22.樹海の村(2)
どれくらい眠っただろうか。
物音がして目を開けると格子の前に人影があった。目を凝らすと銀が座っているのだと分る。
「銀? どうしたの」
問いかけても返事がないので、リリィは寝台から出ると格子まで近寄った。
顔は怪我をしたままほったらかしのようで、血が固まってこびりついている。
痛そうだなと手を伸ばして頬に触れた。
「治癒魔法」
「っ!」
銀の顔と体から傷と打撲の痕が消えていく。驚く銀の顔を見てリリィは口角を上げて笑って見せた。
「どうしてだ?」
「痛そうだったから」
ただそれだけだった。目の前に苦しむ人や悲しむ人がいたら、少しでも楽にしてあげたいと思うのだ。
「俺が、リリィを連れ去る手助けをしたせいで、こんなところに閉じ込められているのに」
「だって、銀は最初から失敗したって顔していたから。どう怒っていいか分からないわよ」
開き直って意地悪な台詞を言ってくれたなら、リリィだって思う存分喧嘩を吹っ掛けたかもしれない。それに――
「ここに連れて来てくれた人がね、牢屋の中を整えなおしてくれたの」
最初に案内されたとき、牢屋の中には粗末な敷物と薄っぺらい布が置いてあるだけだった。それを見た案内役は少し慌てたあと、一旦リリィを牢屋に入れた。
そして別の牢屋を簡単に掃除し何やらいろいろ運びこんでから、リリィにそちらに移るように言ったのだ。
それを見たから、怒る気持ちもないし、悲しい気持ちも湧かなかったと伝えた。
それを聞いて、銀はいたたまれない気持ちになった。
「エリオットとリリィに会うために、みんなに事情を全部説明したんだ。俺一人じゃ通路を開けないから。それでエリオットに会いに行って戻ってきたら、村中が怪我人だらけになっていたんだ」
村の近くに化け物が現れたので、大人たちが様子を見にいったところ、追い払うことはできたが、それに触れた個所が黒く変色して、時間がたつと広がっていったのだ。
誰も治療が分からず、その間に怪我人は苦しんで弱っていくのが分かった。
「エリオットの卵を助けた人なら、何か知っているんじゃないかって話がでて。俺、思わず断ったんだ。そしたら裏切り者として村八分にあって」
「ムラハチブ?」
「村で協力して生活しているのに、協力を怠って仲間を危険な目に合わせた奴が受ける制裁のことを言うんだ」
「それで殴られたの? あんなに酷く?!」
うなずく銀は仕方ないという顔をしていた。
「俺、村のみんなを裏切るつもりもなくて。でも、リリィを連れてくるのも違うって思ったけど、怖くて……」
結局脅されるままリリィの居る場所の通路を開き、始終傍観者として協力してしまった。
「ごめんな。リリィ」
「うん。銀も大変だったね。みんなが私の治癒魔法で助ったから良かったわ。あとは帰れるといいのだけど」
その言葉に、銀がびくりと肩を震わせた。
「今、村長が亮たちから話を聞いているところなんだ――」
リリィの魔法を間近でみた者が、暫くここに留めておこうと進言しているのを聞いてしまった。
それでいても立っても居られず、銀はリリィの居る牢屋までこっそり会いにきたのだ。
「エリオットの卵は、大丈夫だった?」
「え!―― あ、うん。無事に孵ったって喜んでいたよ」
「そうなのね。なら心配事は一つ減ったわ。よかった」
「ごめんな、リリィ」
銀は自分の無力を嘆いた。もしリリィを逃がしたら銀はこの村には居られなくなる。
獣人――特に狼の特徴をもつ銀の一族は、リーダーを中心に小さな集団を作り協力して暮らしていた。新しいリーダー格が生まれれば、ある程度の人数を引き連れて村を出ていくし、大した能力が無ければ番にも恵まれないので、そのまま生まれた村で暮らしていく。稀に外に主人を見つけて仕える者もいるが、一人で生きていくという選択肢は無いのだ。
村八分の憂き目にあったばかりの銀には、行動を起こす度胸も意思も持てなかった。
全て恐怖の前に打ち負かされてしまうのだ。ごめんという謝罪を伝えることしかできなかった。
「なんじゃあ、誰かおるんか?」
「!」
ジャクジャクと足をするような音を立てて小さな影が近づいてきた。牢屋の壁に掘られた窪みに置いてある油皿に灯った火が、その容姿をぼんやりと照らす。
「っ! じ、じっちゃんか?」
「長老と呼べ。銀や。ここに来る許可をとってきたか?」
「……」
「また、酷い目にあうぞ。懲りん奴だなぁ」
小さな老人――長老は、銀に話しかけながらリリィが入っている牢屋の南京錠に鍵を挿し、ガチャリと外してしまった。
「さぁ娘さん。酷い目にあったね。助けてもらって申し訳ないが、早いところ出て行って貰いたいんじゃ」
「じっちゃん。じゃなくて長老! そんな言い方しなくても」
「そうじゃな。わしの村の者は、娘さんにみんな失礼じゃった。関係ないのに勝手に攫ってくる。助けてもらって牢屋に入れる。挙句にさっさと出てってくれとはの」
ふぇっふぇっふぇ、と長老が軽快に笑う。
「無礼な一族で申し訳ない。すまなかった。この通りじゃ」
そういうと、ゆっくりと膝をおり、手をついて頭を下げた。
「娘さんのせいじゃないが、その力は眩い。たいして考えてない善人が、あっさり悪事を働くようになってしまった。すまんなぁ。後で言って聞かせるが、すぐに分からせることができんでな」
長老と言われた老人の口調はひどく優しかった。
その謝罪でリリィの心が晴れることはなかった。
が、長老が罪人を守ろうとする姿勢に、ひどく心が惹かれていた。
―― 悪事を働かないように、ちゃんと守ってもらえるなんて羨ましいな
リリィを攫ってきた亮と銀は、怒られるかもしれないが嫌われてはいない。次に間違いを犯さないために、どうしたら良いかちゃんと教えてもらえるのだ。
しっかりと守ってもらえる亮や銀のことが、酷く羨ましくて仕方がなかった。
「ああ、一つだけ間違ごうた。村を襲った化け物は娘さんの住む聖アウルム王国が発生源じゃ。ただ娘さん一人に責任を求めるのは、やはり違うな」
「え。それは、どういうことですか?」
銀の村を襲った化け物の出所がもし本当に聖アウルム王国なら、ここ以外に住む種族からも被害が出るかもしれない。
「殿下もダニエル様も、そんなことをする方ではありません。何かの間違いです」
「だとすると、意図せず起きているのだろう。村の若いのが偵察に行って確認した。間違いなく聖アウルム王国が発生源じゃ」
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
他種族を攻撃したなんて信じられない。だって交流自体が禁止になっているはずなのに。
「か、帰ります。帰ってみんなに知らせないと!」
「ふむ。そうしてくれ。樹海から出る道を教えよう。ついてきなさい」
よっこいせと立ち上がると、長老は長く作られた袖の袂から蝋燭台を取り出した。
組み立てて蝋燭を立て火を灯すと、杖をつきながらゆっくりと歩き出す。
「銀、またね」
「送ってく」
三人無言で、細く長い道を歩いていく。その先に小さな光が見えれば、そこが出口だと教えられた。
「ところで銀。娘さんへの支払いは済んでいるのか?」
「は? しはら、い?」
「怪我した村人二十人。治療してもらった支払いじゃ。バカタレ」
支払いどころか銀は手ぶらで渡せるものなど持っていない。今頃言うなんて遅いだろと銀は長老に言い返そうとして、気が付いた。
「そんな治療費、村中かき集めても、足りねぇよ。じっちゃん」
「ふむ。じゃが村の連中は、これからも取り引きを続けたいというじゃろうのう。困ったな」
大人たちがリリィを捕虜として囲い込もうとしたのは、対価を支払ってお願いするには値段が高すぎるからだ。
今回のようなことがあれば、どうしたってリリィの能力は必要になる。
手段が無ければ諦めるしかないが、あるなら何としてでも手に入れる。それが仲間を助けるということになるからだ。
「娘さんのところで、対価分働いてきてはくれまいか」
「え。待ってください。銀、断って。そんなことダメよ」
「――わかった。行ってくる」
「銀?!」
「ほんじゃあ、気ぃつけてなぁ~」
あっとゆう間に洞窟の暗がりに消えた長老の後ろ姿と、なにやら決意を固めた顔をしている銀を交互に見比べる。
「と、いうわけだから。世話になるな」
「なんで?!」
「奉公すんだよ。珍しい話じゃない」
「ナニソレ?!」
銀は難しい言葉をよく使う。それが『一身をささげて主君のために尽くすこと』を意味しているとリリィは知らない。
「だって助けてもらったし」
「そうだけど?!」
肯定したが最後、銀はリリィについていくと譲らないので結局許可してしまったのだ。