12.約束の花祭(2)
空高く雲を突き破る剣山が連なるプラータ山脈の中腹、山にぽっかりと空いている洞窟に足を踏み入れ地底深くまで歩けば、竜人族の住む国に続いていると云われていた。
一度入れば二度と朝日は拝めないとも伝えられ、人と竜人族の住処は同じ大陸でも一線を越えることは死を意味した。
竜人族だけでなく種族同士は互いに関わることを避けるのが暗黙の了解とされていた。
このルールを忘れないために、人の住む国では禁を設けている場合もある。
洞窟奥深くにある地下帝国ジルバは昼夜問わず陽の光が当たらない。
定刻になるとあちこちに建てられた巨大な灯火台に点火し活動を始め、終わりとともに炎は消された。
消えれば暗闇が訪れるが岩に含まれる蛍石が瞬きはじめ、まるで満天の星がそこにあるかのような様変わりをみせた。
年中雪に埋もれた山で暮らす竜人族にとって外界とは、用事がない限り踏み出すことはない。
もっとも地底深く活動するマグマの温熱と灯火台の炎で調整された快適な気候に、天候の影響を受けない地底での平和な暮らしでは、外に出る用事などまずなかった。
一年ほど前、この国の王家は新たな命を授かる幸運に恵まれた。
竜人族はその寿命が人の何倍も長いせいか、中々新たな命を授かる機会がない。
貴族でも平民でも卵が産まれたとなれば、昼夜を問わず親族でお祭り騒ぎとなるのが通例だ。
それが王族ともなれば、国を挙げてのお祝いとなった。
しかし卵が孵る時期が差し迫った現在、ジルバの国はひっそりと静まり返り、誰もが悲しみに暮れている。
少し前から、王妃と生まれてきた卵の両方に魔症病の症状があらわれたのだ。
人の国ではありふれた病だが、竜人族では稀な病気であり治療法もわからなかった。
ただ幸運なことに、どこの世にも奇人変人は存在するもので、外界と関わる偏屈な竜人族の老人が、外の世界でなら治療法のある病気だと知っていた。
藁にもすがる思いで何人もの伝手を辿り外界に住む獣人との接触に成功した。
彼らは薬草を提供し、王妃の魔症病は日々改善していった。
けれど、喜びは半分だけ。
「残念ながら薬草の類は経口摂取です。飲まねばなりませんので、卵に与える術はありません」
招き入れた獣人は十分な量の薬草を提供してくれた。けれど新たな命を救う術は持っていないといった。
そんな獣人に王は喰ってかかり、家臣は刃を向けて脅しにかかる。その時だった。
「仕方ありません。あの子はそういう天命だったのでしょう。私の命の恩人に失礼なことがあれば、お分かりですね?」
王だけでなく家臣、国民全員が向けた敵意を王妃は一蹴した。
王妃が助かったことでさえジルバ国では奇跡なのだ。恩人に感謝こそすれ恨むのは筋違いだった。
身の危険を感じた獣人は、話が変わらぬうちにとジルバ国を早々に立ち去った。
その一連を見ながら、一人拳を握りしめる少年がいた。ジルバ国第一王子のエリオット・ジルバである。
エリオットは自分の兄弟が生まれるのを、ずっと楽しみにしていた。母が助かったなら何か方法はあるはずに違いないと思った。
それなのに手掛かりとなる獣人を返し、卵が天にかえるのは仕方のないことだと言った母親の言葉に激怒したのだ。
「母上は、薄情だ」
頭に来たエリオットは単身王妃の部屋へと向かった。けれどそこに王妃の姿は無く、さんざん探し回って見つけたのは王家の墓だった。王妃は時間の許す限り王家の墓で跪き祈りを捧げていた。
聞こえてきたのは、自分の至らなさ、謝罪、懺悔。己は助かり子が死ぬことへの無力さだった。
「どうか、どうかあの子をお救いください。何か方法をお授けください」
エリオットだって、ずっと生まれてくるのを楽しみにしていたのだ。それは母だって同じだった。生んだ母だからこそ、そんな風にしか産めなかった自責の念に苛まれているのだと知った。
――どうして平気だと思えたんだ
一番苦しいに決まっているのだ。きっと獣人に掴みかかった王よりも家臣よりも国民よりも、母が一番苦しんでいるのだ。
自分も周囲も、そんな王妃に配慮できなかったばっかりに、母本人に『仕方ない』と言わせてしまった。
誰かが止めなければ、恩人を虐げてしまうところだったのだ。
「薄情なのは、僕達だ」
結局、何を言っていいか分からずエリオットはその場を離れた。
気づけば、城の奥にあるベビールームで卵を抱いてあやしていた。
卵は生まれた当初は艶のある乳白色だったのに、今は半分ほどいびつな形となり灰色に変色している。
「何にもできない。役に立たないお兄ちゃんで、ごめんね」
自分は何をしただろうか。天に願い、招かれた獣人にすがり、母を助けてくれた恩人を恨んだ。
最後には諦めた母親に怒り責めようとした。
助けたいと思うだけで、なにも行動できていない。最初からエリオットは無知で無力で、役に立てなかった。
湧き上がる怒りは己に向けるべきものだ。もっと自分で動いて探して、そうしたら、きっと――
「仕方ないって、母上みたいに――」
その先の言葉は嗚咽で途切れた。仕方ないと思えるわけがないのだ。ただ悲しかった。生まれてくる命が奪われる。何もできない自分が情けない。
その時、腕の中の卵が少しだけ動いた。まるでエリオットを励すかのように。
「お前は、まだ生きているのに」
そう、生きているのだ。
まだエリオットの手の中にいる卵は諦めていない。生きている。
「今日は、確か花の暦の満月の日だ。空間がゆがみ繋がるときだね。もう一度、あの恩人の元に行ってみようか」
方法は無いと言われていたけれど、『仕方ない』とこの卵に向かって言いたくなかった。
命が尽きるその時まで寄り添って足掻いて何とかしてあげたい。
「だって、お前は諦めてないからね」
ベビーベッドに敷いてあったシーツを剥がすと卵を優しく包み込んだ。
しっかりと抱きかかえるとエリオットは闇夜に紛れてその姿をくらました。
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夜空にひときわ大きな満月が輝いている。
花の香りがそこかしこに漂い、遠くで祭囃子が聞こえてくる。雑然と並ぶ屋台や茣蓙を敷いただけの店が並び、彼らは開店準備に精を出す。
麻袋を荷台いっぱいに積んだ荷車を引いていた少年は、自分が商売する店の前に辿り着くと、その背丈ほどもある荷を抱きかかえ、せっせと運び入れる。
今日は年に五回あるかきいれ時だ。それが多いのか少ないのか知らないが、慣れた商売なので今回もたんまり稼ごうと気負った。
全てを運び終えると深く被ったフードを脱いで額の汗をぬぐう。
その頭にはピンと立った二つの耳が音を拾おうと忙しなく動き、長い羽織の裾からは、時折しっぽが見え隠れする。
少年の目の前を行き交う人々も一見姿が分からないよう、頭からフードを被っているものが多い。
その中の一人が店の前に立ち止まる。無言のまま、とある麻袋を指さし反対の手で拳大の水晶を差し出した。
少年は大きさの違う袋の中から一枚を選ぶと、客の目の前に突き出した。客が頷いたので少年は袋いっぱいに薬草を詰め、口を麻ひもでしっかりと縛る。客へ手渡すと同時に水晶を受け取った。
取り引きは成立し、用事の済んだ客は立ち去る。
少年も客とは一度も目を合わさず、受け取った対価は腰に下げた袋に入れた。
ここは、欲しい品を貪欲に求める者たちが時空の歪みを使って訪れる闇市。そこかしこを歩くのは獣人、鬼人、人間など実に様々だ。
少年はノグレー樹海のとある村に住んでおり、名を銀といった。
普段は樹海で薬草を育て時期が来ると収穫をし、村人総出で闇市に店を出す。
そうやって村全体が家族のように結束して暮らしている。
銀は齢十三歳にして店を一人で任されるほど腕を磨いていた。扱う品は大人に比べて少ないが、それでも自分と同い年の連中は大人の手伝いをして店に出ているので、一人任されたことがとても誇らしかった。
「ちゃんと、あいつが欲しがりそうな薬草をそろえたからな。早く来ないかな」
彼には祭りのたびに会いに来る少女がいた。同い年の彼女はいつも対価に特別なものをくれるので、銀はとても心待ちにしている。
客が次々に訪れ、銀の運び込んだ薬草は瞬く間に売れていく。
用意した麻袋の底が見えかけると銀は店を閉めて追加の商品をとりに走った。
いない間に待ち人が来てしまっては堪らない。
そうして補充を終えてまた店を開けたが、待ち人はやってくる気配がなかったのだった。