第七十九話
化け狐が結晶に囚われた。その翌日、イエレアス家の屋敷では、奥の間から悪魔が出てくる。その悪魔はバルコニーで佇む男の隣に立ち、朧気に目を凝らす。
「おぉ、やりおったぞ。」
「本当にこなすとは……驚いたな。」
盲目のディケイオスには、その様子は見ることは出来ない。しかし、彼に偽善の悪魔の事を疑う選択肢は無かった。
偽善の悪魔は、その目に魔法陣を浮かべている。今は屋敷の中から大聖堂の跡地……化け狐を見ていた。
「これで集中出来るという物。」
「その通りだな。父上も浮かばれよう。」
「まさかあそこまで、堂々と代償になるとはな……我も予想外だったぞ。」
偽善の悪魔が【犠牲栄光】によって力を増すために、父親を犠牲者にする。とんでもないことを考える人間だと、あの時は契約者であるディケイオスを疑った。
しかし、いざ部屋に入れば、開口一番に「遅い。三年も何をしていた。」と言われる始末である。三年前、ディケイオスと契約してすぐに来いと言った訳だ。
「あれで四年も寝たきり等と、どうして信じられような。」
「事実……なんだそうだ。三年間しか記憶に無いがな。」
「本当に徹底的よな、捧げると言えば命すらとは。主にそっくりぞ。」
「そうか?」
「視力に記憶。部下に父親。お主はそうまでして何を守る?」
「……さぁ、なんだったか。だがそれは、きっと過去の私と、貴様が知っていれば良い事だ。」
「そうであったな……必ず護ろう。」
兄から話を聞いていた父親。それを最後と知りそれでも館を開けた兄。その全てを犠牲にして、覚えてもいない大切な物を護ろうとする契約者。
偽善の悪魔にとっても、ここまで脆く、儚く、ズレている正義は中々お目にかからない。
「しかし、そこまでの力を手にしてなお、名前の一つも得られんのか?」
「悪魔の本懐は負の感情。如何に集めようとも、既存の存在に成り代わり、脱するのは容易では無い。もっとも、我の場合は決定的な何かが足りぬようだが。」
「それは?」
「おそらく意志、という物であろう。我の望みとは常に契約者の望み故な。」
「偽善でも、成すためには決意がいる、か。」
概念的な話で、存在そのものを左右される悪魔。夢のように無限の可能性と幻のような儚さがある。そして、人間が求めて止まない何かが。
「夢、か。確かに出来の悪い夢にも思える。名持ちに近づけば近づく程に、この世が誰ぞの夢に思える。」
「恐ろしい事を言うな。貴様の勘は当たるでは無いか。」
「言い出したのは主ぞ、我に言われても知らんよな。」
憎まれ口を笑い飛ばし、偽善の悪魔は翼を広げた。それに伴い、ディケイオスも杖を探す。
「右の椅子にかかっておるぞ。」
「あぁ、そこか……ふっ、記憶など無いくせに、意外にも体は生まれた家を記憶しているな。さして思い入れ等、無いように思えたが。」
「主の血は天の邪鬼故な。本心は分からぬぞ?」
「止めろ、惜しくなる。」
杖で偽善を突つき、歩き出すディケイオス。向かうは偽善の見つけた場所。東に離れた一つの薄暗い小屋である。
手遅れになる前に、あれだけなんとしてでも。化け物を国に任せ、彼等はもう一つの化け物に向かって歩いた。
影の中で、過去を思う。恐怖と理想の狭間で現実に溺れる。
「……やっぱり、自分でやってもリアリティーに欠けるね。」
【躊躇いの影】を解除し、現実に戻る。絶望感は思い出した、再びそれに浸る。諦めと、どうしようもない現実。逃げる気持ちを惹き付けて止まないほの暗い暖かさに、溺れる。
「ダメだな。何かが邪魔してる。はぁ、悪魔の時はこんな気味悪いことも平気だったのに。」
むしろ構成する魔力が活性化した。しかし、今は同時に気分が沈む。当たり前だ、こんな事をすれば病む。過去のトラウマと絶望を呼び起こして、理想を出しては現実という刃で斬る。そんな事を。
「魔人になればどうやって力を増すんだ? 実際、モナクだって随分と可愛らしい結晶だったし……安定するにしても相性ってあるよなぁ。」
人間を壊す様な負の感情で、人間に潜れば抵抗になる。今さらの様にそれを認識したアルスィアは、部屋の中に転がる死骸を棄てて行く。
「これも役に立てばいいのに……あぁ、そうだ。適当に切った奴は、そろそろくっつくかも。」
切り傷が治るように、アルスィアの魔法も癒える。癒えないように斬るには、それなりに労力がいるので、人間相手にはやっていない。
魔人になって、肉体の動き、働きを確かめたかったのが大きいからだ。獲物相手に無駄な労力は使わないのが、アルスィア流である。
「それなら脅したら、言うとおりに動くかもね。五感は無いのに生きているなんて、二度と味わいたくは無いだろうしね。」
改めて目的を確認する。マモンの残滓を切り離して回収。そして魔界の創造主となること。
方法は、どうせ国の兵士とソルが動くので、掠めとる。影に溶ければ易い事だ。
「あぁ、でもあのピカピカなのは鬱陶しいな。なんでか僕に敵意が酷いし。一つの国に執着するなんて、らしく無いなぁ。」
でも、と続けたアルスィアは、暗闇よりも黒い笑みを浮かべた。
「壊しがいがあるよねぇ。」
「……何してんだ?」
「それね、俺が一番聞きたいんだよ。」
床に寝そべるベルゴが、カローズに答える。その上で立つソルが、結晶を創っては消している。
「ん? どうしたんだ、カローズ。」
「いや、なんで踏んでんだ? また飛び付いて来たのか?」
「いや、今回は違うな。俺の書いた魔方陣を破ったから。」
「だって、ただの紙だと思ってさ! 何かな? と思って持ったら破れたんだよ、わざとじゃ無いって!」
「うるせぇ、濡れた紙が頑丈なわけないだろ。第一人の部屋に入ってんじゃ無ぇよ。」
触媒は魔界の環境で魔獣化した植物も多い。この地では貴重なのだ。半分近く壊れた魔方陣に、ソルが絶句したのは言うまでも無い。幸いにもシラルーナの魔導書は完成したが。
「それに、俺を脅かして転ばした彼女も悪い!」
「……巻き込まないで。勝手に驚いたのは貴方。」
「あんなに音もなく入って来るなんて、思わないんだよ!」
「待て、それ俺の部屋な? 入ってんのも入るのもおかしいからな?」
三人が騒ぐのを聞きながら、カローズはソルに一枚の紙を渡す。
「……何これ?」
「アジス様が、軍部から預かってきたんだと。なんつったかな、イエ……なんとか伯爵からってさ。」
「欠片も分からん。ベルゴは?」
「知ってても今ので分かるかなぁ? イエから始まる伯爵ってだけで三つはあるよ?」
情報屋を自負するだけはある。高位の家名は覚えている様だ。
「ん~……」
「なんて?」
「シーナでも無いし、そこまで早く読めないっての。」
言い返すソルに、拒絶の魔人は不思議そうに聞く。
「魔法陣はすぐに読むのに?」
「狂信者から聞いたか?」
「魔術って言うんでしょう? それならいくつもの特性も、可能性はある。」
「触媒の問題があるから、俺限定……魔人限定だけどな。教えないぞ。」
「ケチ。」
「てか馴染むな。」
「うん、良い拒絶心。」
どうにでもしてくれ、とソルは手紙に集中する。
「……うん、嘘くせぇ。」
「なんて?」
「氏族長の知り合いだろうから、アジスに預けたって所で既に。なんで氏族長が出てくるんだよ。」
「君が王城に突っ込んだ時じゃない? そこに出そうな大司教、イエレアスって家の奴だよ。」
「……だとしたら、伯爵の家族が悪魔の契約者とか。笑えないな。」
カローズが話について行けず、ベルゴは笑い、拒絶の魔人は驚いた。
「まだ悪魔がいるの?」
「珍しい光の特性の奴だよ。変な口調で、武器を使ってて……天使みたいな奴。知ってるか?」
「……知らない。」
「お前に聞いた俺が馬鹿だった。」
魔人になる位だから独り者だろう。ソルが諦めてそっぽを向き、拒絶の魔人が少し腰を浮かす。彼女が何か言い出す前に、ベルゴがソルに質問をぶつけた。室内で喧嘩なんてやめてほしい。
「ところで、まだ内容を聞いてないよ?」
「あぁ、簡単にまとめると、アルスィアは弟と契約した悪魔がやるから、黒い魔獣を頼むって。」
「黒い魔獣? この国のおとぎ話の?」
「そんなのは、知ったことでも無いさ。勘違いしたんだろ?」
偽善の悪魔がそれを模して集めた魔力が元になっているので、あながち間違ってもいないのだが。ソルには知り得ないことだが。
「てかカローズ、手紙だけの為に来たのか?」
「いや?それがよ、結晶の説明は昔見たことがあるって言ってたんだが……。」
「信じて貰えなかったから、俺が出ろって?」
厄日だ、と呟くソルにカローズは首を振る。
「そこまではさせねぇってよ。ただ、お前の事を味方として話していいか迷ってんだと。」
「別に構わねぇけど……あぁいや、そっか。ここは悪魔ご法度だったな。」
「今更な気もするけどな。」
「そりゃ余所者だしな、俺達。」
ベルゴ以外、一週間たっていない程度だ。完全に余所者である。
だからこそ、この国の騎士団と合わせられるか、アジスは心配しているのだろう。
「ん~、魔獣嫌いの放浪人とでもしておけばどうだ? 倒す利益も無ければ、倒す苦労はデカイ、みたいな。」
「悪魔が?」
「悪魔が。」
「そういう奴もいるよ? 有名なのだと、ティポタスとか。ここ二、三十年目撃されて無いけどね。」
ベルゴが口を挟み、それで良いかと納得するカローズ。もっとも、カローズは特に考えていないだけだが。
「じゃ、そう伝えて来るわ。」
「一応言っとくと、一例ってだけで俺がこの国に拘束されなきゃ、何でも良いからな?」
「……おう、分かってたぜ?」
軍の編隊と、それに合わせる訓練。互いに確認することが多く、暇人が少ないのは分かる。しかし、カローズに伝言役はありか? とソルは首を捻った。
「……貴方は逃げないの?」
「マモンは追ってくる。僅かとは言え、【具現結晶】を取られているからな。意地でも全部奪いにくるさ。」
「でも、あれはマモンじゃ無い。」
「そのうちそうなる。ならなくても、追ってはくるさ。俺は西でゆっくりと準備したいんだ。」
邪魔なら消す、と締めたソルに、拒絶の魔人はこれ以上踏み込むのを躊躇った。それは自分にも向けられた言葉だと悟ったからだ。
物騒な視線を向けるソル。その目は紅く光っている。先程から創られては消えていた朧気な結晶が、しっかりと象られ拒絶の魔人を向く。
「ちょ~っと、タンマタンマ! こんなとこで暴れないの!」
「私は何もしてない。」
「ソル君の魔方陣? だっけ? 一個隠して持ってるでしょ!」
「俺はさっきから、魔法の出力確認してるだけだぞ?」
「明らかに硬いよね?それは攻撃用だよね?」
「「……その格好で言われても。」」
「じゃ降りてよ、ソル君!」
足元で暴れられたソルは、バランスを崩して咄嗟に「飛翔」で浮く。空中で寝そべったソルに、ベルゴは立ち上がって叩いた。
自分の事は棚に上げ、拒絶の魔人は二人とも子供みたいだ、とため息をついた。