第七十七話
結晶に爪を立てて突進する化け狐。猛然と突き進むその頭に、「飛翔」で位置を合わせ、【具現結晶・固定】で自分を守る。止まった心音と呼吸に、僅かに朦朧とする意識で、ソルは大剣を折って離脱した。
眉間に深く刺さった大剣。近いと圧倒的に避けにくい突進は脅威だが、化け狐の中では危険な行いだと認識されただろう。これでまた少し余裕が出来た。
「はぁ、はぁ。なんかキツくなってるし……もう二度と全身固定はしない。」
「無傷でいるのに、贅沢だな結晶の。」
僅かに遅れた獣人達が、次々と戦陣の外まで離脱する。足が踏まれたり、体を強く打ったり。【具現結晶・加護】が消えれば、走るのも難しい者達だ。
「的確な自己判断だな。」
「死にたがりはいない。人間程でも無いにしろ、生存本能はあるからな。」
「みたいだな。来るぞ。」
ソルが戦陣越しに感知した魔力の動き。それが魔法陣を描いた時、咄嗟にソルは「光球」の魔方陣を使用した。
極端に減った影。その全てが無数の刃となり辺りに膨れ上がる。すぐに結晶が吸収を開始し、少ない範囲ですんだ。【蛮勇なる影】である。
「ちっ、やっぱり魔法も使えたか。」
ソルが使い捨ての魔方陣を捨てて、今度は魔力を動かして「光球」を使用する。魔力をあらかじめ込めていた魔方陣とは違い、それはゆっくりと増えていった。
減っていく影は、敵の攻撃手段。しかし、確実に此方の魔力を削いだ。無視するには恐ろしく、対処すれば消耗する。おそらく、マモンの奪った人間に、そう言う事の得意な者がいたのだろう。
「慣れねぇ癖に上手い事しやがるな。」
「ふむ、魔力とかいう次元の話か? さっぱり分からん。」
全く感知できないのは、獣人の特徴だ。魔獣に近い身体の獣人は、魔力を知ることが出来ない。それこそ、原罪の魔獣の様に悪魔が手塩にかけて育てれば別だろうが。最早、獣人とも呼べない。
そんな事を考えていたソルに、化け狐は尾を振り下ろす。結晶で防げない事を悟ったのだろう。ソルには尾による攻撃が増えていた。
「今のでも全然足りない! 最低限で行くなら足を狙うか? 動けなくすればいいんだし。」
「頭蓋は大概厚いからな。しかし、結晶の。俺達は元々飛べないんだ。」
重症といえば頭か胸部だと考えていたソルと、足しか届かないアジス達とで少し認識がズレていたようだ。
「……なら、そう言うことで。」
「合わせろよ、結晶の。」
低空飛行に切り替えて、ソルは隙を伺いながら結晶を飛ばし、伸ばし、突き刺す。その殆どは、全方位を囲む尾が防ぐが、化け狐の気を逸らす。
獣人達が少しずつ結晶の爪で傷をつけていき、魔力を僅かにでも減らしていく。ちょうど数人の獣人の攻撃が合わさり、化け狐が僅かに硬直する。
「今だ!」
「突っ込むぞ!」
同時に飛び出したソルとアジスに、他の獣人は離れた位置から攻撃を狙う。もし失敗すれば代わりに、成功すれば離脱の時間を稼ぐ為だ。
狙いは先程切った踵。治したばかりで脆いそこに、結晶で伸ばされたアジスの爪が深く走る。抜けなくなった爪に蹴りを入れて強引に抜き、ソルがその傷に近寄った。
「いくぜ、【具現結晶・破裂】!」
傷口に叩き込まれた結晶が砕かれ、その傷を大きく広げる。すぐに結晶が傷を塞ぎ、断裂したアキレス腱が繋がれるのを防いだ。勿論、吸収を開始する。
すぐに後ろ蹴りを放とうとする化け狐に、他の獣人達が結晶を駆けて跳び、顔を狙う。煩わしさに、つい顔を大きく振った化け狐は、離脱するソルとアジスを捉える事は出来ない。
「何人残った?」
「今ので三人離脱、残りは結晶の魔術師を含め、六人です。」
「そうか……後一回、それで限度か。」
「十分だよ。足が二本なら、俺一人でも落とすくらいなら出来るさ。多分な。」
ソルが此方に迫る爪を、結晶の壁を創り防いで言う。地面の結晶を穿つ爪を、易く防いだソルを見て、獣人の数人は納得した。何人かは、アプローチの為に回避しなかったのを見抜いていたが。
「まぁ、大丈夫ならば俺達は離脱する。殿を頼んでいいか?」
「問題ないけど、最後まで気を抜かないでくれよ?」
「当たり前だ。十六歳の若造に言われる程、老いてはいない。」
「倍近くいってる癖によ!」
振り下ろされる三本の尾。全員が散開した地面に、結晶を奪いながら叩きつけられる。あれに当たれば意識を奪われる。この場では死と変わらない。
人数が減り、防御に余裕が出たのを悟ったのだろう。六本のみを防御に回し、残りで辺りを薙ぐ。
「警戒しているな。」
「流石にな。中々潜らせてくれないか。」
「尾を止められるか?」
「結晶が消されるから無理だな。原罪の魔法は、真っ向から勝てる物でも無いさ。」
物理的な物も、その大質量で薙ぎ払われれば一溜まりも無い。範囲の自由は大幅に減ったが、質量を手に入れた【強欲】は防ぎようが無い。
「もう少し遅けりゃ、間を縫って突貫出来たのに。」
「お前も大概、命知らずだな。」
「出来る自信があるだけだよ。」
戦陣から少しずつ回収しながら、ソルが飛び回る。獣人の身体能力が無いソルは、回避に魔力を使用していくからだ。「飛翔」は便利だが、使い難いのと魔力の消費が大きめの為に悩む魔術だ。
ソルは小さな三点に絞り、範囲や対象を小さくする事で解決している。慣れていないとまっすぐに飛ばすのも難しい。
「結晶の、俺を飛ばせるか?」
「無理。ただでさえ他人の魔力は抵抗になるのに、力場は抵抗を受けやすいんだ。すぐに魔力が尽きる。」
「ならば、結晶に乗せることは?」
「落ちるぞ。」
先程から命中しているのは、数を撃っているだけで結晶で狙いをつけている訳ではない。アジスを乗せても叩き落とされて終わりだ。
攻めるにも手数が足りず、また一人の獣人が踏みつけられる。【具現結晶・加護】と【具現結晶・武装】のお陰で、死んではいない。しかし、離脱は免れなかった。
「残り五人……!」
「これ以上消耗しないうちに」
突撃する。アジスがそう言う前に、戦場に風が吹き、彼等を包む。途端に身体が軽くなったような錯覚を覚え、獣人達が加速する。
「これは……!」
「遅くなりました、皆さんご無事ですか!?」
馬の蹄の音と共に、シラルーナは再び魔導書を開き魔方陣を光らせる。化け狐に竜巻が遅いかかり、僅かに動きを止めた。
「シーナ、コイツの事は分かってて来たのか?」
「おそらく原罪の魔獣……ですよね? 狐ですし強欲ですか?」
「まぁ、分かってんなら良いや。無理はすんなよ。」
「はい。」
元々空を飛ぶソルには、「風纏い」はあまり効果が無い。早くなったのは獣人達だけである。しかし、今はその早さが重要だ。
「助かったぞ、シラルーナ嬢。」
「状況はどうなってますか?」
「あの穴に落とし、時間を稼ぐ。討伐にはあまりにも準備不足かつ、不安定要素が多すぎる。」
「まぁ、格好着けて言えば封印だな。数日間だけだけど。」
ソルが結晶で化け狐を足止めしながら、目標を端的に告げた。シラルーナは頷くと、少し離れた場所にレギンスを走らせる。
老いた馬は、纏った風によって軽やかに走る。単純に暫く走っていないからはしゃいでいるだけかもしれない。
「アジス、行けるか?」
「ギリギリだな。足元の結晶は無くせないか?」
「……まぁ、そろそろ良いか。」
そ穴に落としてもいい頃だ。ならば、戦陣は無くても困らない筈だ。
「じゃあ派手にいくか。」
ソルが結晶の地面に手を置くと、魔法陣が大量に浮かぶ。戦陣の柱、武器、その全てが輝きを増していく。
さらに【反射する遊星】が飛び回る。警戒した魔獣が、精一杯縮こまり、その長く大きな尾で全身を包もうとする。
「【強欲】で奪いきれるかな? 放出。」
地面を覆っていた結晶を全て消費し、辺りに光線をばら蒔く。【反射する遊星】でその全てが化け狐の上空に向かう。
ソルが地面を踏み込めば、それに呼応するように化け狐の下の結晶が弾け、その巨体を四方八方から光線の迫る地点に打ち上げた。
「行っとけ、アジス。」
「無茶を言う。」
結晶で出来た足場が、空中に浮かんでいる。爪を目一杯に出し、滑らないようにその結晶を蹴ったアジスが、熱と圧力に焼かれた化け狐に迫る。風を纏った猟犬の、鋭い爪が首筋を這う。
貫かれることはその魔力を奪う事で防いだ化け狐は、無防備な空中でその攻撃を防ぐ術は無い。他の獣人達も次々と参加し、地面に降り立った化け狐は、四つの切り傷を負い尾が焼けていた。
「【具現結晶・狙撃】。」
その切り傷の全てに結晶を埋め込み、ソルは膝を付いた。流石に魔力を使いすぎたのだ。
「アジス、最後にデカいのを一つ。それで落とそう。」
「良いだろう。しくじるなよ?」
尾が再生されていき、すぐに黒いオーラを纏い直す。その間に獣人達は散らばり、再び攻撃を仕掛けていく。ソルが抜けた援護射撃は、シラルーナが「旋風鳥乱」を放ち、代わる。
「そこだ!」
足元に気をとられていた化け狐の顔が、風の鳥に刻まれ怯む。すかさず飛び込んだアジスの爪は、ソルによって刀の様に大きくなっていた。
深く切り込み、そのまま結晶を切り離して離脱する。遠いため、ソルが少しタイミングを失敗したが、風を纏ったアジスはそれを問題にしない速度で駆け抜けた。
「少しヒヤリとしたぞ、結晶の。」
「悪かったよ。まだ慣れてないんだ、遠くでの精密動作はさ。」
怒りに吠える化け狐が、二人の間に爪を落とす。しかし、ソルは回避せずに、むしろその爪に突っ込んでいく。
「落ちろ、マモン。ありったけくれてやる! 【具現結晶・破裂】!」
衝撃を魔力が増幅しつつ結晶化していく。爪にぶつかり、押し返し、胸に刺さった結晶が化け狐を押し出した。
後ろに弾かれ後ろ足で立つ化け狐を、【具現結晶・狙撃】で後ろに倒す。深い傷で踏ん張れない後ろ足では、それを堪えることは出来ない。倒れる地点……瓦礫が「飛翔」を解かれ大穴が姿を表した。
「後は魔力に満ちたその空間を、直接、結晶化……マジか。」
浮いていた。化け狐が、その巨体を浮かしていた。ソルから奪った力場の魔力である。
「流石に叩き落とす魔力は残って無いぞ……」
「【超下降気流」!! ソルさん!」
「助かる! 【具現結晶】!」
鍾乳洞に落ちた化け狐は、結晶の中に囚われた。ひとまずの時間は稼げた。安堵したソルが座り込み、レギンスに小突かれた。