13.約束の花祭(3)
西に傾いた太陽の光が顔を照らしリリィは思わず目を細めた。
そこかしこで提灯に火が灯される。祭りのときにしか見かけないそれは、花の蕾の形に似せた骨組みにピンクや水色の色紙が貼られている。中に丸い光が灯ると、いっそう花祭特有の幻想的な風景が浮かびあがる。
「さて、日も暮れるし帰るとしようか」
「え! お祭りはこれからなのに」
ノアの提案にリリィは首を横に振った。日が暮れて満月が出ると店は出し物を替える。例えば昼は子供向けの食べ物やお菓子がだされるが、夜は酒とつまみが振る舞われるのだ。
「リリィは子供だもの。夜は楽しくないだろ?」
「勝手に決めないでよ。夜のものも見たいわ。えーっと、えーっと。ほら掘り出し物の薬草とか茶葉とか」
昼間は子連れに遠慮して店に並ばないレアアイテムが、夕方になると一点モノや数量限定の品が一斉に店先に置かれる。
「リリィ。薬草も茶葉も花祭以外で買えるよ」
「お祭り価格になるもの。お祭りで買う方がいいわ」
「今日もこの次も僕が買うから、お金は気にしなくていいよ」
ぐぬぅと思わず呻いてしまう。ノアは口が上手くリリィは正攻法で勝てない。
だがしかし、あと少しで満月が出る。そうしたらリリィはある店に顔を出したいのだ。
(どうしよう。どうしよう。何とかしなくちゃ!)
このままでは、ノアに手を引きずられて家に連れ帰られてしまう。
その時ふわりと濃い花の香が鼻をくすぐった。見ればいつのまにか月も出ているではないか。
空間の歪みをいつものように見つけたリリィは、さらに焦って周りをきょろきょろと見まわした。そして、いるはずのない人物を見つけてしまう。
「あれ、アーサー殿下?」
「そんな嘘に僕は騙されな―― って、ええ?!」
少し離れた場所に、近衛の服を着たアーサーが歩いていたのだ。
(で、出かけるなら行ってくださいよ! しかも誰も付き添っていないのか!)
昨日言い淀んだ理由がこれだったかと、ノアは打ちひしがれた。そして慌ててアーサー確保に乗り出したのだ。
「あ、で、ええっと。すみません」
往来で、殿下ともアーサー様とも呼べず、勢い余ってアーサーの肩を掴めば、彼は少しだけ驚いた顔をした。
「ノアか。祭りは楽しめているか?」
「そうですねぇ。ですが、今はあなたの事が気になります。一体ここで何を?」
「少し見回りだ。近衛の格好をしているから問題ない。アーサーと呼んでくれ」
アーサーの名前は珍しくないので敬称をつけなければ身分はバレないだろう。けれど、問題はそれじゃない。
「なら遠慮なく。アーサー、一人で出歩くとはこれいかに?」
「ノアはリリィと出かける予定が入っていただろう?」
「言ってくれたらずらしましたよ。僕のせいみたいに言わないでください!」
これがバレたら怒られるのは間違いなくノアであり、しかも現在前任者のディランが城に戻ってきているのだ。非常にまずい。
「なら、今から一緒に回ろう。それで問題ないはずだ」
「僕、私服なのに……。まぁ、いないよりましか」
無理やり納得したノアは、けれどやはり早いところアーサーを城に送り返し、リリィを連れて帰ろうと決めた。
「ところで、リリィはどこだ? 一緒じゃないのか?」
「え、さっきまで横に―― って、いない?!」
周囲にも少し離れた場所にもリリィは見当たらなかった。
当の本人はといえば、ノアが駆け出した瞬間にこれ幸いと自分の行きたかった店に向かって猛ダッシュしたのだった。
□□□
進むほど、むせかえるような花の香りが鼻腔を通り抜け、目に染みた。
視界がぼやけ見え辛くなるが、次の瞬間には開けた場所に出る。
花の香りも薄らぎ視界も良好。いつも通りの手順でリリィは馴染みの場所へとたどり着いた。
ショルダーからフード付きの上着を取り出し羽織ると、少し先に見える人の行き交う場所へと足を向ける。
王都の花祭とは打って変わって色味のない店が道の両脇を埋め尽くす。行きかう人々はフードを深く被り店先からも掛け声は無い。
遠くで音楽が流れているが、これはお囃子といって空間を保たせるために始終鳴っているのだそうだ。
(早めに済ませないと。ノア従兄様が大騒ぎしてしまうわ)
ノアが慌てて探し回っている間に、用事を済ませ戻ったら怒られて謝って終了。
という筋書きでリリィは強行突破する気満々だ。
都合よくアーサーがいてくれたおかげで、ノアを撒くことに成功した。暫くは時間も稼いでくれるだろう。そんなことを考えながら歩き続け、探していた店を見つけると早速店先に足を踏み入れる。
すでに店の商品は空のものが目立ち、そのせいか客足は途切れている。
店の少年の前に立つと、リリィは自分の髪を一房持ち上げた。
「リリィ。遅いよ。もう品物が大分売れたあとだぞ」
久しぶりに聞いた銀の声に、リリィは深く被ったフードをとる
「ごめんね。ちょっと予定が狂っちゃって。何が残ってる?」
闇市での会話はご法度だが、銀とリリィは顔なじみだ。互いが認識を取れたあとは毎回小さな声で目立たないように会話をしていた。
「今日は、やけに小奇麗な格好だな。別人みたいだ」
前回二人が会ったのは雪祭の時で、そこから数か月でリリィの人生は様変わりしたのだと思い知る。
「うん。いろいろあったのよ」
「明日以降の商品を取りに戻れば出せるからさ。欲しいのを一通り教えてくれ」
「わかったわ。なら――」
リリィは予定していた品を伝えた。銀は話を聞き終えると、ちょっと在庫を取りに行ってくると言って店を閉めて出かけて行った。
銀が戻るまでのあいだ、人目につかないよう店の奥の方まで移動する。
するとそこに人影があり、驚いて飛びのく。
「あ、先客の方がいたのね。失礼しました」
思わず声を掛けてから、しまったと口に手を当てる。銀の店にいるということは彼の客であり、リリィは面識が無いので話しかけてはいけないのだ。
「いえ。少し休ませてもらっているだけですから」
リリィは思わず首を傾げて、相手を食い入るように見つめた。
(ルールを知らないのかしら。しかも私と同い年くらいの男の子だわ)
興味は湧いたが相手は俯いたまま沈んでいる様子だったので、少し離れたところに腰を下ろし銀の帰りを待った。
「お待たせ!」
すぐに戻ってきた銀は、リリィの頼んだ薬草を詰めた麻袋を渡してきた。
頼んだのは、新商品の中から気になるもの数点、苦みの少ない滋養強壮に効く薬草数種類、そして、魔症病に必要な薬草一式だった。
聖アウルム王国の王都では売り切れのそれらが、闇市では未だに流通していた。
「しかし、今回は魔症病の特効薬セットが飛ぶように売れるな。リリィも母さんが魔症病にかかったのか?」
「東の大陸で戦争が始まるみたいで輸入が止まったのよ。聖アウルム王国と西の大陸の人が買い付けに来ているのかもね」
「おお。それなら次に畑に蒔く種の種類を調整しとかないと。しばらくこの薬草が売れそうだな」
銀は今後の畑に蒔く種を変えることにした。売れないものを作れば仲間にどやされるのでその情報は非常にありがたい。
「他には、何か売れそうな薬草がわかったりしないか?」
「どうだろう。戦争が長引けば薬草全般が高騰するんじゃないかな。ウチと西の大陸は東の大陸の薬草に頼っている部分が多いから。東の大陸でしか育たないものと。あと怪我とかよく流行る病気に使う薬は底をつきやすいかもね」
「なるほどな。ありがとう、リリィ」
有益な情報を手に入れ、銀は内心ほくほくだ。闇市では客と会話をしないから中々外部の情報を得ることがない。他の仲間は知る機会が無いので、出し抜いて次回の祭りでも大儲けしようと計画を練る。
「あの、あなたは魔症病に詳しいのですか?」
それまで奥でうずくまっていた少年が、気付けばリリィと銀のすぐ後ろまで移動していた。大事そうに抱えた荷物をリリィの前に差し出してくる。
「ちょっとこいつの相談にも乗ってやってくんないかな」
律儀で借りを作りたがらない銀からの珍しい申し出だった。
けれどその申し出を断りたかった。さっさと対価を払って戻らないとノアが騒ぎ出しそうで不安だったからだ。
「悪い。ちょっとでいいからさ」
銀が両手を拝むように合わせてきたせいで断れなくなってしまい、リリィは店の奥に移動し彼の相談に乗ることにした。