28.悪役令嬢の誕生(2)
夏至祭の余韻を残す店先が並ぶ大通りを、ポピィは当てもなく歩いていた。
カルコス男爵から聖女候補生の話は諦めたほうがいいと言われた事に腹を立てて、思わず邸を飛び出したのだった。
(なによ、なんなのよ。ずっとあたしの努力に乗っかっていただけのくせに。あたしが諦めていないのに、勝手に決めないでよ!)
あまりに急な話だったので、どうしてそうなったのかを問いただせば、アーサーに聖女候補生への仕事はもう回さないと言われたと聞かされた。なら、これから先の聖女候補生はどうするつもりなのかと聞けば、続けるも辞めるも本人の意思に任せる話になっていた。
それだけでは変だと感じたポピィが詰め寄れば、カルコス男爵は悪態をついてこう言ったのだ。
『王太子妃に相応しい実績を上げたなら考えると言われたんだよ。けど具体的になにをすればいいかは教えてもらえなかった。なら、見限られたってことだ! もうおしまいだ!』
つまり難しい問題を前に匙を投げただけで、まだ聖女候補生の道は続いているということである。
(なによ! 簡単に諦めるくらいなら最初から手をだすなっつーの!)
当てもなく歩いていたつもりだったが、気付けば細い路地を何本も曲がりくねった先にある、ポピィの生家のある区画まで辿り着いていた。大通りから大分外れた分、そこかしこが薄汚れている。
ポピィは途中で顔なじみの店に寄り、安い菓子を大きな紙袋二つ分購入した。
「あれ、ポピィちゃんかい? 随分綺麗になったから、分からなかったねぇ」
「こんにちは、おばあちゃん。最近は体の具合はどう?」
「良かったり悪かったりだねぇ。ぼちぼちやっているよ」
「そっか。長生きしてね! ここのお菓子、大好きなのよ」
値段が安くて腹が膨れるお菓子なので、昔からお小遣いをためて良く買いに来ていた。
カルコス男爵家での生活とは、かけ離れた世界だった。
お菓子を手にすると、ポピィはゆっくりと生家まで戻っていく。
家先では弟と妹が、庭の畑で野菜を収穫していた。家を出るまではポピィが弟妹の面倒を見ながら畑を世話していたことを思い出す。
――あたし、どうなっちゃうのかな
カルコス男爵は、聖女候補生にする娘を探してポピィに声をかけたのだ。それを諦めたというのなら、ポピィは不要になったということだろう。
ポピィを養子に出すときに生家に支払われたお金がある。
ポピィが不要になり生家に戻ることになっても、両親はきっとお金を使ってしまっているから返すことなど出来ないだろう。
――あたし、どうなっちゃうのかな
「あ、姉ちゃんだ!」
「ほんとだ、姉ちゃんだ!」
妹と弟がポピィを見つけて駆け寄ってくる。薄汚れて、やせ細っていて、きっとお腹も空いているだろう。
「たっだいまー! お土産のお菓子だよ。いっぱいあるから、沢山食べてね」
弟と妹は嬉しそうに紙袋を受け取ると、ポピィを見上げてにっこりと笑う。
「姉ちゃん、また綺麗になったね」
「このドレス可愛いね」
なにも知らない弟妹は、ポピィが家を出るときも凄いお屋敷に行くのだといって喜んでいた。
姉は光魔法が使えるから偉い人に認められて大切なお仕事をしに行くのだと騒いでいたのだ。
「今日はこれを渡しに来ただけなの。また来るね」
「ええ~」
「そうなの?」
「うん。忙しいから中々来られないけど、またお菓子持って遊びに来るわ」
このまま落ちぶれる訳にはいかない。乗り込んだ船が転覆しかけたからといって、元に戻ることなど出来ないのだ。
「そういえばさ、昨日怪我した人が家の前で倒れていて、いま家で休んでいるんだ。姉ちゃん魔法で治せる?」
「怪我人を助けたって。――お母さん、お人好しなんだから」
どこのどいつか知らないが、倒れるなら大通りか教会を選べばいいのに。
こんな貧乏人が住む区画で倒れるなど、どうせ頭が悪いに決まっている。
「分かったわ。私が魔法で治してあげる。それでさっさと出て行ってもらいましょう」
ポピィが家に入ると、怪我人はベッドから体を起こして丁寧に挨拶した。
その振る舞いがどう見ても貴族にしか見えない。
「怪我を治しますから、そのまま動かないでください。治癒魔法」
ポピィの手が光り、怪我人の頭の傷と体の擦り傷は、瞬く間に消えていった。
「あなたも光魔法の使い手なのですね。やはりこの魔法は特別だ」
「……どうでしょう。王都では、今はあまり需要がないみたいですけどね」
守護壁の崩壊により、光魔法士の固定の仕事が無くなった。教会か砦の救護班への配属に切り替わったのだと聞いている。それに聖女候補生も蔑ろにされているので、特別でも何でもない。
「それは本当ですか? 王都では光魔法士の需要が無くなっているなんて。やはり確認しにきて良かった」
「失礼ですけど、あなたはどこからいらしたのですか?」
手当てをしたので素性くらい聞いても良いだろう。というか犯罪者であったなら、匿ったせいでポピィの家族が危険な目に合うかもしれない。
ポピィは改めて母親のお人好しに苛ついた。
「申し遅れました。私は西の砦を治めるコープル辺境伯の子息で、フレディと言います」
「あたしは、カルコス男爵の養女でポピィというの。ところで、どうして西の砦から王都に来たか尋ねてもいいかしら?」
「ええ、ぜひ聞いてください!」
フレディは、その身の上を少々芝居がかった仕草で丁寧に説明し始めた。
曰く、西の砦から兵士を送り出し、代わりに東の砦と王都から評価の高い貴族出身の兵士を受け入れたそうだ。
元々評判の良くない平民出の兵士しか回されず、近年では増員すら見送られていたので、コープル辺境伯はこの采配を非常に喜び二つ返事で受けたのだ。
けれど回された兵士たちは、西の砦の防衛に苦戦し怪我人が続出したのだった。
「我々は騙されたんだ。たしかに書類上はどれも優秀だったけれど、彼らは実戦慣れしていなかった。おきれいな戦い方では盗賊や山賊の汚いやり方に負けてしまう」
もといた救護班も東の砦へ移動になった兵士の妻が多くいたため、ごそっと入れ替わっていた。そしてそれは別の問題を引き起こしたのだ。
「配属した魔法士が手当しかできないなんて聞いていなかったんだ。彼らの魔法は攻撃がメインで、軽い傷を癒すことしかできない。毒の無効化や欠損の再生ができないのですよ!」
「ちょっと待ってよ。毒の無効化はまだわかるけど欠損の再生は魔法士の中でも光魔法を使う上級者しかできないわよ」
「そ、そうなのですか? 光魔法士は配属が無かったもので知りませんでした。ですが、リリィちゃんは簡単に出来ていましたから、そんなに難しいはずがない」
「――リリィちゃん?」
「彼女は兵士の娘で、とくに魔法を習っていないのにできましたよ。私たちは何とか彼女と父親のアダムさんを戻してほしいと嘆願書を出したのですが、どちらも断られてしまいました。それで直々に頼むために私が王都に足を運んだのです」
このままでは西の砦を守り通せない。せめて怪我人を即日回復させて現場復帰するようにできたなら。
フレディは、なんとしても入れ替える前の西の砦に戻さねばならないと、ポピィに熱く語り続けた。
「へぇ。そうなんだ」
毒の無効化と欠損の再生の両方が出来るなら、その能力は確実にポピィより上だった。
――騙したのね
きっと聖女候補生の中で能力が一番だと浮かれていたポピィのことを、内心馬鹿にしていたかもしれない。
――だからアーサー様は、あの子を側に置きたがるのね。そういうことなんだわ
膝の上で握った指先が冷えていく。どうしてポピィだけが、こんなにも不利なのか。
――いいえ、何かのせいにして不貞腐れてはだめよ。選んだ結果は、全部あたしに返ってくるの。それに、ピンチはチャンスっていうじゃない!
乗った船が沈没しそうなら、新しい船に乗り換えればいい。
目の前には、邪魔なリリィを必要とするコープル辺境伯子息のフレディがいる。
後のないポピィの決断は早かった。ぱっと花が咲くような可愛らしい笑顔を作り、ポピィはフレディの手を取った。
「あたしリリィさんと知り合いなんです。ううん、仕事も一緒だし付き合いも一応あるわ。これも何かのご縁だと思うの。良かったら、カルコス男爵の邸にいらしてください!」
「知り合いだなんて、なんたる偶然! それに邸にも招いてくださるなんて。実は我が家は王都の邸を他に貸してしまっていて。年中西の砦の領地に住んでいるものですから。もし助けていただけるなら、こんなにも心強いことはない!」
「困ったときはお互い様です。きっと養父も喜びますから」
そう、きっと喜んでポピィの提案に乗るだろう。本当に良かった――。




