13.ジルバ国滞在記 蔵書室(2)
ダニエルはエリオットの誘いを断って、翌日は再び蔵書室を利用する予定を選んだ。
そして腕組みに不満げな顔をし、遠慮なく怒気を放つリーラを前に、選択ミスを痛感する。
「今日は、一体どういった用件ですの?」
「昨日の資料のお礼を言いたくてですね。ありがとうございました」
たとえ嫌われていようとも、あの資料は非常にありがたかったので、ダニエルは素直に感謝を伝えた。
「そのためだけに、わざわざ? 一生懸命姉と予定を立てていたエリオットが哀れでなりません」
「……そうですね」
「で、何が知りたいのです?」
「ええっと、実は全般的に見ておきたいと思いまして」
ダニエルに具体的な目的は無かった。
突貫で覚えた古代語を使い、とにかく知らない知識を時間の許す限り詰め込みたいだけなのだ。
リーラが言っていた通り、ダニエルが手に入れられる書物も溜め込んできた知識も低俗なのだ。
良質な知識が欲しい。できればたくさん手に入れたい。
「もう少し、具体的に目的を定められないのですか?」
「今はまだ、難しいですね」
ありえないと首を横に振ったあと、リーラは蔵書室の扉を開いた。
昨日と同じ場所まで案内し、ダニエルに蔵書室の地図を渡して説明し始める。
「ほとんどが古代語ですが、ほかの言語の書物もあります。どれもあなたには読めないと思いますよ」
「昨日お借りした本の古代語は頭に入れましたから、それで何とかしてみます」
「昨日、一日で、ですか?」
「一度読めば頭に入る質でして」
ダニエルはリーラにお礼を伝えると、蔵書室の中でも魔法や魔術に絞って書籍を開き、そして流し読みし始めた。
(歴史とか、種族とかも読みたいけれど、今回は無理だろうなぁ……)
そんなことを考えながら、一冊数分で見切りをつけて読み進めていったのだった。
昨日同様に、ダニエルはすぐにリーラに見向きもしなくなった。
そのことが彼女の怒りに油を注ぐ。
(これだから、人という種族は嫌なのです)
踵を返して蔵書室の扉の前まで来て振り返っても、ダニエルが追いかけてくる気配はない。
そのまま外に出ると、リーラは姉のヴェルデに会いにいった。
◇◆◇◆
「ど、どうしたんだ! リーラ」
部屋でくつろいでいたヴェルデは、リーラの泣きはらした顔を見て驚いた。
何事にも動じない竜妃の厳しい顔とも、エリオットに見せる優しい母の顔とも違う。
気を許した近しい人にだけ見せる、ヴェルデの素が出ている。
「あ、姉様。わたくしは、わたくしはっ」
ぼろぼろと泣きながら、リーラはヴェルデに縋りついた。
「と、とにかく落ち着くんだ。呼吸を整えて。リーラは体が弱いから、そのように取り乱したらまずい」
ハクハクと、息継ぎすら上手くできずにリーラは苦しんだ。
「一体なにがあったんだ?」
「……がい、でした」
「え?」
「わたくしの、番が、やっと現れました。――でも……」
リーラの言う通り番が現れたのなら、喜ばしいことで悲嘆にくれる理由などないはずなのに。
再び泣き出した妹の背中をさすり、ヴェルデは彼女が落ち着くのを待った。
リーラの齢は四百歳を越えている。
彼女は、ずっと番が現れるのを待ち望んでいた。
ジルバ国では、リーラのように番に巡り合えない者は珍しくない。
生涯出会うことなく世を去るものも出てきているくらいだ。
ただでさえ、子ができにくい竜人の一族なのに。
寿命が千年あり、番の巡りを問題視してこなかったせいで、今、ゆっくりとその数を減らしていた。
「出会えたのなら良い話だ。泣くことなどないだろうに」
慰めれば嗚咽が増すばかりで、呼吸が荒くなっていく。
このままでは倒れてしまうと思ったヴェルデは、リーラを抱き上げると彼女の部屋へと連れて行った。
「あ、姉様のように、生まれる時期がずれたのだと、言い聞かせて、今日まで待っていたのです」
腕の中でめそめそと泣くリーラ。
その様子に心傷めるヴェルデもまた、昔は番に恵まれない者の一人であった。
ヴェルデとリーラは二人姉妹で、ジルバ国の下流貴族出身だ。
世渡り下手な両親は、領地として預かっているプラータ山脈の最端にある崖へ視察に出掛けた際、運悪く落石の下敷きになり他界してしまった。
両親を失った悲しみもさることながら、現実的な問題がヴェルデの前に立ちはだかる。
貧乏だったせいで家と爵位はあるが、金がなかった。
ヴェルデは両親の弔いをすませると、給金の良さを当てにして女の身を隠して騎士団へと入団した。
最初こそ大丈夫だろうかと心配していたが、両親からもらった体は大きく頑丈で、下っ端兵士として十分に通用するほどであった。
念のためにと番封じの薬も飲んだ。
妹が番をみつけて嫁にいくまでは、自らの番は面倒なので放っておこうと決めていた。
姉妹二人で協力し慎ましやかに暮らすのは、それなりに楽しかった。
三百年ほど変わらず過ごしたのち、竜王と竜妃のあいだに待望の王子が生まれる。
それが現竜王のブラウだ。
ブラウが十五歳を迎えると、国中で番探しが始まったのだが、残念ながら相手は見つからなかった。
ちなみにこのときリーラは王宮に行って番審査をうけたのだが、ヴェルデは普段男としてふるまっていたせいで、自らが対象だという発想にいたらなかったため行っていない。
おかげで、ブラウは時期のずれた番を待つ、寂しい竜人の仲間入りを果たすことになってしまった。
「ブラウ義兄様のように、見つけた瞬間に気づいて、飛び込んできてくれることを、ずっと夢見ていたのです」
「いや、あれは。そんな運命的な出会いではなかったんだがな……」
ヴェルデは、ブラウとの出会いを思い出し、なんとも言えない顔をした。
祭のトーナメント戦で、景品の肉に釣られて参加を決めたヴェルデは、順調に勝ち進み準決勝戦で対戦相手に手傷を負わされた。
その血の匂いで、ブラウはヴェルデが番だと気づいたのだ。
「正直、剣を交えている最中に突っ込んできたせいで、危うく切り殺すところだった。肝を冷やしたよ。しかも、そのあとブラウは相手を瀕死になるまで切り裂いたからな。悪いことをしてしまった」
相手方は一命をとりとめたものの、しばらくは寝たきりとなってしまったので、本当に可哀想なことをした。
ヴェルデは、その場で直ぐにブラウを羽交い絞めにして止めに入った。
ついでに説教したのだが、彼は番と出会えた喜びしか頭になく、血に染まった手でヴェルデに抱き着いて泣いて離れなくなった。
仕方なしに公衆の面前でブラウの頭に拳骨を落として昏倒させ、場を終息させたのはいい思い出だ――と、ヴェルデだけが思っている。
「わたくしの話は置いておいて。今はリーラの話だ」
「ううっ。あんな番は認めたくありません」
「それは困ったね」
ベッドに横になった妹の頭をゆっくりと撫でてやる。
胸の上で手を組んでハラハラと泣き続けるリーラは、儚く散ってしまいそうなほど可憐だ。
同じ姉妹なのにこうも違うかというほどに、ヴェルデとリーラの容姿は異なる。
(ガサツなわたくしよりも、リーラの方が花嫁衣装も似合うし、なにより――)
ひとりで生きていけない質なのだから、番と共に幸せな人生を歩んでほしいと心から願っていたというのに。
結局、ヴェルデが先に番と出会い、しかも相手が王子では家をでて嫁ぐしか選択肢がない。
ヴェルデが嫁ぐとなるとリーラが家督を継ぐことになるが、その重責に耐えられるほどの器量が彼女には無かった。
ヴェルデは悩み、そして家を畳んで爵位を返上し、リーラを連れて王宮へ嫁ぐと決めた。
その決断は、国中から非難を浴びることになる。
血を継ぐ者がいるにもかかわらず、家を畳むなど不敬である。
王子の番が輿入れに妹を連れていくなど慇懃無礼だ、と。
ヴェルデは誰に何を言われても、要望が通らなければ輿入れしないと突っぱねた。
大体、非難する者たちは家督が続くことを正とし、継ぐ者は誰だろうと構わないのだ。
リーラしかいないから彼女を推しているだけで。
そんな奴らの言いなりになって、妹に家督を継がせた結果、リーラの心が壊れたらどうなるか。
奴らは仕方ないとして済ませるだけだし、誰一人責任をとる者はいない。
けれど、ヴェルデはそうはいかない。
大事な妹を、無理を承知で重責の中に放り込むなどしたくなかった。
結局、やっと出会えた番を迎え入れたくて仕方ないブラウが、リーラをヴェルデの側付き女官にすればいいと手を差し伸べてくれた。
下級貴族がひとつ減ったところで、国政に大きな影響もないから大丈夫だと通してくれたのだ。
我儘を通した反動は、直後に始まったヴェルデの妃生活に影を落とした。
ように見えたのだが、ヴェルデは逆境に慣れた図太い神経と、男社会で培った経験で、向かってくるもの全てを正面から愚直に薙ぎ払ってしまった。
おかげで、今日まで何事も起きず平穏な妃生活を送っている――と、ヴェルデだけが思っている。
平和で幸せな今が続くことこそ、ヴェルデは大切だと思っている。
どん底に落ちても、周囲が羨む幸運に恵まれても、ヴェルデの大切なものは脅かされてきた。
なにも増えなくていい。だから、なにも失うことがなければと願うヴェルデは、リーラが幸せになりさえすれば、どんな選択をしても構わないと思っていた。
「番に嫁ぎたくなければ、ずっとここに居ればいい。わたくしもリーラと一緒に過ごせるのなら嬉しい」
「ですが、せっかく会えたのに……」
ぐずぐずと鼻をすすり、己の意見をコロコロと変えて悩み続ける。
可愛く面倒な幼い妹である。
「ちなみに、どのような殿方なんだ?」
「姉様、楽しまないでください」
「いいじゃないか。姉妹でそういう話をするのも、わたくしは憧れていたんだ」
ヴェルデは、いつかリーラが番を見つけ、喜んで報告しにくる日を待っていた。
笑顔で嫁ぐ妹の幸せをずっと望んでいたのだ。
「竜人の一族の者ではありませんでした」
「そうなのか」
「よりにもよって、人でした」
大陸一、弱くて愚かで短命な『人』の番になど出会いたくはなかったと、リーラは涙を流した。
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