25.王太子の仕事(4)
国王であるトマス・アウルムは、人払いした部屋でアーサーから渡された数枚の資料に目を通し、盛大に顔を顰める。
誰もいないせいで遠慮なく怒気を放ち、持っていた資料を握りつぶした。
「お前は一体なにを考えているのだ。私の言ったことが全く理解できていないではないか。総帥につけるのは、お前ではなくダニエルだ。それに西の砦に送るはずの娘を側近にしてどうする」
「東の砦で開戦したなら、指揮は俺がとります。彼女は俺の側近ですので、西の砦には別の者を送り出します」
「ふざけるな! 私はそんなことを命令した覚えはない」
「これは王太子の意思です」
「国王は許可せんぞ!」
国王が怒鳴ろうと、アーサーは表情一つ変えずに淡々と言い返す。
「結構ですよ。御璽は俺の手元にあります。あなたの許可など必要ない」
トマスは顎を思いっきり引くと、何か言わなければと口を開く。アーサーが逆らったことを食い止めねばと、頭のなかはそればかりになった。
「国王の承認なくして聖アウルム王国で可決できることなど、あってはならん! これは謀反と取られても仕方ないことになる。分っているのか!」
「御璽さえ押してあれば国王が認可した書類になります。そして俺は今、国王陛下からその権限を譲り受けている。なんの問題があるというのです?」
他の誰でもない、トマス本人がアーサーに譲り渡した権限である。
「か、返してもらう! 今すぐに返せ」
「そんなもの持ち歩いているわけがない。欲しいなら陛下自ら俺の執務室に取りに来てくれればいい。いつでも返して差し上げますよ。御璽も仕事もなにもかも」
「な、なに?」
「そうなったら俺は復学しますよ。本来であれば在学中の身ですから。執務を理由に特別待遇を行使するのも気がひける」
「ぐ、ぐぬぅ」
自らが王太子の部屋に出向いて御璽を返してもらうなど、トマスの矜持がそれを拒んだ。
それにアーサーに渡した仕事が戻ってくるのも都合が悪い。
アーサー主体で動いている獣人や竜人との外交は、他にやりたがる者もいなければ、やれる者もいない。
国内の東の砦や西の砦の細々とした問題ごとや、徐々に落ち込んでいく経済に物資の品質低下は、新たに増えた交易をなんとか活用するのが効果的だ。
その判断は、全てを把握し見通せる者でなければ難しいだろう。
けれど、それら全てをもって最良の策を打ったとしても、国の状況が緩やかに右肩下がりで落ち込むのは決まっている。その経過は国民の生活に窮屈さを与え不満を生む。
状況が分からない者ほど、理屈の通らない理想を掲げて不満の解消を訴え出るだろう。
その矛先は、それを決めて遂行する国王陛下に全てが向かってくるのだ。
仕方のないことをひとり責め立てられる状況が、トマスはどうしても許容できなかった。
「復学は許可できない。国の状況は悪くなるばかりなら、王太子も政務に従事すべきだ」
「同意ですね。先を見据えて側近も揃えて執務に入りましょう」
「ああ。なら人選をせねばなるまい」
「陛下、俺は既に側近を選びました」
二人の向いている方向は同じだが、意見は噛み合わない。トマスは再び顔を歪めて不満を前面に出す。
「まさか、ダニエルやティナム伯爵の息子の事を言っているのか? それに能力の劣る小娘か。そんな者たちでなく、もっと実績と権力を備えた者を選べ。東を治めるゴルド公爵家に、西を治めるクロッシェル公爵家を引き入れ、他にも各部署に従事している侯爵家子息の中から――」
「ディランは高齢な宰相の代役を多くこなしている。そのまま既存の体制を保たせるために置いておくことにした。クロッシェル公爵家も他の貴族も目立った人材がいない。俺は新たに人を起用する気はありません」
「見合った仕事を渡しさえすれば、やつらは成果を上げる。お前が考えて制御すれば済む話だ。人など初めから使えぬ。配下に置いて育てていくものだろう」
国王の言っていることは間違ってはいない。人材は育てるものである。
ただ、それらは言うほど簡単ではない。
人材に合うような仕事を切り出して渡す。成功したなら次を用意して渡してやり、失敗したならアーサーが後始末を引き受けるのだ。
すでに復学不可能なほどの仕事をこなすアーサーが、その合間で教育という名目の執務を用意し面倒を見ながら育てる。その労力を捻出する算段からアーサーが背負うのだ。
目の前の国王陛下が、全て理解して言っているとは到底思えなかった。
上っ面の正しさばかりを主張し労力とリスクを無視して、できるのだからやるべきだと押し付けられたら、アーサーだって腹が立つ。
疑いもせず、さも良案だろうと同意を求め、言っている本人は何をするわけでもない。
それでアーサーが成功すれば、言い出した者こそが立役者で、失敗したならアーサーの努力が足りないとでもするのだろうか。
(俺は、自分の選んだ側近たちと今のまま執務がしたい)
ダニエルにノア、リリィに銀にエリオット。ロビンにターニア。
アーサーは日々の公務を彼らに助けられることが増えているし、皆それぞれが有能で代えのきかない存在だ。
「陛下、そうしたいのなら、御璽を取りに来てからご自身でおやりください」
どうせ来ない。
アーサーの執務室には散々虐げたダニエルが常駐する。弱みを見せれば同じような仕打ちを受けると妄執して、全力で避けるだろうことが手に取るように分る。
アーサーは父親の気性を利用し、表面上合意せざるをえない状況に追い込んでいった。
「お前は、それで失敗した時の責任をどうとるつもりなのだ!」
「東の砦の争いで王族が死んだあとの段取りは、陛下が既に想定済みでしたね。その通りにしたらよろしいでしょう」
「王太子が軽々しく死ぬなどと口にするな! 無責任がすぎる」
死ぬ気はなかったが、仮に死んだとして、その後の責任まで問われたくはない。
「国王陛下が存命であれば、治世は問題ないでしょう。血縁はまだいるのですから、その中から次を選べばいい」
「そのように目立った人材などいないことは、お前だって知っているだろう!」
「なら、育てたらいかがですか?」
言いながらアーサーは、笑いがこみ上げてきた。見事な手のひら返しではないか。
結局、誰もが自分の好きなようにしたいだけなのだ。
ならばアーサーも、思い描いた望む未来のために、自らの考えで選択し行動しようと心に決めたのだった。
「俺の考えは以上です。次の予定もありますから、御前を失礼いたします」
「決断と行動には責任が伴う。お前にそれだけの覚悟があるのか!」
「……聖アウルム王国に、栄光を」
他者が好きに思い描いた将来の責任など、とる必要は全く感じなかった。
そんなものは描いた本人が好きにしたらいい。勝手に人を巻き込んで叶えてもらおうとする方が無責任だろう。
まだ何かを喚く父親を無視して、アーサーは部屋を後にした。
□□□
アーサーの執務室に出向く途中のディランが、彼を見つけて声をかけた。
「アーサー、少し相談があるのだが」
「なんだ?」
「その、最近アーサーに回されている仕事を調べたのだが、量もそうだが内容も増えていた」
「ああ、知っている」
困っているはずだと思って心配していたディランは、あっさりとしたアーサーの反応に面食らう。
「こちらで調整をかけようとしたが、既にアーサーが関わった仕事を担当替えするのは難しくてな。それで思ったのだが、私がアーサーの側近に戻るのはどうだろうか。ノアだけでは、じきに立ち行かなくなるだろう」
幼少期から側仕えしていたディランは、純粋にアーサーの身を心配していた。
だが、その言葉は、残念ながらアーサーの心には全くといっていほどに響かない。
(不思議なものだな。頼りがいのある兄のような存在だと思っていたのだが)
今のアーサーから見て、ディランは戻ってきてほしいと思うほどの魅力を感じない。
その自信に溢れた振る舞いと、落ち着いた言葉遣い。真面目な態度でアーサーに苦言を呈していた彼に、そんな思いを抱く日が来るとは思いもしなかった。
けれど宰相補佐となった彼は、真面目で仕事熱心ではあったが、それだけだった。
上司や役職の範囲の与えられた仕事を忠実にこなす彼は、宰相補佐としては上等なのだろう。
今は、このまま務めを果たしてもらったほうが、アーサーにとっては都合が良かった。
「いや。ディランは変わらず宰相補佐を務めてくれ。彼は高齢の身だ。手足となって支えてくれ」
「あ、ああ。アーサーがそう言うのなら、そうしよう」
途端、ディランの心に言いようのない不安が広がる。アーサーからは今の仕事を認められ、そのまま務めるようにと言われただけなのに。
(なぜ、見捨てられたような気分になるのだ。距離が遠のいたような、そんなことを思うなど……。ただ提案を断られただけだというのに……)
立ち去るアーサーの背中を見つめながら、ディランはその考えを散らすように頭を軽く振った。