15.約束の花祭(5)
ブックマークありがとうございます!
そして、ここから折り返しになります。
幾重にも重なった円の織りなす生命の花の文様が描かれた卵は、抱えた腕の中でフルフルと動き生きていることを伝えてくれた。
それはエリオットにとって涙が出るほどに愛おしい仕草だ。
「その模様の光が二週間たっても弱まらなかったら効果は持続しますから。あと中の女の子に早く生まれてくるように毎日話しかけてあげてくださいね」
「うん。毎日話しかけるよ。中の……女の子?」
夢見心地の気分が一転、頭をガツンと殴られた気分を味わい目の前がくらくらと回る。
「え、何か問題がありましたか? もしかして生まれてくるまで性別は知りたくなかったですか?」
エリオットの反応にリリィは思わず手で口を覆った。
治療のとき可愛らしい女の子の雰囲気が卵の中に溢れていたから、しっかり妹の印象がついてしまっていた。
「いえ。弟だとばかり思っていたので。そうか妹なのか。生まれる前から逞しいな……」
ここに来るまでに、かなり情けない姿ばかり見せてしまった。
生まれてきて馬鹿にされたらどうしよう。エリオットの悩みは尽きない。
「さて、宴もたけなわですが、そろそろお開きにしようぜ」
銀はたまに不思議な言い回しをするが、『お開きにする』の部分が理解できたのでリリィは頷いた。
「銀に支払いをしないと。ちょっとまってね」
「! ぼ、僕も何かお礼を!」
言いながらエリオットは青くなる。着の身着のまま出てきたので手持ちなどない。
待ってましたとばかりに、すかさず銀がエリオットの腰の帯を手に取った。
「この帯でどうだ?」
それは美しく虹色に光輝く鱗が折り重なった腰の飾り帯だ。
「これは竜の鱗で出来た帯だけど、もしかしてこれで支払いができるのですか?」
「闇市は物々交換が基本だ。他国の貨幣なんかで買い物は出来ないぞ」
そうなのか、とエリオットは驚きつつ手持ちの装飾品で支払いできるならよかったと、腰に巻いてあったスカーフを取り外し、そしてリリィに渡した。
「えっと……」
「おい!」
思っていたのと違う流れに、銀は思わずエリオットに大声をあげる。
「ああ。銀にも差し上げないといけませんね」
そう言って、スカーフを止めていた宝石のついたブローチを渡す。けれど銀は納得できない様子で顔を顰める。狙っていた竜の鱗がどうしても欲しかった。
「なぁ、リリィ。買い物の支払いをその帯でしないか?」
「……いいけど、これで足りる?」
「足りるよ。十分だ! それどころか―― っ!」
銀はあることに気付き両手で頭を抱えもだえ苦しんだ。足りないどころか返すお釣りが足りない。
(いやでも、竜の鱗は欲しい! 絶対に欲しい! どーしてもだ。考えろ俺!)
目の前の二人から支払いをちょろまかすのは簡単だが、村の収支報告はそうはいかない。
竜の鱗なんぞが見つかった日には、どんな目に合うかわかったものではなかった。
(ダメだ。だが欲しい!)
「リリィ! 俺を助けると思ってその竜の鱗の代金分、薬草を買ってくれ!」
「え……えぇぇぇ?!」
「東の国の輸入が止まったから、沢山必要になるだろ! ならいいじゃないか」
「それは、そうかもしれないけど……」
「なら、決まりだ! ちょっとソレ貸してくれ。今から報告して準備してくるから!」
そういうと風のごとく銀は走り去ってしまった。
爆走して去っていく銀を呆然と見送ると、用事の済んだエリオットは帰り支度を始めた。
「リリィ。もし差し支えなければ国と連絡方法を教えていただけませんか。妹が生まれたら、ちゃんとお礼をしたいのです。もちろんダメだったとしても、あなたを恨んだりしませんから」
互いの素性を知らせるのは闇市ではご法度だったが、それを咎める人がここにはいない。
エリオットも闇市のルールはよく知らない様子であり、二週間後にちゃんと会えるようにするなら伝えておく方が賢明だ。
「私はリリィ。聖アウルム王国に住んでいるの。ただ直接会いに来るのはまずいと思うわ」
「いいえ。人の国に行くなら何も問題なくいけます」
「そうなの? なら普段は城に居るわ。王都でもティナム伯爵を訪ねてくれれば会えるはずよ」
リリィが知らないだけでエリオットの種族は人との交流が盛んなのかもしれない。なら、ちゃんと会えるようにと丁寧に素性を話した。
「ありがとう。これで君とまた会えるね。さて。僕はこれで失礼します。黙って出てきてしまったので早く帰らないと大騒ぎになっています」
名残惜しいが仕方ないと、エリオットは別れの挨拶をした。
(私も黙ってきたから帰りたいのに……)
心の中で泣きながらリリィはエリオットに別れを告げた。そうして銀が戻ってくるのをヤキモキしながら待ち続けたのだ。
□□□
ノアはリリィと最後に居た場所を起点に、方々を探して歩いた。
何故かアーサーもついてきていたが、それどころではないので最低限の礼儀を払いながら、とにかく探した。
(エマさんの手紙に絶対に絶対に絶対に、手を離したり一人にしたら危ないと書いてあったのに)
アドバイス通り花祭のあいだ中、ずっとリリィの手を握っていたのに。アーサーを見つけてうっかり離したのが運の尽きだった。
「どこにいったんだよ。リリィ」
「やはり、兵士に伝えて捜索に切り替えるか」
アーサーがしきりに大規模捜索に切り替えようと言ってくれるが、花祭を身内の迷子で混乱させるのは気が引ける。
どうしたものかと悩んで頭を抱えていたそのときだった。
「ノア従兄様、アーサー殿下も! ちょっとお願いしたいことがあるのです」
「リリィ!」
探し人が現れて安心したノアは、リリィを抱きしめてぎゅうぎゅうと締め付ける。
「にいさま……苦しい……うぅ」
「心配したよ! 本当に。どこに行っていたのさ」
聞かれても苦しすぎて返事もできない。バンバンとノアを叩いて抜け出そうと力一杯押してみたが、びくともしなかった。
「ノア、そのままだとリリィが抱きつぶれる」
アーサーがノアの肩を引いてくれたことで、ようやくリリィは解放された。
「ふは! 苦しかった」
「リリィを探しているあいだ、僕は生きた心地がしなかったよ!」
(うう。怒るわよね。でもでも、今はそれよりも、こっちの方が大事だわ)
そのままお説教を始めようとするノアの話を、大きな声で遮った。
「ノア従兄様、今はそれどころではないんです。手伝ってください!」
「もう! 話を逸らすつもりだね」
「後でちゃんと聞きます。反省もします。今は一刻を争うんです!」
そういうと、リリィは少し悩んでアーサーの手を掴んだ。
ノアよりも動いてくれそうな気がしたのだ。
「殿下にとっても、とっても良い知らせですから!」
「そうか。ならとりあえず行ってみよう」
アーサーが行くと言えばノアは従わざるを得ない。リリィの作戦勝ちである。
大通りから中に入る道を通り、少し歩くと簡単に見落としてしまう細い道を横切る。
その先にはひとりのフードをかぶった少年が立っていた。
「お待たせ。人手を連れてきたから。もらい受けるわ!」
「ああ。荷台ごと置いていく。丸ごと渡して丁度だ。あとは好きにしていいからな」
そう言うと、少年はさっさと奥の道に走り去っていった。
「あ、もう!」
「リリィ。今のは?」
「えっと。この荷物を売ってくれた店の人です。それで、これはアーサー殿下に渡したくて買ってきたものです」
馬二頭に引かせる大きさの荷台には、なにやら麻袋が山のように積まれていた。だがしかし引いてきたはずの馬は見当たらない。
どうやってこんな荷台を馬なしでここまで運んだのか、アーサーは先ほどの少年と荷台から答えを出そうとしていた。
「殿下、これ魔症病に必要な薬草です。ツテで手に入ったので、ぜひ使ってください」
リリィは最初に買った紙袋をアーサーに差し出した。渡された中身は、今王都で欠品扱いの薬草がたんまりと入っている。
「……どこで、これを。もしかして荷台も全て薬草か?」
「ええっと。そうですね。沢山詰め込まれたので全部は把握していませんが、紙袋に入っている薬草と同じものもあるだけ積んだと言われました」
「リリィ、一体こんな量をどうやって手に入れたんだ。この短い間にどこに行っていた」
「……」
ノアの詰問にリリィは目を逸らす。薬草に目がくらむかと思ったが、賢い従兄は騙されなかった。
その間にアーサーは一つの答えを出した。
「―― 闇市か?」
アーサーにバレたことでリリィは観念した。
「はい」
「他種族の市場だ。出入りや取り引きは禁止のはずだが」
「はい」
「わかっていて行ったのか?」
「~~。だって」
「だって?」
その声は酷く冷ややかで、逸らした顔を戻せば、無表情でどこか冷たい目をしたアーサーに睨まれていた。
その顔が、その表情が、リリィには理解できなかった。
――どうして、そんなに平気でいられるの?
「だって、王妃様が魔症病だと聞いています」
「それが法を破る理由になると?」
「だって、殿下のお母様ですよね。薬草が手に入るなら嬉しいですよね?」
大事な人が病気なら治療薬は喉から手が出るほど欲しがると思っていた。
なぜこんなやり取りをすることになったのか意味がわからなかった。
「……西の砦で、国から配給される荷が野盗に襲われると、その分の薬草は諦めるしかありませんでした。仕方ないことだと思います。でもその薬で病気と闘っている人には仕方ないで済まないのです。その家族だって。それに既定の量以上に必要なこともありました」
不運が仕方のないことだとしても、その先の人の命まで仕方ないと諦められるものではなかった。
「人の命を失ってまで守るほど、それが重要な法だとは思いません」
リリィは必死で説明した。
「王妃様のご病気が治ることが大事です。患っている人の病気が治ることのほうが大事です。法は人を守るための大切な決まりだと知っていますが、決まりを守ると人が死んでしまうなら、人の命を守ることを選びます」
死んだら禁もルールも関係ない。生きている民がより良く生活を営むために法があるのだ。
「……西の砦には、満足に薬草が回っていなかった、と。それで闇市から仕方なく仕入れて対応していた。そのおかげでツテがあるのか」
「仕入れをしたのは私です。西の砦の人たちは――関わっていません」
少しだけ嘘をついた。みんなリリィが何をしているのか知っていた。知っていて黙って見過ごしてくれたのだ。だってみんなその薬を必要としていたから。
間違っていないと思ったが、法を犯したならどうなるのだろうか。途端に気持ちが沈み、項垂れる。
(私は罰せられるの? 悪いことをしたということになってしまうの?)
「ノアを巻き込まなかったのは失策だ。上手く立ち回らなければ、たとえそれが良い結果を出せたとしても、悪く捉えられ足を掬われる。それこそ無関係の縁者すら巻き込みかねない」
怖いことを言う。ゆっくりと見上げたアーサーの顔は、けれど何やら不敵な笑みを浮かべていた。
「だから、この件は俺と共犯ということにしようか」