第八十六話
「右だ! 右に寄せろぉ!」
「逃げろ逃げろ逃げろ! 潰されんぞ!」
「あそこの建物で交代だ!」
獣人達が走り抜け、角を曲がって裏路地へと走る。そこから変わるように別の獣人が飛び出し、化け狐に一撃、すぐに走り出す。
交代した獣人達に、激昂した化け狐が迫る。違いすぎる歩幅だが、入り組んだ路地は小さな方が有利。右に左にと次々曲がり、なんとか距離を保つ。後ろの破壊音は聞かない事にした方が、精神的に良いだろう。
「今どれくらい行った!?」
「知るかぁ! 城の位置とか覚えてんのかよ!」
ひたすらに走る彼等に、化け狐は猛烈な勢いで追いかける。
魔獣は闘争本能が高い。後ろを向いて逃げる、という行為で簡単に誘き出せる。もっとも、そんな事をすれば獣人でも無い限り、待っているのは死しかないが。
そんな彼等の上で、ソルは瓦礫を落としたり結晶を撃つ事で、追い付かれるのを防いでいた。時折、化け狐が此方を向けば、空で逃げ出して誘導に協力する。
「凄い速さだけど……まっすぐに走ると捕まるのがな。随分と遠回りだ。」
結晶を飛ばして、地上に次の曲がり角を伝える。道はソルがその場の判断で決めている。やったことも無い道案内を、慣れない地で出来るのは、上からの視点があっての事だ。
土地勘と経験のある騎士団でも出来るが、化け狐に追い付かれては意味が無い。
「次は……左なら建物が壊れてないな。」
化け狐が、此方の意図を理解出来ないうちに、城にたどり着きたい。追い付かれない程度に最短ルートを辿る。
尾の届かない高度の飛行は、少し疲れる。ソルは魔力ならともかく、体力はあまりあるとは言えない。無理矢理に魔力で引っ張って飛んでいるので、姿勢の維持等に体力を消耗するのだ。
「おっ、いつのまにか交代してる? ……道、俺が適当に選んでるのに、何で先々に居るんだろ。」
獣人の生態はまだ分からないな、と呟きながらソルは結晶を撃つ。建物を破壊しながら進む化け狐は、その速度を落としながらの進行だ。
遂に城前の大通りに、化け狐が乱入する。獣人はすぐに城に向けて走り出す。最後は足に自信のある、豹や狐の獣人だ。彼等は生涯の最高速で走り抜ける事だろう。そのうちの一人は、よく見ればマカだった。
「そろそろか……【具現結晶・防壁】!」
彼等の抜けた道に、巨大な結晶の壁が立ちはだかる。後ろの音に驚いた彼等も足を止めるが、すぐに走り出した。
激突した化け狐も、すぐに破壊できないと悟り、【強欲】を纏う尾を向ける。わざわざ回復させる筈もなく、結晶は霧散した。
「放て!!」
ケントロン王国の最新鋭の技術を施したバリスタが、金属の硬質な音を響かせて嚆矢を射出する。生物由来のロープが、深く刺さった矢を引き、化け狐を拘束した。
しかし、ハンドルや台車越しではあるが、その何本ものロープを引くのは獣人や騎士団だ。まともな設備を準備する時間は無かった。
「結晶の! 行けるか!」
「勿論だ、【具現結晶・貫通】!」
大量の矢は化け狐の尾も捕らえている。結晶は阻まれる事も無く、化け狐を貫いた。
「表層まで出てきやがれ、吸収!」
心臓の近くに穿たれた結晶が、凄まじい量の魔力に光輝く。しかし、それでも足りない。遂にロープを引きちぎった化け狐が、理性のある目で、己に刺さった結晶に【強欲】を差し向ける。
みるみると消えていく結晶に、化け狐の胴を貫いていた穴が塞がった。
「失敗か!?」
騎士団長がその光景に呻く。対して、ソルが浮かべたのは笑みだった。
「全部向けて集中してんな? ほらよ、行ってこい! 【精神の力】!」
「乱暴だね、モナク。【切望絶断】。」
空からの視野は広い。影から出てきた男を、ソルは力場の魔法でぶん投げる。精度や調整なんて考えていない、出力のみの力場。
表層に浮き出た魔力、それを魔獣から切り離し、男は風を起こして着地した。
「あれは、あの時の魔人!?」
「アジス殿、彼も敵では無い、と?」
「それは……分からない。」
切り離された魔力は、濃く黒くなり、形になっていく。魔獣に戻る前に、ソルが宝石を飛ばしながら魔法を唱えた。
「逃がさねぇよ、マモン。【具現結晶・唯我独晶】。」
魔力と物体を結び付ける魔法は、マモンの残滓を宝石に封じ込めた。しかし、高品質なその触媒は、魔力を吸い上げると共に、染まりきれば擬似的な核にもなる。
悪魔の契約でもない、強引な結び付きだが、それは十分に核になりえた。魔力とマナが少ないが、そこは触媒の品質が魔力を捉えるからだ。
「……ここから、だよなぁ。」
「疲れてるなら、早く帰りなよ、モナク。あれは僕が貰うから。」
急に魔力が持っていかれて、思考力が低下した化け狐。その横で風を纏ったアルスィアが、建物の上まで跳躍してソルの一人言に返す。
「んじゃ、着いてこいよ。」
黒い魔力に覆われた宝石に近寄り、魔力を掌に集めるソル。ちゃっかり目の前の宝石に結晶を着けて、吸収もしている。
魔力が人影を形作り、黒い翼膜が目の前に広がる。強欲の悪魔・マモンが目覚めた。
「ヒィ~ハハハ!全部俺のモ」
「【具現結晶・破裂】!」
「【苦痛刻む乱気流】!」
細身の悪魔が高笑いを上げた途端に、ソルは全力で魔法を放つ。吹き飛んだマモンに、音さえ置き去りにする風の刃が飛んで行った。遠くで拡散し、収縮していく竜巻が起こる。
「よし、あそこだな。」
「取引はここまでだからね。あれを貰っても、文句言わないでよ?」
「言わねぇよ、俺が消すからな。」
影に溶けるアルスィアと、空を飛んでいったソル。
二人の魔人の消えた戦場で、化け狐の咆哮が響く。我に帰った騎士団長が号令を下すよりも早く、アジスが十メートルを越す城壁から飛び降りる。
「ワオォォーーーン!」
遠吠えと共に着地したアジスが、化け狐へと駆け出す。後に続く獣人達を追うように、騎士団長の声が響いた。
「総員、包囲! 弓兵、構えー!」
悪魔と魔人の去った戦場で、連合軍の初陣が始まった。
そこから離れて、王都の外れ。【具現結晶】の所為で異物感が強い仮初めの核に、マモンが苛立ちながら瓦礫から這い出した。
「くそっ、いきなり飛ばすかよ普通……変な洞窟の魔力とマナ、ほとんど狐にいっちまってるしよ……」
軽く近い屋根まで跳ぶと、マモンは真っ黒な【具現結晶・戦陣】を展開した。残り少ない……とはいえ、そこらの悪魔数体分の魔力を、少しでも回復させるためだ。
何故なら、魔法と魔術が動かすマナの流れが、こちらに近づいているからである。咄嗟に風の魔法は奪った為にダメージは軽いが、如何せん魔力が足りない。
「まぁ、あいつらから奪えばいいか。」
悪魔の弱点は、魔力を常に消費して存在することだ。魔法意外の力は、多くの悪魔は鍛えた人間と大差が無い。必然的に、事を起こせば魔力を使う。
しかし、使いすぎれば自分が消えてしまう。それを超越したのがマモンの【強欲】である。知識、技、力。それらを奪う力は、制圧と生存を両立する。
「よう、マモン。一月ぶり位か?」
「はっ、知らねぇな。てめえに眠らされたからよ。」
「そうか、消えてくれ。」
「断る、これ外せや。」
「断る。」
核に張り付いて、魔力を奪い続ける結晶を示すマモン。それの所為で、魔力は本当に僅かずつだが減っている。
ソルは一言で断り、マモンは足下の影を膨らませる。
「なら死ぬか?」
「【具現結晶・武装】。」
マモンの問いには返答せずに、結晶の軽鎧と【反射する遊星】を纏ったソル。その手には、結晶の剣のかわりに拾った騎士剣が握られている。
即座に【蛮勇なる影】がソルに襲いかかり、反射する。しかし、視界を遮る暗い影から、黒いオーラが迫っていた。【反射する遊星】を奪ったマモンが、自分に展開する。
「へぇ、思ったよりも派手に動くな、こいつは。まぁ、俺に出来ない道理は無ぇけどな。」
「そんだけ自在に動かすなよ、嫌味か。」
「けっ、テメェの下手くそを嘆けよ。」
力場の魔法は難しい。向きと作用点さえ合えば良い射出なら簡単だが、浮かし続け、かつ操作するにはかなりの修練が必要だ。
モナクスタロの五十年近い経験があって、やっとソルも物に出来ている。それを簡単にこなすマモンは、一体どれだけの魂を奪ったのか。
ソルが剣を構えながらマモンの出方を伺う。今も結晶を通じてマモンの魔力は減っている。ソルは使わせるだけで良いのだ。
「さてと、モナクスタロ。そろそろ……あっ? この付与は何」
「【切望絶断】!」
「【反射する……忘れた!」
いとも安く結晶を砕き、アルスィアはすぐに下がる。【切望絶断】は一つの対象しか切断できないからだ。唱え直す暇を、マモンが作る筈は無かった。
「なんだよ、反射しねぇな。物理的なモンがあるからか?」
「簡単に割れたけど、魔法を返すの? モナク、君何てものをマモンに……」
アルスィアの抗議に、短く知るかと返したソルは、周囲の黒い戦陣に剣を振る。鍛えられた金属は、結晶に弾かれる。
「成る程、まずはそれか。」
「はんっ、出来んのか?」
「……【切望絶断】!」
昂らせた魔力でもってマナを風に変え、アルスィアは辺りに魔法を飛ばす。慌てて離脱したソルと、より強い風で押し返したマモン。
しかし、【切望絶断】の吹いた戦陣は、半分近くその姿を消した。
「一つの魔法なら、広くても斬れる。」
「ハッ、そういう魔法か。良いねぇ、俺のモンだ! 【強欲】!」
背丈程の妖刀を振り切ったアルスィアに、黒いオーラが迫る。早くは無いが、容易に避けられる速度では無い。仕方なく、アルスィアはその場に爆風を起こして退避した。
風の魔法はマモンが奪い、ニヤリと笑う。離脱が急で、体勢を崩しているソルに、掌を向けて魔法を発動する。
「【苦痛刻む乱気流】!」
「【反射する遊星】。」
結晶を再展開して、高速の風の刃を上に反射する。炸裂した風刃の渦が、上空で空気を切り刻む。
「アルスィア、何与えてんだよ。」
「固有よりマシでしょ。来るよ、モナク。これ以上あいつを回復させないでよね。」
「お互い様だろ。」
二人の魔人が向き直った先には、影を連れ立つ漆黒の悪魔。三者の瞳が紅く輝き、次の瞬間には、その場は戦場と化した。