25.浄化の魔法(2)
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早朝、城からの早馬で叩き起こされたオリビアは、慌てて支度をする。
丁度出仕するところだった兄の乗る馬車に同乗して城へと向かった。
城から届いた伝令は、『先日無事に対応した不浄の霧について、至急確認したいことがある』とだけ伝えると、慌てて城に引き返したそうだ。
(もう。急に聞くぐらいなら終わってすぐに労いに来てくださればよかったのに!)
アーサーに会えるなら時間をたっぷりかけて準備したかったという乙女心も相まって、オリビアは内心腹を立てた。
「オリビア。なにか不手際があったのではないか?」
向かいに座る兄のディランは心配そうな顔をしているが、彼の問いかけはオリビアの機嫌をさらに損ねさせた。
「お兄様。わたくしがそのような粗相をするはずがありませんわ」
声色は変えず穏やかな笑顔を作る。機嫌の悪さは微塵も出さずに問題ないと頷いた。
念のため、と馬車の窓から空を見上げる。今日の王都の空も、青く澄み渡っているから問題ない。
「なら、いいのだが」
オリビアが大丈夫だと言うのだから平気だろうと思ったが、ディランの心はザワついていた。
二人が乗っている馬車は城へと繋がる大通りに出るため道を曲がろうとする。
そのとき目の前を白い犬が物凄い勢いで駆けていった。御者は思わず手綱を引いて馬を避けさせたが、それより早く犬が跳躍して避けていった。
「なんだ、ありゃ」
後ろ姿は犬にしか見えなかったが、その速さが尋常ではなかった。こんな人通りの多い道を躊躇いもせず猛スピードでまっすぐ走る犬など、違和感しかない。
けれど、それだけだった。
御者はその後を追いかけるように、急ぎ城へと馬車を走らせたのだった。
オリビアが城に到着すると、なぜか屋上テラスへと案内された。
その行先に違和感を覚えたディランも同席するために長い階段を歩いていく。
やっと階段を登り終え扉を開けると、城の塔が幾重にも並び立つ景色が見えた。目の前には広場、遠くには王家の森林公園が広がっている。
(式典に使うバルコニーとは反対側ね。一体こんなところで何をするのかしら?)
普段あまり目にすることのない屋上テラスは、王族が個人的に使う場所なのかもしれない。
慌てて周囲を見渡すと、オリビアが会いたいと焦がれていたアーサーがいた。
それにダニエルやノアに顔見知りの光魔法士まで居たので、気分が萎えた。
「遅くなりました。殿下。オリビアを連れてまいりました」
ディランに続いてアーサーの元まで行くと、顔の知らない少年もいることが分かった。
誰だろうかと注目すると、その容姿があまりにも人離れした美しさであることに驚いた。
「オリビア嬢。来て早々だが単刀直入にきかせてくれ。先日行った不浄の霧は本当に消えたのか?」
「はい。そのおかげで今日も王都に青空が広がっていますのよ」
「だが、どうも外から見ると違うらしい。内側にはどのような魔法を使ったのだ?」
「内側にかかっている魔法? わたくしは既存の守護壁に倣って同じものをもう一つ作り上げたのですわ」
「へぇ。それで不浄の霧は何で浄化されたんだい?」
ダニエルが目を細め口角を上げて、オリビアに質問した。
「浄化は、守護壁で挟み込んで圧し潰すことで達成しました」
「圧し潰した……浄化魔法は使ってないんだ。へぇ」
「ですが、元々実績のある魔法を使いましたから、魔法自体に問題はありませんわ」
「オリビア嬢。守護壁の魔法の構造はご存じで? あれは複数の魔法が掛け合わせて仕上げてあるんだ。その内容はご存じかな?」
「複数の魔法が使われていることは知っています。ですが、その内訳までは詳しくは知りません」
実績がある魔法だから中身を知らなくても安全だと判断した。
作ったものも完璧なので問題ない。
オリビアのその発言は、ダニエルの大切にしている信条を酷く踏みにじる。
「自分の目で確かめず理解せず、安易な理屈で結論を出す愚か者が私は一番嫌いだ」
小さい声で早口に呟くと、側に控えていた古参の光魔法士であるオリバーに指示を出す。
オリバーは一歩前に出ると一礼し守護壁についての簡単な説明をした。
「光魔法の守護魔法だけでは、半透明の壁ができるだけですから、美しい空や雨など生活に必要となる自然現象を通す魔法を組み込んでおります」
人が心地よく生活するうえで必要だと取り決めたものだけを通している。
これにより人や街に被害をもたらす強風や豪雨は通さないようにして守られている。
適度な雨に心地よい風。そういった特定の必要なものだけを内側に入るよう、幾重にも細工がされているのだ。
「この美しい空は、外の景色を中に映す投影魔法によるものです。ダニエル様の指示に従いこの投影魔法を除去します。よろしいですか?」
「許可する。やってくれ」
アーサーの許可が出たので、オリバーが投影魔法の解除を始めた。すぐに王都の天井に小さな黒い丸が現れ、徐々に広がっていく。王都から青空と朝日は消え失せ、暗い闇が広がっていった。
「な、なんですのこれ!」
所々空は覗いているが全体的に黒い何かがこびりついているように見えた。驚くオリビアにダニエルは手を緩めずに問いかける。
「ねぇ。オリビア嬢。圧し潰したら消えるってどうしてそう納得できたんだい? 私には理解できなくてね。詳しく教えてよ」
「え、だって。圧し潰してしまえば」
つぶれてしまえば、退治できると思ったのだ。
「うん? 圧し潰したら、存在しうるものの質量がゼロになるっていいたいの? ねぇ」
ダニエルの言いたいことを理解すると、オリビアはヘタリとその場に座り込んだ。理解した後では、なぜ自分が選んだ方法で上手くいくと思えたのか説明ができなくなってしまったのだ。
「でさ。どうするの? オリビア嬢はショックを受けているから、ディランでいいよ。ゴルド家としてどう責任取ってくれるつもり?」
「それは……」
「叔父上、いまは対処が先です」
「うん。だからさぁ。私の計画を排してまで立候補したゴルド家の考えを聞いているんだよ。よっぽどの自信があったのだろう? 私を押しのけたのだからさ」
この守護壁に関して、ダニエルは長年廃止を唱えてきたが誰の味方も得られなかった。
やっと上空にあったものの存在が特定でき、何度も実験して作り出した解決策。
―― 私の長年研究したものを横取りして、挙句失敗したことがどうしても許せない。
「さぁ。どうするのさ?」
「だ、ダニエル様の案をつかって、浄化すればよろしいではないですか」
さも名案を思い付いたと、オリビアはアーサーに向かってそういった。
「なら、やってみなよ。やれるものならね」
今や感情を押し隠すこともなく、ダニエルは吐き捨てるように答える。
「わたくしは、陣は使ったことがありませんから、リリィさんにお願いしてください。お願いします。アーサー様!」
「リリィは、昨晩から行方不明だ」
「まぁ。こんな大変な時に! なんて間の悪い子なのでしょうか」
オリビアは、この問題の解決がリリィの不在が悪いように話を持っていこうとした。
自分では対処できないので他の誰かにやってもらうしかない。早くリリィを見つけてほしいとアーサーに縋った。
アーサーは再び爆発しそうなダニエルを目で制する。その横に立つノアが冷ややかな目で成り行きを見守っているのも頭が痛い。
「黙れ、オリビア。ディラン、もうお前たちは下がれ」
アーサーはディランに指示を出すと小さく溜息をつく。
その指示にディランはオリビアを支えて一礼して立ち去っていった。
納得いかない顔のダニエルとノアが何か言いたそうだったが無視して、欄干まで歩いていく。
(いつものことだ。気にしている場合ではない)
そう、いつもの事だった。
手柄を立てるために他者を排して、しゃしゃりでてくるのも。
やれるところまでやって出来なくなったら、他者に、ひいてはアーサーに何とかするよう返してくるのも。
だれもが似たような立ち振る舞いなのだ。そう、いつも通りの――
下の広場では兵士が庭に集まり、何故か走り回っている。掛け声と悲鳴と、犬の鳴き声が聞こえて、アーサーは思わず音のする方を見て固まった。
白く輝く大きな犬が場内を走り回っていたのだ。
「――いつも通り、ではないな」
「あれは、もしかして。ちょっと失礼――知り合いみたいなので、見てきます」
言うがはやいか、エリオットが欄干に立つと背中から翼を生やす。
次の瞬間一気に地上へ急降下していった。
暫くして白い小さな犬を抱いて、再び屋上テラスへと戻ってくる。
「やはり知り合いでした。あなたがたに用事があるみたいです」
先ほどは大きく見えたが、エリオットに抱えられていたのは、随分と小さな白い毛並みの子犬だった。
「えーっと。なんだったかな。そうそう、ダニエルサマ! ダニエルサマっているか?」
「ダニエルは私だが。君は何者だい?」
ダニエルに喋る犬の知り合いはいない。あまりに目を疑う出来事が起きたせいか、先ほどまで暗かった周囲が少しだけ明るくなった気がした。
「この邪悪なスライムの元をリリィが浄化するんだけど、リリィの魔力が足りないからダニエルサマに助けてもらえるようお願いして来いっていわれたんだ! だから、おなしゃす!!」
子犬は元気よくハキハキとしゃべって、ぺこりと頭を下げた。
「元だけ? そこら中をスライムもどきが徘徊しているし、あいつら動物の死骸に入り込んで方々を攻撃しているじゃないか」
「それな! 周辺は退治してきたけど、早く戻らないとまた集まってくるからな。あれヤベーな!」
エリオットは欄干の上に立ったまま、腕に抱いた子犬――銀と状況を確認する。
その背後で、地上から上へ上へと光が上がっていくのが見えた。
円を幾重にも重ねた生命の花の文様は、まるで黒い布地に金糸の刺繍を施したかのように、くっきりと輪郭を浮き立たせ、ほのかに輝いている。
それが何を意味するのか理解し、ダニエルとアーサーとノアの血の気は一気に引いた。