『さくことができぬチーズ』が発売中!!
「このままでは我が社は倒産してしまうぞ!!」
会議室の中に社長の怒号が響き渡る。社員たちはみな一様に俯いて押し黙ったままだ。
「うちの売り上げは他社に水をあけられるばかりだ! 業界最大手のあの会社は、新商品が大ヒットだそうじゃないか。ええと、なんといったかな……」
「そ、その、『さくことができるチーズ』です、社長」
この中で一番若い女子社員(まだ学生といっても通じるくらいだ)がおずおずと答える。
この会社は乳製品の加工を行っている中小企業。昨今の原料費の高騰の煽りをもろに受け、業績は右肩下がりだった。
「そうそれだ! 一口サイズにさくことができる手ごろさ。数々のフレーバー。おつまみにおやつに最適だ! ……うん、うまい」
「社長。企画会議で堂々と他社製品を食べないでください」
白髪が目立つ年配の社員がたしなめる。
「ほう……? モチヅキ君。君は確か来年定年だったね?」
「ええ。苦節四十年、社長に尽くして参りました。あと一年、最後のご奉公を……」
「君は今日でクビだ。私に逆らう者は会社にはいらん。早めに余生が送れて良かったな、はっはっは!」
「そ、そんな! あんまりではないですか!」
異議を唱えたのは先ほどの女子社員だった。
「モチヅキ部長……お父さんは! どんなときも会社のために働いてきたんですよ! 私の授業参観は一度も来てくれなかったし、運動会とか学芸会だって……」
「マナミ。お前には悪いことをしたと思っているよ……」
娘に頭を下げるモチヅキ。しかしマナミは言い募る。
「愛想をつかしたお母さんは実家に帰っちゃって! ついていきたかった私は『あの人の遺伝子が入っていると思うと虫唾が走る』とか言われて捨てられて!」
「あいつ、そんなことを言っていたのか……」
「かとおもったらすぐ新しいお母さんができました! ……まだ17だっけ? どこで捕まえてきたの!?」
「言っただろうマナミ。最近はそういうリフレがあるんだ」
「さいってい!!」
軽蔑のまなざしで父親を見るマナミ。しかしモチヅキは悪びれた様子もなく続ける。
「仕方がないだろう。……産みたいっていうんだから。弟と妹、どっちだと思う?」
「どっちもやだ!」
「……なあモチヅキ君、マナミ君。そういう込み入った話は家でやってくれな……」
「とにかく!!」
口を挟もうとした社長をバンッ、と机を叩いて制しマナミは言った。
「こんなお父さんでも会社ではそれなりに顔が利くんです! それを笠に着て好き勝手やろうというコネ入社した私の計画はどうなるんですか!? 退職金略奪作戦の方は!?」
「マナミ……強く育ってくれて父さんは嬉しいよ」
ほろり、と涙をこぼすモチヅキ。社長は展開についていけずポカンとしていたが気を取り直して言った。
「え、ええい黙れ! とにかくモチヅキ君はクビ! マナミ君は商品開発部に伝えてきたまえ。『さくことができるチーズ』を全力でパクれと!」
「そんな! 訴えられたらどうするんですか!」
「なあに。一字変えるとかしておけば何の問題もない!!」
数日後。マナミは商品開発部を訪れていた。
「おはようございます。新製品ができたと聞いたんですが……」
「おーよく来たね! まあ座って座って!」
出迎えてくれたのは開発部の先輩女子社員テシガワラだった。
「オーダー通りのヤツが完成したよ! これなら社長も満足だろう!」
「あ、これですか。じゃあちょっと失礼して……。あれ? ふん、ふんぎぎぎ……!」
「マナミちゃん、女の子がしちゃいけない顔になってる」
「ほっといてください! それよりなんですかこれ! ぜんっぜんさけないんですけど!」
「そりゃそうだろう。『さくことができぬチーズ』なんだから」
「……はい?」
あっけにとられるマナミ。テシガワラはふっふっふと笑って続けた。
「このチーズは絶対にさけない! 例の大ヒット商品をパクったうえで開発者のプライドを満たすためにオリジナリティも加えて見たんだ。どうかな、これ」
「……あの、さけなかったらどうやって食べるんですか?」
「ははは。食べられるわけがないだろう。マナミちゃんは面白いことを言うな」
「じゃあ売れないじゃないですか!!」
『さくことができぬチーズ』を机に叩きつけるマナミ。グシャッ、と音を立てて机に穴が開いた。
「あー! なにをするんだ! 最近は経費削減とかで新しい備品買えないんだぞ!」
「こんな凶器を開発するテシガワラ先輩が悪いんじゃないですか! とにかくこれはお蔵入りにして……」
「ごめん。もう流通ルートに乗っけちゃった」
「……なんですって!?」
オフィスには電話の鳴り響く音が絶えることがなかった。
「はい、『ママンのおっぱいこそ最高のミルク株式会社』です! ……は、はい、本当に申し訳ございません!」
クレーム処理に追われるマナミ。歯が欠けた、指が折れた、CMの曲が気に食わないなどなど。明らかなパクリじゃないかというクレームが来ないのは奇跡かもしれない。
「はい、はい! 担当者に伝えさせていただきます! ほんっとーに、申し訳ありませんでした! ……ふぅ」
ようやく一件処理したマナミ。そばでテシガワラがのんきにコーヒーを啜っている。
「いやぁ。大変そうだねぇ」
「全部テシガワラ先輩のせいじゃないですか! ……ってまたかかってきた。はい、『ママンのおっぱいこそ最高のミルク株式会社』です! この度は本当にご迷惑を……。え? クレームではない?」
「ふんっ! という訳で、是非そちらの製品を。ふんっ! 使わせていただきたいのです」
再び数日後。マナミは『日本筋骨体育大学』の学長と面会していた。バーベルを上げ下げしながら話す学長の腕はマナミの胴より太い。
「いやはや。ふんっ! 我が大学の、ふんっ! 学園祭が! ふんっ! 近づいている、ふんっ!」
「……学長。その、話しづらいです、すごく」
「ふんっ! しかし。 我が、ふんっ! 筋肉を、ふんっ! ひと時とはいえ、ふんっ! 休ませるわけには!」
「そ、そうですか」
……学長の鼻息交じりの説明をまとめると、この大学の学園祭に全学生が参加の綱引きがあるという事だった。しかしみんな筋骨隆々なため、いつも綱が切れて決着がつかないらしい。
「その点、そちらの、ふんっ! 『さくことができぬチーズ』は、ふんっ! 素晴らしい! 私ですら、ふんっ! さけないとは! どうか、ふんっ! お願いします! ふんはぁああああ!!」
「わ、わかりましたから! 持ち上げた態勢でキープしてにじり寄ってこないでください!!」
いつしか『さくことができぬチーズ』にはクレームではなく問い合わせが殺到するようになった。
「はい、『さくことができぬチーズ』ですね! はい、マグロ漁の釣り糸に! わかりました、すぐ納品します!」
「国境を隔てる壁としてご使用を? かしこまりました!」
「アメリカと日本を繋ぐ橋を造る? そのワイヤーに当製品を? はい! 承りました! ……ふぅ」
やはり電話処理に追われるマナミ。そばではテシガワラがコーヒーを啜っている。
「いやぁ。全部私のおかげだねぇ」
「そうですけど! ひまなら手伝ってくださいよ! ……ってまたかかってきた。はい! 『さくことができぬチーズ』のお問い合わせですね! え? NASA?」
「地球って……ほんとに青いんだ……」
マナミは眼下に広がる青い惑星を見下ろしていた。ここは星々の世界。人類の夢であった、地上と宇宙を繋ぐ軌道エレベーターのターミナルである。
技術的に困難は幾らでもあった。そのひとつ、材質の強度不足は見事解決されたのである。
「いやぁ。チーズで宇宙に来れるとはねぇ。……こうして地球を見てると、ちっちゃい悩みなんかなくなるねぇ」
「ホントですね……」
隣のテシガワラの言葉に頷くマナミ。
「そういえば、もうすぐ弟か妹ができるんです。仲良くできるか不安だったけど、なんとかなりそうな気がしてきました」
「ははは。『さくことができぬチーズ』は、家族の絆も取り持つんだねぇ」
おあとがよろしいようで。