18.聖女の評判(2)
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励まされます。
ダニエルの執務室は相変わらず本が散乱していた。けれどそんな執務室とも今日でお別れだ。
先ほど書庫が完成したので、今日は本が溢れた執務室の片付けをするのだ。
リリィは張り切って袖をまくり上げる。
「ありがとう。リリィ。まさか本当に手伝いに来てくれるなんてね」
そうは言うが、ダニエルはこの量を一人で片づけようとしていたのである。
何せ人嫌い。貴重な本を価値の分からない他人に触らせたくないそうだが、これだといつまでたっても片付かないだろうとリリィは思う。
「いやぁ、部屋も片付くし。だいぶ前に出した危険物の撤去案が通ったし。良いことづくめだなぁ」
ダニエルは始終ご機嫌だ。昨日、守護壁内の不浄な霧を取り払う許可が下りたのだ。
しかも実施日も最速で決まり、明後日には実行されることになった。
「誰もが早くとってくれって言っていたよ。いやぁ爽快!爽快!」
(声は浮かれているけど、目は、――笑っていないわね)
ダニエルの表情は一見分かりやすいが、本心が分からない。リリィはそれが不思議でよく観察してしまう。
もっとも本心が怖いものであったなら距離をとるし観察などしない。けれどダニエルがリリィに向ける感情が好意的なので問題ないのだ。
(誰だって、嫌なことや嫌いな人くらいいるもの。それにあれは処世術だもの。逆に素晴らしいわよね)
西の砦には、ちょっと己の感情を制御できない方々が多かったので見習ってほしいとさえ思っていた。
「今日中に本を片付けたら、明後日の実施に向けて準備したいですね」
「そうだね。リリィに頑張ってもらわないといけないから、美味しいおやつを用意したよ!」
「わぁ! なんだろう」
シフォンケーキ、アイシングクッキー、ミルクレープ。リリィは王都に来てから沢山のお菓子の名前を覚えた。
見た目も可愛く綺麗にデコレーションしてあって、しかも甘くて美味しいのだ。
俄然やる気がわいて本をどんどん運び出す。ダニエルも今日ばかりは久しぶりに見つけた掘り出し物を開くのを堪え、真面目に片付けに励んだ。
あらかた終わると、用意してあったバームクーヘンに紅茶を淹れて休憩をとる。ダニエルとリリィの共通の話題は仕事しかないので、休憩中も魔法陣の話で盛り上がった。
「浄化はね守護壁の内側に、浄化の魔法陣を描いて天井で昇華できるようにするよ」
「その案が採用されたのですね。どの図案を使うのですか?」
「それはまだ決めかねているかな。リリィ一人の魔力だと王都を覆うには少し足りない。シンプルな図案にしようかと思ったけど、強力に効く図案も捨てがたいだろ? 光魔法士を追加できるよう依頼したよ」
ダニエルはノリノリである。満場一致の賛成を勝ち取ったので予算もお願いすれば通ると踏んでいた。
「王都の天井に、神聖図形が光るなんて幻想的ですよね」
「そうだね。そういう発想は無かったけど、確かに世にも美しい景色ができあがりそうだ」
雲一つない真っ青な青空をキャンバスに、金色に光り煇く神聖図形が描かれる様はさぞや幻想的で美しいだろうと、二人は想像を膨らませながら胸躍らせた。
□□□
アーサーの執務室に訪れたディランは重苦しい空気をまとっていた。ノアは様子を気にしながら紅茶を淹れる。
「殿下。いくつか聞きたいことがある。よろしいだろうか」
「ああ、答えられる範囲でなら答える」
「聖女候補生に対して、公平さが欠けているという話を聞いた。特に一人と親しく昼食を共にしているせいで、噂も立っているそうだが、どうなんだ?」
ディランが指摘したであろう噂ならアーサーもノアも把握していた。だがしかし公平さに欠けるという点が引っ掛かった。
「確かに下らない噂は耳にしているし、聖女候補生の一人であるリリィと昼食を共にもしている。だがそれが公平さに欠けると判断するのは理解できない」
「聖女候補生から仕事の報告を聞くなら、全員平等にすべきだろう。一人だけ特別にするから噂が立つ」
「勝手な話だな。用があるから場を設けているだけだ。用もないのに時間を割く必要はない」
「ディラン様」
どんどん重くなる空気に思わずノアが間に入る。アーサーが説明を面倒くさがって端折っているのがわかったからだ。
案の定ディランから思いっきり睨まれた。
「そう睨まないでください。ディラン様に誤解があるようなので少し僕にも話をさせてください」
「私に誤解があるだと?」
「はい。まず聖女候補生の報告ですが元々書面で行うよう通達をしたところ、オリビア様とポピィ様のお二人が連日殿下に直接報告に来ていたんです。それも細かな内容を含むものですから一人につき二時間ほど殿下の時間をとっていました。そのせいで半月ほど連日残業が発生しました。さすがに目に余るので書面での報告を再徹底いたしました。」
「そう……なのか。それは知らなかったな」
「そうですか。ちなみにリリィは僕経由で書面を提出していましたので、その間は殿下との接点は殆どありませんでした。公平というなら、この分の時間を均等に掛けて初めて公平といえるかと思いますが、如何ですか?」
「……なんだ、やけに感情的だな。ノアが身内に甘いとは知らなかった」
「っ!」
口が達者なノアだが、ディランの方が一枚も二枚も上手だ。ディランが妹のオリビアに肩入れするように、ノアが身内のリリィに肩入れする様を突いて上手く話を逸らしてしまう。
「ディラン、ノアに当たらないでくれ。そもそも仕事の分担すら公平に分けたつもりが、蓋を開けたら覆っていた」
「持ち回りをやめたのは、作法がおぼつかない二人を配慮してのことだとオリビアから聞いたが」
「身内に甘いのはどちらだか。オリビアは王妃の治療が終わった後は彼女たちの仕事の手伝いは拒否したそうだ。配慮以外にも本人の選り好みもあるだろう」
オリビアの性格からしてその指摘は当たっているだろう。ディランとてオリビアの言葉を全て信じたわけでは無いが、これでは公平性に欠けると指摘した自分の言葉が、言い掛かりのようになってしまう。
「食事でなく、仕事として時間をとるべきでは?」
「午前中は解呪の仕事、午後は叔父上の仕事で全て埋まっている。そこに差し込むには残業するか昼しかない」
「なるほど。残業させるくらいなら、と昼食になったわけですか」
理屈は通っていた。だが、面白くないな、と内心舌打ちする。
年下の幼馴染にやり込められるのも、オリビアが蔑ろにされるのも、アーサーがその娘に特別な感情を向けつつあるだろうことも、何もかも面白くない。
「ですが不思議ですね。毎日一時間も彼女から何を聞き出しているのです? 書面で済む程度の報告なら会話する必要はないのでしょう?」
「それは、まぁいろいろだな」
本来の狙いはディランにすら今は話せず、他は雑談なので説明できなかった。無意識に机の上に置いてある飴に手が伸びる。
「その飴、まだ食べているのか。中毒性があるのではないか?」
「そんなものはありませんよ。ディラン様、確証もなく変なことを言わないでください」
ノアは、リリィの名誉を守るために否定する。
「その飴、見たところ個人の手作りだな。前回ノアから渡されていたということは、ノアが世話する聖女候補生の手作りか?」
「そう、ですが。ですが、ただの飴です。ちゃんと成分も分析済みです」
「愚かだな。……飴で篭絡されて昼食で中身のない会話を楽しんでいる―― などという不名誉な噂が立つのも時間の問題だ」
「なんてことをおっしゃるのですか! それは根も葉もない言い掛かりです!」
ディランがわざとけしかけ、その意図に気付けなかったノアは感情的に言い返してしまった。
「そういう行動一つでティナム家がけしかけた話にもなるな。わかるか? お前が届けているということ自体、共犯を疑われる可能性もあるのだぞ」
そんな無茶苦茶な理屈に何を反論すればいいのかわからない。ノアはぐぅと呻いて押し黙ってしまう。
「ディラン、もうやめろ。何が狙いだ?」
「そうですね。明後日行う守護壁の浄化作業という名誉を、ゴルド公爵家に譲っていただきたい」
「それは叔父上が主体でやっているものだ。俺ではなく叔父上に交渉してくれ」
「ダニエル様は、執務室の来客は追い払い王族なのに国政に関わらないので中々お会いできませんから。要望を通そうと思えば、直接交渉することは下手を打つことでしかない。私は気を使って殿下に相談しにきたのですよ」
はじめからディランの目的は、アーサー経由でダニエルが主導で進めている仕事を横取りすることだった。
「実施は明後日だ。日もない中で実施者が変わるのは成功率が下がると思うが」
「光魔法の使い手の上位者であるオリビアが、順位が下の者に劣るとは思えません」
リリィの魔力測定は別で行ったため順位付けには入っていなかった。いろいろなしがらみを考慮した結果、聖女候補生三人の中で一番下ということになっている。
「そんなに自信があるのか?」
「ええ。ゴルド家の名に恥じぬ成果を出してみせましょう」
オリビアからこの件を持ちかけられたとき、彼女は自信があると言い切っていた。そして王族でありながら周囲との関係が悪く、大した仕事もしていないダニエルが受け持つ仕事なら、そこまで難しいものではないと、ディランは踏んだのだ。
「わかった。俺から叔父上に伝えておく。用が済んだなら仕事に戻れ」
「失礼。長居してしまいましたね。聖アウルム王国に栄光を」
ディランが立ち去ると、ノアは我慢できずにアーサーに問いかけた。
「あれは何なのですか。どうしてあんな話になってしまうのですか!」
訳が分からない。ノアから見れば好き勝手していたのはオリビアやポピィで、リリィは淡々と作業をこなしているだけだ。
「ただの言いがかりだから気にするな。オリビアが思ったように手柄が立てられないのが面白くないだけだろう」
「そんな言い分がまかり通るのですか!」
「アレは清廉潔白を好むが、理想を通すために我を通すことがある。俺もディランの話の進め方は無理があると思っている」
「なら、なぜディラン様の希望を通したのですか?」
「ゴルド家は噂操作が得意だ。聖女兼王太子妃の噂もゴルド家が糸を引いているはずだ。あまり煽るのは得策ではない」
クシャリと歪んだノアの顔を見て、アーサーは肩をすくめる。
「全てが王家に都合よく協力的な家などない。ゴルド家は昔から陰に日向に王家に仕えてきた貴族だが、あちらにだって要望くらいでるだろう。少しかみつかれた程度で拒否していては成り立たない。内容にもよるが、酷い話でなければ通してやるほうが上手くいく」
アーサーから説明されても、ノアは納得できないのか黙ったままだ。
「ノア、早くディランをかわせるくらいに成長してくれ。期待している」
暫くして、はい、とノアは返事をした。