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4 類は猫を呼ぶ

 

  4 類は猫を呼ぶ


 まずは、「有言実行」の「有言」だ。

 誰かに相談してみよう。一人で悶々もんもんとしていても、何も始まらない。

「殿、利息でござる!」の穀田屋十三郎も、まず(すが)(わら)()(とく)(へい)()という人に相談していたではないか。

 

 栄子は同僚の花山先生に相談することにした。

「ねこたま市計画?」

 土曜の午後の職員室で、花山先生は素っ頓狂な声を上げた。部活の後のお仕事タイムに入る前に、コンビニ弁当を食べながらの会話だ。

「すごいこと思いついたんですねえ。」


 花山先生は栄子の隣のクラスの担任。二十八才。独身。若いが、子供思いの熱心な先生だ。

 教員採用試験の面接でのエピソードが、何ともすごい。


 当時、講師として別の中学校に勤務してた彼女は、正式採用になるために受けた採用試験の面接で、こう質問された。

「目の前の中学生に対して、今、あなたはどのようなことを心がけて接していますか。」

 その質問にどう答えようか、考えているうちに、彼女は、何と、泣きだしてしまったのだという。びっくりした面接官が、慌ててティッシュを貸してくださったのだそうな。

「なぜ泣いているのですか。」

 と問われた花山先生。泣き泣き、こう答えた。

「自分が今、生徒のためにどれだけのことができているのだろう、と思ったら、何もできていない気がして。つらくなって泣いてしまいました。」

 絶対落ちた、と思ったにもかかわらず、採用試験は、見事合格。

「何で通ったのか、今でも不思議です。」

 と、花山先生は首をかしげるが、恐らく、彼女の誠実さ、謙虚さ、生徒のことを本気で考える熱い思いが、面接官に伝わったのではないか、と、栄子は想像する。

 今でも、心の琴線に響く出来事があると、生徒の前でも涙ぐんでしまう花山先生だ。その熱い思いは生徒にもしっかり伝わり、慕われている。栄子は彼女の愛と行動力に感服し、いつもパワーをもらっている。


 栄子はコンビニ弁当の唐揚げを頬張りながら言った。

「だって、このままだと児玉市の未来はないよ。一人一人の教員がどんなに頑張っても、予算は削減、人は増えない。」

「確かにねえ。」

「根本的に、何かを変えなきゃ、どうにもならない。」

 花山先生は、カップラーメンをひとすすりした後、声を潜めて言った。

「来年度、児玉市の予算は、一律5%カットって聞きました。すべての分野で例外はないそうです。」

「えーっ! じゃあ、教育予算も減らされるってこと?」

「ええ。」

「マジかぁ……」

「マジです。今ついている支援員も減らされるんじゃないかっていううわさですよ。」

 支援員は、特別な配慮を必要とする生徒に対する支援をするため、各校の状況に応じて配置されている。さまざなな状況を抱えている生徒が年々増えており、正規の担任だけでは十分な支援を行うことは難しい。それをフォローするのが支援員だ。わずかな時給で、時間制限の中で頑張ってくださっている支援員に、現場は大いに助けられている。

「ダメじゃん。」

「私、このまま教員やっていく自信ないです。」

少しだけ残ったラーメンの汁を見つめながら、花山先生は、吐息をもらした。彼女がそんな弱音を吐くのは初めて聞いた。

「やっぱり、やるっきゃないかなぁ、ねこたま市計画。」

「川上先生、すごいですね。私なんか、超ネガティブですよ。」

 そうほめられると、かなり恥ずかしくなった。

「いやいや、私もそうだったんだけど、実は三村由紀さんに背中を押されて……」

「三村由紀って、あの不登校の?」

 栄子は、「ボス」という猫を介した由紀とのいきさつを説明した。


「できっこないって言わないでっていうのが、胸にぐさっときちゃった」

「そうかあ。三村さん、そんなふうに言ったんですね。刺さりますねえ。」

「うん。刺さった。」

その言葉を発したのが由紀だからこそ、刺さるのだ。花山先生にも刺さったのだろう。

「やるっきゃないですねえ。」

「うん。やるっきゃない。」

栄子は食べ終えた弁当にふたをした。

「ただねえ、一体どうしたらいいのか、見当もつかない。」

「うーん。どうでしょう。正直、私たちって、教育のこと以外は素人じゃないですか。教員じゃない人の意見を聞いてみたらどうですか?」

「なるほど。確かにそうだね。」

「教育現場だけじゃなく、児玉市全体の問題だと思うんです。」

「ありがとう。そうしてみる。」

「私も自分に何ができるか、考えてみます。」

そう言った花山先生の目に力が戻っていた。


 それから数日間は、学校の仕事で追われ、「ねこたま市」どころではなかった。まずは、毎日を乗り切るのに必死である。仕事は山のように存在する。優先順位を考え、ちぎっては投げちぎっては投げしているが、働けど働けど、次の仕事がやってくるのだ。無限ループである。


 この日、栄子は「社会人の話を聴く会」の準備に追われていた。キャリア教育の一環として、総合的な学習の時間に一年生が職業について学ぶのだ。世間を知らない中学生にとって、社会で働いている人の生の声を聴くことは貴重な体験となる。今年は6名の社会人に来ていただき、生徒が6グループに分かれて、様々なことをインタビュー形式で聴かせてもらう予定だ。栄子は一年団ではないが、校務分掌で「キャリア教育」担当になっているので、準備を手伝っているのである。

 ただ、その準備が大変だ。去年まで来てくださっていた方から、今年は体調が芳しくないので遠慮させてほしいという申し出があり、(きゆう)(きよ)、代わりの人を探さなくてはならなくなった。忙しい中、中学生のために時間を割いてもらわねばならない。当然、謝礼金が出るわけでもなく、ボランティアである。複数の中学生に伝わるように話をするということに、プレッシャーを感じる方もおられる。

 地域で役職を持っている方、自分の知り合い、元保護者など、いろいろなツテをたよって探すのだが、なかなか人選が難しい。

 教科の授業や日々の業務と並行して、準備を進めていかねばならないので、大変である。

 これもまた、「教育現場あるある」なのだ。それをすれば「生徒のために良い」とわかっていることが山のようにある。それらを同時並行でこなす。オールマイティのような働きが要求される。


 今日は、商店街の和菓子屋を訪ね、お願いできないかという相談をしていた。この和菓子屋は、二年生が行う三日間の職場体験活動でもお世話になっており、児玉中の教育活動に大変協力的である。

「俺がもう少し若かったら、引き受けてもいいんだけどなあ。なにぶん、歳だよ。」

「まだまだお元気じゃないですか。」

和菓子屋「とらや」の主人、大平さんは、白髪頭をゆらして首を横に振る。

「最近、物忘れはひどいし、言葉がすらすら出てこねえ。菓子作りは身体で覚えとるから、何とかなるがなあ。」

「とらやさんのどら焼き、大好きです。」

もっちりとした生地に甘さひかえめの餡、とらやの看板商品だ。

「ありがとよ。職場体験なら引き受けられるけど、話って言うのは性に合わねえなあ。まあ、明日、商店街の寄り合いがあるから、そこで聞いてみてあげるよ。」

「ありがとうございます。是非よろしくお願いします。」

栄子が深々とお辞儀をして、手帳をしまおうとしたとき、大平さんが、言った。

「いい猫だね。その写真。」


 栄子は「日なたぼっこ猫だより」という猫のカレンダーがお気に入りで、毎年、ネットで購入している。雑種の日本猫の日常の姿を見事に切り取った写真に、ほのぼのとした言葉が添えられている。その中の特に癒やされる写真を、手帳の表紙に貼っているのだ。今年の猫は「正しい道と謙虚な心。忘れなければ明日もきっといい一日」とつぶやいている。

「お前さん、猫好きかい?」

「はい。大の猫好きです。」

「そうか。うちにもその写真によく似た猫がいるよ。」

 大平さんは目を細めて続ける。

「このまったりした感じが何とも言えず、いいよなあ。」

「癒やされますよねえ。茶トラなんですか?」

「ああ。ちょっと待ってな。」

 大平さんは、奥に入って、一匹の猫を抱きかかえてきた。毛糸で編んだ赤い首輪をつけている茶トラは、確かに栄子の手帳の猫とよく似ている。寝ているところを起こされたのか、ちょっぴりふくれっ面だ。

「うちは食べ物を扱ってるから、店先には出さないようにしてるんだが、こいつはお客さんが大好きで、(すき)を見ては出てくるんだ。」

栄子がそっとなでると、早くもゴロゴロと(のど)を鳴らし始めた。

「いい猫ですねえ。このもふもふがたまりません。名前、なんていうんですか?」

「トラ。」

「そのままですねえ。」

「こいつは五代目だ。うちは『とらや』だろ。じいさんの代からキジトラや茶トラを飼ってる。めんどくせえから、名前はいつも、トラ。」

「由緒正しい猫ですね。」

「雑種の中の雑種さ。小さいころから家に猫がいたから、猫がいない生活は考えられねえ。家族みんな、こいつにメロメロさ。」

大平さんの節くれ立ったごつい手が、トラの背中ををわしゃわしゃとさする。その刺激が心地よいのか、トラはクルンと身体をよじって、腹をみせた。

「こんなに人なつっこいんだったら、いっそのこと、看板猫にしたらどうですか。」

「和菓子屋だぞ?」

「食べ物屋さんでも、看板猫がいて繁盛しているお店はあります。この子目当てで来るお客さんが増えるかもしれませんよ。」

「ふーん。そういうもんかねえ……。」

首をかしげながらも、大平さんはまんざらでもない感じだ。

 ふと、ひらめいた。

 そうだ。大平さんに相談してみよう。

「東京の谷中商店街とか、猫で街おこししてるじゃないですか。ああいうこと、児玉市でできませんかね。」 

「猫で街おこし?」

「そうです。猫で人を呼ぶんです。」


 栄子は(せき)を切ったように、ねこたま市計画について熱く語った。大平さんはあっけにとられて栄子の長い話を聞いていたが、やがて、口を開いた。

「面白そうじゃねぇか。」

いかつい顔の中の小さな目が笑っていた。

「そ、そうですか?」

「いやぁ、ここ最近で一番面白い話だ。まったく、どこに行っても辛気くさい話ばかりでよぉ。お先真っ暗って感じだったが、あんたの話は面白い。」

トラの背中をポンポンと軽くたたきながら、大平さんは続けた。

「正直、この商店街も、どんどんさびれていっとる。ご多分にもれないシャッター商店街だ。かろうじて残ってる店で何とかやっとるが、客は減る一方。後継者はいない。」

 視線を人通りのない店先に向けて、ため息をつく。店先では色あせた(のぼり)が人待ち顔に揺れている。

「何とかしたいと思っても、どうにもならない。商店街の寄り合いで集まれば、愚痴ばかりだ。救いの神が猫っていうのも、気に入った。」

「ありがとうございます!」

栄子は思わず最敬礼した。大平さんはいつの間にか膝の上で丸くなって寝ていたトラを奥の部屋に連れて行き、軽く鼻歌を歌いながら戻ってきた。ご機嫌の大平さんから、意外な言葉が出てきた。

「そうと決まれば、ぐずぐずしとれん。一緒に来てくれ。」

「えっ? どこへですか。」

「会わせたいやつがおる。」

「今からですか?」

「俺も先はそんなに長くないからなぁ。動けるうちに動いとかんと、いつ、ばったり倒れるかわからん。」

「そんな、ご冗談を……」

「冗談でも何でもない、本気の話だ。なに、すぐそこまで行くだけだ。」


 何ともパワフルな大平さんに連れられて外に出た。見上げると、商店街のアーケードはあちこち穴が開き、ボロボロの状態。修理するお金もないのだろう。錆だらけのシャッターが降りた隣の店には、破れかけのポスターが貼られたままだ。薬局の店先の人形は色あせ、薄汚れている。

 大平さんはその横にある時計屋の扉を開け、声をかけた。

「よっちゃん、いるかい?」

「おや、いらっしゃい。」

狭い店の奥から、六十代くらいの品の良い女性が出てきた。

「回覧板かい?」

「いや、今日はちょっと相談があってな。」

「こんにちは」

栄子が挨拶すると、「よっちゃん」は、営業スマイルで応じてくれた。

「いらっしゃい。時計がご入り用ですか。」

「いえ、そうじゃないんです。」

栄子は若干焦りながら続けた。

「私、児玉中学校の川上といいます。今日はよろしくお願いします。」

「実は、面白い話があってな。」

「面白い話?」

「おう。猫だよ。」

「猫?」

 大平さんと栄子は代わる代わる、ねこたま市計画を熱く語った。よっちゃんは、目を丸くしながら、時折「へえ。」とか「おやまあ!」とか合いの手を入れながら聞いてくれた。

「どうだい、この話?」

自慢げな大平さんの言葉に、よっちゃんは柔らかく微笑んだ。

「素敵じゃない! ねえ、みーや、あんたもそう思うでしょ。」

 よっちゃんが呼びかけたその先に、いつの間に現れたのか、真っ白な毛並みの美猫がいた。カウンターの上に行儀良く前足をちょこんとそろえて座っている。すらりとしたシルエットもさることながら、印象的なのは、威厳を持ってこちらを見つめる目。右が青、左が緑。オッドアイだ!

「わあ! オッドアイじゃないですか。」

(べつ)(ぴん)さんだろ。」

大平さんが、まるで自分の孫の自慢をするかのように得意げに言った。

「きれい……」

「うちの自慢の箱入り娘よ。」

「俺んちのトラがモーションかけてるが、なかなか相手にしてもらえないらしい。」

「美形ですね。この子目当てで来るお客さんもいるんじゃないんですか?」

「そうさ。お前さんがとらを看板猫にどうかって言ってたが、このみーやこそ、現役バリバリの看板猫だ。」

大平さんがそっと撫でると、みーやは気持ちよさそうに目をつぶった。

「おまけに、このよっちゃんと来たら、大の猫好きで、商店街でも有名なんだ。気づいたかい? ここの商品。」

 言われて、壁に掛けられている時計を見ると、まさに、猫、猫、猫……。店に入って右側の壁を一面覆い尽くしているのは、猫をモチーフにした時計ばかりだ。文字盤で追いかけっこしている猫、短針と長針が猫の手になっているもの、猫尻尾が揺れる振り子時計、ちょうど三時になったとき、鳩時計ならぬ猫時計が、「にゃあ」と鳴いた。

 カウンターの中に展示してある腕時計や目覚まし時計にも、猫のコーナーがある。文字盤全体が猫の顔になっているもの、時刻のところが肉球の跡になっているもの、心奪われるものばかりである。

「ほら、これなんか面白いでしょ。」

よっちゃんが出してくれた目覚まし時計は、ちっちゃな猫が鐘をハンマーでたたこうとしている。

「すごいですねえ! これだけ集めるの、大変だったでしょう。」

「昔っから、猫好きでね。好きこそものの上手なれっていうじゃない。ここ最近は、猫ブームで、一気に猫商品が増えたわ。」

「学区内に、こんな素敵なお店があるなんて、知りませんでした。これ、絶対、猫好きにはたまらないですよ。」

「そう言ってくれると嬉しいわ。」

猫好き同士、見つめ合う。

「この商店街、他にも猫がいる店はあるわよ。瀬戸物屋の黒猫のモネは古株ね。塚田書店の三毛猫のマルも人なつこい子で、お店に入るとすり寄ってくるわ。」

「いいですねえ。」

「看板猫の店スタンプラリーとかどうかしら。スタンプがたまったら、商店街で使える割引券をもらえるとか。」

「お、そりゃいいねえ。」

「看板猫のいる店だけでなく、いろんな店で猫グッズや猫関連商品を置いてもらえると、楽しいかもしれませんね。」

 夢は膨らむ。

「商店街の寄り合いの話題が増えたな。」

みーやの華奢(きゃしゃ)なあごの下をさすりながら、大平さんがつぶやいた。


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