0.プロローグ
【お願いごと】
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聖アウルム王国の城内、北東に位置する場所に旧研究室棟は建てられている。
そこは新研究室棟が別場所に建てられたあとに取り壊す予定であったが、王弟のダニエルが公爵の爵位を賜る前に移住したため、そのまま放置されることとなった。
部屋数は多いが使っているのは入り口付近の数部屋のみで、ダニエルの書庫や実験室に改装されていた。最近では銀やエリオットの滞在部屋としても活用されている。
その旧研究室棟では、なにやら揉め事が発生していた。
「この薬草は、こっちのとは別だ!」
「そんなこと最初は言ってなかった! 僕は知らない、聞いていない!」
銀が持ち込んだ薬草の仕分けを手伝わされていたエリオットは、その雑な説明に苛立っていた。
「見たら違うって気付くだろ! それに分からないなら、その都度聞くんだよ」
「最初にちゃんと説明しろ。効率が悪いだろ」
少し離れた机の上で包装用の色紙を準備していたリリィは、見慣れた光景に声をかける。
「二人とも喧嘩しないで。仲良くして」
二人からの返事はなく、再び三人は黙々と作業を進める。
その隣では、アーサーとダニエルがこれから始まる会議に出発するしないで揉めていた。
「いやだ、行きたくない」
「――叔父上、今回は名指しで出席するように言われていますから、我慢してください」
甥っ子に諭される叔父は、今から始まる会議に出たくなくて、ギリギリまで粘っていた。
「どうせ時間の半分以上、私をネチネチと苛める会議だから出ない方が時短できて効率的だよ。はは!」
言いながら机に突っ伏して悪あがきをしていたが、いよいよ時間になるとダニエルは渋々立ち上がり嫌々ながら出発する。
「三人とも、私は少し留守にするけど、よろしく頼むね」
「「「はーい!」」」
元気な返事に見送られながら、ダニエルとアーサーは二人で会議室へと移動した。
□□□
国王に宰相、各部署の統括管理者が揃う会議で、ダニエルは始終笑顔で用意された席に座っていた。
アーサーは奥に陣取る国王の脇に控え、その隣には宰相とデュランが座る。
名ばかりの公爵であるダニエルは、遠く離れた末席でそれらを遠目に見ながら傍観に徹するのだ。
(早く終われ、早く終われ。何事もなく、早く終われ)
心の中で念じながら息をひそめるのは、いつからか会議に出席するときのダニエルの癖になっていた。
定刻になり、デュランが会議の司会を務める。議題は、守護壁消失の今後の対策に始まり、現時点で獣人と竜人から出ている要望へと続く。
「では、守護壁の代替は防御魔法を必要に応じて使用する方針で可決します。土魔法ですので、対応できる魔法士は多い。十分に安全を保障できます」
数年前から、ダニエルが守護壁の代替案として提唱し続けていた案が、あっさりと採用される。
「次に獣人、竜人両国からの要望ですが、まずは医療技術と情報の無条件開示に、必要に応じて光魔法士の貸し出しを求めてきています。あとは、竜人の第一王子殿下の留学ですね。別段どれも不利益を被る内容ではありませんので受け入れることとします」
これについては少しだけ反論が上がった。内容にではなく無条件に要求を呑むその姿勢に問題があるだろう、と。
「故意でないとはいえ、双方の国に迷惑をかけたのは我が国だ。友好な関係を保つためにも、問題ない事案は極力受け入れるべきだろう。対等に争ったら、まず人間に勝ち目はない」
ザワつく貴族にアーサーが意見すれば、それまで黙っていた国王が口を挟んだ。
「実力差はあちらが上とはいえ、我が国とて無条件にやられることはないだろう」
「――無暗な争いは不要だという話です」
「ふん。今、国に滞在している者はどれも子供だ。我が国は両国に軽んじられているとしか言えまい。それもこれも、元を正せば両国へ迷惑をかけたせいだ。なぁ、ダニエル」
詰めていた息を小さく吐くと、ダニエルはニコリと笑って返事をした。
「そうですねぇ」
「聞けばお前が最初に対応していた事案だそうだな。なぜ途中で手を引いた? 当事者としての意識の低さが最悪の結果を招いたのだろう」
「そうですねぇ」
「相変わらず、やる気のない。お前が最後まで携わっていれば防げたのは間違いないというのに」
「陛下、我がゴルド家が分をわきまえず対応させてもらえるよう申し出たのも一因です。程々でご容赦願いたい」
「ああ、それも聞いている。だが、やはりダニエルが不貞腐れて手を引かずに関わっていたなら、ゴルド家とて成功したであろう。なら、責任はアレにあるのだ」
「そうですねぇ。以後気を付けます」
笑顔のダニエルの心の中は、もう大変なことになっている。が、ここは黙って従うのが一番早く解放されるのだ。
(どうせ、何を言おうが兄上は私を認める気はないから、気にしたら負けだ)
いつもの事だと、冷えた心でダニエルは国王と周囲から距離を置く。
「陛下、叔父上は全ての資料を開示してゴルド家に渡していた。協力は十分にしている」
まるでダニエルがゴルド家を嵌めたかのような言い分に、アーサーが事実を訂正しようとする。
(やめて、アーサー。長引くだけだから。ホントお願い)
甥っ子の親切心はありがたいが、ダニエルは何でもいいから早く解放されたいのだ。
アーサーの発言に国王は鼻を鳴らして視線を外すと、今度はダニエルを睨みつけ口をゆがめて物申す。
「十分であれば、このような結果にならないだろう。なら、協力は不十分だったということだな」
その言葉を、変わらぬ笑顔で受け止めながらダニエルは心の中で毒づいた。
(本当に、この兄はどうしようもないな……)
不始末の原因をダニエルにすることでゴルド家へ恩を売る。ダニエルを孤立させ悪く仕立てることで全貴族の統率をはかる。
もう何年もそうして人心掌握を続けていた。これでダニエルを裏で労ってくれたなら快く引き受けた可能性もあったかもしれないが、残念ながらそういったことは一切ない。まるで油と水のように噛み合わず仲の悪い兄弟なのだ。
(いっそ、なにもかも全部爆発してしまえばいいのに)
いつもの如く、ダニエルが呪詛のような言葉を思い浮かべたそのときだった。
――ドゴォォォン!
爆音と少し遅れて伝わった爆風で、建物と窓枠がガタガタと激しく揺れる。
思ったよりも近い場所での爆発に、会議に参加していた面々は騒然となった。
誰かが様子を見に行こうと動き出したとき、ドタバタと激しい足音とともに勢いよく兵士が転がり込んでくる。
彼は激しく息を切らし、また動揺していたせいで、発言許可を求めることも忘れて開口一番こう叫んだ。
「報告します! ダニエル様の執務室のある旧研究室棟にて、現在、ドラゴンと大型の狼が戦闘を繰り広げています!」
「え、うそだろ?」
「いえ、ダニエル様の執務室のある旧研究室棟が半壊しています!」
爆発しろとは思ったけれど、そこじゃないとダニエルは心の中で悲鳴をあげた。
「~~間違いなく、ドラゴンと狼は滞在しているエリオット君と銀君の転換後の姿だ。敵襲ではないので兵士は危険だから下がっているように伝えてくれ。陛下、私と、それにアーサーは至急対応に向かいたいと思いますので、これにて御前を失礼します」
「……」
「陛下、よろしいですよね?」
「あ、ああ。早急に対応してくれ」
「はい、失礼します。行くぞ、アーサー」
二人はわき目もふらずに、会議室を飛び出したのだった。
□□□
アーサーとダニエルが戻ると、既に勝敗は決していた。
「どうして思いっきり喧嘩するのよ! 見てよ、腕が千切れちゃってるじゃない!」
血だまりの中の小さな子犬に治癒魔法をかけながら、リリィがぷりぷりと怒っていた。
その横では、リリィに叱られたエリオットが、がっくりと項垂れている。
「銀も、狼がドラゴンに勝てる訳ないでしょ! どうして逃げないで向かっていくのよ!」
「うぅ……いたい、リリィ、うるさい」
出血し千切れた腕が瞬く間に繋がり傷が消えていく。ついでに欠損部分も再生した。
体の修復が終わると、リリィは子犬姿の銀を抱き上げる。血で汚れた体をエプロンで拭いながら頭を撫でた。
「失血は自力で回復するしかないから、しばらくは安静にしていてよね」
「うぅ。俺には、やらなければならないことが……」
「準備していたもの、全部吹っ飛んだわよ。あきらめて」
子犬はキュ~ンと悲しい声を上げると意識を飛ばした。
立ち上がり破壊された周囲を見回して、リリィは肩を落とす。
ダニエルの執務室は跡形もなくなっていた。
旧研究室棟にはダニエルしか利用者がいないため人的被害は銀だけだったが、大切な書籍は殆どが爆風で破損している。
「どうしよう」
呟きながら振り返ると、駆け付けたダニエルとアーサーが立っていた。
「リリィ、それにエリオット君も怪我はない? 銀君は生きている?」
「あ、ダニエル様、これは、その」
ダニエルは駆け寄るとリリィやエリオットを確認し、気を失った子犬姿の銀を診る。
「被害は建物だけ?」
「は、い。ごめんなさい」
「転換したエリオット君と銀君のバトルが原因だと聞いているよ」
その指摘に反応し、エリオットが背中を向ける。
ジルバ国に同世代の子供がいなかったエリオットは、聖アウルム王国に来るまで友人付き合いも喧嘩も経験したことがなかった。
彼にとって、リリィや銀は初めてできた同い年の友達なのだ。
対する銀は、乳兄弟やら親戚やらに揉まれながら育っている。友人なのか兄弟なのか従兄弟なのかよく分からない同世代は沢山いた。
口喧嘩や取っ組み合いは日常茶飯事で、そういった経験は非常に豊富である。
この惨劇は、加減を知らないエリオットが、ちょっとした喧嘩だと思って相手した銀を全力で吹っ飛ばしたことで起きてしまったのだった。
そして、素直に謝るということも今のエリオットにはできなくて、始終項垂れたままでいる。
「アーサー、三人を君の執務室に連れて行ってあげてくれ。あと私の仮部屋も用意してほしい」
「分かりました」
三人を移動させると、ダニエルは跡形もなくなった自分の執務室から、目についた書籍を拾い上げたのだった。
□□□
その日の夕方、アーサーが用意した仮部屋でダニエルは物思いに耽っていた。
そんなダニエルが心配で、アーサーは仕事を持ち込んで始終側に張り付いて様子を窺っている。
「叔父上、大丈夫ですか?」
「ああ。……そういえば、会議が途中だったけど、良かったんだっけ?」
「戻って確認しましたが、あのあとすぐに解散となりました」
「へー」
そのまま、ぷつりと会話が途切れる。
ダニエルにとって、この国は針の筵といってよかった。そんな彼の唯一の居場所が、あの執務室だったのだ。
大切であったはずの書籍はほぼ全滅で、持ち出せたものは一つもなく全て瓦礫と一緒に処分してしまっていた。
大切な執務室が失われた今、ダニエルが何を考えているのかが想像できてしまい、アーサーは例えようのない不安を感じていた。
「なんかさ、銀君やエリオット君の話を聞いていると、いかに書籍の内容がいい加減だったかって思い知ったんだよね」
一度読んだ書籍の内容は全てダニエルの頭に記憶されている。失った書籍に未練はなかったが、それらの情報の信憑性が低かったことを彼は悔やんでいた。
「前から思っていたんだけど、自分で足を運んで学ぶことの方が何十倍も得るものがあるんだよね。ちょうどプラータ山脈やノグレー樹海に入るツテもあるし。私ももう三十歳で体力勝負なことはこの先挑戦しづらくなるばかりだしね」
聖アウルム王国の誰もがダニエルを必要としていない。邪険に扱われてばかりなので、いなくなれば清々するだろうとも思っていた。
「いい機会だし、国を出て暫く放浪しようと思うんだけど、どうかな?」
ダニエルは同意を求めるようにアーサーに顔を向け、その表情が少しだけ曇っていることに言葉を詰まらせた。
「――嫌です」
目の前であれだけ周囲に悪く言われている叔父を、この甥っ子はまだ好いてくれていたのだと、ダニエルは改めて実感したのだった。
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