2.聖女の募集(2)
数時間におよぶ試験や測定が終わると、空はとっぷりと深い闇に包まれていた。眠そうに目をシパシパさせるリリィの手を引き伯爵家の馬車に乗せると、ノアは彼女を両親の元へと送り届けるよう御者に指示を出す。
「ノア従兄様は、まだ仕事ですか?」
馬車の小窓から顔をのぞかせたリリィが尋ねる。
「ああ。今日中に結果を出して、今後の予定を決める必要があるからね」
「そう。あまり無理しないでね」
慣れない試験で疲弊しきったリリィに気遣われて、ノアは苦笑した。
この従妹はいつだって自分の事は二の次で人の事を気にして優先するのだ。
「リリィこそ、今日はゆっくり休んでね」
出発した馬車が角を曲がって見えなくなると、ノアは踵を返して城へと戻る。
先ほどまで試験をしていた部屋にもどればダニエルのほかに、ノアの仕える王太子―― アーサー・アウルムがゆったりと椅子に座りくつろいでいた。
「殿下も、いらっしゃったのですね」
「俺の残りの仕事は、お前の従妹の試験結果を聞くだけだ」
手にした書類から視線は変えず、アーサーはそっけない返事をした。美しい金色の髪がはらりと落ち、隙間から見える青い目は細められている。よほどリリィの試験結果で気になる内容があるのだろうか、返事の後は微動だにせず結果の紙を見入っている。
(この人が、他人の能力に興味を示すのは珍しいな)
美しい容姿に、誉れ高い頭脳、他者に圧倒的差をつける四元素―― 火・風・水・土の魔法を使いこなす魔法士。
どこをとっても完璧と言わしめるアーサーは、けれど周囲の人間に対して無関心であることが多い。
先だって起きたオーロ皇国の第二皇女との婚約破棄も、「そうか」の一言で済ませてしまった。亡命や援助を申し出てはと進言する者もいたが、当の本人はさっさと婚約破棄の書類に名前を記入し、東の砦へ兵士を集め、守備を強化して済ませてしまった。
―― 先方がそう望んだのだ。それに我が国も危険に備える必要がある。それ以上にどうしろと?
為政者としては、まっとうな判断だ。けれどアーサーはノアと同じ十七歳の青年でもある。長年の婚約者に対する心配や葛藤などが、あってもいいではないか。むしろ無い方が不自然ではないか。その一見冷酷に見える淡々とした姿勢は尊敬に値したが、いつしかノアは不満を抱くようになった。
―― 側近の自分には、本音を口にしたり、愚痴を零したりしてくれても良いではないか。
ノアはこの孤高の王太子との心の距離を縮めるべく、日々努力を重ねた。その結果、未だに距離は変わらないもののアーサーの表情や仕草から反応を拾えるようになったところである。
(なんとなくだけど、殿下はリリィの事が気になっているのはわかるぞ)
その理由はさっぱり不明だが、ノアは自分の成長にいたく感動していた。
「能力は申し分ないし、性格も大人しくて真面目そうで良かったよ。良い子を紹介してくれてありがとう。ノア君」
そんなアーサーの叔父にあたるダニエルは、同じく美しい金髪に青い目をもってはいるが、表情が豊か―― というよりも笑顔を絶やさないせいで、まるで血縁に見えなかった。しかも、よく見ると目が笑っていないのだが、糸目なので気づき辛い。
「お役に立てて光栄です。ダニエル様」
ニコニコ笑っている風の顔で、その実笑っていない男は何度も検査結果を眺め書き込みをしていた。
「実技は他の候補生と比べると見劣りするけど、魔力の保有量がすごいね。伸びしろが大きそうだ。ちゃんと学習すれば、グンと伸びるだろうね」
本人は不採用を希望していたが、この分だと無事にダニエル付きの助手に収まりそうである。
「彼女の両親は両方とも魔力持ちなのかな?」
「いえ。両親は二人とも貴族の出ですが、魔力持ちではありませんでした」
「へぇ。隔世遺伝だね。そういう場合、実際には魔力が開花しない方が多いけど。ますます不思議だねぇ」
ダニエルはリリィに興味津々でノアに次々と質問をしたが、ノアも付き合いがあるとはいえ実際に会ったことがあるのは数える程度だ。詳しい話になると途端に言葉に詰まってしまう。
「確か七歳の時に急に使えるようになった、と聞いています。それ以上詳しいことは存じていません。彼女の両親が数日滞在しますので聞いておきます」
その時、部屋の置時計が二十一時の鐘を鳴らした。完全に残業である。
「彼女の両親は王都に数日滞在した後、東の砦へと出立予定ですので、話を確認するために今日はこれで下がらせていただきます。彼女の配属はダニエル様の助手、ということでよろしいでしょうか?」
「ノア。この娘は聖女候補にも含め、叔父上の仕事と兼任するようにしてくれ」
今まで試験結果に目を落としていたアーサーが、ダニエルの返事を待たずに口を開いた。
「えー。アーサーは二人も聖女候補生を確保しているのだし、遠慮してよ」
「今王都で起きている問題に対処するためには、とにかく人数が必要です。協力してください」
「仕方ないなぁ。それで、いつから出仕できそう? 明日?」
あっというまに、リリィが聖女候補生枠に入ってしまった。しかも早速明日から来てほしいといわれ、ノアは困惑する。せめて一日ほどリリィを説得して宥める時間が必要である。何とか断れないかと頭をフル回転させた。
「明日は、聖女候補生の顔合わせと仕事の割り振りがある。来てもらわないと困る」
アーサーの援護射撃によりノアはいろいろ諦めて、リリィが頷くまで謝るほうに倒れた。
「わかりました。明日は連れてまいります。ですが彼女の両親が王都に滞在するのも残り僅かですので、明日の説明以降、両親が王都を出るまでは出仕を辞退させてください」
「そうだね。出兵する兵士と家族との団欒に当日の見送りは、だれしもに与えられる権利だ。アーサーもそれでいいよね?」
「はい。問題ありません」
リリィにとっては問題ありありの結果で、採用試験は幕を下ろされたのだった。
ノアが伯爵家の屋敷に戻ると、結局宿泊することにしたアダムとエマとリリィが出迎えてくれた。
「リリィ。まだ起きていたのか。試験で大分疲れていたのに大丈夫なのか?」
「大丈夫よ! 帰ってから三時間も睡眠をとったから。元気いっぱいよ!」
砦が異常事態になると、二交代制や三交代制が組まれ短い休憩を挟みながら救護を続けることなどざらだ。
その経験を持つリリィは、帰宅したノアを迎え撃つために仮眠をとり体調を整えて待ち構えていたのだ。
「で、試験結果はどうでしたか? 私、現場みたいに上手く実技ができなかったから、きっと不採用ですよね!」
上機嫌で不採用だろうと言うリリィに、採用の通知を渡すと目に見えて落胆した。
「それでね、申し訳ないのだけど、明日聖女候補生を集めて説明がされるから、少しだけ城に出仕してもらいたくてね」
「なんですって?!」
「うん。ごめんね。本当に少しだけでいいから。頼むよ、リリィ」
家族と過ごす時間を奪われて激怒したと思ったノアは、徹頭徹尾謝り倒す姿勢をとった。
なんとしても留飲を下げてもらって明日城へ行ってもらわなければならないのだ。
「ノア従兄様の嘘つき!」
「う、嘘は言っていないだろう。ただ残り少ない家族との時間を奪ってしまうのは申し訳ないことではあるけど」
「違う! 今日城に向かう馬車の中で聖女は関係ないっていったのに、さっき聖女候補生って言った!」
「あっ!」
うっかりしていた。聖女候補生兼王太子妃の話をリリィは非常に忌避していたのに。
ノアが図星を突かれた顔をしたせいで、リリィは自分の言ったことが正しいのだと理解し目を大きく見開く。
「リリィ。城での決定事項なら従うしかない。ノア君に言ったところで覆らないことぐらい、理解しなさい」
今にも叫ばんとするリリィをアダムが止める。その正論にリリィは歯を食いしばって俯いた。
「ごめんね。リリィ。僕の出来る範囲でなら何でもお詫びするから」
「――本当に? なんでもいいの?」
「うっ。聖女候補の話を断るのは、無理だけどさ……」
「そんなこと言わないわ。ただ、何でも言うこと聞いてくれるって約束は守ってね」
一体何を強請られるのだろうか。一抹の不安はあるものの目先の命令遵守を達成できたことにノアは安堵した。
翌日、リリィを連れてノアは再び城へと向かった。
道中の馬車の中で会話は無いもののリリィは窓から町を眺めていた。機嫌は悪くなさそうである。
「ねぇ、ノア従兄様。昨日の話、お願いを考えたんだけど――」
リリィのお願いに身構えたノアだったが、内容を聞いて拍子抜けした。
「そんなことでいいの? その位ならお安い御用だよ」
「やったぁ!」
飛び跳ねんばかりの笑顔を向けられ、ノアもつられて笑顔になった。
リリィとは、なんやかんやで仲良くやっていけそうである。