20 取らぬ猫の皮算用
20 取らぬ猫の皮算用
市役所を訪れた栄子、青山君、緑は、市長室に通された。革張りのソファに座り身体を硬くしている青山君の、尋常ではない緊張感が伝わってくる。
「革張り」といっても、かなりの年代物で、ところどころ革が剥げ、見るも無残な状態だ。買いかえようにも、金がないのだろう。児玉市の「顔」である市長室がこの有り様なのだから、後は追って知るべし、ということだ。
だが、青山君には、そんなところに目がいく余裕は毛頭なく、慣れない場所で、ただただ所在なげである。小刻みに貧乏揺すりしながら、出されたお茶を一口飲んでむせてしまった彼に、緑が横からそっとハンカチを差し出す。
「やあ。君たちが児玉中の三年生だね。川上先生から、お話は聞いています。」
市長が入ってきて、向かいに腰を下ろした。
児玉市長、新谷智則、五十四才。四十代の時、旧勢力を打ち破り、若くして市長になった、革新派である。何期かの改選を経て、今に至る。初めて市長に当選したときは、これで児玉市にも新たな風が吹くと期待された。新谷市長も、期待に応えるべく、様々な新機軸を打ち出したが、時代の流れは厳しく、児玉市の財政は、悪化の一途をたどっている。次の市長選には、もう出馬しないのでは、といううわさも流れている。以前は若々しく黒々としていた髪にも、白いものが目立つ。
市長の言葉に、緑が答えた。
「はい。私たち児玉中の三年生は、総合的な学習の時間に、『児玉市再生プロジェクト~私たちが創る未来~』というテーマで、活動しました。」
企画書を見せながら、青山君が続ける。
「まず、児玉市の現状をリサーチしました。中学生や家族、地域の人へのインタビュー、アンケート、インターネットでの情報収集を行い、今、児玉市の財政は危機的な状況にあるということがわかりました。」
「このままではいけないということで、児玉市再生プロジェクトを考え、企画を練りました。最初はさまざまな案が出ていたのですが、最終的に、『ねこたま市計画』ということで、一本化したものが、この企画です。」
「ねこたま市計画?」
市長が怪訝な顔をする。
「はい。今、児玉市で問題となっている野良猫を、逆に、資源と考え、『猫』を軸にして街おこしをしようという計画です。」
青山君が、企画書をめくりながら、ねこたま市計画について詳しく説明した。
「猫を使って街おこし、ですか……」
「はい。さまざまな地域で街おこしが行われていますが、やはり、成功させるためには、オリジナリティが必要だと思うのです。今、大ブームである『猫』にスポットを当て、児玉市ならではのものとコラボさせ、人やものを集めたいと考えました。猫とコラボさせることで、児玉焼や自然の素晴らしさも、新たな魅力を引き出せると思うのです。」
青山君の熱弁を、市長はうなずきながら聞いていた。
「なるほど。猫とコラボというのは面白い発想ですね。」
さらに、手渡された企画書をパラパラとめくりながら続ける。
「ほ~。これは本当によく調べているなあ。いやぁ、たいしたもんだ。川上先生、中学生、よく頑張ってますねえ。」
「ありがとうございます。自分たちの未来に関わることだということで、みんな、真剣に取り組んでいました。」
「君たち若い人たちが、ここまで本気で児玉市のことを考えてくれているというのは、本当に嬉しいことです。ありがとう。良いものを見せていただきました。」
うれしい高評価である。
「私たち、これを、児玉市八十周年記念事業の企画として、提案しに来たのです。」
緑が補足する。
「なるほど。記念事業のこともちゃんと調べているんだね。」
「はい。ぜひ、この企画を検討してください。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げる緑。慌てて青山君もお辞儀する。
「確かに受け取りました。記念事業の検討委員会に回しておきます。」
栄子は、市長の物言いに、若干、ひっかるものを感じた。青山君も同様だったらしく、早速、食いつく。
「あの、検討委員会に回すと言われましたが、市長さんご自身は、この企画、どう思われますか?」
市長が首をかしげる。
「どう、とは?」
「面白い発想だと褒めてくださいましたが、現実に、児玉市の未来を変える企画として、どう思われますか?」
市長は、穏やかな笑みを崩さす、優しく言った。
「さっきの言葉通り、面白い発想ですね。なかなか大人では思いつかないアイディアだ。」
「このアイディアが現実になる可能性は、どのくらいあると思われますか?」
青山君が、鋭く切り込む。
「そこまで聞きますか……。」
「はい。僕等も、みんなの代表としてここに来たので、責任がありますから。」
青山君のまっすぐな目。
市長はややたじろぎ、困った顔をして、助けを求めるように栄子の方を見た。栄子は無言である。しかたなく、市長は言葉を発した。
「正直に言ってもいいですか?」
「はい。」
「これは、あくまで、私の個人的な意見です。意見と言うより、感想かな。」
前置きをした上での言葉だ。
「確かに、発想としては面白い。ただ、現実問題、これが児玉市の政策として取り入れられるかというと、なかなか難しいかもしれません。」
「なぜですか?」
「猫が嫌い、猫は苦手という人もたくさんいます。実際、そういう人たちから、猫に関する苦情が多数寄せられているのです。猫による街おこしに、児玉市全体で賛同が得られるとは思えません。」
ちょっと迷ってから、市長は続けた。
「実は、私も犬派です。猫には、そんなに良いイメージは持っていません。」
マジかぁ……。これは手強い。
「もう一つ、この企画の中では、児玉焼猫バージョンというのがありますが、児玉焼は、由緒正しい伝統工芸です。古くからの習わしや技法を重んじる世界です。そこに、『猫』が受け入れられるかどうか……。正直、かなり厳しいと思いますね。」
的確な指摘だった。青山君もそれは感じたらしく、言葉に詰まっている。詰まりながらも、必死で食い下がる。
「確かにその通りかもしれません。猫嫌いの人もいるでしょう。しかし、今、児玉市の危機を回避するためには、今までにない思い切った取り組みが必要なのではないのでしょうか。他に、何か、画期的な打開策がありますか?」
今度は、市長が言葉に詰まった。痛いところを突かれたのだ。今、そこで一番困っているのは、他ならぬ市長自身であろう。
「児玉市でも、みんなで知恵を絞っているところです。」
気を取り直して、優しい口調で続ける。
「まあ、今、私が言ったのは、あくまで、個人的感想ですからね。検討委員会でどう評価されるかはわかりません。判断はそちらに任せましょう。今日は、来てくれてありがとう。」
市長は、立ち上がった。明らかに、「もうこれで終わりだよ。」と示している。
「この件は、中学生だけでなく、児玉商店街の方も関心を持っておられて、企画作成の際にも、アドバイスをいただきました。自分たちにできることはないかと、今も考えてくださっています。地域の方の思いも反映されている企画ですので、ぜひよろしくお願いします。」
栄子も、必死で食い下がる。
「ほ~、そうなのですか。」
立ち上がっていた市長の表情が、少しだけ揺れる。
「わかりました。そのことも、検討委員会に伝えておきます。」
三人は、渋々席を立ち、市長室を後にした。
薄汚れたグレーの壁が圧迫感をもたらしている暗い廊下を、三人は無言で歩く。壁には、大きく、「節電!」と書かれた張り紙がある。市役所の財政も、火の車なのだ。足取りは重たい。
「やっぱり、現実は厳しいねえ。」
栄子は、何とか言葉にしてみた。
「うん……。」
いつもなら一家言あるはずの緑が、言葉少なである。
「ま、想定内ですよ。とりあえず、受け取ってもらいました。伝えたかったことも伝えました。」
青山君が、ことさらに明るい声を出そうと頑張っている。
「そうだね。君たち、よく頑張ったよ。まずは、第一段階クリアだ。お疲れ様。」
栄子は二人の背中を軽くたたいた。
だがしかし。
全くのところ、前途多難である。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。基本、毎日更新しており、近々、完結予定です。
短編小説「グローブでてこ~い」【童話】を投稿しました。
よろしければ、そちらも読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。




