第七十五話
一つの食卓に、二人の人間と一人の悪魔が座る。
「……久しぶりに来たと思えば、これはどういった状況だ? ディケイオス。」
「イエレアス卿、この者は」
「兄で良い、ディケイオス。して、それは誰だ?」
「……我が同志です、兄上。この国を救う為の。」
「悪魔が……か。」
眼光の鋭い男性が偽善を睨む。この目付きと胆力は流石兄弟だと、場違いな感想を抱かれたが。
「しかり。我は偽善の悪魔、お主の弟殿と契約しておる。その盟約に従って視力と思い出は消させて貰ったが、それだけよ。今は同志として楽しく思うている。」
「……悪魔とはこういう者なのか?」
「いえ、これは変わり種です。」
「主な、それはあんまりでは無いか?」
その端整な顔を綻ばせながら否定する悪魔には、害意を見ることは無い。契約とはいかほどの物か知らないが、気難しいディケイオスが信を置く相手だと言うことは伝わった。
「……昨今の行方不明事件は?」
「いえ、それは別です。此度の騒動のみです。」
「やけに被害が多いと思えば……有益なんだろうな?」
「これには。」
「主、先程からこれこれと。我は物では無いぞ?」
概要を話さずとも互いに言いたいことを理解する。元々口数の少ない家系なのも原因だが、スムーズに進むのは兄弟仲の問題だ。
ディケイオスが早々に司教を目指した事で、御家騒動とやらは無縁だった。その記憶も、今のディケイオスには読んで知った知識だが。
「父上は?」
「まだ寝ている。病の進行は緩やかだが……それが幸いかどうか。」
早くに楽に成るのも救い、そう考えている点は兄弟のみならず、親子でも共通だ。故にディケイオスは此所に来た。
「……偽善といったな。」
「我か? 急よな。」
「貴殿は喪失や犠牲が必要な力か?」
「鋭い者よ、察しておったか。」
「でなければ愚弟が親の病など気にするか。まして記憶の上では、話してもおらんのだろう?」
確認を取る次期イエレアス当主も、その顔に満ちるのは確信だ。親の死病に対し、冷たいのかなんなのか。手段さえ無ければ成るようになれとは、人間性に欠ける気もする。
もっとも、当の本人が一番顕著にそれが表れているのだから、周りがどう気に病めというのか困る話だが。
「しかり。三年残っている程だ。」
「ふん、妻子が無いのが救いだな。」
「お主ら兄弟は本当に口が悪いのう。」
「……どうせ死ぬ気だろう。私に死人と語る趣味は無い。」
「つまり生き残り言葉を交わせと。本当に主らとの対話は疲れる物よ。」
「どうとでも取れ。」
既に用はすんだとばかりに、彼は立ち上がる。部屋を出る時に一度振り返り、口を開く。
「明日一度、王城に皆が集まる。避難民も移動する。この屋敷はもぬけの殻となる……私は今夜は二階の奥で父と語らう。後は好きにしろ。」
扉を閉め……寸前で一言。「帰れよ」と。
閉まった扉を見据えて、偽善は呟く。
「……本当に。良くこれで殺伐としていない等と言える。」
「時間、状況、場所、伝達。全て揃えてくれたでは無いか。」
「態度の話よ、主らもう少し素直に話せば良かろうに。」
「これでも尊敬している。自分の決めた者以外に尽くせる兄をな。」
「それを我に言ってどうする……」
「これが終われば、私の代わりに伝えてくれ。」
「断る、主が行け。行っても言わんやも知れんが。」
「分かっているではないか。」
夜が深くなり、月明かりさえも無い夜闇が屋敷を包む。それはまるで、そこにいる者の心情を表す様だった。
「でけぇっ……!」
「大物だな、おい……」
「ボスも居ねぇのに狩れんのか?」
ここも避難所となっている一つ、「旅人の宿場」。獣人達が轟音に驚き、外に出た所だ。
「どけ、俺にも……すぐに皆を召集しろ。あれは不味い、人間の軍と動くぞ。」
「アジス、そりゃかえって危険じゃろ? あいつら、こっちを狩ってくるぞ。」
白い体毛が混ざり始めた熊の獣人が、代表して反論する。それをアジスは首を振って否定した。
「そこまで馬鹿ならここまで国が育たん。上に特殊事態に強い人間もいるだろう。こういう時に動くのはそういう奴だ。」
「心当たりでも?」
「顔繋ぎは、何も成功した後の話でも無い。爺さん、一部隊を任せる。」
「まぁ、お主が確信しとるなら良え。」
それで犠牲が増えようとも、全滅よりはマシ。そういう考えもあったが、アジスがそれを口に出すことは無かった。
「アジス様、どういたしますか?」
「とにかく備えるしか無い。怪我人も多い、休憩も少ない掃討戦だったからな。人間の軍も動きは遅い筈だ。」
「ですが、あれがそう簡単には」
獣人が言った瞬間に、キンッと硬質な音が辺りに響く。振り返った視線に飛び込むのは、崩れた大聖堂の場所に現れた物。
「……氷?」
「結晶だ、やはり動いたか。しかし……あそこまで馬鹿げた物だったか?」
新しい大聖堂かと見間違える様な結晶の陣。それに囚われた魔獣が大量の結晶に突き刺され、悲鳴をあげている。
「す、凄まじい……」
「いつまで持つか分からないがな。体力に余裕のあるもので少しでも助力に行くぞ。残りは明日か明後日になるであろう、進軍に向けて休養だ。」
「はっ!」
アジスは指令をだすと、宿屋に戻り一息つく。そんな彼に、一人の少年が近寄ってきた。宿屋の一人息子、オディンである。
「なぁ、犬のおじさん。」
「……なんだ、少年。」
呼び名に少し顔をしかめたアジスだが、否定することはせずに話を促す。
「何だったんだ? 外、凄かった?」
「そうだな、危険だ。」
「そっか……なぁ、あの黒い犬のおじさんは強いんだろ?」
「ボス、ラダム氏族長だ。それに狼だ。」
「そっか、そんで氏族ちょーは強いんだよな? 目ぇ覚めたら、どんな怪物にも負けないんだろ?」
少し向こうに視線を向ければ、カローズが意気揚々と人間達にラダムの事を語っていた。あながち間違ってもいないが、盛っている。
しかし、悪魔は負の感情が好物。例え騙す形でも、気落ちしないならそれに越した事は無い。
「そうだな、少し悩む癖はあるが、誰にも負けない英雄だ。」
「そっか、じゃあ街も安心だよな?」
無言で頭を撫でて、アジスはラダムの元に向かう。そんな様子を見ていたシラルーナが、オディンに声をかけた。
「怖い?」
「んー、あの兄ちゃんは少し嘘っぽいけど……氏族ちょーが倒してくれんだろ? だったら別に怖くねぇや。終わりがあるなら逃げまわんのは得意だし。だから怖がって無いからな!」
少しカローズを哀れに思いながら、シラルーナは頷いておいた。しかし、外の轟音は嫉妬の魔獣よりも大きかった。あまり楽観は出来ないだろう。
「ねぇ、シラちゃん。ソルさんどうしてるかな?」
「多分、さっきの音が【具現結晶】だと思います。」
「えっ? 一人で向かってるの? 角蛇だってボスと二人でやっと倒せたのに……」
ライの言葉に、少し表情を暗くするシラルーナ。それでもすぐにいつもの調子に戻り、本を取り出した。
「ソルさんは、御師匠様から生きしぶとさも受け継いでますから。大丈夫です。」
「なんか、たまにシラちゃんって酷いこと言うよね……」
「今は行っても足手まといですから。治療に専念します。」
シラルーナの特性は風だ。素早い風の特性は、軽かったり空中にいる敵には相性がいいが、大きく重い敵には相性が悪い。堅いのも駄目だ。
おそらくその全てが魔獣にはある。なので、シラルーナは外へは行かず、目の前の事に集中する。きっと、外に行けば向かいたい感情を押さえられないだろうから。
「そっか、じゃあ私も手伝うよ。お水変えてくるね。」
「お願いします。」
獣人以外にも怪我人は多い。ただ、比較的に外に近いここには、命より誇りや吟味が上の人はいない。魔術による治療も、少し複雑に思いながらも受け付けていた。
勿論、獣人の中でも器用な者達は治療に勤しんでいる。彼等の経験と知識から来る治療は確実だ。何より綺麗に治るし痛みも少ない。しかし、それでも助からない者には、人智を越えた回復力を魔術で施すしか無い。
「シラちゃん、持つ?」
「まだ大丈夫です。次の人は……」
シラルーナが振り向いた時、宿屋の扉が開く。一斉に視線を集めた人物は、頭をかいて照れた。
「もしかして俺、目立っちゃった感じ?」
「……この時間に外から来れば当たり前。」
後ろから少女が押し入り、シラルーナが身を固くする。
その変化に気付いたライも、今しがた入ってきた者、拒絶の魔人に警戒する。
「な、何の用でしょうか。」
「……誰?」
「あぁ、その娘だよ。さっきソル君が言ってた娘。」
ベルゴがシラルーナにコートを渡しながら言う。見覚えのあるコートに、シラルーナは首を傾げた。
「なんでベルゴさんが?」
「モナクスタロから剥ぎ取ってた。」
「モナクスタロって?」
「語弊があるよね? それは誤解を招くよね!?」
首を傾げたライの横で、瞬時に距離を取られたベルゴが、慌てて説明する。その間、拒絶の魔人は隅のスペースに収まり、座っている。
「じゃあ、ソルさんはやっぱりあそこに?」
「そうだね。まぁ大丈夫でしょ、めっちゃ自信満々だったし。」
「それで、なんであの子が此所に……?」
「なんでそこまで嫌がるの?」
視線を向けられた拒絶の魔人が、立ち上がることも無く疑問を口に出す。
「あれぇ? 俺と態度の差が酷くない?」
「ケーキ男、空気読んどけ~。」
ベルゴの発言は、カローズが空気を読まない発言で止める。拒絶の魔人は僅かに睨んだ。
「覚えていませんか? 数日前に地下で会いました。」
「……変人たちの所にいた人?」
「変人っていうか狂信者だよね?」
「アスモデウスのオモチャも混ざってるけど。でも、貴女を使ってマモンの復活を目指してたのは、私は関係無い。そこまで警戒しても無駄。」
あの時に来たのはソルを追っていたからだ。全くの無駄足だった事を思い出し、ベルゴを蹴る。すぐ横で、壁にもたれて立っていたベルゴは、唐突な脛の痛みに悶絶した。
嘘の雰囲気はしない。汗の匂いも呼吸も、平静そのものだ。近づきはしないものの、シラルーナは警戒を解いた。
「ともかく、コートも届けたし、俺寝てて良い? 真夜中だしさ。」
「私はここに居ても?」
「何もしないなら良いんでない?」
「なんでお前が決めてんだよ。」
カローズも人を叩けるくらいには、今の感覚に慣れたらしい。とんでもない順応性である。
余談だが、もう寝る気しかないベルゴ。拒絶の魔人にさっきまで寝ていたとバラされ、オディンに手伝いに駆り出された。あの宿屋の一人息子、客をパシるのに躊躇が無かった。