第八十一話
白い星が降り注ぎ、黒い闇は刻み付ける。槍と刀が交錯し、白と黒が入れ替わる。
「しつっ、こいな! いい加減倒れてくれても良いんじゃない?」
「ならば倒して見せよ、隠者よ。我が正義は、うぬの意志を踏みにじる。」
「全く、本当に独善主義者だな!」
「うぬの事か?」
槍を突き立てれば、呼応した星がアルスィアに降る。風を纏ったアルスィアは、その間を縫いディケイオスに迫る。
左右で槍を回し続けて、アルスィアに連撃を放つディケイオスに、詰めた距離を開けざるを得ない。近接しなければ殺せず、近接するには彼の悪魔の槍捌きを潜り抜けなければならない。
「あ~、もう! その槍が無ければ良いのにさ!」
「どちらかと言えば、うぬの領域の影が退散したのが痛手であろう?」
「どうせ見えてる癖に。」
僅かでも見えてしまえば、アルスィアに対応するなどディケイオスには易い。
アルスィアの太刀筋には一切の迷いが無く、読みやすい直線的な太刀。速さ、力、技量が下回っていないのなら、捌けない道理は無い。
「うぬの終わりを与えてやろう。【犠牲栄光】!」
ディケイオスが翼で上に昇り、槍を投げつけた。その槍を追従するように急降下し、手に持つ槍で更に突き出せば、それは拡散し大量の槍がアルスィアに注がれる。
「まだ終われない、【苦痛刻む乱気流】!」
明確な敵意を持った暴風が、槍の一つに当たり拡散する。吹き飛ばし、収縮し、高まった圧力が竜巻を生む。風を裂いて飛び出したアルスィアが、ディケイオスに妖刀を振るう。
「消えろ、【切望絶断】!」
「させぬわ、【流星群】。」
突いた槍の穂先から、星が別れて降る。アルスィアはそれを絶つ事で、反動によって落ちて行く。
荒野の大地、白黒の侵食しあう空。空に飛ぶのは天使の如き悪魔、地上から見上げるのは悪魔と人の狭間。崩れ行く世界には似合いの構図だ。
「なんぞ、終いか? それでは我とは渡り合えんぞ。」
「散々に人を踏み台にしておいて、良く言うね。」
「この意志は同志の者、そして我は彼等の意志の受け皿よ。我が己を恥じれば、それは同志を軽んじる事。その様な事は出来ん。」
「はっ、面倒な奴だね、ピカピカ。結局は縛られているだけだ。」
「うぬが己に縛られている様に、か?」
「死ね。【落とす暴風】。」
アルスィアが手を翳せば、ディケイオスの背後から猛烈な突風が吹き出し、彼を叩き落とす。
地上に着地した義天使は、アルスィアの妖刀が迫る前に体勢を立て直し、受け流す。
「うぬは力を求め、その先に何を目指す?」
「目指す物なんて、決まってるだろ?」
「我は自己を探していた。己と呼べる在り方を。そして、すべての悪魔もそうだと考えていた。」
「そうだね、その通りだ。」
下らないと一蹴したいアルスィアも、妖刀を離せば不味い様に押さえ込まれている。強引に鍔迫り合いを続けるディケイオスは、更に己の問を続けた。
「しかし、名を得て肉体さえ得たうぬは、止まる所か加速している。その原動力は何ぞ?」
「答えないと?」
「このまま、互いが死ぬまで続くだけの事。」
「上等だね、滅びるのは君だ。」
これ以上は無駄と悟ったディケイオスが、星をアルスィアに降らせる。白い空から降る星が、黒い大地から伸びる棘に刺されて堕ちた。
「離れな、よ!」
「そうしよう。」
自分ごと貫く影の棘を伸ばすアルスィアから、ディケイオスは距離を取る。その影の棘に溶けることで、傷を負わずにいるアルスィアが、引いた標的に妖刀を振る。
アルスィアの【切望絶断】は槍で防ぎ、時折蹴りなども交えて武器の間合いを探る。互いに身の丈に近い武器だが、何処かに噛み合わない一方的な間合いがある筈、と。
先に動きがずれたのはアルスィア。武器の接触等、【切望絶断】によって起こり得なかった彼。それを避けようとしたのか甘い踏み込み、妖刀の間合いをつかみ損ねて空振った。
「しまっ、」
「はっ!」
無論、それを見逃すディケイオスでは無い。《【犠牲栄光】の槍》が強い突きと共に、光の槍を飛ばす。離れていたアルスィアに瞬時に届いたそれは、妖刀を振り切ったアルスィアに回避を許さない。
「がっ、っは。」
「成る程、脆いとは真であるな。して、遠い間合いに慣れておらんか?」
アルスィアの妖刀が長いのは、一太刀で多くの範囲を斬る為。元々長い距離を取って戦う所か、まともに打ち合いすら少ないアルスィア。そのズレが多い間合いに、ディケイオスは慣れた足捌きで距離を取る。
「槍の突きならば、それを弧を描いて振るよりも、速く長く届く。うぬは知らん様だがな。」
「どうでも良いさ。僕は一撃で勝つ。」
「その一撃、届かせん。この距離ではうぬの武器は届かんぞ?」
そう言われ、アルスィアは距離を詰める。外さないようにかなり近く。同時に妖刀を再び半分程に縮めながら、細かく振っていく。
それをディケイオスは槍の柄で器用に弾き、一瞬の隙をついて薙ぎ払い距離を確保した。
「ほう、振りやすくしたか。しかし、それで我に届くか?」
「さっきよりは戦い易いよ。打ち合うなら、この大きさが良さそうだね。」
探るよりも、相手との間合いを作る。アルスィアの妖刀は変幻自在の影だ。
しかし、例え間合いを変えたとしても、その間合いを維持するのは難しい。ディケイオスは距離を取り、アルスィアは詰める。武器を振りつつ、弾き、避け、迫る。
「随分と慣れて来ておるな?」
「軽く返す癖に、嫌みかい? 【切望絶断】!」
「させぬわ、うぬの絶望等、薄い靄の様ぞ。」
《【犠牲栄光】の槍》は二つの意志、魂の元に成り立っている。二人分の魔法抵抗があるわけだ。アルスィアの【切望絶断】は抵抗しにくい魔法だが、意志を貫く強い決意を絶つには及ばない。
槍に少し食い込んだ様に見えた妖刀も、切断には至らなかった。動きを止めたアルスィアに、ディケイオスが蹴りを放ち、距離が離れていく。
「散れ、義の元に。」
ディケイオスが猛烈な勢いで突進し、槍を真っ直ぐに構える。ぶれる事なく光る穂先は、影を掻き分けた先のアルスィアに深く突き立てられた。
「っ……! はっ、」
「終いよ、儚き悪夢よ。」
抜き去った槍の一振りが、世界を打ち払っていく。光に溢れた世界が白く染まり……瓦解した。
代わりに周囲に現れたのは、暗く、死臭の漂う狭い部屋。
側には倒れた大司教。光も、思い出も、名も、覚悟も。全てを彼に託した男が、傷一つ無く眠っている。
「……主は、まだ冷めてもおらぬのに。こうして目も閉じぬよな。」
同志の目をそっと閉じて、義天使は立ち上がった。
「……幻覚に近くとも、彼方での死は現実。嫌な物よな。」
「はっ、ははっ。痛みと不調もさ。現に今も、心臓が動きが悪すぎてね、自力で動かさないと止まりそうだ。」
暗闇に立ち上がるのは、アルスィア。咄嗟に【故郷還る影】を解除し、死ぬことは免れたのか、胸を押さえる彼も息をしているようだ。
「ここで続けると?」
「まさか、少し話すだけだよ。さっきの疑問、まだ聞きたい?」
「……うぬの目的か。」
「君にも悪くないさ。」
「聞くだけ聞かせて貰えるなら、しばし待つのも良い物よな。」
アルスィアの一挙一動に注意を向けながら、ディケイオスはひとまず槍を隣に立てた。すぐに対応出来る自信の表れだ。
「ふぅ……そうだね。君は魔王を知ってるだろ?」
「……。」
「まあ、知ってるよね。多分、名持ちの悪魔……あぁ、君は人から継いだ名前だけど。原罪みたいに奥底から名前が沸いた奴は、薄々察している。」
「何を?」
アルスィアの回りくどい言い方に、ディケイオスは早く話せと先を促した。彼が聞きたいのは、この国からアルスィアを遠ざけるのに役立つ話だ。魔界の話では無い。
アルスィアは、肩をすくめて続きを言う。
「大事なんだよ。まぁ、つまり。魔王の秘密を察してる。それも……真の魔王の。」
「真の……魔王? それは噂に過ぎん。原罪が意味深く表の魔王なぞと呼ぶせいぞ。」
「噂でも、元があるのさ。そして……その正体も。」
「何が言いたいのか、明確な方が良いのだがな。」
槍を持つ手に力を込めて、ディケイオスがアルスィアを睨む。アルスィアも、腕ほどの長さの《望み絶つ妖刀》を握りながら、話を続ける。
「僕みたいな本懐の持ち主はね、自分を得ても納得出来ないんだよ。分かるかい? 満たされる程に暗く堕ちるんだ。」
「それは同情しようよな、しかし悪魔なぞ誰も同じような者ぞ?」
「そう、魔王も同じだった。だから自分を棄てたんだ、そして望む自分を得た。」
「せっかく得た己を……棄てた……?」
「あぁ、そうさ。いや、壊した、かな?」
人間の感情でしかない、偽善としか呼べなかった、己の無い自分。それを越える為だけに動いていたディケイオスにとって、それは信じがたかった。
しかし、悪魔が名を得たなら、きっと半分はアルスィアの様になる。新たな己を、受け入れたい己を持ちに行く。
「つまりね、魔王になれば本懐を越えられる。その為には、魔界を創れる程の力がいるんだ、分かるだろう?」
「それは……終わりの無い旅路ぞ。」
「そうだね。でも、もう無理なんだ。僕はね、膨れ上がった自分の力で、この世界に、自分に、全てに、絶望してしまったから。魔人になって、少しは他の感情も増えて……それでも絶望に溺れているんだよ。
僕の中には、アルスィアでは無い僕が居る。名を得て、感情の代弁者から一つの存在に成って、それでもその根底には絶望しかないんだ。届くために膨れた、醜い地盤しかね。」
その時ばかりは、アルスィアの顔からは悲壮しか感じられなかった。他者を切り捨てる絶望の権化も、嗜虐心を持つ笑みも無かった。
「僕は嫉妬の魔獣の中にいた友を取り込んで、崩れた。そして人間の殻に入らざるを得なくて……そこでも魂があった。ごちゃまぜなんだ。アルスィアは、時々誰なんだろう、と思う。」
「……うぬは、うぬよ。罪も、栄光もな。」
「君らしい二つだね。そうさ、罪も栄光も、全てはアルスィアの物だ。そして、アルスィアが僕で無くても、少なくても僕はアルスィアだ。ほんの一部だとしても。」
「分かっているなら、魔界なぞ創らんでも」
「無理だ。」
妖刀を構えたアルスィアの目は、既に力強さに満ちている。不調が全てとは言わずとも回復した事に気付き、ディケイオスは槍を深く握った。
既に和解の道は無い。そう悟ったからだ。大司教が生きていれば、甘いことを、とでも言っただろうか。
「僕がアルスィアでも、世界の絶望は変わらない。僕は、魔王になって絶望を斬り捨てる。その為に、この国は貰うよ。邪魔はさせない。」
「……ディケイオスだ、隠者よ。その名を刻んで朽ちるが良い。」
槍は、覚悟に呼応して光る。暗く沈む妖刀が、上に払われ、宙を舞った。