4.5 可愛いって言われちゃった
ゆっくり進みます。
ガチャッバタン。ドタドタドタ……。キィッ、バタンッ! ボフッ。
……ボフボフ。ボフボフボフ。……。……ボフボフボフボフボフッ。……っ〜〜! ぅ〜〜。――
「ぐぁああ!! 」
バタバタバタッ!
電線に止まっていた鳥が一斉に飛び立つ。
「はあはぁ、っはぁ、はぁ。……っはぁはぁ……。……はぁ……」
枕にうずくまり息を切らすほど悶えると彼は呼吸を整えた。
「ぅえへへ〜。ぁへぇ〜。ぇひぃひぃ〜」
彼は枕を強く抱きながら口をだらしなく開ける。
「可愛い」
耳に残るその言葉を忘れないようにしようと反芻する度に顔の緊張を解く。
するとドアが鳴っていることに気付いた。
「ちょっとお兄ちゃん。帰ってくるなり変な音立てないでよ」
扉の向こう側から声が聞こえた気がしたが、そんなことはお構いなく、裕貴は独り余韻を楽しんだ。
可愛いともカッコいいとも言えないあの真っ直ぐな顔。あんな顔で言われたら、これからどうやって振る舞えば良いの? 分からない。けれど悪い気はしないかも。あぁもう一度。いや何回でもその言葉を言われたい。
……さてとっ。
窓を開けると風が淀んだ部屋と引き換えに春の温もりをもたらしてくれる。しばらく経つと丁度良く頭も冷え、裕貴は落ち着きを取り戻した。
「ぐぅうう〜」
新鮮な空気を吸い込むと、お腹からもっと食べたいと言わんばかりに音がする。
あぁそっか。お昼まだだったっけ?
裕貴は急いで着替えてリビングの方へと向かった。
リビングには何かを炒めているのだろうか、野菜と肉の香ばしさを仄かに感じる。耳を澄ますと、ジュワーッと音がした。香りに卵の臭みも少し加わって、空腹感がより増してくる。
「あっ、お兄ちゃん。もうすぐお昼ができるからね」
薄い橙色の生地に大きなお花のアップリケを付けたエプロンを着た裕香は、菜箸でフライパンを掻き混ぜながらそう言った。フライパンには、ほうれん草、小松菜が柔らかくなっていて、ベーコン、ソーセージがきつね色になっていた。卵はまだ固まりきれていないようだが、まあ時間の問題だろう。
「ありがとうね。ぼくも何かできれば良いんだけど……」
「いいよいいよ。私も趣味でやっているみたいなもんだし。そうだね〜お兄ちゃんはまず卵を割れるようにならなきゃ」
そうこう話しているうちにおかずが皿に乗せられたので、裕貴はテーブルに運んだ。ご飯は予め朝に炊いて容器に移し替えていたものを再度温めて茶碗に装う。
2人は席に着くと、「いただきます」という声が綺麗に重なった。
「あ〜美味しい」
「ふふっ、ありがと。簡単な料理なんだけどね」
裕香はそう応えるが、猫の手もままならない裕貴にとっては、料理をするという行為は魔法を使っているのかと疑いたくなるくらいに凄いことだ。
裕香は親がいないときにはこうしてよく料理を作っている。以前裕香が料理をしているのを見て、裕貴も何か手伝えないかと思って野菜を切っていたら、すぐに裕香に止められたことがあった。そのことがあってからは裕貴に刃物は疎かピーラーにすら触れさせていない。
裕貴の得意なことといえば、大根おろしと卵ときと……あとは皿洗いくらいだろうか。これらに関しては裕香がやるよりも早くて丁寧に熟すので、見る度にいつも裕香は舌を巻いている。
「どう? 制服を着た気分は」
「すっごく可愛い! 女の子は羨ましいよ。こんな可愛いの着られて」
裕貴はお茶碗と箸を持ちながら脚の方へ目を落とすと、スカートを履き替え忘れていたことに気付いた。
「やっぱりお兄ちゃんはスカートの方が似合うね。私なんかは逆にヒラヒラしたのは好きじゃないからな〜」
裕香は一旦箸を動かしていた手を止めると、またすぐ口元に近づけた。裕貴もつられて箸を動かす。
「「ごちそうさま」」
「じゃあ、洗い物やっとくよ」
「うん。ありがとね」
裕香は着ていたエプロンを仕舞うと、トットットとリズムよく階段を上っていった。
台所に立った裕貴は指の腹を名一杯使って皿を踊らせていた。彼にとっては優雅な人形劇のほんの一幕にすぎないだろう。しかし見るものは思わず見入ってしまうほどの魅力的なダンスである。人形、もとい食器は本当に自我を持っていないのだろうか。汚れた身体を早く綺麗にしたい。そんな風に思っていないとは言えるのだろうか。食器からすればこんなに綺麗にしてもらって嬉しく思わないことがあるのだろうか。
ただし1つ、惜しいところを挙げるとすれば、それは劇を長くは眺めていられないことだ。これは仕方がない。それだけ彼は優秀な傀儡師だということなのである。ならその分だけでも早く、綺麗になったことを喜んでいる食器を眺めるとしようか。
洗い物が済んだ裕貴も自室へ戻り、モコモコのズボンに履き替えてスカートを畳む。畳んだスカートをハンガーにかけてクローゼットに入れようとしたときに不意に目にした体操着を、明日慌てていても取りやすい位置に動かした。
「160cmあれば良い方だよね。うん」
鏡を見ながらそう自分に言い聞かせた。
成長期はまだこれから。伸びしろがあると思えばなんだか嬉しい。
そんなことを考えながら、裕貴は新しい教科書をペラペラと捲る。
が、すぐに飽きてスマホをいじり始めた。
少しだけ修正入れました。
可愛い男の子ってメッチャ萌えるよね。うん。なんだろ。無自覚に可愛さをばら撒いているいるのが良いよね。幸せ。それでいて格好良くなりたいと思っていたら余計に尊い。でもそういう子に限って、可愛いぬいぐるみとかキーホルダーが大好きであるはず。それにカッコいいよりも可愛いって言われた方が嬉しそうにする。