19.聖女の評判(3)
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透き通るような青い空に相応しくない薄暗い霧が、ずっと遠くまで広がっている。改めて注目すると不気味な存在だ。
昨日、急遽オリビアに託された聖女候補生の仕事をこなすため、彼女は初代聖女が好んで着たという、白地に青い十字架がデザインされたドレスを身にまとい、王都の中心へと馬車で向かっていた。
「直前まで、守護壁の改修作業を手伝っていて良かったわ」
そのお陰で一緒に働いていた今日の作業の手伝いを頼むことも簡単にできた。
オリビアが話をすると、みんな一様に空に広がる薄暗い霧を恐れ、不浄の霧を取り払う役目を得たオリビアを称えてくれた。
「数日しかありませんでしたが、わたくしにかかれば何の問題も無くて助かりましたわ」
元の計画案は、王都ではまず見ることのない魔法陣を使うようになっていた。陣は国外、しかも東でなく西の文化圏のものであり、オリビアには馴染みのないものだった。
そんな不確かなものを使いたくないと思った彼女は、代案を作成したのだ。
「やはり聖アウルム王国の古の方法を使う方が良いというものです」
何よりも実績があるので、それが一番の安心材料だといえた。
オリビアの案は、内側からもう一つの守護壁を作り、薄暗い霧を挟んで消滅させるというものだった。
「これなら光魔法士の方々も協力しやすいですし、守護壁が厚くなる分、日々の修復作業は減るはずですわ。交代要員の少ない光魔法士達も休みがとりやすくなるというものです」
まさに良いことづくめである。
(一時はどうなるかと思いましたが、やはり天はわたくしに味方していますのね)
その時、馬車がゆっくりと停車した。目的の場所に到着し、心地の良い緊張を感じながら優雅な足取りで馬車から降りる。
既に参加する光魔法士は隊列を組んで目の前に整列していて、それらを遠巻きに市民が見守っている。
この場所を選んだのも、またオリビアの発案だった。
(これで、聖女には誰が相応しいか、みなさんが理解できるというものですわ)
オリビアは満面の笑みを浮かべると、手に持ったステッキを天高くかかげ、通る声で作業の開始宣言を伝えた。
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ちょうど、オリビアが不浄の霧を排除する作業を始めたその頃、ダニエルの執務室でリリィはしょぼくれていた。
「ごめんね。リリィ。大人の事情とはいえ、君にこんなことを尋ねるなんてね」
「いえ。私も軽率でした。みなさんに迷惑をかけてしまいました」
想像以上に落ち込むリリィに、ダニエルは頭を掻いた。
「今日の作業が、私やリリィ以外の人に当てられたのは、まぁ怒っていいよ」
アーサーに言われたときダニエルは思う存分に怒り散らした。気のすむまで好き勝手に振舞ったので既に諦めモードに入っている。
「それは、いいのです。私よりもオリビア様の方が上手にできるなら、その方が良いはずですし」
(いやぁそれはどうだろう。変な問題を引き起こさないといいけどね)
半分はやっかみ半分は経験則で、ダニエルは強引に仕事を横取りしたゴルド家に、心の中で文句を言った。
「私の作った飴が問題になるなんて思わなくて。すみませんでした」
「正しくは、問題にでっちあげられる、だね。成分は私が責任もって調査してあるから、リリィは悪くないよ。ただ、少しだけ話を聞かせてほしい」
アーサーが、非常に好んで食べるこの飴は、はっきりいって美味しいものではない。不味くはないという評価が正しい代物だ。
だからこそ肥えた舌を持つ彼が、好んで食べているのが異常に見えてしまうのだ。
「薬草で言うところの中毒性や、魔法でいうところの魅了の類を疑われる可能性がある。きっちり調べて白黒つけておけば、後々問題にならないってだけ。謝る必要はないし気に病む必要もないよ」
ついでにアーサーからは、引き続き食べたいので何とかしてくれと頼まれていた。そんなに好きだとは意外だなと、ダニエルも不思議には思っている。
「で、なにか心当たりはないかな? よく食べたがる人は今までに居たりしたかな?」
その質問に心当たりはあった。
「えっと。あります。ありますが、その、内緒にしていただけますか?」
「内容による。もし害のあるものなら見過ごせないだろう」
「う……はい。話します。西の砦で配っていたときは、大半が当たりはずれで楽しむような食べ方をしていました。娯楽みたいな感じです。ですが、子供や老人で、たまに痛みが引くから沢山欲しいと言われていました」
「痛みが……引く? 痛み止めの薬草を使った飴だったのかな?」
「いいえ。使っている薬草はその都度違いました。でも、効果があるみたいなんです」
言いづらかったが、リリィはダニエルに全てを話した。
その少年は秋頃になると昼間に腹痛を訴えてよく飴を欲しがった。舐めると痛くなくなるが、翌日はまた再発した。
老人は一人暮らしで膝が痛いと言っていた。医者にも何もないといわれ、飴をなめると和らぐと言って欲しがった。
「へぇ。効果が無いものを食べて、治るとは不思議だな」
「多分ですが、精神的なものだと思うんです」
その少年の親は大きな畑を持っており、秋は収穫時で繁忙期だった。一家総出で畑に出るため、毎年その時期だけ少年は教会に預けられていた。
そして老人も足が痛いので寝たきりに近く、少し遠くに住んでいた息子夫婦が通いで面倒をみていたのだ。
「その子は両親と住んでいるあいだ、腹痛はなくて元気なんです。おじいさんも息子さん夫婦が来ているときはとても元気に杖を使って歩くんです。不思議ですよね」
どれだけ医者に見せても原因が分からない。
でも、二人とも具合が悪くなると、痛みが和らぐから飴が欲しいとリリィにお願いに来るのだ。
それで、リリィも飴を作ると二人によく会いに行っていた。
「二人とも寂しかったのだと思うんです」
「なるほどね。アーサーも何か理由があって、食べたがっているかもしれないということか」
「飴は一時凌ぎにしかならないのは分かっていました。でも、その子もおじいさんも仕方ないのを分かった上で我慢したかったんです。それを無理に暴くのは良くないと教えられました」
その子は、秋の間だけだからと教会で良い子に両親を待っていたかった。
おじいさんは息子夫婦に迷惑を掛けずに仲良くしたかった。
がんばりたかったけれど、我慢に押しつぶされた心の悲鳴が体に出てしまったのだ。
「母に相談したら、そっとしておく方がいいと言われたので。求められたら飴を渡していました」
詳らかにしたからといって、すべて解決するとは限らないのだと言われた。
リリィには分からなかったが、分からないからこそエマの考えに従った。
「そのうちに、その子は大きくなって一緒に家の手伝いをするようになって、教会には預けられなくなると腹痛がなくなりました。おじいさんは、息子さん夫婦が引っ越してきて一緒に住むようになって、元気に歩くようになったんです」
どうしようもなくて我慢しなければならないことは、誰にだってある。
頑張れなくて何かに頼って乗り切ることは、決して悪いことではないのだ。
「でもこの話をして、アーサー殿下の悩みをむやみに暴くことになるのは怖かったので、内緒にしてほしいと言ってしまいました」
「うん。リリィの考えはわかったよ。話してくれてありがとう」
その少年もおじいさんも、目の前のどうしようもないことを乗り切るために、リリィの思いやりに頼ったのだろう。なるほど、それなら中毒性も魅了も関係なさそうだ。
(ただアーサーは別に体の不調はないはずだし、悩みは常にあるだろうけど昔から態度は変わらないからなぁ)
飴の件は解決したが、別の問題がダニエルに降りかかる。こちらは中々厄介そうだと内心肩をすくめた。
「なら、飴の成分も問題ないし、今の話だと特定の人が願掛けして好んで食べていたって程度だし問題ない。安心したよ」
「っ! 良かったです」
「ああ。何を言われても論破できるよ。これからも安心してアーサーに飴をプレゼントあげてほしい」
「はい。わかりました」
やっとリリィの笑顔が戻ったことで、ダニエルは安心した。それにアーサーから飴を取り上げるのは、今は得策ではないと判断した。