第八十七話
街中よりは外れた、少し薄暗い小屋……の地下。最小限の足音が二つ、無音の風が一つ。
ベルゴが、横抱きに抱えていた拒絶の魔人を下ろし、風の魔術で降りてきたシラルーナに振り返る。
「シラちゃん、器用な事するねぇ。」
「環境に恵まれたので。最高の御師匠様と兄弟子に。」
「だぁ! 暗ぇんだよ、くそ!」
クモの巣に引っかかったカローズが、顔を拭いながら叫ぶ。隣の拒絶の魔人が、フードの下で迷惑そうに顔を歪めた。
「それで?」
「ん? 何が?」
「光の魔法は?」
「もー、最初っからそう言ってよ。お兄さんとお話しよう?」
「うざい。その為に来てるんだから分かって。」
とても案内させる態度では無いが、ベルゴは気にせずに壁を指差した。
「……? その壁が」
「二名様、ご案なぁ~い!」
怪訝そうに近づいた拒絶の魔人とカローズを、ベルゴは壁へ突き飛ばす。二人が驚く暇も無く、壁の向こうへとすり抜けるように消えた。
「あ~、いい仕事した。」
「これ、魔法で写してる虚像ですか?」
「そうだよ~。とある悪魔に頼まれちゃってさ、脅されたんだよねぇ。おぉ、怖。」
大袈裟に震えるベルゴに、シラルーナは警戒して魔導書を開く。ベルゴは首を振って訴える。
「ちょっ、待って待って! 悪魔のお願いってのも安全だって!」
「どんなお願いだったんですか?」
「急に別の魔力を入れると、精神に負荷があって危ないからさ。既に魔力を扱って馴染んでる、君は無理だったけど……この国を守れそうな人に、力と意思を託したいんだってさ。」
この国を守るという言葉に、違和感を抱いたシラルーナだが、それ以上に人選を気にした。
「それは……カローズさんなら、分かりませんけど。」
「勿論、その辺の拒絶反応無さそうな人を、適当にね? 面倒くさいし。」
「大丈夫なんですか?」
「さぁ? 元々脅されただけだし。」
どこまでも適当なベルゴ。しかし、何故か自信に溢れる姿に、何か考えでもあるのかと、シラルーナはとりあえず待つ事にした。
自分が拒絶反応で倒れては、かえって迷惑になる。虚像とはいえ、わざわざ壁を作るくらいなら、ここまでを魔術的に隔離している筈。その場に座り、上への階段を眺める事にした。
「ってぇ~。あんのケーキ野郎、非力な癖に思い切り突き飛ばしやがって。」
「……痛い。」
瓦礫に突っ込む形になった二人が、土埃を払いながら立ち上がる。ろくに手入れされていないのは上の小屋も同じだが、地下は更に隠されていた分、風の通りも無く埃臭かった。
更には薄暗い。いや、僅かだが明かりがある方が変である。二人は顔を見合わせて、どちらからともなく奥にすすんだ。
「なぁ、光の魔法の遺産ってなんだよ? ホイホイとこんな所に来る奴でも無ぇだろ、お前。」
「……なんで?」
「勘。んで、何だよ。」
正直なカローズの返答に、呆れた拒絶の魔人が黙る。しかし、カローズの質問には返答がかえった。
「それは今から知ることになるであろうよ、獣に堕ちし者よ。」
「あん? 誰だよ。」
カローズが声に目をやれば、そこには白い翼を携えた男が座り込んでいた。いつの間にか、奥まで歩いていた様だ。
しかし、その男は一目で悪魔と分かる角がある。どこか美しさを感じるその男は、既に半透明で消えかかっていた。
「ここに匿って貰っている、正義の悪魔・ディケイオスだ。お主らの名を訪ねても良いかな?」
「匿ってって……消えそうだけど?」
「故に急ぐのだ、魔人の娘よ。目的は分からぬが、あの者の温情があるうちに、な。」
ディケイオスが一向に動かないのは、動けないのだと悟った二人が少し近づいた。
その距離に少し満足したのか、ディケイオスは僅かな笑みを浮かべる。
「心無き者ではないのだな。名は諦めるが一つ、聞かせてくれ。我等が大義、継いでくれるか?」
「大義ってなぁ、なんだ?」
「還るべき故郷を、そして愚かで愛すべき心を。堕ちぬように尽力して欲しい。」
「……?」
「……ケントロン王国とその民達を守ってくれぬか?」
首をかしげるカローズに、ディケイオスが言葉を簡略した。カローズは、一つ大きく頷いた。
「おぅ、良くわかんねぇけどよ、同胞の仲間なら俺の仲間だからな。全員死なせねぇよ。」
「人間と獣人の同盟か。変わる物だな。」
ディケイオスは、カローズから視線を外し、拒絶の魔人と向き合う。
「主はどうかな?」
「……それが契約なら。」
「確約はせん、と……しかし、無下にする気も無いのだな。」
「する事も無い。それなら、嫌いな悪魔に拒絶心を抱いて貰うのも、良い……貴方の力でここを攻撃する事は、しない。」
「ふむ……そうか。ならば託そう、我の全てを。このまま消えれど、原罪に一矢報いよう。」
目を閉じたディケイオスが、その光をより一層高める。薄明かりが、仄かな眩きとなって二人を包む。
「まっすぐな少年よ、主にはその志を貫く力と経験を。」
カローズの右手が光り、複雑な紋様が甲に浮かぶ。驚くカローズの前で、ディケイオスの側にあった槍が消える。
「魔人の娘よ、己の本懐に呑まれるな、疑え。いつか気づくその為に、今を生きる術と支えを。」
拒絶の魔人の体を光が包む。膨大な魔力が流れ込み、存在そのものを託される。
光の粒子が上に登り、やがて天井を越えて消えていく。正義の悪魔は今、完全に消失した。
「……変なの遺された。」
「拒否すれば良かったんじゃねぇ?」
「嫌では、無い。」
二人はどちらともなく歩き始めた。向かうべき場所は、なんとなく理解出来ていた。
「「【具現結晶・狙撃】!」」
黒と無色の結晶がぶつかり合い、弾かれる。その内側に入れられた魔方陣が、数拍遅れて光を放つ。
その光はマモンの視覚を潰し、アルスィアの溶けた影を消した。姿を表されたアルスィアは、影の中との感覚の違いにマモンの前に棒立ちになる。
「ハッハァ! 【強欲】!」
「くっ!? 【鎖となる影】!」
一瞬の閃光が消え、復活した影から伸びる鎖を引き、アルスィアは黒いオーラから離れた。
その隙を逃さずにソルが上から瓦礫を飛ばす。マモンに命中したが、翼を一度振るい離脱された。追撃していたソルの騎士剣は地面を突き刺す。
「ちょっとモナク! 危ないだろ!」
「俺としては、マモンさえ消せれば、お前はどっちでも良いんだよ。最初に俺ごと斬ろうとしたのは、何処のどいつだよ?」
「あれは逃げられただろ。力場と付与とか、僕には扱えないから、君を襲う理由がないでしょ。」
「ヒィ~ハハハ! 傲慢な奴らだな! 【食い千切る炎】!」
言い争う二人に、炎の顎門が迫る。ゴウッと音を立てて閉まる炎に、アルスィアの妖刀が振るわれた。
切断された炎が霧散し、その向こうからマモンが襲いかかる。長く伸びる爪に【強欲】を纏い、全てを奪おうと連続で振るわれる。
「そろそろ諦めな、てめぇらに俺は越えられねぇよ。」
「黙ってろ寝坊助。【具現結晶・武器】!」
近くの家屋に大槌を叩き込み、倒壊したそれはマモンに迫る。大きな炎の竜巻が家屋を飲み込み、灰にした。
それでもマモンには、はした魔力なのだろう。その間に離れたソル達に、すぐに力場の魔力で瓦礫を投げた。
「【具現結晶・防壁】。」
「【蛮勇なる風】。」
「トロいんだよ!【強欲】!」
暴風と結晶が瓦礫を防ぎ、黒いオーラに呑まれる。魔法の展開速度で、圧倒的に負けている。コンマ数秒でも遅れれば、【強欲】で守りも攻めも間に合うのだ。
魔法には無類の強さを誇る【強欲】に、二人は攻めあぐねていた。戦闘に慣れている訳では無いからだ。
「お前、これ絶てないのかよ。」
「君こそ、どうにか出来ないの?」
擬似的とはいえ、核を得たマモンの魔法は完璧だ。名持ちの魔人の魔法でも、付け入る隙の無い術式。魔術的な知識の無いアルスィアは余計にそうだ。
幸い、黒いオーラは遅い。機動力の高い二人は、間を縫えば接近は容易だ。その間に物理的に核を叩ければ、宝石なら砕ける一撃を持っている。
「呑気に話してる場合かよ? 【流星群】!」
「くそっ、【反射する遊星】!」
離れれば速い攻撃が飛んでくる。風に火、光と影に力場。マモンの持つ特性は、全特性の半分以上に至っている。【具現結晶】で反射や吸収も出来る辺り、付与の特性もありそうだ。
「貰った、【切望絶断】!」
「冗談だろ? 【具現結晶・狙撃】!」
鋭く閃く妖刀だったが、黒い結晶がアルスィアを遠くに突き飛ばす。マモンは反ってきた【流星群】を【強欲】で奪い、風の刃でアルスィアに追い討ちをかける。
その間に、ソルが騎士剣で斬りかかるが、突如炎を纏うマモンに後退する。【炎の鎧】だ。
「ヒィ~ハハハ! バラバラなんだよ、てめぇら!」
炎を纏ったマモンが、その爪をソルに振るう。魔獣の時にケントロンの騎士も奪った為か、近接戦闘も何処かこなれている様に感じる。
「どうした? わざわざ起こしといて、随分と期待外れだな! もっと俺が欲するぐらい! 頑張って見ろよ!」
炎の熱量は動きを補助する。一撃の力も上がった熱い爪を、ソルの騎士剣は何度も受け止める。
遂に溶解し始めた騎士剣を捨てて、ソルは空に逃げる。しかし、翼だけでなく【精神の力】も操るマモンに、空中の機動で追い付かれる。
「あぁ、しつこい!」
「てめえがこれを消せば、見逃してやるかもな?」
「今は、だろうが。「影潜り」。」
低空飛行に移ったソルが、建物の影に溶ける。路地裏の入り組んだ道では、逃げる事も容易になる。
「魔術だったか? 規格にハマりすぎなんだよ、そいつは! 【輝く光】。」
影を取り払う光が、瞬間的に辺りを蹂躙する。溶けた影が無くなり、ソルは姿を曝される。
「そこかよ、【蛮勇なる影】!」
「魔力で負けても、影なら今の僕が勝っている。【蛮勇なる影】!」
正面から影の刃がぶつかり、波は互いに砕け散る。影に戻った魔法の後ろで、アルスィアが魔法を展開していた。
マモンが展開する【強欲】より早く、それは二人の間合いを裂いて駆ける。
「【苦痛刻む乱気流】!」
「【強」
「「飛翔」。」
ギリギリの魔法を妨害するのは、折れた剣。この地域でも、魔獣の混乱はあったのだろう、血に濡れた、騎士の剣だ。
気がそれたマモンを、風の刃は捉えた。瞬間、暴発して蹂躙し、収縮しながら刻む。その竜巻は、空高くまで切り裂いた。