17.聖女の評判(1)
―― どうして、こうなったのかしら?
目の前の見慣れない豪華絢爛な食事が眩しくて、リリィは目を細めた。
「もう少し軽めのコースが食べやすかったか?」
これまた美しい王太子が、リリィにこの食事は気に入らなかったかと問うてくる。
「いいえ。見たこともないほど豪華なので感動しておりました」
―― どうして、こうなったのかしら?
再びの自問自答に意味は無い。現実はこうだ。リリィは花祭の翌日からアーサーの自室で一緒に昼食をとっている。
あの後、薬草の仕入れに関する一切をアーサーとノアに共有するよう約束させられた。
特にノアからは必ずことを起こす前に教えるようにとガミガミとお説教された。アーサーの答え一つでティナム伯爵家が断罪される可能性があったのだと言われ、心臓が止まる思いをした。
「リリィの購入した薬草の配布が終わったそうだ。これで聖女候補生の仕事が大分片付いてきた」
「良かったです。解呪の仕事も今週中には終わります」
「そうか。それはなによりだ」
ここにノアはいない。彼は部下であることを理由に同じテーブルに着くことを断った。つまり逃げたのだ。
「あの殿下。今日は何をお話しすればよろしいでしょうか?」
リリィは毎日アーサーに請われる内容を話していた。
先週は、どうやって闇市に出入りするようになったかに始まり、銀との出会いや闇市の入り口の見つけ方を聞かれて答えた。
さて、今週は何を話すことになるのだろうか。
「出会ったことのある種族との接触で、リリィが気を付けていることを教えてくれ」
「はい。必要以上に詮索しないのと、相手のルールを知りたいとこちらからお願いします。あくまでもあなたに合わせますという姿勢で、危害を向ける気は無いと言葉と体で表現します。あ、銀と出会ったときは彼の畑の薬草泥棒と勘違いされたので、土下座しました」
「どげざ……?」
「えーっと。悪いことをした旦那さんが奥さんに許してもらうために、玄関で膝を折って座って前に倒れる謝罪のポーズです」
「……」
「聖アウルム王国の文化には存在しない謝罪方法でしょうか。その方は西の国から移住してきた人だったので国外の文化かもしれませんね」
確かに聖アウルム王国には存在しない謝罪方法だが、そういう意味で驚いたのではない。
十三歳の少女がする格好ではないと驚いたのだ。
「他に謝る方法は無かったのか?」
「すごーく怒っているのが分かったので。でも私が土下座して誠心誠意謝ったら、どうやってきたのかとか、何しているのかと聞かれました。素直に答えて大切な人が病気で薬草を探していたと話したら、売ってくれたのです。ちゃんと意思疎通ができれば会話はできると思います」
懐かしい思い出の中の銀は、出会った当初からきっちり商売人だったな、とリリィは思った。
「それは、リリィだからというのもあるだろうな」
「あ、そうかもしれませんね。良い対価を持っているから取り引きしてやってもいいぞって言っていましたから」
そうだ。それから銀は祭りのたびにリリィを優良顧客として迎え入れてくれるようになったのだ。
「それから、私の関わった人たちは恩返しが手厚かったです」
「恩返し?」
「銀以外に出会ったことのある人魚や妖精はみんな困っていたので助けたのですけど、とにかくお礼がしたいと彼らの国に連れていかれそうになります。一度妖精の国に行ってしまったときは、とても沢山の料理とお菓子で歓迎されました」
「リリィは、彼らが危険ではなく、話の分かる連中だと感じているのだな」
「うーん。どうでしょうか。常識や考え方の違いを感じることが多いので、意見が食い違うとダメだと思います。私は彼らとは目的をはっきりさせて会うし、一度お礼を受け取ったらそれ以上は不要だとしっかり伝えるようにしています。向こうはお礼ができないと意固地になるので、こちらが受け取って満足したのをみせるのが大事なのだと思います。駆け引きのようなことは絶対にしません。怖いので」
「そうか。なんとなく彼らというものが伝わってきた」
「そうですか。お役に立てて何よりです。ところで、殿下――」
「なんだ?」
「この昼食会はいつまで続くのでしょうか?」
正直なところ、リリィは食堂でノアにデザートを貰って気楽に食事していた日々に早く戻りたかった。
「そうだな。俺は東の国から輸入の止まった仕入れを、どうにか他から調達したい。その候補として獣人は非常に優良だ。ただ知らないことが多いから、知っているリリィから学びたい」
「私も、詳しいわけではないのですが」
「だが、直接関りのある者を新たに探すのは不可能だ」
他種族と接点を持つことは法に触れるため、誰も名乗りをあげるわけがない。それに、東の国の輸入停止による欠品は結局解消した気配が無いので、国民の中で他ルートを持っている者はいないに等しいということだ。
つまり、今いちばん他種族と接点が多いのはリリィだと断言出来た。
そしてこの件は、早急に対応すべき案件として緊急性が高くなっている。今のまま王都の品薄が続けば、商品価格が高騰し、不安による買い占めなどが国中のいたるところで出てくるだろう。
「西は国が安定しないせいか自給率も輸出量も少ない。あちらも東からの輸入を当てにしているから、わが国で何とかしないと大変なことになるだろう」
というわけで、アーサーは手始めにリリィから情報を収集したのだ。
外に漏れるとまずい内容なので、アーサーの自室で昼食をとりながら行うことにしている。
かたやリリィは、アーサーが扱う外交問題が普段の生活とかけ離れていて理解が追い付いていなかった。
難しい話にぼんやりとしながら、口に運んだテリーヌを咀嚼する。
「これ、おいしい」
「どれだ。レバーとフォアグラのテリーヌだな。ピクルスやマスタードと食べると味が変わる」
うっかり心の声が口に出ていた。とりあえずノアがいなくてよかったなとリリィは冷や汗をかく。
アーサーの前では失態続きに慣れてしまい、気を抜いてしまうことが増えていた。今ここにノアがいたなら、その腑抜けた態度についてガミガミとお説教されてしまうだろう。
「ああ。……うまいな」
食べなれたアーサーが美味しいというなら、とても素晴らしい料理なのだろう。
リリィは今までの質素な食生活のせいで味覚に自信がない。アーサーに料理の説明をしてもらうことをひらめいた。
「料理の説明くらいかまわないが。どういうものが好きなのだ?」
「辛くなければ。あとお魚もお肉も食べ慣れてないので、いろいろ知りたいです」
ちゃんと料理に集中しないと、いつかアーサーに怒られるようなマナー違反をしでかしそうだ。
それに、暫く昼食を一緒にとるなら少しはリリィにとって心ときめく話題を提供してほしい。
「わかった。だが私の質問にもこたえてくれ。じゃないと勉強にならないからな」
「はい。何でも聞いてください!」
結果、あまり喋らないアーサーが会話を楽しみながら食事をする風景が出来上がっていった。これが連日続けば、さすがに城に勤める侍女の噂に上った。
宮廷雀と呼ばれる彼女たちは、聖女候補生の一人とアーサーが毎日仲良く昼食を共にしているので、アーサーが聖女をひいては王太子妃を決めたのではないかと想像を膨らませる。
「だって相手が、高貴な生まれの公爵令嬢や、殿方にモテると噂の小悪魔令嬢じゃなくて、地方から出てきた田舎娘だもの、逆に信憑性が高いわよね!」
素朴な印象のリリィが選ばれたのなら夢があるとばかりに、この噂はたいそう人気があった。十七歳と小柄な十三歳では体格差が大人と子供だが、そこは四歳差という許容範囲内の数字が優先される。
やはり宮廷雀は、夢のある話が好きなのであった。
さて、アーサーやノア、ダニエルなどは、この噂を本気にする輩はいないだろうと捨て置いた。
彼らにとってリリィは大切な仕事仲間であり、必要なときに行動を共にするのは当然だ。一々気にしていては仕事が終わらない。
けれどリリィ以外の聖女候補生にとってはその噂は許し難かった。
特にオリビアは、自分の野望を達成するべく噂を利用し、聖女兼王太子妃をでっちあげてもらっていたので、たまったものではない。
「どういうこと。なぜアーサー様はわたくしの報告は書面にしてしまわれたのに、他の候補生と食事をしているのよ!」
民間では聖女の最有力候補はポピィだといわれ、城ではリリィが優遇されている。
『王妃様の治療』というまたとないチャンスも、ある日突然終わりをむかえた。
今は守護壁の修復の手伝いをする程度だ。
「どうして、こうなってしまったのかしら」
上手くいっていたはずなのに、どこから歯車が狂ってしまったのだろうか。
「このまま流されていてはダメよ。使えるものは全て利用して何としても元通りにしないと」
結果だ。誰の目から見ても聖女はオリビアが相応しいと言わしめる結果を作るのだ。
そのために、まずは最愛の兄に相談しようと彼の元へ向かった。