第六十八話
「拡散、放出、拡散。おっと、「飛翔」。回収。」
戦陣の中を、存分に結晶を利用して動くソル。近くの結晶を破裂させたり、地面に刺さる結晶の武器を飛ばしたり、やりたい放題だ。
大量の魔獣を、ある程度動きに慣れたソルは魔力タンクとして見始めていた。止めを差すより、痛手を負わせてこの場に縫い止める事。荒い気性の魔獣達は、まんまとソルの攻撃に苛立ち集まってくる。
「結構集まるな。減る一方ではあるけど、烏だけ相手にしてるより減りが遅いや。」
時折空に向けられる光線は、烏を穿ち落としていく。死ねば御の字、死なずとも体温と魔力をゆっくりと吸収され、意識が消えるうちに低体温によって死に至る。
狐は死ぬ。それはもう次々と。大型犬並みにある体躯も、魔獣の中では小型の部類だ。人間以上なら中型、建物並なら大型である。
「っと、そろそろ撤退を考えておかないと不味いか? 流石に集まり過ぎ」
「【矢となる光】。」
まだ余力のあるうちに、退路をと考えたソルに、光の矢が掠める。明らかに【一閃する星】に匹敵しそうな、その魔法。ソルはゆっくりと上を見る。
「外したか。我とてこれだけの出力は扱うのは始めて、仕方無き事よな。」
「……何者だ、とか聞いた方が良いか?」
「いや、答える名を持たぬでな、必要ない。」
拒絶の魔人と違い、光の弓から放たれていた様で、その手には背丈の半分はあるような巨大な弓が握られていた。すぐに消えたそれは、ソルも驚くような魔力が込められている。
「少々予定が狂った、良い方向に。魔獣達は犠牲者を自然に増やしたゆえ、早くに魔人まで出向けると言うもの。」
「訳が分からないんだが?」
「それで良い。憐れな犠牲者の上に、成り立つ栄光。そう、犠牲者は憐れで無くてはならん。」
「……やっぱり悪魔は、頭が狂ってるな。」
「それはうぬも同じであろう?」
「こちとら八年以上未完なんでね! 【具現結晶・貫通】!」
屋上の縁からソルを見下ろしていた偽善の悪魔に、結晶の大針が突き出される。建物から突如表れた結晶に、驚く事もなく対処する偽善。
「マナが見えていてはな、【盾となる光】。」
ありきたりな光の魔法。しかし、その出力が段違いで、結晶は偽善を貫かずに停止した。
「ほう、三枚中二枚抜いたわ。あっぱれあっぱれ。」
「バカにしてるだろ、それ。」
「いや、うぬの魔力操作の練度、悪魔が薄い割に大した物。実に見事な威力と言える。」
「何で悪魔が薄いって?」
「無色透明な魔力、力場の特性しかない悪魔。それにしては感情豊かな者であると言えよう?」
「……確かにな。」
全くの無表情を崩さないモナクスタロ。客観的に見たそれを思い出して、ソルは違いないと思った。
しかし、それは今は重要では無い。利益も無いこの争いから、いかにして離脱するかを考えなくては。名乗る名も無いと言うことは、名持ちの悪魔では無いだろう。
「さて、もう良いだろう? うぬに恨みは無いが、我の契約の為、死んでくれ。」
「契約? 知ったことかよ。【具現結晶・牢獄】。」
「む? 細かいな。」
小さな多数の結晶を、偽善を中心に集めていく。ソルが二重、三重に「飛翔」を発動し、ギリギリと結晶によって拘束する。
「俺の魔力を奪ったわけでも無いお前に、力場の力押しで勝てる道理は無いだろう。吸収。」
実体の無い悪魔は、その存在を全て思念、魔力に頼っている。それを強引に結晶に出来るソルは、悪魔を殺すことに長けていると言えるだろう。
魔力の密度が高まり輝きを増す結晶から、少しずつ魔力を回収していく。戦陣からも全ての魔力を回収し、邪魔の入らないように、牢獄ごと高空域に飛ぶ。大烏は既に散り始めているからか、見ることは無い。
「……名持ちじゃないにしても、結構な魔力がありそうだな。まぁ、光の特性が結構強いから、やっぱり押し負けないけどさ。」
「……そう、思うかね?」
「っ!?」
押し負けていた内部からの抵抗が、突如異質の物に変わる。中から外への力から、結晶同士の広がる力へ。
「光の本質とは、波と斥力だよ。物体同士を離す力だ、限定的な力場と言える。」
「そんな御託は要らねぇよ……!」
「今まで散々使っていたうぬと、溜め込んでいた我では、魔力量で叶う筈も無いだろう? それに、その魔法はロスが大きく思う。」
「魔法とは少し違うんでね……! 「爆風」!」
「ぬっ!? 風だと? 何処からっ……?」
吹き荒れた突風は、下に飛ぶソルの追い風に、抜け出して追おうとする偽善の向かい風になる。すぐに下に降り立ったソルは、「影潜り」で逃亡を図る。
「……無色の魔力で影を? 結晶に関する固有魔法と思ったが……違ったのか?」
姿を消したソルに、偽善は紅い瞳に魔法陣を写す。大司教の視力を代償に得た、この街の現在の地理を見ることが出来る力。
しかし、一人の人間の目では弱かったか、ソルの魔術を破って見ることは出来なかった。
「ふむ、奴はあれで終いよな。逃すには惜しいが……深追いして先手を取られれば危ういかも知れん。魔力も取られた事よ……一度退くか。」
何処か紛い物じみた白い翼を広げ、偽善は大聖堂へと飛び立った。無論、近づくにつれ、その姿は薄れ、可視出来ぬ程になっていった。
妖刀と鉄棒が打ち合い、妖刀が上に弾かれる。近接戦闘ならば、カローズの方に分がある。今まで魔法主体の戦法だったアルスィアの付け焼き刃な剣術は、カローズに届かない。
「へっ、どうしたよ。お得意の魔法とやらは使わないのか、悪魔さんよ!」
「悪魔じゃなくてアルスィアだ。そんなに見たいなら日陰に移りなよ。」
「ならもっと大通りに行こうや!」
カローズの蹴りがもろに入り、アルスィアは大通りの真ん中に着地する。
今は昼前、まだ太陽は張り切っている。影は互いの足下のみ。触れていない影に手を出すのは、止まらない猛攻を仕掛けるカローズを捌きながらでは出来なかった。
「いい加減しつこいな、【切望絶断】。」
「何回振り回しても同じっ!?」
鉄棒を当てて上に弾こうとしたカローズだったが、妖刀は鉄棒をすり抜けてカローズに迫る。持ち前の反射神経で咄嗟に深手は避けたカローズ。しかし、斬られた痛みが一向に襲ってこない。
「なんだってんだ、外してんじゃねぇか。」
「そうかもね。」
「へっ、下手くそが。悪魔っつっても、大した事ねぇな!」
鉄棒を振りかぶったカローズは……そのまま走り出せずにこけた。
「はぁ! なんだよコレ!」
「おい、カローズ! ドジってる場合かよ!」
先程から、走り回って周囲の魔獣を引き付けていたマカが、あんまりな醜態に叫ぶ。しかし、カローズは一向に立ち上がらない。
「無駄だよ。君の生まれ持ったバランス感覚って物を、今切り離した。一から自分のバランスを把握して、建て直すのはそうそう出来る物じゃない。」
「くっそ、気分が悪くなってきた……」
「ずっと酔ってる状態だからね。今楽にしてあげようか?」
妖刀を掲げ、カローズに近寄るアルスィア。ゆっくりと近づくのは、マカの乱入を待つのと、絶望を膨らませる意味がある。
しかし、マカは魔獣に追われていて、今カローズの元に走り出すことが出来ない。仕方なく「目の前で仲間が斬られる」と言う演出は諦めた。
「さて、お猿さん。最後に言い残すことは? 僕が踏みにじってあげるから。」
「地獄に堕ちろ、歪んだ気違いが。」
「ここが地獄だよ。今から、僕の手によってね。」
アルスィアが妖刀を振り下ろす。その切っ先がカローズに届く寸前、唐突に突風が吹き荒れる。
「ご無事ですか!?」
「シラルーナちゃん! ナイスタイミング!」
走りながら称賛を送るマカの隣を、風が疾走する。後ろに吹き抜けたそれは、魔獣を次々と屠り振り返った。
「間に合った様で良かった。マカ、カローズを連れて下がれ。」
「ボス!」
「痛たた……肉体って便利なのか不便なのか分かんないね。」
突風に飛ばされて地面に叩きつけられたアルスィアが、打った頭を抱えながら立ち上がる。
マカがすぐにカローズを引きずって移動し、風を纏ったラダムがアルスィアの前に立つ。
「あ~あ、凹むなぁ。絶望が消し飛んじゃったよ、君なんなの?」
「俺はラダム。彼等の長だ。」
「ふーん、知らないや。まぁでも、君が死んだら獣人達が絶望するって事だよね?」
「獣人に死を引き摺る者は少数だ。無用な心配だがな。」
「何で?」
「俺は死なん。」
「あぁそう。【切望絶断】!」
勢い良く振り上げた妖刀の軌道上、地面が鏡面の様な断面で別れる。想像以上に深い底は、もはや見える範囲に無い。
落ちそうになったラダムは、足の爪を出して壁を蹴り、地上に戻ってくる。着地するラダムに、勢い良くアルスィアが駆け込む。
「終わりだね、狼さん。」
「そうだな悪魔。」
空中でアルスィアを蹴り飛ばしたラダムは、そのまま着地する。後ろは先程アルスィアが作り出した崖。幅は狭いが、人が一人落ちるには十分だ。
「爪も翼も持たぬ魔人では、そこから這い上がれんだろう。」
綺麗過ぎる断面は良く滑る。基本的には魔人が空を飛ばない事を、ソルから聞いていたラダム。
もう問題ないだろうと、倒れている二人へと寄っていく。
「無事……では無さそうだな。大丈夫か、カローズ。」
「だ、大丈夫だ、です。ちょっとくらくらするけど、少し慣れてきた、ました。」
「お前、口調おかしいぞ。」
「治療しても治らないんです……魔法だと思うんですけど。」
これ以上は無理かと、シラルーナは本を閉じる。
「悪魔はどうなりました?」
「正確には魔人だそうだ。ソル殿の腕を不動にした者だろう。」
「……倒せたんですか?」
「そうだな、一応確認はしておくか。血の臭いでもあればそれだろう。」
ラダムは崖に歩み寄って行き、その暗がりを覗く。
「何も匂わない……?」
怪しんだラダムの声と、影が膨らむのは同時だった。