第八十話
太陽が煌々と照らす王都は、破壊の跡が広く刻まれている。化け狐の影響か、一人残らず避難も始まっている。残るのは騎士団や私兵、獣人達と命知らずな火事場泥棒達である。
「という訳か。いや、知ってたけどさ。ここまで暇だとなぁ、嗜虐心を静める事さえ出来ないや……」
アルスィアが暑苦しい外套姿で街道を歩く。黒ずくめなその格好は、影に溶けなくても暗闇に紛れそうだ。
彼の周りを吹く風が、涼しさと軽さを運んでいる。その風に、僅かに変化を感じて、アルスィアは警戒を強めた。
「……ほう、昼間に見れば、随分と暑そうな姿よな。」
「……懲りないねぇ、君も。いや、君達も、かな?」
空から羽ばたき、偽善の悪魔が舞い降りる。アルスィアは外套の影から妖刀を抜き放ち構える。二人の周囲を、光が照らし影を滅する。
「このままうぬを放置すれば、うぬは世界中を敵とするであろう?」
「かもね。でも、それは僕の所為って訳でも無いさ。鳥が飛んで、魚が泳いで、魔獣が殺すように。それが僕の在り方なんだ。それに、勝手に敵意を向けるだけだろ?」
「その在り方は、いつか身を滅ぼすぞ。」
「悪魔の説法とはね。有難過ぎて嗤えて来るよ!」
風を纏ったアルスィアが、偽善の悪魔に妖刀を振るう。【盾となる光】を左手に展開し、アルスィアの一撃を防いだ偽善が、光の槍を振り回す。
「っ!? それ、何?」
「気付いたか。《【犠牲栄光】の槍》。契約者の父の魂の一撃ぞ、文字通りな。」
「他人の意志を武器に、ねぇ。君の魔法は本当に悪魔らしく無いなぁ。」
「この力だけはな。それでも犠牲無くしては、成り立たん武勇よ!」
「嘆くなら、僕じゃ無くて宗教家でも訪ねなよ!」
長い矛の穂先は、鋭い光を放ちながらアルスィアに何度も迫る。外套を翻し、アルスィアは妖刀と、外套の内から放つ【蛮勇なる影】で防ぐ。
「くっ、当たるだけで魔力を飛ばされる。」
「それだけでは無いぞ?」
偽善がその槍を投げれば、光線の如き一撃がアルスィアを貫く。傷は無いが、激しい痛みと脱力感がアルスィアを苛む。
それを強引に無視したアルスィアが、偽善に斬り込めば偽善は手に持つ槍で防ぎ、払い、反撃する。
「投げて無いの?」
「この槍の意志が飛び、我の意志で本体は手元に残る。」
「無限に投げられるって、魔力を使わないで武器を射出するのと同じじゃないか……鬱陶しい。」
武器に対して【切望絶断】を使っても、抵抗されるだろう。話の通りなら、あの魔法は二つの意志がある。アルスィア一人では破壊出来ない……武器は。
「右腕が無かったらどうだろうね? 【蛮勇なる風】のせて【切望絶断】!」
無数の風の刃が、竜巻となって偽善に襲いかかる。その後を風と遜色ない速さでアルスィアが駆け抜ける。二段構えの【切望絶断】は、分かりやすい程に右腕を狙っている。
避ければ不安定な体制を立て直す間もなく、アルスィアに斬り込まれる。受ければ守りも引き裂く風で重症。偽善の取った手段は……上に跳ぶことだった。
「貰い。【切望」
「【矢となる光】。」
光の弓が矢を飛ばし、その矢が偽善を吹き飛ばす。アルスィアの魔法は空を切った。
「契約者か、邪魔だね。」
「させぬわ。行け、《【犠牲栄光】の槍》!」
矢が飛んで来た方角に走り出すアルスィアに、偽善が光の槍を投げつける。二度も食らっては堪らないアルスィアは、風も織り交ぜて高速で回避する。
そのアルスィアに追い付いた偽善は、長い槍を巧みに操り刃を乱舞させる。
「随分と派手だね、ピカピカ!」
「そうでもせぬと、うぬは倒せんわ!」
連続で突いて、払い、叩きつけ、それを支柱に跳ねて再び叩き落とす。その全てを、アルスィアは妖刀で受け止めた。
「その武器も壊れんものよな。」
「これも魔法だからね。君風に言えば《望み絶つ妖刀》って所かな? ……センス無いなぁ。」
「知らぬわ。」
偽善の槍を防ぎ切れず、徐々にアルスィアに迫る。段々と近くなる槍に、突風を吹かせて距離を取ったアルスィア。すぐに迫る偽善に、アルスィアは妖刀を合わせる。
「未熟!」
半身になって妖刀を避けた偽善は、その勢いを槍の突き出しに利用する。深く胸を刺す槍。
「これで終い……とも行かぬか。」
ニヤリと笑ったアルスィアから、膨大な魔力と影が溢れ、辺りを侵食していく。
偽善はすぐに距離を取り、ディケイオスの元に下がった。
「何があった、正義。」
「分からん。しかし、不味いのは確かよな。」
光球を呑み込んで膨らんだ影が、辺りに黒い霧の様に漂う。
「僕に呑まれろ、【故郷に還る影】。」
影が辺りを呑み込み、三人の姿が街から消えた。
「……し、ぬし……主、起きておるか?」
「……ここは?」
「分からん。しかし、不味いのは確かよな。」
「ここは、影が、いや闇が故郷と言う所だよ。」
アルスィアが影から姿を表す。身構える偽善とディケイオスに、アルスィアは再び影に溶けて、次は後ろに姿を現した。
「と言っても、移動した訳でも無いさ。言うなれば、僕の創った世界にようこそ、かな?」
「幻か?」
「いや、僕らは僕の影の中にいる。外では僕の体が、隠れ家に移動中だよ。影の領域は派手にやっても誰にも悟られないし、隠れ家も見つかってはいない。邪魔は入らないよ?」
少しして、アルスィアが着いた、と呟く。ディケイオスが目を覚ますまでに既にそこそこの距離を移動していたのだろう。
此方の世界に集中出来る様になったアルスィアが、妖刀を影から抜き放ち斬りかかる。偽善はそれを《【犠牲栄光】の槍》で防ぐ。支点を変えて回転させ、アルスィアを薙ぐ偽善だが、アルスィアはその場で溶けて消える。
「言ったでしょ? ここは影。僕はどこでも潜る事が出来る。」
「厄介な。しかし、朧気に軌跡は見えておるぞ?」
「光なら速さにもついて来るよね。でも、それだけだ。」
偽善の素早い突きも移動も、アルスィアと拮抗する。技量は偽善が上、しかし確認しにくいアルスィアの方が押していた。
いつ来るか、一度でも見逃せば分からなくなる緊張感が、偽善を襲う。ディケイオスの視力を代償にしていなければ、影に溶けてからの初撃でやられていただろう。
「くっ、逃げ回るのは一人前か?」
「正面から殺るわけ無いでしょ、脆いのに。」
後ろからの一撃を、背中に槍をまわして防ぐ偽善。肩を支点に弾き上げ、回転してアルスィアを薙ぐ。既に影に溶けたアルスィアは、上に移動して落下とともに妖刀を振った。
真っ向から受け止めた偽善が、宙に浮いたアルスィアを地面に叩きつける。その絶好の隙を逃さず、魔力を高めながら叫ぶ。
「うぬの領域だろうとも、好きに出来ぬ物もある! 【流星群】!」
翼を開き、空に飛び出した偽善が槍を勢いよく前に突く。穂先から幾条もの光が飛び出し、数多の流れ星としてアルスィアを貫く。
「うぬの終わりぞ! 同志の意志は貫いて見せる!」
流れ星の一つとなって、偽善の突撃がアルスィアに迫る。光の尾を引いて突き進み……
「な、にが……?」
「影の見せるは虚像なり、って事だよ。」
背後から現れたアルスィアに、核を貫かれた。槍の貫通したアルスィアは、影になって周囲に散る。
「尻餅をつくなんて隙を晒したら、全力で来ると思ったよ。僕の真下に、ね。」
「上に移動した後の落下が、幻影だったか……」
「でなきゃあんなに軽く飛ばないよ、風も使えるのに。」
妖刀を引き抜いたアルスィアが蹴れば、偽善の悪魔は前のめりに倒れる。立ち上がる事も出来ない偽善の核から、白い魔力がキラキラと上に昇る。
アルスィアはその身の丈程の妖刀を半分程に縮め、逆手に持つ。
「最期に言い残す事は?」
「言わぬよ、潰す気であろう?」
「大正解。」
アルスィアが妖刀を下に突き刺し、核を貫く。偽善の口から息が吹き出す。アルスィアは、こんなところまで人間を模されているのか、と妙な感慨さえ覚えた。
「それじゃ、僕は外に用が」
「【槍となる光】。」
横凪ぎに払われたアルスィアは、風で自分を後方に飛ばして威力を和らげた。
「私を忘れるなよ? 絶望の魔人・アルスィアよ。」
「何? 魔法を少し使える程度の盲目の人間が、勝つって言うの? 僕に?」
「いや、討ち果たすのは私達の意志だ。」
見えぬ両目を見開き、ディケイオスは偽善をみる。
「私とて光の魔法使いの端くれ。貴様に託す事は出来るな?」
「な、にを、する……ぬ、しは、何も……」
「最後の契約だ。勝て、正義。私の名も、魔力も、意志も、その全てを貴様に託す。愚かな偽善の栄光を、その果てを私に見せろ。」
一方的に捲し立てて、ディケイオスはその胸に光の槍を突き立てた。偽善の顔に血が飛び、伝う。
その槍を魔力に戻しつつ、偽善に託していく。
「主、は。何故……」
「かふっ、後を託そう、正義。仲間が力を、父が武器を託した貴様に、私は導と名を……この国の光であれ、私の、永久の……正、義よ。」
「させる訳無いよね?」
光となって散り行く大司教。アルスィアは彼に、妖刀で斬りかかり……ひとりでに動く《【犠牲栄光】の槍》に阻まれた。
刺さりこそしない物の、突き飛ばされたアルスィアは影に溶けて体勢を立て直す。
「勝手に槍が動くとか、その槍になった人間って何さ?」
再び妖刀を構えたアルスィアは、強い光を受けて振り返る。そこには光を放つ白い翼と、白く輝く長い金髪を備えた悪魔が、槍を手に空に飛んでいた。
「良かろう、我が同志よ……主がそこまですると言うなら、その頼み、この我が叶えよう。」
契約を切り捨て、己を得た悪魔が槍を翳してアルスィアに向き直る。
「応えよう、我が名は正義の悪魔・ディケイオス。義の元に、うぬを討ち滅ぼす存在ぞ!」
「はっ、下らない茶番なら他所でやれよ!絶望の底で絶ち斬ってやる!」
世界が崩れ、白と黒の二色に染まる。その地の中心で、二つの意志がぶつかりあった。
ケントロン王国 王都大聖堂 大司教
ディケイオス イエレアス……意志を託し、死亡