第七十二話
「どうだい、調子は。」
「……最悪。」
「わぉ、お兄さん傷付くなぁ~。」
結晶が生えた暗い地下道の中、拒絶の魔人は様子を見に来たベルゴを睨む。光石の淡い光が満ちてはいるが、その目はフードの奥に隠れて見えない。
ベルゴは返事には期待していなかったのか、対して気にした様子もなくソルに視線を移す。コートはベルゴが持っている為、気を失っているソルは、薄手のシャツのみである。そのお陰で傷の具合も良く見える。
「……やっぱり速いね、ここだと。」
「私のも、どんどん取られてるから。」
拒絶の魔人が背を預けているのは、結晶。勿論ソルの【具現結晶】の物だ。辺りの魔力やマナを吸収し、無意識に傷の回復に役立てている。
いや、×××はともかく、モナクスタロは意識的かも知れない。今のソルはマモンの所為で不安定、不断や嗜虐と闘い死にかけた時の様に二重人格に近いのだから。
「でも、何故ここはマナも魔力も多いの?」
「それ、今さらだね。まぁいいけど。ここ、魔力を集めてあって、それでマナが多いみたいだよ。ほら、彼処の穴の奥。」
ベルゴが指した穴は鍾乳洞と繋がっている。
残念なことにこの地下道、地下室を繋ぐ物だったようだが、既に塞がれていた。あの穴から出て来たベルゴが途方にくれていた時、突風と共に天井の一部が崩れたのだ。アルスィアの所為である。
今は瓦礫を動かして塞ぎ、隠れている。漏れてくる光から、夕刻なのは分かった。
「なんで貴方はそれを?」
「聞いたから。なんか、大司教ってのと、偽善の悪魔が話してた。」
「……そう、大変ね。」
悪魔と会って生きているとは、と少し驚きながら拒絶の魔人が話す。その声色は全くの無感情に聞こえたが。
「……づ、影の特性じゃない悪魔ってのは、皆そんな人形じみてんのか。」
「おっ、結晶のソル君、お目覚め?」
「まだ寝てるよ……いや起きてる、話を聞きたいんだけど?」
一瞬、ベルゴの事を軽く除け者にしようとしたソルは、すぐに彼に視線を戻した。
「お前、黒い靄みたいなのが中に渦巻いてる宝石、持ってないか?」
「あぁ、あるよ~。これかい?」
ベルゴがポケットから取り出したのは、確かにマモンの残滓。拒絶の魔人が目の色を変え、そしてすぐに戻す。アルスィアの言葉を思い出したからだ。自分の力にはなら無い。
一方のソルは、それに「飛翔」を使い自分に飛ばす。いきなり浮き上がった宝石に、ベルゴが慌てて手を伸ばす。
「ちょいちょい、何すんの! 目が紅く光ってたし、ソル君だろう?」
「それを壊す。」
「えぇ! こんな大きいの貴重なのに。」
「元々盗ったものだろ。」「それ、私の。」
「えぇ~、でも今は俺のだし。」
「危ないから貸せって。」
「いや、ソル君に至っては持ち主じゃ無いし。」
ベルゴは今度は盗られないように、しっかりと宝石を握りこむ。ソルも治療中の今は、握り拳を外す程の出力を出すのは無理だ。出せば最悪死ぬ。
「……知り合い?」
若干の警戒を強めながら、拒絶の魔人が二人を見る。その顔はフードに隠れて見えない物の、警戒の色は伝わったのだろう、ベルゴが姿勢を崩し座り込む。
「まぁまぁ、何があったか知んないけどさ。怪我人と人間相手に、魔人がビクビクしないの。」
「……魔人なんて言ってない。」
「だってもう治ってるし。人間じゃ無いでしょ? なら、ソル君と同じ魔人だ。獣人はそこまでじゃ無いし。」
「俺も魔人なんて言ったか?」
「目、紅くなったじゃん。俺、結構物知りよ? 情報で生きてんだからさ。」
「情報屋かよ……やけにすんなりと帰ってくる訳だ。」
呆れ返った様にソルが寝転び直す。今度は拒絶の魔人が懐疑的な目を向けた。
「あの場所に楽々入るなんて、本当に人間?」
「楽々でも無いよ~、お兄さんそんなに頼りになる様に見える?」
「「全然。」」
「あっ……そう……」
ベルゴが大袈裟に肩を下ろす。結局はぐらかされた形だ。
「……助けてくれたのは、有難う。」
「えっ? 何々? お兄さん、ちょっと良く聞こえない。」
「……変人。」
「えぇっ! 酷っ!」
ニヤニヤしながら振り返ったベルゴに、拒絶の魔人はそっぽを向いた。ソルは面倒くさい奴だと思っている為、ベルゴの事を端から放置である。
宝石には注意を向けていたが、全身裂傷だらけではどうしようも無い。マモンの事を話せば、欲が出るかも知れないと考えれば、無闇に理由も話せないのも仕方がない。
「ん~、ともかく傷が治るまでは放置だねぇ。上、心配?」
「……会話しなきゃダメか?」
「連れないなぁ。アナトレー連合国ではもっと良い子だったらしいじゃん?」
「色々あったんだよ。合わさったり離れたり。」
「わ~い、意味不明。会話する気無いじゃん……」
やはり、少し大袈裟にしょげるベルゴだが、その彼に構う者はここには居なかった。
「……やれやれ、真面目に行こうか。」
「お前がな。」
「……何をする気?」
「寝る。」
「「勝手にどうぞ。」」
しかし、本当に壁に凭れて目を閉じた為、寝る気はあるらしい。図太い性格である。
それならと、ソルも目を閉じる。どうせ今まで、寝ていたソルに何もしないのなら、拒絶の魔人も万が一にも交戦したく無いのだろうと考えたからだ。事実その通りである。
「……【天衣無縫・天球】。」
拒絶の魔人は未だに警戒を解いた訳では無いようで、魔法を展開してから瞼を下ろす。一瞬強い光が辺りを覆った様な気がした。しかし、これからどうするかの方が彼女には重要で、それはすぐに意識から閉め出された。
夕刻も終わる頃、広がる影を突如として現れた光が蹂躙した。
「なんだ!?」
「み、見ろ! 悪魔だ!」
「上だ!」
「逃げろぉー!」
「大聖堂だ、大聖堂に行こう!」
「父さん! 母さーん!」
「おい、下にもなんかいるぞ!」
「あの服、狂信者か? ……いや、魔法を使ってる!」
「悪魔の抗争だ、巻き込まれるなー!」
声、声、声。人の声が駆け回り、王都はあっという間に混乱に陥った。
「くくっ、上々よな。このままあれを始末出来れば、それで契約満了。あの負の魔力の化け物、別の事に使えそうよな。」
下の声に耳を傾けながら、翼を羽ばたき体も傾ける。その横を風の刃が過ぎ去り、アルスィアは舌打ちをする。
「翼を失った者は、どうしようも無いであろう? 化け物と一戦する事も無くなった、本気で行こう。【槍となる光】。」
数十、数百の光の槍がアルスィアに穂先を向けて宙に浮く。数瞬の後に、それらは地上に乱れ飛んだ。風を纏ったアルスィアは、それを縫うように物陰に走り込む。
「無駄ぞ、【矢となる光】!」
偽善の横で、巨大な弓がそれに相応しい矢をつがえる。それを引き絞るのは、目には見えない力だ。それはまるで、偽善の後ろに透明な巨人が力を貸している錯覚を覚える光景。
「これが膨大な魔力を使う規模の魔法か……確かに今までとは世界が違う、求めるのも頷けよう。我もその一人であるしな。」
何度か手を握り、何かを確かめたかのような素振りを見せる偽善。すぐにアルスィアの逃げた物陰に視線を戻し、矢を射かける。
「光量でバレバレだよ、【切望絶断】!」
まだ慣れていない風よりも、体に馴染んだ固有魔法で迎撃するアルスィア。その狙いは正しく、無事に乗り切ることに成功する。
しかし、巨大な光の弓矢は遮蔽物を全て貫いていた為、再びアルスィアの姿は偽善に捉えられる。
「これで、うぬも終いよ。【流星群】。」
「星の魔法まで!? 名持ちじゃ無いのが不思議だね。」
小さな竜巻を周囲に発生させ、それに【切望絶断】を重ねる。竜巻の目に当たる場所で、アルスィアは極力小さくなり被弾を避ける。
降り注ぐ破壊の光に包まれ、王都が静まり返る。希望的に見れば、あまりの光景に皆が急いで避難したか、唖然としているだけだ。そんな筈も無いが。その証拠に、偽善の体が少し光輝く。
「……絶望出来る生き物が生きてなきゃ、僕の僅かなパワーアップも無いわけだ。」
「名持ち相手に油断はせんよ。【槍となる光】。」
その輝きを槍に込め、偽善は鋭く突き立てる。アルスィアは【風の武装】をより一層厚くし、少しでも槍を逸らしながら捌く。互いに身の丈に近い間合いの武器故に、噛み合った間合いでぶつかり合う。
アルスィアの方に疲労が見え始めた頃、偽善の槍が彼の妖刀を大きく飛ばす。アルスィアがそれを掴もうと伸ばした腕は、槍の柄によって弾かれる。
「詰み、と言う物よな。終いだ、絶望の魔人・アルスィア。」
「……そうだねぇ。君の後ろに唯一の光源がなければ、ね。」
「む? ……日没か!」
影を消すための光球は、確かに上にて役目を果たしている。しかし、夜の闇は払えても、実体化した偽善の悪魔自身の影がアルスィアにかかっていたのだ。
人々が動かなければ光石も蝋燭も灯らない。その影は一切の邪魔なく深い闇。いや、右手に持つ光の槍が、その影を狭くするのには役立っていた。
「【切望絶断】、のせて【蛮勇なる影】。」
今までの風とは、比べ物にならない影の魔法が偽善を襲う。
強烈かつ容赦ない斬撃は、無数の小さな傷をつける。影が左によっていたため、右半身は影が呑む前に光に包まれた。
「切断対象……魔力。」
傷等と言う生易しい物は無かった。偽善の悪魔の左半身は、情け無く、容赦無く、慈悲無くその本体から切り離された。
霧散するその魔力を、アルスィアは逃がさずに飲み込む。偽善から離れて、絶望に満ちた良い魔力。
「これは……不味いな。」
すぐに再生した偽善も、魔力の総量は二割は消えた。そしてそれは、全てとは言わずとも半分近くアルスィアに。
「ふう、君に襲われた時に、消耗してた分位は戻ったかな。かなりの量の持ち主だったんだねぇ。マモンみたいに、全部余すこと無く貰えたら、どうなってたろう。」
「これで、ハンデ無し、とでも言う気かね?」
「そうだよ? 名持ちって格と、王都一つ。同じ悪魔としては、これぐらいで同格だよね。」
「なんとも尊大な事。やれ、うぬが絶望する事等あるのか。」
「……いつもだよ。僕は僕の存在に絶望してる。」
「……我より難儀よな。」
「御託も同情も結構だよ。だって……」
顔を伏せたアルスィアだが、次の瞬間には顔をあげていた。その顔には僅かだが嗜虐心が見え隠れする。ゾッとする笑みで、アルスィアは偽善の悪魔と一歩、距離を詰めた。
「今からは、君達の絶望の幕開けだ。」