第八十五話
奪う力。五十年前から四十年間、人々の記憶、技術、それらを受け継いだ化け狐は、魔獣と言えども狡猾だ。
その身体能力に任せて暴れると言うより、速さと尾を利用して追い詰める様に立ち回る。空を飛べるソルはともかく、地上を駆ける獣人達は迂闊に跳ぶ事も出来ずに苦戦する。
「生き残れ! ケントロン騎士団と兵器の到着まで!」
「はっ!」
少し白い毛の混じる熊の獣人が、周囲の部下を鼓舞している。アジスは既に単独で頭の周囲にいる為、多くの者はそれぞれ分かれて動いていた。
離脱も攻撃も、人数がいた方が安全だからだ。数人程の集団は、それぞれに役目を考えて化け狐を足止めする。
「【具現結晶・貫通】!」
ソルが地面を踏み込めば、地面から頑強な結晶が飛び出し、化け狐を貫こうと乱立する。
左右に身を捩り、最小限の動きで結晶を避けた化け狐がすぐに【強欲】で奪う。半分は呑まれ、半分はエネルギーを放出した。
変換された熱と圧力は魔力では無いため【強欲】では奪えない。尾を貫き、化け狐は悲鳴にも似た咆哮を上げる。
「攻めろ!」
動きが止まれば、消極的な動きから一転、獣人達が強気に出ていく。僅かに多く、僅かに深く。しかし、大勢が行えばそれは大きな流れになる。
だが、それも簡単に吹き飛ばすために、大型の魔獣とは災害なのだ。起き上がり様に前足を振るう化け狐に、逃げ遅れた者が空を舞う。
「くそっ、ここまで多いと近づくのも……!」
ソルは空で九本の尾に追われている。木の葉の様に散らせる獣人に、化け狐は【強欲】を割くまでも無いと考えたのだろう。
悪魔の宿った原罪の魔獣では、アジスも受け流す事も出来ない。それどころか、気を抜けば軽く裂かれて終わりだ。
「結晶の、止められないか!?」
「そうそう逃がしてくれねぇよ!」
段々と調子が戻ってきたのか、化け狐の動きが活性化していく。隙を見て援護していたソルも、今は尾を引き付けるので精一杯だ。原罪の名は伊達では無い。
時折飛ぶ黒い結晶も、ソルには再現できない緻密な物だ。基礎能力の全てに置いて負けている。マモンの脆さも、魔獣の身体なら問題無い。
「そのうち魔法も多くなってくると、近づくどころの話じゃ無いし……夜まで待ってられないよな。」
ソルが避け続けながら周囲を探っていれば、遠くから石が飛んでくる。咄嗟に避けたソルの後ろで、石に撃たれた尾が折れ曲がる。
「第二隊、突撃!」
更に飛ばされる石の前から、規則正しく整った隊列が、馬上槍を構えて突進する。馬の蹄が地面を叩く音と共に、緩い盆地に雪崩れ込んだ。
平地に近い地形が、初めて有利に働いた。恐れを知らずに突撃する騎士団を、一度に払えない化け狐は受けるしかない。
「無茶するなぁ、騎士団とやらは。」
【具現結晶・加護】を付与しつつ、ソルは少し離れる。その空域を、大岩が蹂躙する。投石機は、どうやら一台では無いらしい。丸々一部隊、投石機を運用している。
辺りの瓦礫まで使っているようで、飛んでいく軌道は様々だ。獣人程の反射神経など持たないソルでは、そのうち当たる。悪魔と違い、魔人に物理的な攻撃は有効だ。
「アジス殿、ご無事か? 巻き込まれる恐れもあったのに、すまない。」
「いや、元々の計画通りだ。獣人は落ちる石位ならば避けられる。弾道が分かりやすいからな。」
退いた獣人達が振り向いた時には、投石が止んでいた。騎馬隊に投石を避ける芸当等出来ないからだ。
化け狐の迎撃の隙を狙い、前線に戻ろうとする獣人達。しかし、それは無駄に終わった。長く伸びる騎馬隊の隊列を、化け狐は迎撃しなかったからだ。
「なん、だと……!?」
「馬鹿な……あの巨体で?」
素早い、細身と言っても、それは他の大型に比べればの話。それが空高くに跳躍し、後ろの投石機を破壊したのだ。
騎兵隊は上を越えられて、すぐには戻れない。投石機の部隊も突如落ちてきた化け物に、慌ただしい限りである。
弓兵が、ロングボウで矢を射かけるが、それは尾に払われた。よく見れば、その尾に風が纏われているのが分かる。
「【精神の力】と【風の装具】か……かなり使うようになってきたな。」
飛んできた黒い結晶を撃ち落としたソルは、アジスの元に降りる。途端に周囲に緊張が走った。
「……貴殿が件の魔術師、かな?」
「あ~、そんな感じだ。危害を加えるつもりも無いし、その剣は下ろしても良いんじゃないか?」
「失礼、性分なのでね。」
騎士団長が剣を納めれば、部下が納めない訳にもいかない。怯えと警戒に満ちているが、抜刀された剣はなくなった。
「魔法を使われた。大分マモンが表に出てる。」
「そうか、兵器も壊されたのではな……」
「もう一回封じるのは無理だぞ。」
「知っている。」
ちらりと騎士団長を見ながらソルが言う。反応から、聞かれても問題無いと判断し、そのままソルは話を続けた。
「このままマモンが表に出れば、魔法も罠も使ってくる。何人もの人生経験を持ってるからな、まずこの国は終わるぞ。」
「対策はありますか、魔術師殿。」
この目で見れば、余計に悪魔とも疑えるが、魔術師と言う話を取り敢えず信じた。人間に扮した悪魔と言い切るには、少し人間味がありすぎる。
赤いバンダナの、右側の膨らみに目を瞑りながら騎士団長は尋ねた。
「そうだな、表にいればこれに持ってこれる。ただ……」
「ただ?」
「ここまで高品質な触媒だと、小さいけど核になる。」
「触、核?」
「……マモンが復活する。魔獣は魔法と回復能力を失う。」
どちらがより危険なのか、悩む情報に騎士団長が唸る。アジスもソルが出した宝石に、嫌な物を感じて顔をしかめた。
あまり乗り気ではない二人だが、これなら一つ利点がある。魔獣だけならば、多大な犠牲はあれどケントロン騎士団と獣人の戦闘員で、討伐可能な範囲だ。
強欲の魔獣とは言え、目の前の物は生まれたて。少々禍々しいが、大型の狐に過ぎない。兵器と軍でどうにかなる程には、彼等の腕はある。
「マモンは俺が行く。寝起きなら、案外なんとかなるからな。」
「つまり、魔獣はこちらでやる、と。」
「回復されながら魔法をくぐってとか、正直きついだろ。大型の魔獣にやられたら、それこそ近づく時点で無理だ。」
ソルの言葉に、アジスは頷いた。騎士団長は魔獣の事を判断するには、知識が足りない。
「それで、どうする?」
「一瞬でも影にかかった所で止めれば……影は作るとして、止められないか?」
「城にバリスタが備えてある。ロープを着けて飛ばせば、あるいは。」
「では城まで誘導するか……城に誰かいるのか?」
「いや、城は中央以外、砦の役割もある。こんな時に外壁に居る奴はいない。」
すぐに移動できる者をかき集めて、騎士団長は城に戦場を移すと伝える。大聖堂に続き、王城まで破壊されれば、この国の求心力は地に落ちるだろう。
つまり背水の陣。しかし、もっとも設備が整っているのが王城である以上、あの化け物に太刀打ち出来るのはそこだけだ。
「俺達は陽動だ。獲物を誘き寄せる術を見せてやれ。」
「「「はっ!」」」
アジスが獣人達を引き連れて走る。後方の化け狐が、騎士団を蹂躙するのを、一刻も早く防ぐためだ。
「よく考えれば、これだけの間あれを留めておくって凄いな。」
空に舞いながら、ソルは周囲を確認する。王城まではあまり壊れていない。影を作るのも苦労しそうだ。
「ここの瓦礫を持ってくか? ……数がなぁ。」
満足な影が作れそうに無い。
面倒なので影は諦める。最悪、結晶で投げれば良いのだ。九本の尾と魔法を引き付ける為、ソルは空を駆けた。
足でも腕でも、同じように駆けては跳ねるカローズだったが、その跳躍を見た後では驚愕と畏怖を感じざるを得ない。
「あんなの、どうやって仕留めんだよ……魔獣殺しはあれと同格を仕留めたのか?」
屋根の上からでも、見上げるだろう巨体。それが自身の体高程も跳躍すれば、その脚力も相応だと知れる。もっとも、魔法の補助があってこそではあるが。
「やっほ、お猿さん。」
「っ!? ……あんだよ、ケーキ男か。こんなとこで何してんだよ。」
カローズが振り向けば、ベルゴが屋根の上に寝ていた。本当に何してんだよ、である。
「真っ昼間から寝るの、気持ち良いよ?」
「あんなの居て寝れるかよ。」
遠い距離をかなり動いたカローズだが、その疲労さえ麻痺する圧迫感を覚えている。そんな中で昼寝とは、正気を疑う。
カローズがなにか罠を警戒していれば、下の路地から風が吹く。
「ん? 白い嬢ちゃんか?」
「アハハ、こっちのお嬢さんかも。」
楽しそうに降りたベルゴに、カローズは続いて降りる。
路地では、シラルーナが拒絶の魔人を起こしている所だった。
「あの、本当にすいません。」
「……別に。」
予想外の光景だったカローズがベルゴを見るが、彼も意外そうな顔だ。二人に気づいたシラルーナが、あっ、と声をあげた。
「カローズさん、後ろに」
「ギャッ!?」
「アハハハハ! な、何その声!」
カローズの猿の様な声に、ベルゴが腹を抱える。頭の毛をむしられたカローズが振り向けば、レギンスが食んでいた。
「すいません、大丈夫ですか?」
「いてぇ……」
「私を踏みそうになったり、髪……髪? を食べたり。なんなの、その馬。」
「いつもは大人しいんですけど……今日は駄目みたいで。安全な所に行っておいで。」
シラルーナを、一度強く頭で押して、レギンスは去っていく。
笑い終えたベルゴが、涙を拭きながら拒絶の魔人の隣に立った。
「お待たせさん。俺の用事は終わったよ。」
「何してたの?」
「風の噂話を聞いて、お姫様を悪い怪物から救ってたのさ。」
「ふーん。」
「わぁ、欠片も聞いてないね。」
お姫様の辺りで既に歩き出していた拒絶の魔人に、ベルゴが涙目を作りながら後を追う。
「あぁ、そうだ。三人とも、面白いのがあるけど、行く? お兄さんの期間限定なとっておき、光の魔法の遺産なんだけど、ね?」
嘘泣きをやめて、笑いながらベルゴが振り返る。拒絶の魔人の足がピタリと止まり、シラルーナとカローズは顔を見合わせた。