、空を見上げた。
夕日が空を赤く染め上げ、次第に暗くなってきている。
まるで自分の心のようだと思ったカルナは、もう一度大きな溜息をついた。
「……お腹すいた」
今日の夕飯は何だろうと考えながら、カルナは戦場から王都に帰還した。
☆
「おいトカゲ女! 騎士団長がお呼びだぞ」
カルナが騎士団専用の食堂で遅めの夕食を一人寂しく食べていると、赤髪の騎士が声を荒らげて詰め寄ってきた。またこいつかと内心溜息をついて、今まさに食べる寸前だったポトフを戻す。そして、チラリと視線を送った。
「そうですか。わかりました」
「なっ!?」
淡々と述べたカルナは、騎士からポトフへと視線を移す。
あまりの素っ気ない態度に何か言いたそうに声を上げた彼だったが、カルナはそんな事など気にもしないで食事を続ける。
ポトフをスプーンで掬う。ごろごろとした肉と不揃いに切られた野菜が入っていたが、それがまたイイ。
食欲をそそる湯気があがり、熱々のまま頬張る。肉の旨みが舌に広がり、野菜の優しい甘さが口全体を包み込む。長時間煮込まれいる為、とても柔らかく。数回咀嚼するだけでなくなってしまった。
疲れた心と体に染み渡る旨さだった。
ほぅ。と口に残るポトフの余韻に浸っていると、だんっと大きな音がした。
見れば、顔を真っ赤にした赤髪の騎士―――アルトが机に拳を振り下ろしていた。まだ居たんですね。とは口には出さない。
「てめぇ!! この俺が態々伝言を伝えてやったのに、礼もなしかよっ!!!」
「ありがとうございます」
秒で答え、彼の目を見て頭を下げたカルナは、残りのポトフを食べようとして―――アルトに手を掴まれた。
かなり強く握っているのか、ギリリと音がする。
相手にするのも面倒くさいので、カルナは掴まれている手とは逆の手でスプーンを持つと、そのままポトフを食べ始めた。
(うん、美味しい。何時も美味しいが、今日の夕食は格別に美味いな。空腹は最高の調味料とはよく言ったものだ)
カルナが、うんうんと頷きながら夕食を堪能していると。
「てめっ! 俺を無視して食事とは良い度胸してんじゃねーか」
怒りで赤くなった顔を更に真っ赤にさせて、アルトが吠える。
ちりちりと肌を刺す殺気が彼から漏れているが、一人で死線をくぐり抜けてきたカルナからすれば、その程度の殺気など気にもならない。そよ風が髪を優しく撫でる程度だ。
しかし。
「トカゲ女がよぉ!! 人間様と同じ飯を食ってんじゃねぇよ!!」
アルトが、カルナの食事を払い除けた。
ガシャンと食器が割れる音が食堂に響き、石畳の床に夕食が散らばる。そして、これみよがしに踏みつけた。
反射的にポトフの器だけは守ったので大丈夫だったが、他の物はアルトの足の下だ。勿体無いと思うが、とてもじゃないが食べれない。
カルナはゆっくりと丁重に器を置くと、一瞬でアルトの首を掴んだ。
「ぐぅっ!?」
「アルト……アルト・リデルト。私は、食事を邪魔されるのが嫌いだ」
冷淡に告げたカルナが静かに立ち上がる。
それに比例して、アルトの首を持つ腕も上がっていき、つま先が宙に浮いた。ばたばたと見苦しく抵抗するが、どうすることも出来ない。逆に首が絞められていく。
先程とは真逆の真っ青な顔をしたアルトを冷徹な瞳で睨むと、カルラは乱暴に首を離した。
「うっ……がはっごほごほっ……てってめぇ」
どさりとアルトがその場に尻餅を着く。
凄んではいるが、顔は真っ青で冷汗が噴き出している。腰が抜けてしまったのか、立ち上がろうにも立ち上がれないでいた。もしこれが戦いなら、彼は既に死んでいる。
無様過ぎるその姿にカルナは興味を失うと、アルトに潰された食事を拾い始めた。
割れ物を扱うかのように丁寧に、全て拾い上げた彼女は、未だ立ち上がれないでいる彼を一瞥すると、食器を返し、料理人に食事の件を謝罪してから食堂を去った。
☆
「おせえだろっ!!」
騎士団長の執務室に入った瞬間、空になった酒瓶がカルナ目掛けて飛んでくる。それを難なくキャッチした彼女は、もし自分じゃなかったどうするんだと思うが、彼はそんな事は気にしない人間だったと諦める。
扉を閉めると、酒臭さがカルナにまとわりつく。室内に充満した吐きそうな空気に眉をひそめ、無表情で男―――騎士団長アルバート・リークの元へと歩いた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
酒瓶をアルバートの机に置くと、カルナは頭を下げた。
そこにすかさず酒瓶が振り下ろされる。鈍い音がして酒瓶が割れると、中に入っていた少量の酒が彼女の頭に降り注いだ。
この程度ではカルナを傷つけることは出来ないが、部屋を満たしている酒の臭いがより一層強くなった気がして、彼女は顔を顰める。
「てめえの今日の不甲斐ない戦いのせいでな、俺様の貴重なきちょーな時間が浪費されただろうがよぉ!! だから罰として、てめぇの今月の給金はなしだっ!!」
自分一人で戦わせおいて、あまりの横暴。
更に、カルナの立てた手柄を横取りしているのも知っている。勤務時間中の飲酒。暴力。いじめ。脅迫。今に始まったことではないが、やりたい放題だ。これが騎士団長だと思うと、頭痛が痛い。咎めようとしてもカルナの味方は何処にもいない。王都にいる全ての人間が、カルナを敵視しているからだ。
「お前ごときが!! 弱者の為に頑張りたいっていうから最前線にたたせてやってんのにっ!! やる気がねえならやめちまえ!!!」
アルバートは唾を飛ばし、怒鳴り散らす。
―――やめちまえ。
頭を下げて静かに聴いていたカルナの心に、何時もは届かないその言葉が静かに響く。
確かにそうだと思った。今がやめ時だと。
もう、十分過ぎるほど国に貢献した。戦った。我慢してきた。どんなに武功をあげても評価されず、どんなに親身になって接しても王都の民たちは恐れる。
0に何をかけても0なように、カルナがどんなに頑張っても彼らが変わることはない。
もう良いような気がした。
やめろというのなら、やめてやろう。
「わかりました。本日を持って騎士団を辞めさせて頂きます」
「……っは?」
カルナは腰に差していた剣を抜き、机に置く。辞表の代わりだ。彼女と共に戦場を駆け抜けてきた相棒ではあるが、騎士になった時に国王から「トカゲがっ」と、唾を吐きかけられて貰ったものだ。何の思い入れもない。
その点、身に着けている鎧は自分で買ったオーダーメイド品だ。これは返すつもりはない。
「やめるなら俺様の権限でてめえは国外追放!! 退職金もなし!! それでもいいのかよっ!!」
「はい、大丈夫です。今までありがとうございました」
「ちょっ……お前待っ……」
呆然としたまま自分を見つめるアルバートに頭を下げると、足取り軽く部屋を後にする。扉を閉める瞬間に我に返ったアルバートが何か言おうとしていたが、どうでもいいのでそのまま無視して閉めた。
「ふぅ……何だかスッキリした」
長年の憑き物が落ちたような感覚に、腕を上げて伸びをする。
国外追放されたので、この国にはいられないだろう。不当な手段だが、そういう事はきっちりやる男だ。それを普段の仕事に生かして欲しいものだが。
さて、これからどうしようか。
この国に別段思い入れもないが、命を救った恩人には別れの挨拶をするべきだろう。そう考えたカルナは、恩人の元へ向かうために王都を後にした。
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