表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/106

4.王太子の周辺事情(2)

評価&ブックマーク&コメントをありがとうございます!

 聖アウルム王国は夏至祭を間近に控え、王都から近隣の村々まで賑わいをみせていた。


 表面上目立った混乱は見受けられないものの、国を取り巻く状況は刻々と変化し、少しずつ問題が目に見えて増え始めてきたところであった。


 今や大陸の東からの入国者はぐっと数を減らし、商人の行き来も戦争の影響がない東南地方からのみに変わっていた。


 大陸の東を治める四つの国は、どこも歴史が長く平和な治世が続いていたため、その恩恵で農作物や装飾品、布地などの質が良く量も豊富であった。

 その品々は絶えず聖アウルム王国へ持ち込まれていたが、現在それらの国内流通量は減少している。


 幸い聖アウルム王国の自給自足率は高く、農作物や布地を自国で(まかな)う見通しは立っていた。

 しかし、この国には買い付けを目的に足を運ぶ商人も多い。彼らは小さな国々で争いの絶えない大陸の西からくるのである。


 戦争を繰り返す西の国々は、常に自国の民を賄う収穫を確保できず、それを理由に隣国の征服を繰り返している。

 落ち着かない情勢は昔からであり、西の国のいくつかは聖アウルム王国からの輸入に頼って生計を立てているようであった。


 以前であれば聖アウルム王国では消費しきれない品が西に流れるだけで問題はなかったのだが、こうなった以上、自国の消費分を横取りされては立ち行かなくなるので、西への輸出は制限せざるを得ないのだった。


 西からの入出国を制限するため、西の砦への人員配置も手厚くする必要があるだろう。

 警戒する東の砦にも、兵は十分に配置せねばならない。


 そんな中で北に位置するプラータ山脈の竜人族、南を治めるノグレー樹海の獣人族との交流ができたことは僥倖(ぎょうこう)であった。

 双方の種族との力関係は聖アウルム王国が引き起こした事件のせいで劣勢(れっせい)だが、彼らは聖アウルム王国と共存を望んでくれている。


 彼らから無謀(むぼう)な要求をされたわけでもないので穏便に交流したいのだが、国内の貴族からは不満が絶えず漏れ聞こえてくるのが現状だ。

 そういった声も、東からの輸入に頼っていた薬草の一部を、獣人との取り引きに切り替えるなどの実績を上げることで、徐々に沈静化していくのを見守るしかない。


 聖アウルム王国の国勢は、今や周囲を囲う東西南北の問題に気を配りながら、その難題を吟味しなければならない。

 それらを検討するため、アーサーは日々あらゆる会議に顔を出していた。







 会議が終わり部屋を出ると、窓から差し込む初夏の日差しの眩しさに目を細めながら彼は執務室へと向かい歩き出す。

 窓越しに見える透き通った青空、艶光りする葉の美しい緑を受け付けないほどに、アーサーの脳内は滞っていた。


 それもこれも、先ほどの会議で担当者から課題がいかに大変で対応不可能であるかを、延々と繰り返し聞かされ続けたせいであった


『大変なんです』『どうしようもありません』『そんなこと、できる訳ありません』


 まるで暑夏の日差しのような熱い熱量と力強い勢いで、彼らは『どうして出来ないのか』を力説する。

 その場でアドバイスすれば、さらに勢いを増して『アドバイスが実行できない理由』を即興で考えて訴えてくるのだ。


(どうしてそのエネルギーを『どうやったらできるか』を検討する思考で使えないんだ。というか、それを考えるのが仕事だろうが)


 相手をすることが馬鹿らしくなったアーサーが黙れば、自分の意見が通ったと言わんばかりのドヤ顔で担当者は満足するのだった。


(何も解決していないのに、満足しないでくれ……)


 仕方なく資料を受けとりアーサーは会議を切り上げる。そして対策案を検討するのだった。


 不思議なもので、アーサーが対策案を作成し見通しが立つと、担当者は『いかにできないかを力説する』から『それらを遂行する』に思考が変わるらしく、その後は滞りなく仕事をするのだ。


 担当者は決して能力がない訳ではない。実行力はあるが、問題解決能力が足りないというのがアーサーの見立てであった。


 確かに聖アウルム王国を取り巻く問題は難解であり、その全てを把握し判断できるものなど限られている。

 であれば、担当者ができないことを訴えてくるだけマシであり、担当替えしたくとも代わりの人材が丁度良く見つからないため、上手く使うしかないのであった。







 執務室まで戻ると扉の中からは、何やらギャーギャーと声が漏れ聞こえてくる。


 現在、アーサーの執務室にはダニエルが居候しており、そこに連れられてリリィ、銀、エリオットも移動してきていた。


(賑やかなことだな。楽しそうで何よりだ)


 無意識に()()めていた奥歯から力が抜け、思わず口元が少しだけ緩んだ。

 扉を開け、努めて明るい声であいさつしようと心がける。


「今戻った。今度は何を騒いで――???」


 ドアを開けると、応接用のローテーブルに犬が乗っていて、その横でリリィが、見間違いで無ければ赤ん坊を抱いていた。そして奥の方には見慣れないシーツを被せた何かが置いてある。


「あ?」


 何事にも動じない、もしかしたら表情筋死んでますかと心配されるアーサーが、開いた口から言葉が出ないほどに驚いたのだった。


「おかえりなさい、アーサー様。これは、えっと、その」


 リリィが察して説明を試みるが、どう伝えたらいいのか分からずにまごついた。


「あ! おかえり、アーサー殿。ちょっと机借りてるから!」


 ハキハキとしゃべる白い子犬は銀なのだろう。

 アーサーに断りを入れると、テーブルの上に置かれた朱肉に前足を乗せ、紙に手形を押す。紙をずらし、再び押す。そうして見る間に肉球の手形が量産されていった。


「あ、お帰りアーサー。ちょっと待ってて」


 息を切らせて戻ってきたダニエルが後ろから執務室へと入ってくる。

 彼はまっすぐ奥にあるシーツのところまで歩いて行って、それに話しかけた。


「ほらエリオット君。服を持ってきたから、隣の部屋で着替えておいで」


 ダニエルに促されたシーツが、ソロソロと移動し始める。


「……何があった?」


 やっと、その一言を絞り出したアーサーだったが、問いかけられたリリィは乾いた笑いで誤魔化したのだった。



 □□□



 先日の旧研究室棟大破により、銀がプランター栽培して収穫した薬草が紛失してしまったのだが、それは夏至祭用のお小遣いを稼ぐために用意していた大事な商品だった。


 怪我が治った銀は、今度は樹海の村へ行き薬草を分けてもらいに行ったのだった。ところが――


「去年群れを作って出て行った新米リーダーの村が、赤ちゃんラッシュになってたんだ。しかもそこのリーダーが助けを求めなかったせいで、その村が酷い状態になってたんだって。それで、ウチの村に一時的にみんなで戻ってきてるんだ。もうすぐ転換期に入るから、一人につき赤ん坊一人世話しないと危なくてさ。でも、人数が足りなくて俺もひとり引き受けてきたんだ」


 その赤ん坊は、現在リリィの腕の中でスヤスヤと寝入っていた。


 獣人の赤子は生まれてから(しばら)くは人の姿で生活する。首が座り、目が見えはじめ寝返りをする頃から、何かの拍子で転換するようになる。転換すると人型と違って自由に走り回れるので興奮してどこかに走り去ってしまう子が多いのだ。


 厄介なことに赤子はまだ自分で転換のコントロールが出来ない。迷子の最中に赤子に戻ると身動きが取れず、大人たちが総出で探し回る羽目になるのだ。


「絶対にひとりにつき赤ん坊ひとりじゃなきゃマズいんだ。前におんぶと抱っこで二人面倒見てた大人が、二人同時に転換して右と左に走ったせいで両方見失ったんだって」


 どっちを先にするか一瞬迷ったせいで両方を見失った。

 それ以降、必ずひとりにつき赤ん坊ひとりを徹底しているのである。




「なるほど、赤ん坊がいる理由は一応理解した。で、エリオット君は何があったんだ?」


 アーサーが見やった先では、着替え終わった後もシーツを手放さずリリィや銀から少し距離を取った位置で微動だにしないエリオットが立っている。


「エリオットは、赤ん坊を触ったことがないって言ったから抱っこしてもらってたんだ。そしたら粗相しちゃってさ」


 竜人は、滅多に生まれない赤子の世話を専任の侍女が請け負う。家族でも常に会うことは出来ず、エリオットはベビーベッドに寝かされた妹を、いつも見ているだけなのだ。


 赤子を背負って現れた銀が羨ましくて、じっと見ていたら、察した銀がエリオットに赤子を少しだけ抱かせてくれた。

 ふにふにのやわやわな赤子を膝の上に乗せて感動していたとき、事件は起きた。




「銀、多分したから、私おむつ替えてくるね」


 赤子の変化を察したリリィは、隣続きになっている別室へと荷物と一緒に移動していった。


「おう! ありがとう。よろしく頼む」


「……お前のところの赤子だろ。リリィに頼るなよ」


 エリオットが、銀に不満をぶつけた。粗相に慌ててショックで取り乱したことが恥ずかしくて苛立っているのだ。


「俺は忙しい! このままだと夏至祭に間に合わないんだ。リリィが戦力になってくれて助かった」


「大体、粗相するような赤子を親から離すなんて、非常識だ」


「確かに離れて過ごすのは可哀そうだけどさ、でも、転換期は本当に大変なんだ。うっかり樹海で赤子に戻ると泣くしかできないし、そのせいで魔物や獣に直ぐ見つかって喰われちゃうんだ。そっちのほうが可哀想だろ」


 銀とエリオットを取り巻く環境はあまりにも違った。

 互いの意見は本人にとっては正しく、相手にとっては間違いになってしまうこともあるのだ。


「それに赤子はみんな粗相する。俺だってされたことあるし、そう気にすんなよ!」


「ぼ、僕の妹は粗相なんかしない!」


「大きい状態で卵から(かえ)るのか?」


「え、いや。赤ん坊だったけど、でも……」


「なら、粗相ぐらいするだろ」


「!」


 否定されたことで、エリオットは顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。

 その様子にアーサーとダニエルに緊張が走る。旧研究室棟大破の大喧嘩が再び起きようとしているように見えたのだ。


「ぜ、ぜったいに違う! 僕は間違ってない! 確認してくるから待ってろよ」


 絶叫したエリオットは、走って部屋から飛び出していく。


「おう! またな」


 目の前で販売用の薬草をパッキングすることに夢中の銀は、エリオットに軽い挨拶を返しただけで見向きもしなかった。

 その光景を、ダニエルとアーサーは半ば呆然としながら見届けたのだった。




「……なんか、ごめんね。王太子(アーサー)の執務室なのに」


 ダニエルは自分の執務室の日常を別の場所で見たことで、その異質さに気付いたらしくアーサーに謝罪した。


「早めに別の部屋に移動するよ。ここは来客もあるだろうし、他の人たちには刺激が強すぎるよね」


「……ですが、空いている部屋も無いので、気にせず使ってください」


 確かに王太子の執務室でこれらのことが起きるのはどうかと思ったが、これが別の離れた場所で繰り広げられるのも、それはそれで怖いものがある。なら近くで起きてくれた方が対処のしようがある気がして、アーサーはダニエルの申し出を断ったのだった。


「本当にごめんね。愚痴ならいくらでも聞くからさ。遠慮なく話してよ」


 (まつりごと)の難題と目の前の想像の斜め上を行く喧騒に毒気を抜かれたアーサーは、叔父の好意を素直に受け取り、彼にしては珍しく弱音を口にする。


「温度差で死にそうです」


「……生きてくれ、アーサー」


 一息吐いたあと、アーサーは机の引き出しから巾着を取り出すと、飴を食べはじめたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ