7.聖女の仕事(2)
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フワフワとゆっくり上昇していく不浄の霧に慌てて浄化魔法を投げつけて、無事に昇華できた。
けれど効率よく解呪するためには工夫が必要だ。
今回は解呪する量が多いので非効率な方法でローラー作戦を始めるより、少し時間が掛かってもやり方を整理した方が、後々の結果が大きく変わる。
リリィは少し考えると浄化用の魔法陣を頭上に描いた。
その姿は傍から見れば異様である。
けれど本人はいたって真剣だったため、周囲の目線や動揺にはまったく気づかない。あれこれ悩んで試行錯誤を続けていると、ダニエルが現れた。
「こんにちは。リリィ」
「こんにちは。ダニエル様。今日はどうしてこちらへ?」
「リリィが怪しい行動をしていると報告があったから、見に来たよ」
「ひぇ!」
聖女候補生なので危害はないだろうが、如何せん行動が怪しい。通りがかった兵士が念のためと管理者に報告を入れたのだ。そして報告を受けたダニエルは面白そうなので自分から足を運んだ。
「それはご迷惑をお掛けしてすみません。ですが必要なことでして。どうか許可を頂けないでしょうか?」
「うん。まずは、その宙に浮いているものの説明をお願いしたいな。それは陣かな?」
ダニエルの視線はリリィの頭上に展開した陣に注がれている。
「こちらは浄化魔法を施した魔法陣です。この呪いの武器や防具を解呪するために使用します」
「やはり魔法陣! 実物を見るのは久しぶりだな。普通は地面や布に描くよね。どうして頭上に展開を?」
「今から説明します。こちらをご覧ください」
リリィは倉庫から呪われた剣を取り出すと解除の魔法をかけた。
先ほどと同じように剣から切り離された呪いは、フワフワとゆっくり上昇し、頭上にある魔法陣を避けようと斜めに移動した。大失敗である。
「あー! まだ練習中でして。浄化魔法!」
慌てて浄化魔法で不浄の霧を昇華させる。
失敗が恥ずかしくて、リリィの熱く火照った頬に両手を添える。
おそるおそるダニエルをみると、ぽかんと口を開け目を見開いていた。
(目が、開いている!)
ダニエルを知る人なら誰もが彼以上に目を見開いて驚く光景だ。しかし彼と会って日の浅いリリィは、そんな事情は知らない。
驚かせてしまったことに恐縮し謝罪しようと考えた。
「ダニエル様、すみませんでした。ちゃんと出来るように努力しますので、許可を頂けますでしょうか?」
「いや。ダメとかじゃなくてね。ああ。そうか――」
そう言いながらダニエルはその場をぐるぐると歩き出した。
「ダニエル様、大丈夫ですか?」
そう声をかけてもダニエルは歩き続け、何やらブツブツと独り言をつぶやいている。
頭上に魔法陣を掲げ困り果てたリリィに歩き回るダニエル。それは先ほど以上に異様な光景だった。
「何をしている? 叔父上もどうかしましたか?」
結果、たいして間を置かずにアーサーとノアが現れたのだった。
□□□
「アーサー。私が長年研究していたものの一部が解明できそうだ」
ダニエルが興奮し上ずった声を上げてアーサーに矢継ぎ早に話しかける。
その斜め後ろには、すっかり気後れし混乱したリリィが立っていた。
「リリィ。とりあえず魔法陣を消そうか。知らない人が見ると驚いてしまうからね」
「はい。ノア従兄様」
「その魔法陣の話も聞きたい。リリィ、君は天才だね」
褒められるのは嬉しいが温度差が激しすぎて違和感が拭えない。リリィはダニエルのお願いに頷くと陣の消去に取り掛かる。
その間もダニエルはまくし立てるように話し続け、急に自問自答して黙り込んでしまうので、会話がまるで成り立たなかった。
アーサーはまともに返事の返ってこないダニエルから話を聞くことを諦めると、リリィに質問した。
「何があった?」
「えっと。解呪に失敗して、試行錯誤中です」
「……」
なんのことだかさっぱり分からず、アーサーは少しのあいだ固まった。
結局、状況を整理し事態を把握するためにダニエルの話を辛抱強く聞くことにする。
アーサーは、全てを聞き終えると大きな溜息をついた。
「なるほど。叔父上が気にしていた守護壁の天井に見える薄暗い霧が、解呪した呪いが原因だという可能性を見つけたということですね」
「そう! やはりあれは放置していいものじゃない。ちゃんと対処すべきものだ。私は間違っていなかった」
力強く主張するダニエルは、この件で多方面と長きに渡り揉めていた。
アーサーが生まれる前から、ダニエルの考えや主張する問題提起はいつも少数派で、身内からも他からも非難されるものが多かった。
そのせいで彼は意固地になって研究を続けていて、その手の話題は非常にデリケートなものになっていた。
「確かに叔父上の言う通り、呪いの類が王都の上空に滞留するのはまずいですね。そちらも聖女候補生の仕事に追加しましょう」
「ああ。ただ解決するには、まだまだ課題が残っている。引き続き私はリリィと一緒に解決方法を探すことにするよ」
アーサーとダニエルが、次々と決めていく後ろでリリィは一人俯いていた。
「リリィ。大丈夫?」
ノアに心配されて顔を上げると、ノアだけでなくアーサーやダニエルもこちらの様子を伺っていた。
「すみません。気になることが山ほどあって意識が飛んでいました」
「何が気になるんだ?」
「えっと。西の砦で解呪すると呪いは地面に落ちました。呪いが意思を持って動き出す前に浄化の魔法陣に落として昇華していたのですが、王都では何故か上昇します」
「は?」
「それから、空にうっすらと広がるあの霧。すごい呪いの量です。浄化方法が思い浮かびません」
「うん」
「あと、まだ呪いの武器や防具の効率の良い浄化方法が確立できていなくて、すみません」
アーサーとダニエルが会話している間、リリィは自分が担当する仕事に関係するすべてを何とかしようと考えてパンクした。
できると思って引き受けた仕事だったのに出だしから失敗だらけで、恥ずかしいやら申し訳ないやらで感情はぐちゃぐちゃだった。何とかしなければと心の中はもう大変なのだ。
一通り喋り終わると、今度は急に黙って何とか方法を考えようと自分の世界へと閉じこもってしまった。
「ははは! リリィは真面目な子だね。私が気遣いできていないせいで困ってしまったね。一緒に協力して解決していこう。いや、私から協力してほしいとお願いするよ」
(ダニエル様に、笑われてしまった……)
糸目なのでよくわからないが、それはいつもの笑顔とは違うように見えた。
とりあえずリリィが役に立たなくても、一緒に解決してくれると言ってもらえて安心する。
「ご、ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします!」
期待されすぎるのは怖い。けれど一人で頑張るのも心が折れてしまいそうだ。
大人のダニエルが相談に乗ってくれるのは、とても心強かった。
「叔父上、解呪はこちらの管轄です。それに正直叔父上に任せきりも気が引けますので、俺にも報告はくださいね」
「えー。まぁ、わかったよ。確かに私は暴走気味だしね。アーサーも巻き込んで進めることにするよ」
「ほどほどでお願いします」
話がまとまると昼休憩を知らせる鐘の音が鳴る。昼食をとるべく、その場は一旦解散となった。
□□□
初めて足を踏み入れる場所にリリィはきょろきょろと周囲を観察する。
「ノア従兄様はいつも、食堂を利用されるのですか?」
「その時々で違うかな。食堂も利用するよ」
西の砦の食堂とは配膳ルールからメニューの数、食べる場所まで違うため、ノアの一挙手一投足を見ながらぴったりとくっついていく。料理を選びカトラリーを揃えると空いている席にノアと二人、向かい合うように座った。
ちなみに、アーサーとダニエルは自室にて食事が用意されるためここにはいない。
そのせいか、今のリリィはリラックスしていた。
目の前の見目麗しく盛り付けられた料理に心躍らせながらナイフとフォークを手に取ると、ご機嫌で小さく切った肉をフォークで口に運ぶ。口の中で肉汁があふれ舌の上でソースと混ざり合い、顔がにやけた。
「こんな美味しいお肉は、生まれて初めて食べました」
「リリィは大げさだなぁ」
そうなのだろうか。ノアの発言で記憶を辿るが、やはりこんなに美味しい料理を食べたことはなかった。
「ノア従兄様。西の砦の食糧事情は王都の足元にも及ばないみたいです。料理に使われるのは保存用の干し肉をスープで戻したものばかりだし、週に一度くらいしか口にできませんでしたから。」
「えっ」
その日常に今度はノアが驚いた。
遠征先でもあるまいし、日常的に干し肉を出されるなどノアの生活圏内ではまず無い。その不穏な内容にノアは危機感を覚えた。
「これからは毎日一緒に食堂を利用しようか。それで西の砦の話を聞かせておくれ。それにリリィは成長期だし遠慮せず沢山食べてね」
そう言って、美しい飾りののったケーキの皿を手に取り、リリィのトレイの上に乗せた。
「よ、よろしいのですか? デザートが二つになりました」
「うん。こんなもので良ければいくらでも食べなさい」
申し訳ないと思いつつノアは、リリィの体つきを観察する。十三歳にしては、やや体型が小ぶりで痩せていた。伯母のエマも背が低いので気にしていなかったが、少し栄養が足りていないようにも見える。
「スープも美味しいです」
「気に入ったかい? アダムさんとエマさんの任期が切れるまで、王都に住めば毎日食べられるよ」
「それは、そうですね。でも私は聖女候補生の仕事が終わったら東の砦に行きたいんです。ノア従兄様も協力してくださいね」
アダムやエマが予想した通りの展開に、ノアはどうしたものかと思案する。
「リリィ。東の砦にはなぜ行きたいの?」
「え。だってお父さんとお母さんがいるもの。ほかにも仲良しの兵士さんも沢山いるわ。みんなが怪我をしたときに治してあげたいの」
「リリィ。その気持ちはとても立派だね。ただ僕は自分のことも考えてほしいと思っている。例えばリリィは将来についてどこまで考えているのかな?」
「将来?」
ノアの問いはリリィにとって予想外だった。東の砦に行けば光魔法で役に立てる。それは非常に善い行いであり咎められる理由はないと思っていた。
「そう。東の砦に行くことがリリィの将来に必要なことであれば応援するよ。ただ、そこを疎かにして、大人になった時に路頭に迷ってしまっては困るだろう」
「路頭に、迷う」
「アダムさんやエマさんだって、いつかは死んでしまう。その時リリィはどうしている? どうなっていたい?」
「考えたことなかったわ」
ずっと両親と西の砦の生活が続いていくのだと思っていた。でもリリィは毎年歳をとる。自分はどんな大人になるのだろうか。その先は、考えていなかった。
理想も思いも考えも何もない。リリィの未来は真っ白で、そして真っ暗闇がどこまでも続いていた。
すっとリリィの心が冷え込み不安に襲われる。
「何もないわ。ど、どうしたらいいの?」
「すぐに決めなくてもいいよ。簡単に決められるものでもないからね。王都で聖女候補生の仕事をしながら、ゆっくり考えればいい。それならできるだろう?」
「うん。そうする。すぐには東の砦に行けないもの。丁度良いわよね」
まったく何も思い浮かばないので、まずはそこから何とかしよう。リリィは不安をかき消すために自分に言い聞かせた。