5.王太子の周辺事情(3)
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数日不在にしていたノアが、再びアーサーの執務室へと舞い戻ってきた。
「見てください、殿下! 無事に授業免除の試験をパスしました。これで学園にほぼ行かなくて済むようになりました」
いつになく嬉しそうに報告するノアをみて、リリィと銀が雰囲気にのまれてパチパチと拍手を送る。
「そうか。すまない」
「いえ、側近の仕事を優先したいという僕の意思です。今後ともよろしくお願いします!」
アーサーが授業免除で単位を取得し終えたことを知ったノアは、教師陣に掛け合い試験による単位取得の許可をもらった。
そこから一週間ほど休みをもらって死ぬ気で勉強し試験に臨んだのだ。
この度、晴れて週二日の通学から解放され、側近の仕事に専念できるようになったのだった。
大喜びのノアに、アーサーの表情も少しだけ和らぐ。
その雰囲気をぶち壊すように、銀が思いもよらない話を持ち出してきた。
「ノアが来たなら俺との約束に付き合ってくれよ。あと三日もしたら夏至祭が始まっちまう!」
ノアは銀を夏至祭前に一度王都の大通りへ連れていくと約束を交わしていた。
その記憶はあったのだが、有休は試験休みで消化してしまったので引き受けられない事情がある。
「えっと、……夏至祭の時じゃ、ダメかな?」
「その前に連れて行ってくれるって約束しただろ! 夏至祭の仕入れをする店に売る薬草、準備して待ってたんだぞ!」
小分けにまとめられた薬草の束を掴むと、銀はノアの顔に押し付けるように近づけた。
包装紙に押された肉球印がノアの視界いっぱいにせまってくる。
「銀、我儘言わないの。大体王都の店は仕入れ先にこだわるのよ。見知らぬ人からは買ってくれないわ」
「そんなのやってみないとわかんねーだろ。ちゃんとした目利きなら薬草の良さで決めるはずだ!」
一度言い出したら聞かない上に、準備のためにエリオットやリリィを巻き込んで頑張っていた銀が折れるとは思えなかった。
銀を怒らせると面倒だと思ったリリィは、なんとか店に行く方法をひねり出す。
「ノア従兄様、私、銀と二人でちょっとだけ出かけて来ていい? あまり遠くまでは出ないから」
「え、ダメだよ。なに言ってんの」
「じゃあ、ノアが連れてけよ。約束しただろ!」
膨れっ面の銀に、困り果てたノア、半ばあきらめて赤子をあやすリリィ。今日も王太子の執務室は混沌としていた。
アーサーはやり取りを眺めていたが、同時に机に山積みにされた資料が目に入り温度差にやられた。
来週一週間は夏至祭で城の仕事は休みとなる。そのせいか今週は駆け込みの仕事が山のように投げ込まれるのだ。
投げ込む側も必死で、今頃は最後の追い込みをしているか、諦めて休日出勤の申請をするかしているのだろう。
その、やっつけ仕事の書類が積まれた机から目を逸らすと、アーサーは目の前の三人に声をかけた。
「なら、全員で息抜きがてら出掛けるとするか」
「「「え?」」」
その提案に三人は耳を疑う。
「俺もたまには息抜きがしたい。午後は会議もないからな」
瞬間、銀が飛び跳ねて喜んだため決行となったのだった。
王都の店先には所々に灯篭が置かれ、売り子は店先で客を捌き、手空きになると夏至祭の準備にと忙しい。
賑わう大通りを歩くアーサーとノアは、トラウザースにシャツの軽装で貴族の学生が遊び歩いているように見える。
ただし連れているのが赤子を背負った銀とリリィなので、不思議な四人組となってしまっていた。
先頭を歩くノアは、本日もしっかりとリリィの手を握りはぐれないように努めている。
反対の手には銀が用意した薬草入りの荷物を肩にかけ、大通りの店を覗きながら歩みを進めていた。
「リリィ、あそこはメモリアル・ドールの専門店だよ」
「! 本当だ。ディスプレイに人形が飾ってある」
繋いだ手をぐいぐい引っ張ってリリィは店先まで歩いていった。そのうしろをアーサーと銀もついていく。
今一番興味のある玩具を前に、リリィはディスプレイを食い入るように凝視した。
「リリィはこの店に入るのか? なら俺はアーサー殿と周辺を回って偵察してくるよ」
「え、あ!」
リリィは勝手に集団を巻き込んで移動したことを恥じたが、何か言う前にアーサーと銀は別行動に切り替えて行ってしまった。
「折角だし入ってみよう。欲しいものがあれば何でも買ってあげるよ」
「で、でも」
「おじい様からリリィのお小遣いを預かっているからね。好きなものを買ってお礼の手紙を書いてあげよう」
ノアとリリィの祖父にあたる前ティナム伯爵は、家督をノアの父親に譲ったあと領地の別荘で隠居生活を送っていた。彼はリリィが王都に滞在する話を聞きつけて先月遊びに来てくれたのだった。
滞在中、祖父は唯一の孫娘に贈り物をしたがったが、リリィの欲しかったものは両親が旅立つときに買い与えられていたため遠慮した。
とはいえ祖父も孫娘に贈り物がしたい。そこで欲しいものが見つかったら買って手紙で知らせる約束を交わしていたのだった。
「あ、うん。なら、入りたい!」
祖父との約束に後押しされ、リリィはメモリアル・ドールの専門店へと足を踏み入れる。
店内は、造り付けの棚に着飾った人形が並べられ、服や小物、ドールハウスがディスプレイされていた。
「す、すごい」
商品が天井まで高く並べられ、一通り見るだけでも時間が掛かりそうだ。
ドレスや靴、トルソーやキッチンなどの小物に、フラワーリースやティーセットなど、なんでもある。近くで見ると、ひとつひとつがまるで本物を小さくしたかのように精巧だ。
グルグルと店内を見回しながら、リリィはメモリアル・ドールの世界に夢中になった。
「折角ならドールハウスを買って、リリィの部屋にディスプレイコーナーでも作ろうか」
「え」
「家にあるものはデザインが古いから、新しい服や小物も何セットかあるといいよね」
「えっ」
「はー。ケーキショップに、服飾屋に花屋のドールハウスまである。リリィはどれが好き?」
「ええっ」
ノアの手元の籠には、既に商品がいくつか入っていた。
「待って、待って。そんなに沢山買ったらダメ」
「どうして? どれも手頃な価格だよ。ドレス一着分だと思えば、もっと買える。おじい様はドレス十着分のお小遣いを置いていったから、好きなものを好きなだけ買えるよ」
生まれてこのかたそんな買い方をしたことのないリリィは、心臓が早鐘を打ち動揺した。
「えと、えと」
「他のドレスが気になる? ドールはリリィの目と髪の色だからね。この色も似合うな」
ノアの選んだ服はどれも可愛らしく、戻す商品を選ぼうにも選べなかった。
(こ、こんなに沢山買ってもらっていいのかな? ダメな気がするけど、いいのかな?)
あうあうと悩みながら、リリィはノアの顔色を窺う。
「大丈夫。まだまだ買えるよ」
「ほ、本当?」
ノアが指で丸を作り大丈夫のサインを見せたので、リリィは頬を紅潮させて気になっていたドールハウスを指さしたのだった。
欲しいものを欲しいだけ買ってもらい満足したリリィは、ノアから銀の荷物を預かり先に店を出て待つことにした。
ちょうど周囲を一周して戻ってきた銀を見つけ手を振ると、向こうも嬉しそうに駆け戻ってくる。
「リリィ、薬草買い取ってくれる店が見つかったぞ」
「よかったわね」
「おう! ちょっと売りに行ってくるから、コイツ預かってくれ」
銀はおんぶ紐をほどき、背負っていた赤子をリリィに渡す。
そしてリリィが持っていた袋と自分が持っていた袋の二つを担ぐと、ものすごい速さで、目の前の大きな薬屋に入っていったのだ。
「アーサー殿下、あんな大きなお店が買い取ってくれるのですか?」
今の銀は耳もしっぽも無い状態なので、どこから見ても人間に見える。
お金の考え方も事前に勉強したので交渉もある程度できるだろう。
けれど見ず知らずの少年から王都の薬屋が薬草を買い取ることに、リリィは違和感を拭えなかった。
「東からの欠品が続いているから、銀の薬草を買い取りたいという話になったんだ」
「薬草の欠品……。これからも続くんですよね」
「獣人と取り引きできるように交渉しているから、国で必要な分の薬草は確保できるはずだ」
「そうですか。……銀は一人で大丈夫でしょうか?」
「ああ、失敗してもいいから一人で交渉したいそうだ。何事も経験だと言っていたから任せればいいだろう」
その言葉にリリィは息を呑む。失敗してもいいなど正気の沙汰とは思えなかった。リリィなら頼まれてもやりたくないし、やるなら絶対にアーサーやノアと一緒に行くことを選ぶだろう。
しばらく待つと、薬屋から身軽になった銀が駆け足で戻ってくる。その手には小さめの袋が握られていた。
「見ろ! 薬草とお金を交換してきた。今度は夏至祭でお金をいいものに交換するぞ!」
普段、物々交換しかしない銀は未だお金の概念が掴み切れていない。お金は薬草と交換して手に入れた人間にとって価値のあるモノという認識でしかなかった。
「お待たせしました~」
ちょうど店から、支払いを終え大荷物を抱えノアが出てくる。
用事も済んだので、そろそろ城に戻ろうかとアーサーとノアが相談していた時だった。
ふわりと、花の香りが風に乗って流れてきたのだ。
その嗅ぎ慣れた香りの流れてくる方を、銀は瞬時に見つけ出す。
一方リリィも、懐かしい香りに反応した。
そして、赤子もその香りに反応して手をバタバタと激しく動かし暴れ出す。
「あ、あぶない!」
赤子が落ちそうになるのを全身で庇おうとした瞬間、リリィの腕を思い切り蹴り飛ばし、小さな犬が地面に降り立った。
「「っ!」」
あっという間に、転換した子犬は全力で走っていってしまった。
「ま、まちなさーい!」
「うわぁぁぁ! しまったぁぁぁ」
リリィと銀がその後を追いかけて走り出すが、側にいたアーサーとノアは話し込んでいたせいで出遅れる。
そのちょっとの差で、ぐんと距離が離れてしまった。
「っ! 行くぞ、ノア」
「え、は、はい。リリィ、待ってー!」
細い路地に子犬が飛び込めば、次いで銀とリリィが曲がっていった。
アーサーが曲がったのを見て、ノアが飛び込んだ先には、立ち込める靄と微かな花の香りが鼻をくすぐる。
遠くに見える三人の姿を追いかけたが、靄が晴れるとともに、その姿は飲み込まれるように消えていってしまった。
焦ったノアは構わず走り続けたが、その先は行き止まりで誰も居なかったのだった。
「う、うそでしょ?! 殿下! リリィ! どこに行ったの?」
裏路地に、一人残されたノアの絶叫が響き渡ったのであった。