第七十話
暗がりに沈む裏路地は、上を見上げなければ昼間と言うこともわすれそうだ。そして下を見れば……今は紅い花を見ることが出来るだろう。
「どう……して……?」
「どうせそのままなら、死にもしないだろう? 出すとは言ったけど、助けるとは言ってないさ。」
「そ……んな……」
「あれ? まさか無条件に自分は助かるとか思ってた? おめでたいね、悪魔でも人間でも良いけどさ、今まで君は誰に助けて貰ったことがあるの?」
「…………」
「無いよね? だから魔人、しかも実験台になってんだし。そういう事だよ。」
黙る拒絶の魔人に、アルスィアは更に言葉を繋げる。
「まぁ、僕には理由があるから、なんだけどね。僕も欲しいのさ、マモンの残滓、ってやつが。」
「そっ、れは!」
「君の欲しいものでもある。そして一つ。ならさ……君には死んでもらう方が、都合が良いよね?」
妖刀が輝き、拒絶の魔人の首に添えられる。ヒュッと息を飲む音が、やけに大きく響く。もう一息だ、とアルスィアは内心で笑う。
「あぁ、でもそれも必要ないかな? なんせ、悪魔を残滓だろうと取り込めるのは……原罪とモナクを除けば、影の悪魔だけだから。」
「……えっ?」
「あぁ、やっぱり知らないんだ? 短慮も火の悪魔だったから出来ないみたいだったなぁ……あの頃はそんな事知らなかったけど。」
「じゃあ、私は……?」
「無理でしょ? 光は押し付けたり離したりする方が、得意だろうし。ずっと拒絶感でも抱いてれば?」
今までの自分の行動、マモンを追い求めたことが、無駄。
それは、それだけを頼りにしていた拒絶の魔人には、到底受け入れられない事実だった。
(絶望、したかな? 染まりきってはいないけど……これなら取り込める。)
影が膨れ上がり、少しずつ拒絶の魔人に這う。アルスィアは彼女に手をのせて、少しずつその魔力を、存在を呑み込んでいく。
「な、にを……?」
「君がマモンにしようとしていた事だよ。」
「っ! 止め、て!」
「嫌だね。僕にも力は欲しいんだ。名持ちになっても、いや、だからこそ足りないんだよ。」
足掻く拒絶の魔人だが、高所からの落下により、満足に動いていない。
「魔人だから、死体か、人間位は残るよ。僕が欲しいのは力だけだから。」
「い、やだ……まだ……」
「おやすみ、拒絶。」
「まだ昼間だぜ? 【具現結晶・貫通】。」
アルスィアの足下から、結晶の大針が飛び出す。咄嗟に後ろに跳んだ彼に、更に結晶が飛んだ。
「何の用だい? モナク!」
「影を走ってただけだ。そう怒るなよ、アルスィア。」
「じゃあ邪魔をしないで貰えるかな?」
「悪いけど、俺はお前を強くしたく無い。」
ソルが結晶の剣を創り、アルスィアの上に降らせる。ついでに拒絶の周りにも降らせ、剣の檻に留めておく。アルスィアはと言えば、影に溶けソルの背後に回った。すぐに妖刀を、彼に突き立てる。
「通らない!?」
「加護位かけてるさ、【具現結晶」
「くっ、【切望絶断】!」
「破裂】!」
妖刀が魔法を帯びるのと、ソルが振り返りアルスィアに魔法を叩きつけるのは同時。ソルは右肩に、アルスィアは腹に傷を負う。
「っぐふ、治したばっかりなのに。」
「そっちこそ、肩までは動かせてたのに、酷いことしやがる。」
「さりげなく、拒絶が逃げようとしてるよ?」
「出来たら、だろ?」
ソルの後ろに注意を逸らそうとしたアルスィア。足下から影に溶けていくのを、魔術で照らし出して防ぐ。
勿論、動けない拒絶の魔人が、剣の隙間を縫って逃げ出すのは無理である。
「随分と好戦的だね、モナク。他人なんて居たのか? とか真顔で言いそうな君が、なんでそんなに僕に関わるの?」
「いつまでも孤独の悪魔じゃないんでね。敵が増えれば、対応していくさ。」
「魔人三人、三つ巴とはね。多分、この世に生きている魔人、全員だよ。」
「敵なら他にも居たんだよ、【具現結晶・戦陣】!」
しつこく逃げる隙を伺うアルスィアと、魔法を紡ぎ終わったソル。
あっという間に周囲は結晶に包まれる。ソルの右目から魔力が溢れ、吸収が始まった。アルスィアが顔をしかめる。
「本気で潰し合う気?」
「勿論だ。」
「なら容赦はしないよ、モナク。【蛮勇なる影】。」
「お情けみたいなもんだな、【具現結晶・防壁】、反射。」
戦陣から結晶の壁が延び上がり、無数の刃となった影の波を反射する。結晶は砕け、影はアルスィアが【切望絶断】で切り裂いた。
「反射、ね。付与が人間の特性だった訳だ。」
「知ったことかよ。」
「いや、考えた方がいいさ。こう言うこともあるから、ね!」
アルスィアの斬撃は、宙を裂く。二重の魔法陣。嫌な予感がしたソルが上へ避けると、後ろの結晶がズレ落ちた。
「風か!」
「その通りだよ、モナク。僕の魔法に、もはや距離は関係ない。暗いこの場なら、風の軌跡も見えにくいだろう?」
光る魔法陣を確認して、ソルはすぐに横に移動する。その直後、小さな竜巻が全てを断ちながら上に登っていく。
「使ってみると、慣れないけど良いもんだね。魔力は喰うけど【切望絶断】と相性が良い。」
「どうせアスモデウスの入れ知恵だろ。」
「良く分かってるじゃ無いか。君もかな?」
「その点だけは感謝してたんだよ。【具現結晶・貫通】。」
建物に手を付け、ソルが魔法を唱える。
「それは既に見たよ。」
アルスィアが横に移動して妖刀を翻し、そして壁から出てきた大針に刺される。
「ちっ、距離が足らないか。」
「それ、地面以外にも出せるのか。」
「戦陣の中は俺の独壇場だぜ?」
穿たれた右腕を抱え、アルスィアが呻く。ソルはその僅かな隙で結晶から回収し、魔力を回復した。
「じゃあこの舞台を無くせば良い。」
「出来ればな。」
「出来るさ。」
腰だめに刀を構えたアルスィアの魔力が、辺りの空気に侵食していく。結晶がそれを吸収すれど、関係なく満たされていく程。
「【切望……」
「おいおい、マジかよ……」
「絶断】!!」
ソルが「飛翔」で上に飛び出し、後を追うようにアルスィアが居合いを放つ。
魔力が満ちた領域から離脱した瞬間、吹き荒れた斬撃によって、辺り一帯全てが切り裂かれる。バラバラになった結晶が、キラキラと舞いながら霧散した。
「これでどうかな? モナク。」
「バケモノめ……」
そこには見事に何も無くなった場所がある。アルスィアを中心に百メートル程、全てが無くなっている。
いや、あった。【天衣無縫・天球】の中で、拒絶の魔人が生きている。しかも、ソルの剣は既に刻まれて無くなっている。
「さて、モナク。まさかそのまま逃げる気じゃ無いだろ? ここは今は照っている。僕は大量の魔力を使い、お腹もキズが深い。絶好のチャンスだ。」
「死ねば良いと思うけど、殺したい程ではねぇよ。」
「まぁ、良いよ。逃がさないから。【蛮勇なる風】。」
風の刃が荒れ狂う渦が、ソルに向けて放たれる。二重の魔法陣から、【切望絶断】も重ねられているだろう。避ける選択肢しかなく、ソルは地上に下り立つ。
降りてきたソルに、アルスィアは刀を横凪ぎにする。ソルは地面に伏せて避け、アルスィアは踏みつけようとする。「飛翔」が発動し、彼は超低空で飛行し回避する。
「相変わらずな機動性だね。」
「そっちは随分と派手になったな!」
「もっと見せて上げるよ。【風の武装】。」
風を纏ったアルスィアが、今までとは比べ物にならない速度で接近する。【具現結晶・武装】で結晶の軽鎧を纏ったソルは、それに剣を振るって迎撃する。互いに左手に握る武器が、かち合って押し合う。
「利き手でも無いのに押し勝てると?」
「力だけなら、俺が有利なんだよ!」
剣全体に「飛翔」を使い、アルスィアの刀を押し返す。【切望絶断】を使うアルスィアだが、その前にソルが刀を押しきり、距離が空いていた。
「モナク、最後に聞くよ。僕と手を組む気はあるかい?」
「嫌だね。俺はマモンを滅ぼす。そうでないと安心出来ないんだよ、ベルゼブブの前例もあるからな。」
「そうか、残念だよ。【苦痛を刻む乱気流】!」
アルスィアが妖刀で一太刀、風を斬る。途端、その斬撃は凄まじい勢いで空を走りソルに迫る。
とても回避する時間はない。少しでもダメージを軽くするため、ソルは結晶を間に挟み、自身には、すぐに切られないように固定を重ねる。腕を前に出している為、あの勢いがぶつかれば、自分が吹き飛び回避につながる。そのまま斬られなければ、腕一本ですむだろう。
「無駄だよ。」
斬撃は結晶に当たった瞬間、大きく広がりその場に竜巻を発生させた。辺り一帯を数多の斬撃が駆け巡り、その全てが更に斬撃を広げる。旋回しながら広がる災害は、ソルの守りを無意味に変える。
更に広がりきった斬撃は、中心に向かって戻っていく。押されて引き戻るソルは出血だけは結晶化で防ぐが、既に深い傷が多く刻まれている。そんな彼に、アルスィアは妖刀を構えて距離を詰める。
「もう君の結晶は断てるんだよ、モナク。【切望絶断】。」
「【天衣無縫・法衣】。」
ソルの背後から声が聞こえ、アルスィアの視界は光の布に遮られる。半透明なそれ越しに、立ち上がる拒絶の魔人が見える。
「……モナクとは、敵じゃ無かった?」
「マモンの残滓は私には無用、そう言ったのは貴方。」
「争う理由が無い、か。それで僕の邪魔をするのは?」
「今ここで、これ以上血の臭いを増やしてはダメ。」
拒絶の魔人が示すのは、乾ききった自分の血……では無いようだ。
僅かに揺れる小石。それは地面の揺れを、アルスィアに気付かせた。
「夢中になってる間に、集まって来てる?」
「ちっ、こんな時に……」
「大まかにはバレてるけど、まだ隠れられる。今ここで新鮮な血を残したら……うっ。」
未だに治りきっていない体が、痛みを訴えているのだろう。再び座り込む拒絶の魔人に、アルスィアは冷めた目を向ける。
「なるほど、つまり僕は働かずに、邪魔者を始末出来る訳だ。」
「何を、言って……?」
「本当におめでたい頭だよね、肉体の年齢の所為かな? まぁ、さよならだ。」
貫かれた右腕の傷口を開き、血を垂らす。満足げに頷くと、アルスィアは傷口を縛って走り去る。その直後に吹いた突風は、意図的に足音の方に迫っていた。
「に、逃げ、なきゃ。」
「くそっ、意識が……」
「……待ちなよ。」
フラフラと立ち上がり、歩き始めた拒絶の魔人に、ふと、声がかかる。
「お二人さん、休める所は如何だい?」
地面に空いた穴から、緑髪の男がひょいと姿を表した。