16.男爵令嬢ポピィの恋の始まり
金色から桃色に変化する珍しい色の髪を丁寧にブラッシングする。いつ何時でもポピィの髪は艶を帯び、爪も肌も手入れを怠らないので、まるで美術品のように見る者の目を奪うのだ。
そんな美しさを保つため、男爵家の部屋のドレッサーには化粧水やクリームが山ほど並んでいる。
ポピィが見目麗しく人の目を奪うためにしているのは、日々の努力。ただそれだけだ。
―― 可愛いは作れる
それがポピィの持論であり、そうして日々積み重ねて作り上げた可愛らしさは、今では彼女の大切な武器の一つである。
「うふふ~。今日も日課終了。これで明日もバッチリね!」
手入れが終わると早めにベッドに入り質の良い睡眠をとる。
明日は教会で聖女候補生の仕事をする日だ。
「明日からオリビア様も来るのよね。楽しみだわ」
どういう経緯かは伏せられたが、魔症病の薬に必要な薬草が大量に手に入り、王妃の治療は完治に向けての投薬治療に切り替わったそうだ。
教会で治癒魔法を振舞うポピィも明日からは薬草の配布を行うことになっていた。そこにオリビアも合流するという話を聞いたのだ。
「そりゃ、残りの仕事が解呪しかないなら教会での薬草配布の方がいいよね」
見栄えをひどく気にするオリビアなら、人前に出て目立つ奉仕作業を望むだろうと簡単に想像がついた。
「オリビア様って、本当に貴族らしいわよね」
元々平民で光魔法を開花させカルコス男爵の養女に迎えられたポピィは、貴族と平民との違いを日々感じることが多い。
例えば感情を相手に悟られないようにする教育をするなど、平民では想像できないものだ。
言葉遣いにマナーに立ち振る舞い。
いちいち細かい決まり事は自分の本音を包み隠す行動制限であり、人によっては心をゆっくりと弱らせる毒のようなものだ。
(でも貴族になって、思う存分自分を磨けるようになったのは嬉しかったわ!)
美しさも教養のうちとされるので、ポピィは頭のてっぺんから足の先まで男爵家の資産で遠慮なく磨かせてもらった。
正直平民だと、生きていくために働き家事をこなさないといけないので、自分にかける時間を捻出することすら難しかった。
鏡を見るたびに貴族になれて良かったと心から思う。光魔法はポピィに幸運をもたらしてくれたのだ。
(平民だったことも、悪いことばかりじゃないのよね)
平民としての経験を貴族社会でほんの少し使えば、目立つことができる。
驚かれ嫌悪されることも多いが、同じ態度で接し続けると相手はそのうちに慣れてしまう。慣れれば気安い雰囲気が親しみやすさに変化する。そのうち相手は心を開きポピィに悩みや不安を話して甘えてくるのだ。
ポピィは高貴な人が抱える悩みをたくさん聞いた。家を継ぐことへのプレッシャーであったり、周囲と自分を比べ卑下したり。月並みな悩みも周囲に弱みをさらけ出せない教育のおかげで、必要以上に気に病んでいた。
(みんな貴族に生まれたせいで、すごく窮屈に心を締め付けているのね。可哀想に)
平民から貴族に転身したポピィだったから辿り着けた答えだった。
だからといって彼らも平民のように振舞えばいいというつもりはない。
ポピィがするのは、それが人らしい感情だと教えて息苦しさを認め、優しく手を差し伸べて癒してあげるくらいだ。
背負うものが少し減ったなら、人はまた頑張れる。なら、そうした方が本人も周囲にとっても幸せだろう。
そしてポピィの事を求める同級生は増えていったので、その考え方は当たっていた。
相談に乗った男性の婚約者がポピィに文句を言ってくることもあったが、ならちゃんと支えてあげなさいよとしか思わなかった。
(婚約者なのに愛する人が苦しんでいることに気付けないなら、パートナー失格もいいところよね)
それにポピィは関わる男性と関係を進めようとは微塵も思っていない。言い寄られた男性には、断ることだってちゃんとしていた。それなのに彼女たちはポピィを責め立て意地悪して憂さを晴らすのだ。
(怒りを男性にぶつけるせいで余計に追い詰めて、お互いに心を締め上げて思いやれなくなっているだけなのに。自業自得のくせに、あたしのせいにして解決しようなんて考えが甘いのよ)
上手くいかないことを、全てポピィのせいにしないでもらいたい。この件に関しては非常に腹を立てていた。
―― 人を思いやれない人が愛されるわけがない
ポピィが愛されるのは、自分が愛されるための努力をしているからだ。
目の前で起きる出来事は自分を写す鏡であり、婚約者が冷たくなったなら先に自分が冷たく接した結果だ。
苦情を言ってくる令嬢の妄言など何も気にすることはない。自分は自分らしく生きていくのだ。
ポピィは心に溜まった毒を吐き出してスッキリすると、眠りについた。
翌日、教会の前には配布される薬草を待ちわびていた人たちで溢れかえっていた。
「ありがてぇな。これで母ちゃんの病気も治るんだな」
「ポピィ様もありがとうね。治癒魔法のおかげで酷くならずにすんだもの」
教会に通ってくれたみんなの感謝の言葉に、ポピィは感極まった。人の役に立つのはとても好きなのだ。
「薬が手に入って本当によかったわね!」
手元の籠から取り出した薬草を手渡すと泣きながら手を握られた。
「ポピィ様は聖女様だ。私達みたいな平民のために光魔法を使ってくださって、薬草まで届けてくれた」
薬草を手に入れたのはポピィではないが、彼らにとってはポピィが配ってくれたものになるのだ。
「ふふふ。早く元気になってね」
背中をさすり励まして見送ると、次の人が前に進み出る。配り続けると手元の籠の薬草が切れたので、ポピィは後方に待機するオリビアに声を掛けた。
「オリビア様、すみませんが薬草の入った籠をいただけますか?」
「それくらい、ご自分でなさってください」
そっけない返事が返ってくる。
オリビアは教会に来てから、ずっと裏方で荷物を整理するばかりだった。
仕方ないなぁと、ポピィは籠を取りに移動して機嫌の悪いオリビアに話しかける。
「オリビア様も一緒に薬草くばりましょうよぉ」
「わたくしの所には、みんな並んでくださらないみたいですから。こちらで荷物の整頓をします」
それで拗ねているのかとポピィは肩をすくめた。ずっと教会で治療をしていたポピィが自分より人気があるのが面白くないのだ。
(オリビア様って本当に負けず嫌いよね)
「オリビア様、これも聖女候補生の仕事です。ちゃんとやってください」
その言葉はオリビアの自尊心を傷つけ、彼女は思わずポピィを睨みつけた。
「お言葉ですけど、あなたは毎回来る人の話を何でもかんでも聞いているの? そのせいで訳の分からない悩み事を相談されて、わたくしとても困惑したのですけど」
「本人にとっては大事な悩みごとです。そんなふうに個人の価値観でけなすのは良くないと思います」
貴族には貴族の、平民には平民の悩みがある。人それぞれ大事なものが違う。立場が違っても寄り添って聞いてあげるのは大切なことだ。
「困った人を助けるのが聖女候補生の仕事だと思います。失礼を承知で申し上げますが、今のオリビア様の態度はそういう奉仕の心が欠けていると思います」
「な! あなたに何がわかるというの?」
格下だと思っていた男爵令嬢に言い返されて、ついうっかり大声を上げてしまったが、すぐに失態を恥じた。
が、治療を受けに来た平民が沢山いる中で醜態をさらしてしまい、あまりの羞恥に一刻も早くこの場を去ろうと立ち上がる。
「わたくし、気分が優れないので失礼するわ」
教会にいる人々は二人のやり取りを聞き、オリビアが自分たちを不当に見下していることを敏感に感じ取った。
ざわざわと小さな声で噂していたが、みんな同じ感情を持ったことを知り安心したせいで、足早に教会を後にするオリビアの背中に遠慮なく文句を投げつけはじめる。
「貴族様は、どーせ、わしらのことなどわかってくれない」
「お高くとまっているねぇ。同じ貴族でもポピィ様とは大違いさ」
「ああ、同じ聖女候補生なのにねぇ」
「えー。ポピィお姉ちゃんが、聖女様のほうがいい!」
その発言は、しっかりオリビアの耳に届いていた。
(なによ、なによ、なによ! あんなみっともない立ち振る舞いしかできない男爵令嬢の方が聖女に相応しいというの。どうして!)
聖女候補生は国中が大注目の話題だった。そして民の前に立つ仕事をしていたのはポピィただ一人だ。
王都の教会へ一目聖女候補生の姿を見ようと人が大勢足を運び、ポピィはひとりひとりに対して丁寧に接していたのだ。
今や王都では聖女候補生といえばポピィだといわれるほどに、彼女の知名度は上がっていた。
「ポピィ様、あんなお高くとまった貴族の令嬢なんぞに負けないでおくれ」
「そうさ。聖女様といえば、この国の憧れみたいなもんだ。民を思いやれない人になってほしくない」
みんなが、ポピィを励まし聖女になるべきだと、そう言った。
「みんな、ありがとう。でも、そういうことは口にしてはいけないわ。それに決めるのはアーサー殿下ですから」
騒ぎを静めるため、ポピィは大きな声でみんなに聞こえるように話をした。
首を少しだけ傾げ手を胸元で組む。同世代にあざといと言われるポーズだ。
けれど、これが異性と年配の人たちに面白いくらいに効果がある。
「さぁ、お薬を配りますから、みんな順番に並んでくださいね!」
遠くの人まで見えるように大きく手を振る姿は貴族令嬢には程遠いが、目の前の彼にとっては好ましく映る。
「まるで、本物の聖女様みたいだ」
だれかがポツリとつぶやいた言葉は、そこにいる人々の心に浸透し、教会の外に出た人々の口を伝って瞬く間に広がっていくのだった。
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聖女候補生の仕事が終わり、誰も居なくなった教会でポピィは一人背伸びをした。
「はぁー。よく働いた」
オリビアが帰ってしまったときはどうなるかと思ったが、ちゃんとその場を収めて一人で仕事を終わらせた。
(あたし、けっこう聖女の仕事が向いているのかな?)
周囲の反応も良い。仕事も順調。なら向いているのだろうと確信する。
「それにオリビア様みたいに、みんなの悩みを軽んじる人が聖女になるのは、あたしも反対だわ」
ノアにも、彼らの悩みを軽んじる扱いを受けていたので、貴族全般がそういう考えなのかもしれない。それは良くないことだと思った。
「国を支えているのは民だもの。彼らのことをちゃんと考えるべきよ。それに――」
ポピィは、教会に飾ってある聖女の像を見上げた。初代聖女は聖王を支え王妃として国を守った、みんなの憧れの存在だ。
「アーサー様だって、他の貴族子息の方々と同じように高貴な立場特有の悩みがあると思うのよね」
先日の花祭は、結局アーサーに出会えなかった。城にはおらず、かといって貴族の花祭の茶会にも顔を出していないのだ。
―― きっと窮屈な茶会が面倒で、どこかにお忍びで息抜きに出かけたのね
ポピィの直感は意外にも当たっていた。全てが面倒だと思ったアーサーは近衛の制服を着て花祭の護衛で時間をつぶしていたのだ。
(あたしの直感は当たるのよね! 行方をくらませて息抜きしている時点で悩みがあるのよ!)
貴族よりも身分の高い王族なら、尚のこと窮屈な思いをしているだろう。
悩みの内容はまったく想像できなかったが、彼の行動がそれを物語っていた。
ポピィでは力にはなれないかもしれないが、聞くことはできる。
話すだけで楽になる悩みはいくらでもある。むしろポピィがいつも聞いてあげる悩みのほとんどが、その類なのだ。
「人は悩みを話して軽くなるだけで、今よりも前に進めるのよ」
そうして、今よりも少しだけ楽になれば、その人の力で歩き出せる。
「決めた! あたし聖女になって民に寄り添う。アーサー殿下の悩みを聞いて心を軽くしてあげたいわ」
目の前にある聖女の像に向かって、高らかに宣言する。こうして男爵令嬢ポピィは聖女を志すことを決めたのだ。