17.妖精の契約魔法(1)
黄昏時――夏至祭を明日に控え、獣人達は最後の仕上げのときを待っていた。
アーサーと銀とリリィは村の中央に造られた舞台が遠目に見える場所で、様子を窺っている。
五色の布で飾られた舞台の上では、巫女装束に身を纏った杏が、榊を中央の祭壇に納めて礼をとる。
鈴の付いた神具を手に取り、その柄につけられた長い五色の紐を反対の手で受けとめると、シャランシャランと鈴を鳴らした。
その音が、不思議なくらいに良く通り、すぐ近くで鳴っているかのように周囲から聞こえてきた。
四方に置かれた灯火台から炎が高く上り、その中へ水色の狩衣をまとった童が何かを一斉に入れ始める。
赤い炎がたかく上がると、水色次いで白色へと変化した。
そして、甘く濃い花の香りが、そこかしこに漂い始めたのだった。
「巫女は、一晩中踊って樹海全体に魔法を張り巡らせるんだ。一ヶ月かけて禊祓をして、体から何もかもを追い出して魂の透明度を上げて準備する。大変な仕事なんだ」
食事は肉も魚も避けて、朝晩は樹木の里の湧き水で身を清めて体を整えていく。銀が知らないだけで他にも沢山の戒律があり、それを全て守った結果が、当日の魔法の完成度に全て出るのだ。
――シャンシャンシャン
舞台上の杏が、クルクルと回り、高く飛び跳ねて回転すると、軽々と足を着く。
――シャラシャラシャラシャラ、シャン!シャン!
鈴の音に合わせて、舞台の横に控えていた男たちは、雅楽を奏で始めた。
音が遠くへ運ばれているのを、耳で感じ、リリィは思わず左右をきょろきょろと見まわした。
「音は、生きたまま樹海を回ってくんだ。最初に俺たちが通る道が開いて、その後に客が通る道が開く」
銀は目を閉じて耳に集中し、その音を体に取り入れる。そして音に遅れて運ばれてくる香りを吸い込むと、少しだけ眉根を寄せた。
「少ないな。もっとむせ返るように香らないと、足りない」
舞台の周辺では小さな光が無数に飛んでいる。妖精達がしきりに働きかけているのだが、薄い霧が足元を流れていくだけで、それ以上の変化は起きなかった。
舞台の上で踊り続ける杏の表情は見えないが、今は安心して神楽舞を踊り続けているだろう。
リリィのポケットに身を隠していたターニアが少しだけ顔を覗かせて、その様子を確認した。
「神楽舞は完璧だわ。夏至祭の巫女は上等だのに、本当に残念ね」
妖精の魔法が弱すぎて、神楽舞での増幅ができていない。音も香りも満ちていくのに肝心の魔法が薄すぎて、これでは何も起きないのが見て取れた。
「わたくしの我儘を聞いてくれて、ありがとう、我が主。おかげで気持ちよく協力ができそうです」
あの能無し共は自分たちの手柄と勘違いすることだけが、少しだけムカつきはした。
だが勘違いしようが、奴らの能力はこの程度だ。それよりもターニアを匿ってくれた杏が必死で踊る神楽舞に、最高の魔法を乗せてあげたいではないか。
(みてらっしゃい。わたくしは、何一つ失ってなどいないのよ)
代えの効かない能力も、身に着けた教養も、ターニアを形作るあらゆるものは他者が奪うことなど出来ないのだ。
その身一つで結果を出せるターニアが、新しい主人の元で最初の仕事を願い出る。
「それでは、我が主。このどぉぉぉしようもない惨状を、成功に導くために手を貸すことをお許しください」
「ターニア、みんなのためにがんばって!」
小さな主の可愛らしい応援を受けて、ターニアは空高く昇っていった。
見つからないように上空へと飛んでいき、一番星に手が届きそうなほど高い場所へと辿り着く。
周囲を見渡せば、漆黒の闇と今にも沈みかける夕日に染まった樹海の森が、遠くまで広がっていた。
ターニアは両手を広げて魔法を集める。
たった少し集めただけでも下で見た妖精たちが扱う量より多いのがわかってしまう。
(おバカな人たち。せいぜい、この先苦労すればいいのだわ)
ターニアの魔法を失って最初の仕事でこれだけの失敗をしでかしたのなら、先々どうなるかなど簡単にわかるというものだ。
迷惑を被る獣人とて馬鹿ではない。彼らは変化に強く、すぐに次の手に切り替えるだろう。
異種族同士のつながりなど、メリットを失えば簡単に縁が切れる。
獣人に見捨てられたなら、オベロンは大樹の里を維持する供給をどうやって賄うつもりなのだろうか。
「ふふふ。ヘレナとの真実の愛で、なんとかなるとよいですねぇ」
生きていくための現実に、オベロンが語っていた真実の愛がどれほどの効果を発揮するのか気にはなったが、残念なことにターニアは、そのころには樹海の森を去らねばならなかった。
そんな取り留めのない妄想をしているあいだに、集めた魔力は濃く大きな塊となっていった。
両手を合わせて下に向けると、真下で踊る杏のところへ緩やかに注がれていく。
杏に魔法が届くと、地上に漂う香りが一気に深まった。
移動のための魔法を取り込もうと待ち構えていた獣人達は、その変化に咽返ったほどだ。
(! ターニア様の魔法、やっぱり凄いわ)
体で受け取り、神楽舞で音と香りと魔法を混ぜ合わせて、杏はより一層鈴を鳴らして舞い続けた。
ひと月かけて準備した体に、膨大な魔法がスルスルと入りこんでいく。これだけ取り込めば、一晩どころか何日だって踊り続けることができるだろう。
――シャラララララ
高く上げた鈴を鳴らして、杏はターニアに感謝を伝えた。
樹海の森の準備が整い闇市への道が開き始めると、獣人達は次々に移動し始める。
戻ってきたターニアと一緒に、その流れに隠れてアーサーとリリィ、それに銀は地下へ降り座敷牢の前を通り過ぎて、洞窟の出口へと早足で移動した。
「さぁ、次は主の番ね、わたくしがお望みの場所に送りとどけて差し上げるわ!」
ご機嫌なターニアは、リリィの肩に座り嬉しそうに語りかける。
「アーサー殿下、どこに出るのが良いでしょうか?」
「そうだな。どこでも同じだろうが、俺の執務室なら一番楽だ」
きっと大騒ぎしているので、執務室に隠れていたとでも言い通してしまおうかと、投げやりな理由で行き先を決めた。
「……銀も一緒に来る?」
長老は別れてから姿を見ていない。一応成功したかに見える闇市も、行った先までは見届けることはできなかった。
村が心配で、銀はリリィの問いかけに一瞬だけ答えるのを躊躇ってしまった。
「銀は残って全部確認してきてよ。私も気になるから」
「……」
「長老さんが無事に帰ってきたかどうかでしょ。それから闇市が上手くいったかどうかと。それから――」
「オベロン様が、どうしたかも見てきてくださいな!」
「ターニア様! どうしてあんな奴に気をかけるんですか。やっぱり本当は――」
「違うわよ! もういいわ」
プイッとターニアがそっぽを向いて、リリィのポケットに姿をくらませる。
アーサーの横を飛んでいるロビンはブツブツと呟きながら物騒なオーラを放っていた。
「――なら、全部確認したら王都に帰って、リリィに報告するな」
「うん、よろしくね!」
銀が少し離れた場所に立つと、リリィは笑顔で大きく手を振った。
「主たち二人は手をつないで。ロビンは主人のポケットに入っていてちょうだい。みんな離れないようにしてくださいな!」
ターニアの掛け声で全員が準備すると、銀以外が一瞬で姿を消したのだった。