11.代理役は王弟殿下(1)
ダニエルがアーサーの執務を肩代わりすると宣言した翌日、彼は本日締め切り分の仕事を全て仕上げていた。
ノアが目を通したところ、不備は見当たらず、むしろ各部署での再検討事項の指示や懸念事項の再調査などが事細かに挙げられていた。
(本当に終わっている。とりあえず今日中に返す必要のあるものは全部だ!)
ただ、ダニエル本人はほぼ徹夜でそれらを作成したため、午前中は仮眠をとると言って机に突っ伏してしまっていた。
ノアは、アーサーの執務室に鍵をかけると、検討済みとなった資料の束を各部署に返却しに出かけていった。
途中、何人かにアーサーとの面会の打診を受けたが、ノアは、これらを全て断ってひたすらに逃げた。
「休み前までに殿下と打ち合わせできないと、まずいんですよ!」
「なら、どうしてもっと早くに申し入れなかったのですか! そういった駆け込み事案の対応で、すでに予定は埋まっていますから諦めてください。失礼します!」
「そんなぁ!」
相手も必死だが、ノアだって必死だ。アーサー不在を隠すため、普段のノアでは想像もできないほどの鋭利な眼光で睨みをきかせた。
そのきっぱりとした言葉と頑なな態度により、大多数は諦めて引っ込んでくれた。
それはもうノアが想像していた以上にあっさりと引いてくれたので、ありがたかった。
ただ、幾人かは資料だけでもと押し付けて走って逃げていったので、アーサーの執務室に戻るころには、出て行ったときに持っていた資料と同じだけの紙の束が舞い戻ってきてしまったのだった。
(ああ、ダニエル様。申し訳ありません)
勝敗は白星ばかりだが、これでは勝てたとは言いづらい。
戻ってくると部屋の前では、ディランが腕を組んで足を踏み鳴らしながら待ち構えている。
「ノア、どうして鍵をかけている? 殿下は出かけているのか?」
「執務室で仕事をしています。休み前の投げ込みの仕事が思った以上にあるものですから、集中するために鍵をかけています」
「まったく、仕方がないな。ノアの持っている鍵で今すぐ開けろ。私も手伝おう」
それは出来ない相談であり、ノアは何とかディランを追い払わねばならない。
ただ、ノアはアーサーの側近になってから一度もディランに口で勝てたためしがない。
下手に喋ればぼろが出そうだが、今日に限っては負けるわけにはいかなかった。
「いいえ、誰も入れるなとのご命令ですので」
「だから、困っているのだろう? 休み前に処理すべきものなら滞らせるわけにもいかないだろうから、手伝うといっているのだ」
「お言葉ですが、ディラン様は宰相補佐の立場ですよね。であれば、このように休み前に仕事が集中しないよう各部署に調整をかけられるはず。見てください。今日締めの資料を仕上げて返却した帰りに同じ量の仕事を渡されましたよ。アーサー殿下の仕事を手伝う前に、ディラン様の仕事として、やれることがまだありますよね!」
抵抗感は、しゃべり出せば瞬く間に飛んでいき腹の底から勢いづく。
最後はアーサー不在を隠ぺいするという理由ではなく、アーサーへの負荷に対するディランの配慮の無さに憤っていた。
「――言わんとすることは、もっともだな」
「ご理解いただけたなら、今すぐ各部署で溢れ返っている仕事の調整をお願いします。これ以上アーサー殿下にばかり負荷がかからないようご配慮ください」
気迫におされたディランは、理解を示すとその場から立ち去った。
ノアの体は酷く冷え手はカタカタと震えた。心臓はバクバクとうるさいくらいに鳴っている。
(ディラン様に、言い返してしまった。――仕方ないとはいえ――でも、初めて勝てた?)
悔しい思いは何度もしていたが、言い負かしても落ち着かなくて、あまりいい気分ではなかった。
ポケットから鍵を取り出し鍵穴に差し込むと、震える手で何とか扉を開け執務室へとなだれ込む。
「おかえり、ノア君」
「ダニエル様、もう起きて大丈夫なのですか?」
「情熱的な会話が聞こえてきて目が覚めた。ノア君、ナイスファイト!」
「聞かれていたのですね。恥ずかしいな」
よろけて入ってきた姿を見れば、ディランを追い返すだけでノアがどれだけ消耗したのかが良く分かった。
「おかげでバレずに済んだ。あそこに知れたら、一瞬で城中に知れ渡るからね。――その手にあるのは追加の仕事かい?」
「う……はい。面会は全て断ったのですが、ならば資料を見てほしいと押し付けられてしまって」
「分かった。もらおう」
さも当たり前のように受け取ろうとするダニエルに、ノアの心が締め付けられる。
先ほどディランに叫んだ言葉は、ノアが常日頃から感じていたことであった。
アーサーに回される仕事が間違いなく増えている。守護壁崩壊の事案以外に、今まで携わっていなかった仕事が沢山回されてきていた。
それでもアーサーは変わらず仕事を受取り、執務をこなしている。その姿がダニエルに重なってしまい、追加の仕事を渡すことが躊躇われたのだ。
「――仕分けなら、僕にもできますから一度目を通します」
「そうかい? ならよろしく頼むよ。それだけでも大分楽になる」
「はい! 任せてください」
行方不明のアーサーは心配だが、彼が帰ってきたあと山積みの仕事が出迎えるのは阻止してあげたい。
ノアは他にも自分が出来ることを考えて、ダニエルに相談したのだった。