8.聖女の仕事(3)
山積みにされた本にうっかり手が触れ、瞬間バサバサと床に崩れ落ちていく。
「まいったな」
惨状を確認すると、大切なはずの書籍が床に散らばっている。
ダニエルの執務室は壁の二方向に本棚が造りつけられているが、その本棚からはとうの昔に本が溢れ床に山積みとなり、そして机の上を占領した。このような本の雪崩は日常的に発生し、普段なら落ちた本など気にしない。
自分以外立ち入らない部屋など汚れても誰も困らないからだ。
けれど最近は少々事情が変わった。せめて動線を塞いだ本だけでも片づけようと席を立つ。
そして片付けている最中にノックがあり、返事をすると扉を開けてリリィが顔を覗かせた。
「失礼します。ダニエル様」
「いらっしゃい。ちょーっと待ってね」
慌てて本を乱暴にひろうと、リリィが手伝いますと荷物を机に置いてから駆け寄ってくる。その間にダニエルは本をひろうが、手の中でひしゃげて重なる本を見てリリィは絶叫した。
「本は高価ですから大切に扱わないと!」
「あー。うん。そうだね」
読めて情報さえ吸収出来れば、本体が多少歪むことに抵抗のないダニエルは手元の本を抱えなおす。
そうして空いている場所に積み上げていくと、あら不思議。散らかった場所が右から左へと移動しただけだった。
すでに見慣れたその光景は気にも留めず、リリィは崩れた本と、それ以外の場所も片づけ始める。
三十分ほど経つと部屋は二人で作業できるほどの広さを確保できた。
「私、これから毎日ダニエル様と打ち合わせを始める前に、この部屋の片づけをします。許可を頂けますか?」
「うん。なんだか、ごめんね」
毎日部屋に来て三十分ほど掃除をしてから仕事を始めているので今更だったが、これで正式にダニエルの部屋の片付けもリリィの仕事に追加された。
(聖女候補生の仕事ではないけど、仕方ないわね)
「今、隣の部屋を書庫に作り替えて貰っているから。本をそちらに移せば散らからないはずだ」
「なら、引っ越しするときはお手伝いしますね! ぜひ声を掛けてください」
「ありがとう。来週あたりに頼むと思う。アーサーやノア君にもお願いしようかなぁ」
王太子やその側近がすることではない。けれどダニエルは気に入った人しか頼らないので彼らに声が掛かるのは間違いなかった。
「そういえば、解呪の作業は順調かな?」
リリィが通報されてから一週間ほどたっていた。
あの後、隣の倉庫全体に魔法陣を施して中で解呪する方法を思いついた。上昇した不浄の霧は、毎日倉庫の天井にあたって昇華されている。
「とても順調です! 私の作業は武器と防具を運んで呪いを解除するだけですから、とても楽になりました」
二つの魔法を一度にかけるより一つの魔法を繰り返す方が楽だ。おかげで作業自体はサクサクと進んでいた。ただ量がたくさんあるので、まだまだ終わりは見えていないが。
(説明を受けたときは光魔法が必要な仕事で聖女っぽいと思ったけど、なんだか単純な作業なのよね)
はっきりいって薄暗い倉庫の中での仕分け作業は地味であり、聖女の華やかなイメージからほど遠かった。
リリィはその地味な作業を午前中一人でこなすと、ノアと昼食を共にし、午後にはダニエルの仕事を手伝うために彼の執務室へ移動する。
ダニエルの肩書は考古学研究者であり、聖アウルム王国の成り立ちをひもとき、乱雑に保管された記録や法律の整備をし、無秩序で無効とされる法律や管理体制の改正案の作成などをしている。
「まぁ、私は研究さえできれば何でもいいからね。ただ好きなことを研究するだけでは仕事として成立しない。その内容を生かして国に貢献しないといけなくてね」
「やりたいことだけでは、仕事にならないのですね」
「そうだね。他者が認める成果を出して貢献が認められないと仕事と認知してもらえないね。根拠を揃えて提案書を作るけど、これが中々通らなくてね」
ダニエルが手に取ったレポートは、聖アウルム王国の魔法による防衛策の再検討案だ。
調べによると地下には広大な浄化効果を持つ資源が眠っており、すでに建国時よりこの土地は不浄なものから守られている。であれば、二百年ほど前に、今となっては作るに至った理由や当時の背景が行方不明となっている守護壁の存在は不要なため、取り払っても問題ないという内容だった。
王都は兵士による見張りだけで十分効果があり、貴重な光魔法士を軍の救護部隊へあてるというのが、ダニエルの考えだ。
「ちょうど和平条約が破棄されたことで東の砦の防衛を手厚くする必要が出ている。かといって西の砦と王都の防衛を減らせる理由もない。これから徴兵もするだろうけど、その兵士や騎士の育成だって時間が掛かる。なら減らせるところから人員を融通する案を考えるしかない。その案の一つがこれさ。魔法を使える人口も減少傾向にあるから、魔法に依存する仕事は別の方法に替えていくのも実に堅実的な発想さ」
だんだんとダニエルの顔が険しくなっていく。
「けど、この考え方がそもそも分からない奴が多いこと、多いこと」
とかく人は、『無くす』『止める』といったことに難色を示す。
大多数は現状維持を支持しているので、ダニエルの検討案は難癖のような理由をつけられ却下され続けていた。
「取り払った後で、何かあったらどう責任をとるつもりだ! て、そればっかり。作った経緯も不明だし作る前も後も不浄なモノからの侵略はない。そりゃそうだ。そもそも地下から浄化の効果がでているからね。王都で解呪すると不浄なモノが地上に落ちず、逃げるために上昇していたからね!」
途中からヒートアップしたダニエルの話をリリィは黙って聞いた。
何かの拍子にこの話題が始まるので、実はもう何度もこうして聞いている。
「しーかーも。解呪した不浄の霧が、守護壁に阻まれて、王都の上空に溜まっている! 二百年分もね。馬鹿らしい話だよ」
上空に漂うものの正体が解明され、王都は爆弾を抱え込んでいることがわかった。
「確かに漂うだけで悪さはしていない。ただし溜まる一方なら解消する方法が必要だ。守護壁を残すならその浄化という維持費が追加でかかるということだ」
意味を成さないものの維持費がさらにかさむことに、ダニエルは腹が立った。
もう不要だからと撤廃してしまいたい。
「取り払うにしても溜まったものを消し去ることが必要ですよね。そのやり方を検討する話でしたよね」
「そうそう。それで、そのやり方だけどね。リリィの扱う陣が転用できないかなと思って昨日から資料をかき集めてみたよ」
いつの間にかダニエルの機嫌はおさまり、机に資料を広げられ説明が始まる。
その自由な振舞いにも慣れたもので、リリィはダニエルの指示に従い作業をはじめた。
資料は陣の原型になったとされる神聖図形だ。
「基本は円、楕円、直線や三角形、四角形、六角形が使われていて、凄く複雑なものもあるから、それぞれ試してみようと思う」
リリィは陣の成り立ちなど知らなかったので、ダニエルが陣の基本的な考え方や知識を交えて解決案を説明してくれる。それは、今まで触れることのなかった知識であり、リリィを夢中にさせた。
「私が使う六芒星は癒しや魔よけの図形だったのですね。浄化以外には、どのように使うのですか?」
「小さいものだとお守りに陣を施して、防御魔法や回復魔法なんかを流し込んで持ち歩いたって注釈がある」
「そんな使い方もあったなんて、思いつかなかったわ」
リリィの知っている魔法は、誰かに教えられたとおりに使うだけだ。範囲を広くしたり狭くしたり、力を加減することはあっても、使い方を変える発想は無かった。
「魔法はね、日々失われてもいるし進化もしている。属性の特性を知り、使い方の起源を知れば有効的に使えるはずだよ」
つまり、魔法は編み出すことが可能だということだ。
リリィにとってそれは無限の可能性を秘めた奇跡のような話に聞こえた。
「これは簡単なことではないよ。効果の少ない陣と組み合わせても発動はする。逆に効果が高すぎても困る場合もあるだろう。何故この図形を使った魔法陣なのかということを知るだけでも結構な時間がかかる。新しい使い方を編み出すには、これらのことを知って膨大な知識を吸収してからでないと難しいよ」
「そうですね。そう感じました」
現実は厳しそうだが、それを知ってなおワクワクした感情が胸いっぱいに広がっていた。
「私、勉強してみたいです。どこで学べるのですか?」
「そう? 興味があるなら、まずは王都の学校に通うのをお勧めするね。基本的なことから職業に準じたコースまで選べたはずだよ。十五歳から入学可能だ」
「学校……。十五歳……」
何もなければ十五歳になるのを心待ちにしたが、リリィには東の砦に行くという崇高な目標があるので悩ましかった。
「さて、そのあたりの知識は私が調べて案を出すから、リリィはそれを実行する係だ。今日はこの図形を試してほしい」
出されたのは円がいくつもつながった生命の果実と呼ばれる図案だった。
「浄化に特化したものは、この図案の上位互換だけど複雑でね。小さいものならそちらを使うけど王都全体を覆う守護壁全体に描こうと思うと、ちょっと現実的じゃない気がするよ」
そう言って出されたものは、確かに三角形や六芒星や円が複雑に描かれていて難しそうだった。
「これを試したら、生命を模った図形を一通り試そうと思う。他にもいくつかあるからね」
ダニエルの指示に従いリリィは、空中にある守護壁に描くことを想定して陣を宙に描いていく。描き終わった陣に浄化魔法を流し込むと図形が光を放ち美しい文様が浮かび上がった。
「よし、だいぶ形になってきたかな」
「そうですね。浄化だけならこの方法で出来そうです」
陣の候補が出そろったら、縮小版のミニチュア王都に守護壁をつくり、天井に不浄の霧を用意して、それらを昇華する想定試験を進めていく。
これを繰り返して陣に使う模様が決まったので、リリィとダニエルの仕事は終わりとなるはずだった――
「実は他にも研究しているものがあってね。ノア君には私から話を通すから引き続き働いてくれないかな」
ダニエルにすっかり気に入られたリリィは延長を申し込まれた。
リリィは、少し逡巡したが、未だ東の砦に行ける算段は無く、しばらくは聖女候補生として仕事を続けるため、断る理由が見つけられなかった。
それに今まで使ったことのない光魔法を学ぶ機会に恵まれた職場は、非常に魅力的である。
「ノア従兄様の許可が頂ければ問題ないと思います」
「わかった。許可をもらっておくよ」
その足でダニエルはアーサーの執務室に突撃し、サクッとノアから許可を勝ち取ったのだった。