11.約束の花祭(1)
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王太子の執務室前まで来ると、ディランは懐中時計を取り出し時間を確認する。
午後の始業までには少しだけ早い。
しばらくドアの前で時間をつぶしていると、廊下の端から見知った顔の男が現れた。
男はディランに気付きすこし早足で駆け寄り声をかける。
「お久しぶりです。ディラン様」
「久しいな、ノア。殿下の側近はどうだ。だいぶ慣れはしたか?」
久々に会うノアは、ふわりと柔らかく微笑み誰からも警戒されない笑顔を作る。
「はい。誠心誠意仕えさせていただいております。ディラン様に声が掛からないよう努力していますよ」
「そうしてもらわねば。私の後釜なのだからな」
ディランがアーサーの側仕えを辞めるとき後任を選ぶのにひと悶着あった。
選んだ側仕えは早くて三日、長くても一週間でアーサーが首を言い渡してしまうのだ。
ディランが推薦した者も軒並み首になり困っていたところ、なんとアーサー本人がノアを側仕えに据えたのだ。
正直、当てがあるなら初めからそうしてほしかったとディランは苦々しく思ったものだ。
ただし、それはアーサーに限ったことではなくアウルム王家の血を引くものは、みな人を選り好みする。
しかも理由はわからずじまいなので、対策の立てようがない。
「東の砦より戻ったので殿下に挨拶したいと思ったのだが、執務室にいるのだろうか」
「ええ。昼食後はこちらで休憩しているはずです」
ノアは扉をノックすると、返事を確認しドアを開けた。
「殿下。ディラン様が東の砦よりお戻りになられました。ご挨拶にいらっしゃったそうです」
「ディランか。久しいな」
「殿下、ただいま戻りました」
「で、何の用事だ。ディラン」
三歳年下の幼馴染であるアーサーは表情があまり変わらない。
久方ぶりの再会だが、まるで昨日振りかのような言い草に相変わらずだと苦笑した。
「挨拶に来ただけです。東の砦が落ち着いたので戻れるようになりました。以降は月一で往復すれば問題ありません。詳細はおって書類で提出します」
「わかった」
「妹のオリビアが、聖女候補生として仕えていると聞きました。張り切っていたので空回りするかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
「ああ。よく務めを果たしてくれている」
「それとこれを。花祭の茶会を今年も開きますので都合が合えば我が家に遊びにいらしてください」
大貴族は屋敷で開催する茶会で花祭を祝う。アーサーは同じような招待状をもう何通も受け取っていた。
このような祭りにちなんだお茶会は、王妃が主体で対応しているのだが、今年は何故かアーサーに直接大量の招待状が届いていた。
「そこに置いておいてくれ」
会話があまり続かないのもアーサーの日常だ。無駄なことを省き為すべきことを成す男なので、ディランの中の評価は高い。だがこういった場面では、少しくらい雑談する余裕を持ってほしいものだと思う。
「ディラン様、お茶はいかがでしょうか」
「ああ、頂こう」
アーサーが人を置かないため側仕えは何でもこなすはめになる。ディラン同様にノアも器用に立ち回っているようだった。
ノアは持ち帰った書類と紙袋を机に置くと、アーサーとディランにお茶を淹れた。
「ノア、書類も袋もこちらに」
アーサーは、ディランを気にも留めず仕事に手を伸ばした。
書類を眺めながら紙袋を空けて、飴を一つ取り出し口に入れると、無心に書類に目を通している。ガリガリと執務室中に飴をかみ砕く音が響いた。そのまま書類を捲りながら次の飴に手が伸びる。
「殿下、失礼ですが、何を食べていらっしゃるのですか?」
「飴だが」
「どこから仕入れたものを口にされているのですか?」
ノアが持ち込んだものなので毒見は済んでいるのだろうが、その見た目がみすぼらしい。
思わず詰問すれば、アーサーは問いに答えず目を逸らす。
「飴ごときが、やましいのですか?」
「個人的に取り寄せているものだ。やましいものではない」
そう言いながら二つ目を食べ始めている。
「ノア、これはどういった経緯で手に入れたものだ? ちゃんと王室御用達の店から正式な経路で手に入ったものであろうな」
「えーと。申し上げにくいのですが、個人が手作りしているものを分けてもらっていますね」
その回答に、ディランの眉間に盛大に皺が寄る。
「そんなものを。そもそも昼食を食べてすぐ間食する奴があるか! よこせ。処分してやる」
取り上げようと手を伸ばすと、アーサーはすかさず後ろ手に飴の入った袋を隠す。
「ディラン。用が済んだなら自分の仕事に戻れ。俺は忙しい。お前だって忙しいだろ」
「王太子が変なものを口にしているのを見過ごす馬鹿がいるか」
「変なモノじゃない。ちゃんと叔父上の成分解析もすんでいる。好んで食べているものだ」
「~~毒ではないのだな?」
大事なことだけもう一度確認した。多分、いや絶対に渡さないのは長年の付き合いのせいで分かってしまう。
「ああ。ただの飴ちゃんだ」
「飴、ちゃん?」
どこの受け売りなのだと問い詰めたい衝動を堪え、ディランは席を立つ。
「殿下、私は失礼します。聖アウルム王国に祝福を」
礼をとり、ディランは執務室から立ち去った。
事の成り行きを黙って見ていたノアは、気になって少しだけアーサーに探りを入れる。
「殿下、リリィの飴ちゃん、美味しいですか?」
ノアも舐めたことはあるが薬草の味が混じるので好んで食べようと思わない。王都に売っている純粋な飴の方が何倍も美味しいと思っていた。
「ああ、甘い味がする」
一応王太子なので舌は肥えているはずである。アーサーにとっては好みに合う味なのだろうか、とノアは首を傾げた。
「ノア、明日の休息日は何か予定があるか?」
「明日はリリィを連れて花祭へ出かける予定です。何か仕事でも入りそうですか?」
「いや」
「……」
花祭は五日ほど続くため、仕事だと言ってもらえればリリィに訳を話して別の日にずらしてもらうのだが、アーサーが迷っているようなので答えを待った。
「ノアはリリィとどういう関係だ?」
「リリィは、父の姉の娘なので従妹ですね」
互いに見つめ合う。自分の仕える王太子は何かにつけて意図が読みづらい。
今も何を気にしたのかノアにはさっぱりわからなかった。ちなみにリリィが従妹だということはアーサーだって知っている。
「いや、何でもない。楽しんできてくれ」
会話が終わりアーサーは書類作業に戻ってしまう。そして三つ目の飴に手を伸ばしたのだった。
□□□
――花祭は、花の季節、満月の日から五日間かけて行われる、春の芽吹きに感謝し花の美しさを称える祝祭だ。
王都中が夜遅くまで店を開け広場や空き地には露店が立ち並ぶ。
花祭しか出ない店は山ほどあり、聖アウルム王国に国内外から観光客が押し寄せる大きな祭りの一つだ。
リリィは部屋の姿見の前で自分の服装を入念にチェックする。
初めて袖を通したワンピースは、アダムとエマに王都で買ってもらったクリーム色に小さな花がちりばめられた春らしいものだった。
普段三角巾をしている頭は編み込みのハーフアップでまとめ、ノアからプレゼントされた髪飾りを着けてある。足元は歩きやすいようにローヒールのショートブーツで、可愛らしく仕上がっていた。
そして、とある人物に渡すために用意した大量の品をショルダーバッグに詰め込んだ。
「きっと、ノア従兄様なら、説明すれば柔軟に対応してくれるわよね」
花が色濃く香る春の満月の夜。祭を楽しむのはなにも人間だけではないのだ。再会にこぎつけるためリリィは気合を入れた。
一方そのころ、城では花祭にアーサーを誘おうと事前連絡なしにポピィが突撃をかましていた。
何度も手紙を出したのだが、全て断りの返事が返ってきたので、仕方なく直接誘いに来たのだった。
ポピィは侍女に取り次ぎを頼んだが、アーサーはすでに出かけた後らしく不在だった。
「アーサー殿下は、朝から外出しております。お戻りの時間もわかりません」
「そんなぁ」
がっくりと肩を落としたポピィだが彼女はしぶとかった。
花祭を祝うお茶会を、王都で開催している貴族はそう多くはない。
しかもポピィは仲よくしている子息の何人かから招待されていた。前日まで行けるか分からないと返事を濁した彼女に、誰もが当日でも来れそうならぜひ来てほしいと言ってくれていたのだ。
「全部回れば、アーサー様に会える可能性があるわよね!」
もちろん招かれていないお茶会もあるが、それなら参加したお茶会で連れて行って貰える人を見つけてお願いすればいいだけだ。
ポピィは元気を取り戻すと足早にその場を去っていった。