21 虎穴に入らずんば猫を得ず①
21 虎穴に入らずんば猫を得ず①
土曜日の昼下がり、例によって、職員室での昼食タイムである。
今日の花山先生のお昼ご飯は、カップラーメンとんこつ味。
「コンビニ弁当より後退してるじゃない。」
栄子のダメ出しに、花山先生はほっぺたをふくらませた。
「仕方ないんですよ。今朝、寝坊しちゃって。コンビニによる暇もありませんでした。部活に遅れるわけにはいかないから、化粧もせずに、車をぶっとばしてきたんです。だから、今日は買い置きの非常食で我慢。」
非常食としてインスタントラーメンを常備しておくのは、教員あるあるだ。いつ生徒指導事案が勃発して帰れなくなるかわからない。備えあれば憂いなし、というわけだ。
「そいつは残念。じゃあ、私のミニトマト、二つあげる。」
「あざ~す!」
「この生活、どうにかしたいよねえ。」
「ほんとにねえ。」
ため息まじりの食事となった。
「この間、市長に企画書持っていったときも、反応、厳しかったしなあ。」
「現実は何かとハードですねえ。」
「まあ、嬉しいこともあるんだけどね。」
栄子は、校長の言葉から始まった生徒とのやりとり、よっちゃんが提案してくれた回覧板、商工会議所青年部の西原さんのことを伝えた。
「すごいじゃないですか! どんどん広がっていきますね。」
「うん。一人じゃないって感じはする。」
「やっぱ、情報発信、根回しは大切ですよね。学校現場もそうじゃないですか。報連相、超大事です。新採の時、耳にたこができるほど言われました。」
「だよなあ。報告・連絡・相談。基本だね。」
「でも、確かにねこたま市計画、面白いけれど、正直なところ、採用されるかっていったら、微妙ですね。」
「やっぱり花山先生もそう思う?」
「ええ。まず、児玉焼猫バージョンってのが、受け入れられるかどうか。格式ある焼き物です。なかなか厳しいかも知れません。」
「伝統を重んじる世界だからねえ。」
「それこそ、根回ししてみたらどうですかねえ。」
「根回しって、誰に?」
花山先生は真っ赤なプチトマトを頬張りながら考え込んだ。
「う~ん……。そこはやっぱり、児玉焼界の長老でしょう。」
「ひょっとして、あの方?」
「そうです。あの方。北里法明先生。」
「うわあ……、そこかあ……。」
栄子は天を仰いだ。
「そりゃ、児玉焼と言ったら、北里法明、北里法明と言ったら児玉焼、ではあるけれども。しかしなあ。あの方は……」
北里法明。児玉市民なら誰でも知っている超有名人。児玉焼の長老、人間国宝である。彼の生み出す作品は人気が高く、不景気な世の中でも、高値で取引されている。確か、御年七十五歳。
だがしかし。
名人のご多分にもれず、変人である。気難しく頑固で、気が向いたときしか作品は作らない。
以前、北里作品の皿を買い付けにいった業者が、その素晴らしさを褒めちぎった。褒めに褒めた。ところが、その「褒めるポイント」が間違っていたらしく、北里法明は怒髪天を抜く勢いで、その皿を業者に投げつけたという話がある。ちなみに、その業者は、五十万円の値をつけていたそうな。粉々になった皿が可哀想すぎる。
「川上先生、北里法明のお孫さん、担任したことあったでしょ。」
「覚えてたか……」
「忘れられませんよ。」
「私は忘れたいよ。」
忘れたい、でも、忘れられない苦い思い出がある。
北里秀明君本人は、ごくごく普通の中学生だった。何を持って「普通」とするかは、意見の分かれるところかも知れないが。
ただ、彼には「普通」ではないことが一つあった。それは、北里法明の孫として生まれたことである。
北里家は代々続く窯元だ。秀明の父親も児玉焼作家であるが、秀明はその一人っ子。法明の愛と期待を一身に受けて育った。
世間ではモンスターペアレントの強烈な言動が取り沙汰されているが、北里法明は、まさに、モンスターグランドファーザーだった。秀明が幼稚園児だったころからの筋金入りである。
「給食で苦手なピーマンを食べさせられて、吐いてしまった。人権侵害だ。」
「学校の宿題の量が多すぎて、塾の宿題ができない。何とかしろ。」
どこに地雷があるかわからない。
当の北里秀明君は、そんなじいちゃんの暴走ぶりに困りはてているようで、
「北里法明が乗り込んできた!」
と聞くと、とりあえず、男子トイレにこもる。孫の心爺知らず。法明の怒鳴り声は、学校中に響き渡り、秀明はトイレの個室で固まっている。
中三の秀明を担任したのが栄子だった。小さなことはちょこちょこあったが、最大の嵐が吹き荒れたのは、進路決定の件だった。




