21.樹海の村(1)
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口をふさがれ大男に担がれて、リリィは暗闇の中を運ばれた。
花のむせ返るような香りに笛と鼓のお囃子が遠くで聞こえ、闇市のときのように空間をゆがめて移動しているのがわかった。
なら誰かが助けに来ることはできないだろう。自力で帰るしかない。
わずかな希望で横にいる銀を見たが、彼は俯いていて目が合うことはなかった。
『敵に捕まったら無理に抵抗するな。攻撃も反抗もせず殊勝な態度で従うこと』
父のアダムが兵士の訓練で言っていたことを思い出す。敵に捕まったらとにかく殺されないで機会を待てと言っていた。
そのアドバイス通りに、リリィは力を抜いて無抵抗の姿勢をとった。
連れていかれた先は小さな集落だった。
周囲は背の高い木々に囲まれ、月光と満天の星の輝き、木で組まれた焚火台の火が足元を照らしている。それ以外の明かりがないため遠くの景色は暗くて見えづらいが、茅葺きの屋根に土壁の家がぽつぽつと立ち並んでいた。
同じ造りの大きな屋敷の前まで行くとリリィは地面に降ろされる。
「言葉が分かるか?」
喋らずにコクリと頷く。
「この屋敷には怪我人がいる。治してもらいたい」
再びコクリと頷いた。周囲には他にも大人がいるため、逃げてもすぐに捕まってしまうだろう。今はまだ従順なふりをして従うことにした。
扉を開けると土間に敷物が敷かれ、その上に二十人ほどの人が寝かされていた。苦しそうに顔を顰めて呻き声も上がっている。
リリィは顔色を変えず冷静にその場の状況を観察した。
西の砦でエマの救護班に入り手伝いをしていたリリィにとっては、それは見慣れた光景だった。
「俺たちの薬草では治らなかった」
「分かりました。水を用意してもらえますか。それと乾いた布もお願いします」
「―― あ、ああ。わかった」
泣きも叫びもしないリリィに、男の方がたじろいだ。
その間にリリィは足元にいた怪我人の様子を見る。
体の一部が黒く染まったその症状は、以前も見たことがあり治療もしたことがあった。
慌てて全身手で触りながら原因となるものを探すが、目当てのものが見つからない。
(どういうことかしら?)
「どうだ? 何とかなりそうなのか」
戻ってきた男に聞かれ、リリィは思っていたことを口に出した。
「呪いのかかった武器や防具を身に着けて長時間経った後の症状が出ています。それらを取り外して呪いを解けば症状の進行はとまるはず。でも、何も着けていません。何があったかご存じですか?」
「呪いの武器や防具など知らない。みんな見たこともない化け物に襲われた」
「見たこともない、化け物?」
なんだそれは、と実物を確認したくなったが、見たところで目の前の倒れた人の症状が治るわけではない。
(なら、武器や防具は外れたと仮定して、呪いを外してみよう)
呪いを人体から取り出すのは解呪魔法の応用だ。
ここのところ、毎日ずっと基本の解呪魔法を使っていたので慣れている。
「解除・浄化」
かざした手から光が溢れ、怪我人に降り注ぐ。
しばらくして体に出ていた黒い染みが宙に浮き昇華されはじめたので、辛抱強く光魔法を注ぎ続ければ、なんとか元の肌の色が戻った。
怪我人はぐったりとはしていたが、苦しむ様子は無くなった。
おお、と横に立っていた男や周囲で世話をしていた人たちがザワついた。
「治っているぞ!」
「ああ、よかった」
「これで助かる」
そう口々に騒いでいるが、そんな場合ではない。
「すみませんが、この方の看病をお願いします。体力が大分落ちているはずです、そこのあなたは、この患者に回復薬を少しずつ飲ませてあげてください」
近くに居た女の獣人に視線を合わせ指示を出す。びっくりしていたが、すぐに返事をすると動き出してくれた。
「それから、あなた。お名前は?」
「俺は、亮という」
「亮さん。意識のない重傷者、動けない負傷者、軽症者に怪我人を分けてください」
「分けてどうする」
「重傷者から優先して治療します。間違って重傷者の手当てが最後になったら、手遅れで死んでしまうかもしれません」
一人治すのにもかなりの時間が掛かったので、全員診終わるのには相当の時間が掛かってしまう。重傷者が後回しになれば絶命するのは簡単に想像できた。
「俺がそんなことして、間違えたらどうしてくれる」
そう、順番を間違えれば死人が出る。非常に重たい責任がのしかかる。
それをリリィは引き受けたくなかった。捕虜のリリィが間違えたなら、彼らは躊躇せず断罪できるだろうから。
『必ず自分を一番大切にしてね。それで余った分を人に分けてあげるのが優しさなのよ』
いつも巻き込まれてしまう娘に、エマが滾々と言い続けた言葉だ。
言いつけを守って自分の安全を優先しなければという気持ちと、けれど目の前の人も助けたい気持ちの間で心が揺れる。
「私は治療に専念した方がいいですよね。なら誰か立場のある方にお願いしてみてください」
怪我人の呻く声に駆り立てられ、早く治療をしてあげたいと思うが堪えた。
ここは人の世界ではないから、安易に分かってもらえると思ってはいけないのだ。
「私がやろう」
沈黙を破ったのは低く太い声だった。振り向くと入口には、ひときわ大きく貫禄のある獣人が立っていた。
「亮。彼女をどうやって連れてきたかは、後でちゃんと説明するように」
ひっ、と悲鳴を上げ亮の耳としっぽは逆立った。
「手荒なことをしてすまなかった。娘さん。お名前は?」
「リリィと言います。次はどなたを治療しましょうか」
そうして次の人を決めてもらうと、リリィは全てを忘れて目の前の治療に専念することにした。
□□□
木材を組んで作られた格子は、西の砦にあった囚人を投獄する鉄格子の牢屋に酷似していた。ここに案内してくれた獣人はカギをかけて立ち去ったので、やはり牢屋なのだろう。
二十人全員を治療し終わったあとリリィはその場にへたり込んだ。
治療中は協力的だった獣人達だが、疲弊したリリィに手を差し伸べることは無く、遠巻きにひそひそと話をするだけだった。
そのうち、一人の男が話しかけて来て案内された先がここだった。
奥に置かれた綿の入った布が寝具らしいのでリリィはその上に横になって、とにかく体の回復に努めた。
逃げるにしたって体力が必要なのだ。
―― あんなに頑張って治療して感謝もされないのに、傷つかなかったなんて不思議だわ
一人になると嫌なことが勝手に頭に浮かびだす。
城での出来事は涙が止まらない程に傷ついたのに、獣人相手なら、こんなものだろうと気にならない。
(なら、王都に居る人たちも獣人と同じように分かり合えないと思ってしまえば、私は傷つかないのかしら?)
想像すれば心の痛みは鈍くなった。
なんだか、どんどん人と離れてしまうような気がしたが、それも仕方のないことだと思えた。
(なんだ。簡単なことだったのね。だって殿下もダニエル様もノア従兄様も貴族で、私は西の砦の出身だもの)
きっといろいろ考え方が違うから、好かれるとか、分かり合えるとか、そんな立ち位置に最初から立っていなかったのだ。
「間違えたのは、私だったのね。私が悪かったんだわ」
周囲と心の距離をとるように自分を仕向けて、リリィは酷くくたびれてしまった自分の心を守るようにした。