第八十八話
「第二大隊、構え! 第三大隊、放て!」
長弓から放たれた矢は、弧を描いて魔獣に落ちる。硬く鍛えられた金属は、悪魔の抜けた魔獣の毛皮に薄くだが突き刺さる。
鬱陶しかったのか、身震い一つでそれを払うと、化け狐は城壁への突進を再開する。足下の獣人達が、退避を余儀なくされた。
「揺れるぞ! 備え」
騎士団長が最後まで叫ぶ間もなく、王城の最外壁が大きく揺れる。バリスタがいくつか固定台から外れ、落下していった。
遠い距離なら狙いを付けられるが、大きく動かすにはバリスタは重く、固定を外すにもつけ直すにも楽ではない。既に無用の物ではあるが、落とされて良い物では無い。
「動きが止まった! 行くぞ!」
アジスの掛け声で、叫び声を上げながら獣人達が突撃する。体当たりをした化け狐は、すぐには動けない。獣人の身体能力があれば、僅かな隙も大きなチャンスだ。
足の関節部に次々と爪や牙が刺さる。毛を刈り取り、皮を裂くが肉には届かない。熊や虎といった大型は別だが、彼等は長距離の移動に向かず、今回の交渉には少数参加だ。
「くっ、埒が開かない!」
「団長、このままでは押しきられます!」
「分かっている……第一大隊、投石機はまだか?」
「残り二機、現在修理中です。修理期間が無くなった物ですから……」
「予定よりも早く、封印を外す羽目になったからな……」
苦虫を噛んだような顔で、騎士団長は呻く。バリスタも長弓も、鏃は細かい加工も出来ず、硬いだけで荒い。その大きさもあり、決定打にはならない。
巨大な化け狐には、物量で潰す。それが彼等の考えた最善だった。
「こんな事なら、毒物の貯蔵でもしておけば良かったですね。」
「あの矢が果たして何割血管に到達するか……量を考えれば、あったとしてもな。」
作戦、技、知恵。それで覆せないからこその、災害。大型の、原罪の魔獣とはそういう物だ。
例え魔法が無かろうと、その皮を通す攻撃も、その牙を止める守りも、人の手には余る代物ばかりである。
「アジス殿は御無事か?」
「おそらく、あの人影かと。」
「あそこか……指揮官として意見を合わせたかったんだが。」
明らかな最前線に、騎士団長は断念した。人の身であそこに行けば、数瞬でミンチだ。
しかし、暴れる化け狐に、吹き飛ばされる騎士も獣人も少なくない。果たして間に合うのか、それは分からなかった。
「我々に出来ることをするぞ! 第二大隊、放て!」
少しでも動きを阻害するか、意識を逸らす。下で小さく攻撃を重ねる獣人達の無事を祈りながら、騎士団長は刻一刻と変化する状況を見極めようとしていた。
「影が無いなぁ……この辺り建物も少ないし。」
「お前が少なくしたんだろが。」
人一人が隠れる程の影も無いため、その姿は瓦礫の陰に隠すしか無い。まともに魔法を食らったマモンが、辺り一帯を【流星群】で潰し続ける。
「好き勝手しやがって。あれをどうにかしないと、見つければまた集中砲火だ。」
「んじゃ、モナクが受けて僕が斬ろう。」
「逆なら良いぞ。」
「君、互いの魔法考えて言ってる?」
光を防ぐのに、風が何の役に立つのか。【切望絶断】は単発だ。
「お前にマモンが宿るよりマシだ。」
「そう簡単に、核無しに乗っ取られないって。」
互いに牽制し合う状態で、星が降り続ける。天頂の太陽も、影を消す為にアルスィアには恨めしく感じる。
ふと、魔法が止み、翼の音が聞こえた。慌ててソルが魔法を展開する。避難した王国民や騎士団に行かれれば、その人数の魔力が集まる。下手をすれば新しい特性さえ、獲得しかねない。
「逃がすか! 【具現結晶・狙撃】!」
「そこかぁ! 【食い千切る炎】ァ!」
地面ごと喰らう炎の顎門に、アルスィアは暴風をぶつけて相殺する。マモンも、炎の特性までは、あまり得意とは言えない様だ。
マモンに避けられて上空に飛んでいった結晶は、急停止して反転する。その結晶と同時に届く様に、ソルは結晶の片手剣を振る。
「甘いんだよ、【鎖となる影】!」
マモンの翼の影から、影の鎖が伸びてソルを捕らえる。そのままマモンが、背後の結晶を【精神の力】で止めた。
鎖はソルを引き、マモンの方に引き寄せる。魔術の発動は間に合わず、【具現結晶】ではどうしようもない。
「ようこそだ、モナクスタロ。【強欲】!」
「【輝く光】。」
黒いオーラを照らす様に、下から強烈な閃光が影を潰す。元が無くなった影の鎖はその姿を消して、解放されたソルが【強欲】から逃れた。
「くそっ、何処の誰だ、アァ?」
「名乗る名前は、無い。」
拒絶の魔人は更に魔法を展開し、光の矢を幾多にも生み出す。辺りを眩く照らす、その全てがマモンに鏃を向けている。
「行って、【矢となる光】。」
「【強欲】。」
その全てが、黒いオーラに呑み込まれた。
「……あれ?」
「あれ、じゃないよ。強欲の悪魔だからね? あれ。何しに来たの君、餌やり?」
「そこまで言わなくても……」
「せっかく削った魔力回復されましたけど? 今のはもっとカッコ良く決める所でしょ? アホ過ぎて笑いしか出ないよ。」
嘲笑するアルスィアが言いたいだけ言うと、マモンの反撃を斬り伏せる。意趣返しとでもいいたげな巨大な【一閃する星】も、アルスィアには見切る事の出来る速度だ。
凄まじい勢いで離脱したソルが、アルスィアの隣に降り立つ。翼のあるマモンと違い、ソルは飛行に魔力を使うからだ。
「助かったけど、その後の矢は必要あったか?」
「無い。」
「いっそ清々しいな。」
フードの下に隠れた顔はソルには見えない。ただ、影を封じられるのは良い流れだ。
「ん? てか何でいるんだ?」
「本懐を疑え、と。だから頼みも受け入れてみた。」
「相変わらず会話にならない……もっと人間味、無いの? 魔人なのに。」
「加虐性愛者。」
「それは僕じゃ無いかな~、嗜虐の奴だ、ねっ!」
急降下してきたマモンをアルスィアが受け止め、【切望絶断】でその爪を絶つ。
再生出来ない爪を忌々しく睨み、マモンは再び空に舞った。
「次から次へと……あと何人来やがんだ?」
「消えれば来ねぇよ!」
結晶の剣を飛ばしながら、ソルが新しく魔術を展開する。マモンの上から落ちる水は、やがて凍る。マモンの視界は光の屈折しか分からない、氷の塊に覆われる。
魔術で作られた巨大な氷柱を、中から全て奪い尽くしたマモンは、周囲の変化を体感した。
「【具現結晶・戦陣】。」
周囲が結晶に覆われ、辺りのマナと魔力を吸い上げる。その魔力は結晶の領域を拡大させ続け、更に多くのマナに魔力を集める。
「ちょっとモナク。これ、邪魔なんだけど?」
「俺の戦陣はな、マナと魔力、両方吸収できるんだよ。」
「そんなの関係無い……あぁ、なるほど。」
アルスィアは左に握った妖刀を右に放る。その後、己の影からもう一本妖刀を抜き放ち、左から来る風の刃を切り裂いた。
左右から風の刃を吹かせたマモンは、目の前の戦陣から奪っていく。
「拡散。」
「ちっ、ちまちまやってらんねぇか。」
マモンが黒いオーラを膨れ上がらせて、辺り一帯を奪い始める。結晶に取り込んだエネルギーは、全てソルの魔力となる。魔力が満ちた魔力の結晶は、【強欲】にとって純粋な餌だ。
「そこまで広がれば見えねぇだろ。」
ソルが「飛翔」で辺りの瓦礫を浮遊させる。黒いオーラに隠れながら、マモンに近づく瓦礫は、突然に発射された。
「がぐっ!?」
瓦礫の質量に殴られたマモンは、魔法を維持できずに【強欲】が消えた。
「無様だね。【切望絶断】!」
「ちぃ、【具現結晶・防壁】!」
地面から現れた結晶の壁が、駆け寄るアルスィアを上空へと跳ね上げた。体勢を整えて、マモンの後ろに着地するが、すぐにマモンの爪が迫る。
その爪も【切望絶断】で切り捨てて、アルスィアは起こした暴風に身を任せて一度退く。
「これで爪は無くなっちゃったね? やっぱり無様じゃないか。」
「舐めてんのか、【流星群】!」
「まだ、そんな魔力が?」
風に乗って瓦礫を盾にしていくアルスィア。あっという間に打ち砕かれ、平野が広がっていく。
「【天衣無縫・天球】。」
「おっ、それいいね。」
するりと潜り込んだアルスィアに、拒絶の魔人は顔をしかめる。前に殺されかけたのだから、当たり前だ。
ソルは周囲に浮かぶ、八つの【反射する遊星】で星々を跳ね返していく。次から次へと降る星がそれを撃ち抜き、四方八方へと光が拡散する。
ふと、ソルが拒絶の魔人の魔法へと飛び込む。敵意が無かったソルは、【天衣無縫】に拒まれない。
「馬鹿やろー! 固まってんなよ!」
「遅ぇんだよ! 【強欲】!」
光の布が一瞬黒いオーラを阻み、徐々に呑まれる。その間に三人は距離を取り、【具現結晶・戦陣】は広がり続ける。
「二人で派手にかましてくれ。俺は【具現結晶】以外、魔法を使えない。力場じゃ、魔力は使うけどマナの効率が良すぎる。」
「持続型なのが仇になったね。いや、魔力を吸収しても意味が無い、マモンがおかしいだけかな?」
「探るな。マモンが乗り移れば、お前も討伐対象だからな?」
「だから乗っ取られないって。」
アルスィアがぼやきながら妖刀を振る。その軌跡が真空をつくり、崩れることなくマモンに飛ぶ。
速度と維持は魔力、しかし攻撃自体はその場にあった空気だ。ギリギリで奪えばダメージを追うマモンは、必然その場を動きながら魔法を展開した。
「……派手なら良いの?」
「派手なだけ、な。例えばこの都市一体、地形図から消し飛ばすくらい。」
「やらないし、やれない。魔界でも無いのに。」
「例えだよ。」
「ハッ! 出来んならやってみやがれ! 【一閃する星】!」
戦陣の一角から放たれたエネルギーが、マモンの魔法と相討ち消える。その奥で拒絶の魔人が巨大な魔法陣を展開し始める。
「これは……貫通、消失……と、星? なんの魔法だ?」
「うげ、無い右腕が痛む気がする。」
魔法の展開に全神経を費やす拒絶の魔人。ソルとアルスィアは、二人でマモンの猛攻を防ぐ。
炎の顎門、風の刃、結晶の弾丸に影と星。多種多様な魔法を次々と同時展開するマモンに、【切望絶断】と【具現結晶】をフルに使用して互角。
いや、反撃の隙が無く、マモンは戦陣に【強欲】を伸ばす辺り、負けている。
「ヒィーハハハ! 呑まれろ、【躊躇いの」
過去の後悔より訪れる影は、その身を遥か彼方に伸ばして届かない。それほどの光量が、拒絶の魔人の背後の魔法陣から漏れる。
強欲を展開しようにも、タイミングが間に合わない恐れがある。そう判断したマモンが翼を広げた瞬間、巨大な手に掴まれた様に止まる。
「【捕らえる力】!」
「モナクスタロォォーー!」
右目から魔力を噴き出させるソルの後ろで、拒絶の魔人が宣言する。
「我が右目を犠牲に、彼の者を裁け。【裁きの星】!」
一つの凶星が、光ったと感じた瞬間。マモンを貫いていた。