第八十二話
王城の側にある練兵場では、アジスが騎士団長と話していた。
「では、彼の者は今回は味方……と?」
「うむ、魔法に近しい力を使う故に、留まれる地を探っていると。あまり一ヶ所に留まれば、上の者が動かざるを得ない時代だから、と。」
恩人であり、親しい仲だと言うことだけを隠し、アジスはありのままを伝える。人を騙すときは嘘をつかず、真実を話し少し隠す。誉められた物でも無いが、理想である。
「ふむ……確かに悪魔に近しい力等、不安しか呼ばぬでしょうからな。……我々は、危険ですかな?」
「相応には。しかし、彼の者はあの魔獣を殺したい。有力な味方を巻き込むことは、極力避ける筈。」
「随分と信頼される様子ですが?」
「潰し、引き裂き、殺し尽くしたい所業は多い。が、悪魔に嘘を吐かれた事だけは、三十二年の生涯で無いからな。」
「そうですか……我々は悪魔を知らない。あまり疑うのも無駄ですかな?」
「いや、警戒は重要だろう。部下を預かる身なら、特に。」
「……ははっ、分かって下さると助かります。」
騎士団長が笑えば、アジスも目を閉じて応じる。
「……イエレアス卿が言うには、そちらのラダム様と、彼の者に繋がりがあるとか。本当でしょうか?」
「……それは俺に聞くことか?」
「貴方も私も、あまり騙合いが得意では無いでしょう?」
「はぁ……貴殿はボスに似ている気がする。」
「恐縮です。」
「褒めた訳では無い。」
アジスが兵に目を向けながら、「ある」と短く答えた。
「ありますか……」
「過去に同じ魔獣を殺した、それだけだ。」
「……私の中に、閉まっておきましょう。」
「職務怠慢だな。」
「いえ、私は獣人の一族との親睦も役目ですから。」
「ふっ、言い様だな……恩に切る。」
「では、午後に魔獣との戦闘について、部下にも教鞭を……」
「勘弁してくれ……教えるのは苦手だ。」
アジスが顔をしかめれば、騎士団長はおかしそうに笑った。たった数週間ではあるが、アジスを理解しているのは、似た立場がもたらした恩恵だろうか?
「俺は失礼させて貰おう。」
「お早いですね。」
「あぁ、ボスが起きたとき、出来るだけ早めに話したいからな。出なければすぐに動けない。」
「他の者は?」
「まず事態が事態だからな、全体を把握している者が少ない。」
「なるほど、原罪の悪魔ですからね……」
大きな敵の情報は、広まりすぎると必ずそれを利用しようとする者が表れる。手の届く範囲で規制しなければ、後々禍根を残す結果になる事も多いのだ。
「部下達で情報交換や、連携の練習をする者もいるようです。」
「若い者には、そういう者もいるだろう。獣人を忌む事が常識として広まるにも、少し変化が早すぎた。」
「お陰で一部ではこうして語り合える。良いものです。東では、獣人の差別は酷いと聞きますからね。」
「南部なら、そうでも無さそうだがな。やはり東では襲撃の多さから、獣人は魔獣と似た物と見られるのだろう。」
そうでなくとも恨まれている。獣人達の暴走がもたらした歴史の傷は、三十年で癒える傷では無い。
去るアジスを見ながら、彼等の運命は何処で定まったのか。新たな戦友を思い、騎士団長は空を見上げた。
「ふぅ、やっと出来た。」
「よくもまぁ、次から次へと出てくるねぇ。」
触媒になる材料を獣人の荷物からも貰い、山と魔方陣を作り上げたソル。僅かずつ違うそれは、全て一種類の模様の様だ。
「ソルさん、これって……」
「ん、まぁ怒られないだろ。既にぶっ壊れてるし。」
「えっ、何なの? 怒られるような物なの?」
ベルゴが手元に散らばる魔方陣の一つを取る。が、幾何学的な模様の意味を読み取れなかった。
「破るなよ、もう材料が無いんだから。」
「数百枚あって良く言うなぁ……念力みたいなので同時にって、ズルくない?」
「一応は完全になったし、そんぐらいの制御なら。魔方陣なら何度も作ってるし、今回のは複雑でも無いんだよ。結構ズレても良いから。」
「ズレるとどうなんの?」
「最悪、術者に飛んでくる。まぁ今回のは問題無いけどさ。」
乾かした魔方陣を結晶化して鞄に積めていく。こうすれば、放って置けば結晶が吸収した魔力が溜まり、すぐに、魔力を消費せずに、魔術を発動出来る。
「でも、流石に爆発は怒られませんか?」
「えっ、爆発すんの!?」
「大量にばら蒔けば少しは痛手だろ? 方向も制御も要らない簡単な物だから、二~三日で必要な魔力も溜まってるだろうし。」
「勿体ないなぁ~、材料貴重なんでしょ?」
「魔界なら、この品質はいくらでも採れるし。」
まず魔界に採りに行く奴がいないと、ベルゴは再度「勿体ないなぁ」と呟いた。
「しっかし疲れた……なんかこう、一個出来たら増やせたら良いのに。」
「全部、手作業ですもんね……」
「手って言うか魔法じゃなかった?」
「ほぼ手作業だろ、あんなん……」
「えぇ~。」
僕が欲しかったなぁ、とぼやきながらベルゴが席を立つ。机に置いたコップを取って、水を飲む。
「こういう時とか?」
「慣れないと、歩いた方が疲れないぞ。」
「えぇ~、その魔法って不便?」
「知るか……」
何が言いたいのか分からないベルゴに、ソルは顔を背けて寝転んだ。
「お昼から寝ちゃうんですか?」
「流石に、疲れたからな……お休み……」
「……ソルく~ん、少し頑張んないとかもよ?」
「はぁ?」
「まぁ、そうなったら起こして上げるさ。」
「シーナに頼むから入ってくんな。」
「酷っ!」
外を眺めていたベルゴを、結晶を操って部屋から押し出したソル。シラルーナも、気を使って外にでた。
「ベルゴさん、何か見つけたんですか?」
「ん? 情報で生きてた勘がね、こうビビっと。良く当たんのよ、これ。」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ? とりあえずは、死んじゃう前にお姫様でも、拐ってこよーかな。」
片目を閉じて、おちゃらけて見せたベルゴは、そのまま宿を出ていった。唐突な行動に、シラルーナはそれを見送ることしか出来なかった。
静かに、そして速く。ただただ相手を討ち滅ぼす意志が、交錯しては離れる。
アルスィアの放った【蛮勇なる影】を、ディケイオスが《【犠牲栄光】の槍》で打ち払う。ディケイオスが【矢となる光】を放てば、アルスィアは【絶望絶断】で切り捨てた。
「うぬの望み、絶たせて貰おう。」
「いいや、君が犠牲になるだけだ。」
「【流星群】!」
「【苦痛刻む乱気流】。」
星の軍勢と風の悪意がぶつかり合い、朽ちかけた小屋の壁を破壊する。
散った破片に、陽光が反射した。槍を構え直すディケイオスに、後ろから彼が語りかける。
「殺してやる。」
「いや、死ぬのはうぬであろう?」
ディケイオスの槍がアルスィアに何度も繰り出され、彼はそれを捌く。返す黒い騎士剣が槍を弾き、ディケイオスは一歩下がる。
下がりながら槍を突き出せば、伸びる様に《【犠牲栄光】の槍》は射出される。それは深々と彼に突き刺さった。血が滴り、膝をつく。
「あ、悪魔め……」
「……うぬは」
「はい、終わり。」
後ろからの声に振り向けば、強い魔力が彼の体を裂く。抵抗もなく、自然に葉でも落ちるように、ディケイオスの核が斬り裂かれる。
そんな彼の前で、兵士が倒れ伏した。
「【統制消失】、魔法抵抗を消した。」
「その、魔法は……」
「どっち? 僕の姿を兵士に写した方? それとも嗜虐の魔法?」
小刀と呼べるほどの妖刀を弄びながら、アルスィアは聞く。既にディケイオスから興味を無くした様で、その声は捨てるような感覚がある。
「……うぬは、何処まで。」
「全部が終わるまで。僕の絶望か、世界か。」
「……させぬ。」
「何を?」
「うぬは、今、此処で! 我が討つ!」
「頭も壊れたぁ? 死ぬ間際に夢でも見てんの?」
既にその身の輝きさえくすんだディケイオスが、槍にすがるように立ち上がる。溜め息を吐いたアルスィアは、彼に向き直り妖刀を背の丈に伸ばす。
「分かる? 今の君ならこれでも斬れる。今まで散々やっといて、今さら正義感とかで動くとか言わないでよね?」
「これは意志よ、我等が意志よ! 我に宿る総ての魂が、猛り吼える最期の唄よ!」
煤けた翼を広げ、ディケイオスは空に昇る。その槍だけが、異様な輝きを放つ。
「抜け殻の癖に、どこにそれだけ……!」
「己が全てにより、我等が下すは滅びの裁き! 闇に帰せ隠者よ、【裁きの星】!」
眩いばかりの光が、一つの星となってアルスィアに放たれる。それは流星か、雷か。影に墜ちる一閃の槍は、辺り一帯に衝撃を撒き散らした。
白光に包まれる一角から、一つの光が飛ぶ。
彼の者は正義の悪魔・ディケイオス。
例え間違っていたとしても、望まれていない偽物でも、全てを持って己の正義と同志の意志を貫いた、一人の悪魔である。
正義の悪魔・ディケイオス
ケントロン王国の一角にて、復帰不能
「……はぁ、死ぬかと思った。」
右腕が千切れ飛んだ肩を庇いながら、アルスィアが瓦礫の下から這い出てくる。左手に握る妖刀は、中程から折れて見えた。
「まさか【切断絶断】でも斬れないとはね……ピカピカ的に言えば、意志の力って奴かな。」
大きく息をついて、彼は座り込む。その顔は青白く、髪に紛れた角がより黒く見えた。
「ふう、隠れ家も原型留めて無いなぁ。離れてるから幾つか物は無事そうだけど……拾うの面倒だし良いや。とにかく、何処かで……休ま……ないと。」
フラフラとしながら影に溶け、アルスィアはその場を離脱した。
辺りを静寂が包む。昼下がりの王国にて、一つの星が堕ちた。それは、この場以外の全てを騒がせるには十分だった。