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21 虎穴に入らずんば猫を得ず②

 21 虎穴に入らずんば猫を得ず②


 十二月、北風が吹きすさぶ中。職員室のドアが勢いよく開いて、眉間に深いしわを寄せた北里法明が現れた。

「川上という先生はおるかの。」

「はい。私が川上です。」

はじかれるように椅子から立ち上がった栄子を、法明は値踏みするようにしばらく見ていた。

「わしは北里法明。」

「秀明君のおじいさんですね。」

「いかにも。お前さん、秀明の担任だそうじゃな。」

「はい。」

「高校のことで、いらんことを秀明に吹き込んだのはあんたか。」

「どういうことですか?」

「少し前まで、秀明は地元の児玉高校普通科に行くと言っておった。それなのに、突然、県北の翔陽高校に行きたいと言い出した。食物学科とかいうわけのわからん学科に通いたいなどと言っておる。」

作務衣(さむえ)姿の法明は、苦虫をかみつぶしたような表情でうなった。

「家を出て寮生活をするなど、いったい、何を考えているのだか。」

「秀明君の将来の夢をお聞きになっていますか?」

「夢? ああ、調理師になりたいとかほざいておったな。」

「そうです。調理師。その夢を叶えたいから、食物学科のある翔陽高校を希望しているのだと思いますが、何か、そのことでお困りのことがあるのですか?」

「お困り? おお、そうじゃ。秀明はゆくゆくは窯元を継ぎ、児玉焼の継承者となる身。そんなところに行って、寄り道をしている場合ではない。」

「窯元を継ぐというのは秀明君の意志なのですか?」

「そうとも。秀明は小さなころから、ずっとそう言っておった。僕はじいちゃんの後を継いで、立派な焼き物を作るんだとな。」

「そうなんですか。おじいさまにとっては、うれしいことですね。」

「ああ、自慢の孫じゃ。奴は、なかなか筋がいい。」

それまで三角だった法明の目が柔らかくなる。

「小さいころからって、いつ頃のことなんですか。」

「三歳くらいじゃったかの。」

それはまた、随分小さいころのことで……。そう思ったが、口には出さず、別の聞き方をしてみた。

「それで、今も跡継ぎになると言ってるんですか?」

法明の顔がこわばった。

「それが、突然、調理師になると言い出した。どう考えてもおかしい。」

 法明にしてみれば、青天の(へき)(れき)だったのかもしれない。

 しかし、秀明自身は随分前から考えていた。一学期半ばの教育相談では、既に翔陽高校を希望していた。三者懇談でも、その話題は出た。気の弱そうな母親は、特に反対はしていなかったはずだ。

 ただ、北里家で、祖父にそれを告げる勇気ある者は、一人もいなかったのだろう。そして、いよいよ受験先を決定して、実際に願書を書かなくてはならぬという段になって初めて、「突然」のカミングアウトということになった。北里家それぞれの苦悩が想像できる。

「そうですか。ただ、秀明君はかなり早い段階で、翔陽高校を考えていました。おじいさまに言い出せなかったのかも知れませんね。」

「何だと! 一体いつから?」

「私は一学期に伺っていました。こちらから、翔陽高校を薦めたわけではありません。秀明君が、食物科がある高校ということで、自分で調べてきたんです。」

「秀明が……」

法明は絶句した。

「最初、秀明君から翔陽高校に行きたいと聞いたとき、県北だから、通学時間を考えると家からは通えない、寮に入ることになるけれど、それでも大丈夫なのかと、聞いてもみました。」

「それで、秀明は何と?」

「それも含めて考えて決めたことだと言ってました。寮生活になることも覚悟の上だそうです。」

「そんなことは聞いておらん!」

法明の太い怒鳴り声が職員室中に響く。周りの教員も息を殺して聞いている。

「あのう、立ち話も何ですから、応接室の方へ……」

みかねた教頭が、遠慮がちに声をかけてきた。

「ここでいい! それとも何か、ここで話したらまずいことでもあるのか!」

「いえいえ、そういうわけではありません。」

法明の剣幕に圧倒され、教頭はすごすご引き下がる。

「わしは断じて認めんぞ。」

「おじいさまのお気持ちはよくわかります。恐らく、秀明君もそのお気持ちがわかるからこそ、なかなか言い出せなかったのではないのでしょうか。」

心優しい秀明は、きっと随分苦しんだに違いない。

「でも、悩んで悩んで、最終的に決断したのだと思います。」

 仁王立ちしている法明の迫力は半端なかった。しかし、苦渋の決断をした秀明の思いを踏みにじるのは、担任としてできっこない。こちらが「すみません」とひきさがることは、断じてできないのだ。

「進路決定の際、ご家庭の状況、ご家族の思い、願いも、本当に大切だと思います。ただ、一番大切なのは、本人の意志だと思うのです。」

「お前に何がわかる! 事は、北里家だけの問題ではない。児玉焼の未来がかかっているのだ! それは、児玉市の未来もかかっているということだ! 秀明のわがままで、それをつぶすつもりか!」

 叫び声はさらにエスカレートしていく。この分では、秀明の耳にも入っているかも知れない。彼はまたトイレに閉じこもるのだろうか。

「お気持ちはわかりますが……」

「わかるものか!」

喰い気味に怒鳴る法明。

「秀明君は優しい子です。普段、自分の考えを無理矢理通すことはしません。どちらかというと、周りに合わせて、我慢しすぎてるんじゃないかと心配するくらいです。その彼が、おじいさまの意志に反して、決断したということは、よっぽどのことではないかと思うのです。」

法明はしばし沈黙した。

「確かに、おじいさまにとっては寝耳に水で、驚かれたと思います。これまで、きちんと伝えなかった秀明君にも問題はあると思いますが、一度、ゆっくり、秀明君の気持ちを聞いてみていただけませんか。なぜ調理師になりたいのか。児玉焼の跡継ぎのことをどう思っているのか。」

「……」

「お願いします。」

栄子は深々と頭を下げた。職員室内の沈黙がやけに長い。

「しっかり話をされた上で、結論を出してほしいのです。多分、納得しないままでの受験ということになると、秀明君にしてもおじいさまにしても、苦しいと思うのです。そして、話し合った上で、最終的に決めるのは、本人だと思うんです。」

言いにくいことだが、思い切って伝えた。

 法明のしわだらけの顔が、みるみるうちに真っ赤になる。

「まだ言うか!」

「私は、今まで、いろんな生徒、ご家族を見てきました。受験先に関して考えがくいちがうケースもよくあります。

 ただ、ずっと見てきて私が思うのは、話し合って、さまざまな条件を検討した上で、もがいて、悩んで、最後に、自分の進む道を決めるのは、自分自身だと思うのです。じゃないと、それからの自分の人生に自分で責任を取らず、他人のせいにしてしまいます。自分で決めたことなら、何があろうと自分で背負っていくしかないんです。」

 熟したトマトのようになった法明に向かって、負けじと熱弁をふるう。

「自分で考えて、悩んで、自分の道を選ぼうとしてる秀明君、強くなろうとしているんじゃないんでしょうか。私、秀明君に、親元離れての寮生活、きっと大変だよって言ってみました。そうしたら、彼、何といったと思います?」

栄子の問いかけに、法明は何も言わなかったが、その目が答えを聞きたがっていた。

「自分はこのまま児玉市にいたら、北里法明の孫ということで、守られている。新しい世界で、自分の力で、やってみたいんだって。」

法明は虚を突かれたように、口をあんぐりと開けた。

「秀明君、おじいさまの()()から飛び立って、自立しようとしているんだと思います。考えた上での決断でしょう。」

「話にならん! 帰る!」

 くるりと背を向けて、法明は職員室を出て行った。後ろ手で閉めたドアの激しい音が、その怒りを物語っている。

 嵐は去った。とりあえずは。


 その後、北里家でどのような話し合いがなされたかは明らかではない。秀明から、話し合いの結果、秀明の希望通り、翔陽高校を受験する事になったと聞いた。

「おじいさんは、納得してくれたの?」

と、こわごわ尋ねてみると、秀明は硬い表情で返した。

「納得はしていないと思います。でも、とりあえず、翔陽高校を受けることになりました。」

 秀明は受験勉強にいそしみ、見事、念願の食物科に合格。北里家を離れて寮生活することとなった。


 あれから四年たったので、もう高校は卒業しているはずだが、今、彼はどうしているのだろうか。家に戻っているのか? それとも?

 あの時以来、法明は何も言ってこない。何もないのが、かえって不気味である。孫の卒業式にも顔は見せなかった。


 その北里法明。

 その法明に根回し?

「ああ~!」

栄子は職員室で叫びながら、バリバリと頭をかきむしった。

「川上先生、大丈夫ですか?」

花山先生が心配そうに声をかけてくる。

「大丈夫じゃない! だって、あの北里法明だよ。私、絶対、恨まれてる。かわいい跡取りをたぶらかしたって思われてるよ~!」

「まあ、そうかも知れませんねえ」

「児玉焼、なめんじゃねえって、皿、投げつけられそう。」

武勇伝の一つとして語り継がれる(てん)(まつ)になるやも知れぬ。

「でも、法明先生が反対したら、焼き物猫バージョン、無理ですよね。」

「そうだねえ。まあ、法明先生じゃなく、若手の作家に頼みに行くという手はあるかも知れないけどなあ。若手の方が、頭、柔らかいでしょ。」

「そうかもしれません。でも、若手の方は、きっと、重鎮である法明先生に相談すると思いませんか?」

「そっかあ。そこで、この計画の首謀者が、あのにっくき川上栄子だとわかったら。ああ、怖い怖い。考えただけで恐ろしすぎる。」

 法明の怒り狂うさまが目に浮かぶ。

 早くなった鼓動を意識的に収めながら、冷静になれと自分に言い聞かせ、考えてみる。

「でも、児玉焼の未来を一番真剣に考えてるのは、きっと北里法明だと思うんだ。何とかしたいと思ってる。その児玉焼のためだったら、話を聞いてくれないかな。」

「それ、ワンチャン、あるかも。」

「北里法明、いずれは直面する壁だ。当たって砕けろ、の覚悟でトライしてみるのもありかもしれん。」

 大きすぎる壁、怖すぎる存在ではあるが、避けては通れない。今の栄子にとって、「どうせ無理」「できっこない」は、禁句なのだ。


 だがしかし。

 敵はあの北里法明。

 栄子の頭の中には、「だが」「しかし」「けれども」「でも」と、逆接の接続詞がぐるぐると回り続けた。


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