第六十七話
急な魔獣の来襲。それに対応が追い付いていないのは、何も人間だけでは無かった。
「【天衣無縫・天球】。」
光の布が球状に広がり、四方八方からの狐の襲撃を防ぐ。その中で閉じ込められたのは、黒い外套のフードを目深に被る少女、拒絶の魔人だ。
「……出られない。」
兵士を見なくなったと思えばこれだ。裏路地の狭さが、この大群を遮ってはいるが、既に包囲された彼女に恩恵は無い。魔法を解除したら最後、食い荒らされた肉片となって終わりだ。
救いがあるとすれば、魔力の消費が少ない魔法と言うことか。自身に向けられた、敵意の全てを弾く魔法。効率が良い変わりに攻撃性が皆無な、悪魔には珍しい魔法だ。
「耐えるだけ……では、終わらない。」
光の矢が、天衣無縫をすり抜けて魔獣を穿つ。自分に向けられた敵意では無い為、彼女の魔法は弾かれる事が無い。
しかし、この大群にいくら撃ち込んでも、減るように見えない。中には一撃では死なない狐も多く、じり貧だ。
「……【輝く光】。」
強い光が辺りを照らし、目を眩ませる。その間に窓から家屋に入る拒絶の魔人。
住人がいたようで、驚いて悲鳴を上げている。今は殺す魔力も惜しいので、そのまま叫び続けて魔獣を引き寄せて貰う。家屋の中なので暫く持つだろう。
上に駆け上がる拒絶の魔人。屋上まで登った彼女に、突如として結晶が降り注ぐ。
「【天衣無縫・法衣】。」
光の布をすり抜けて、床に叩きつけられる結晶。すぐに、周囲のエネルギーを吸収し始めた。
「攻撃じゃ、無い……?」
見上げた先にいるのは、孤独の魔人……ではなく、黒い塊だ。
「何……あれ……」
「【具現結晶・牢獄】! 拡散!」
何かがそこから飛び出した瞬間、黒い塊は結晶に覆われる。そのまま爆発した結晶に傷付いて落ちていくのは、大烏達だ。
すぐ横にソルが着地する。良く見ればこの屋上には随分と結晶が散らばっている。
「ったく、加護がなけりゃ今頃穴だらけだ。さて、回収を……何でいるんだよ。」
左右、色の違う瞳で拒絶の魔人を睨み付けるソル。しかし、既に魔力を回収している為、隙だらけだ。先手は取れる、といっても火力が少ない為、意味は薄いが。
ソルもそう考えている為、回収を続ける。マナや魔力を魔力に、熱や光を体力として回復していく。やはり、単独で戦うのに向いている力だ、と思う拒絶の魔人。器用貧乏とも言うが。
「黙りか?」
「答える必要が無い。」
「なら、俺と殺り合うつもりは?」
「今は無い。貴方と違って私には逃げる手段が無い。」
魔獣に顔を向ける拒絶の魔人に、ソルは納得する。ソルの方から襲う理由も無い以上、その説明は拒絶の魔人にはメリットがあった。
彼も魔力が少ないし、拒絶の魔人にはソルを傷付ける術が無い。協力するには信用が足りないが、敵対するには状況が悪い、と言うことだ。
「……行かないの?」
「休憩くらいさせてくれよ。俺だって魔力には限りが……名持ちじゃ無くても、魔人なら俺くらいあるか。」
「絶対に無い。貴方はおかしい。」
「特性の話なら仕掛けがあるからな。」
「単純な量の問題。」
「あ、そう。」
事実、九人目の名持ちであるモナクスタロは、悪魔の中でも格上だ。一方の拒絶は、それほど目立っていない。肉体も、痩せ細った幼い少女のものである。
元々、反骨精神旺盛で、魔術師に学んだソルには魔力量で叶うはずが無かった。
「……」
「……あ、そうだ。」
少し経った頃、唐突にソルが立ち上がり拒絶の魔人を見る。少し身構えた彼女は、次の瞬間には結晶に持ち上げられていた。
「えっ?」
「どうせ魔獣から逃げるだけなら、そこにいろよ。」
ソルには攻撃の意志が、敵意が無い。いくらか光の矢を放ったが、簡単に反射された。
あっという間に、空中に固定された結晶の箱が出来上がる。更に、ソルが結晶に吸収を付与した。
「【天衣無縫・天球】。」
「まぁ、防ぐよな。いいよ、その吸収は結晶の維持用だし。」
「戦うつもりは」
「俺の目的はマモンの残滓の破壊だ。あれは利用しようとすれば、すぐに復活しそうだからな。それでも争わないって?」
「……」
黙っている拒絶の魔人を無視し、ソルは空に飛ぶ。急遽、自分達に向かってくる物体に、大烏達が攻撃性を剥き出して襲いかかり、落ちて行く。
拒絶の魔人が結晶を叩くが、びくともしない。透明なその結晶の様には、心を見通すことが出来ない。見えない心は、自分の物か、ソルの物か、それも拒絶の魔人には分からなかったが。
「多連【具現結晶・狙撃】!」
大烏の群れは、段々とソルに警戒を抱き始めた様で、追い回さないといけなくなってきた。
「この辺りは片付いてきたかな……」
辺りを見渡せば、大烏は遠くにいる物ばかり。取り敢えず、ソルは降りて休む事にする。戦闘中にばら蒔いておいた結晶から、回収を繰り返せばそこそこの魔力は回復した。
「ふぅ、結構疲れるな……なんだかキナ臭い動きだし、とっととベルゴからマモンの残滓を取りたいんだけど……どっかで襲われて目立てよなアイツ。」
結構酷いことを言いながら、ソルが歩き始める。回収に降りたらそこが広い路地だった。人が来る前に移動しなければ、こんな時に道を歩く十六才の少年と言う、怪しさしかない構図が出来上がる。
しかし、移動には少し遅かったようだ。足音が後ろから迫ってくる。
「はぁ、何で俺を狙うかな。」
振り返ったソルの顔に、牙の並んだ口が迫る。周りを飛んでいた小型結晶が、その喉を詰まらせる。
怯んで勢いが一瞬落ちた魔獣を、ソルは即座に蹴り飛ばした。右腕さえ動けば殴り飛ばしてたろうが。
「さて、狐ども。その数本の尾を減らされたくなけりゃ、大事に巻いて逃げ出せよ。」
勿論、そんな事を魔獣が聞く筈は無い。走り寄る魔獣には、可愛らしさの欠片もなく、本当に生物兵器のようだと思う。
しかし、上でも下でも大群。正直、嫌になる。
「あ~、もう! バレても良いや、どうせこの混乱なら大した手勢は向けられないだろ。」
そう言ったソルは、紫と水色の瞳を紅く染め上げる。右の瞳から、魔力が溢れ出る。
「【具現結晶・戦陣】、吸収。」
王都の一角が結晶に包まれる。乱立する壁や柱、結晶に覆われた地面に突き刺さっている武器の数々。
それらがソルに周囲を知覚させる。マナ、魔力、熱、ありとあらゆるエネルギーを吸収しながら。
「もう、アルスィアだろうがケントロン王国騎士団だろうが、何でも来いよって気分だ。どうせこの辺りに人は居ない様だし、派手に行かせて貰おうか。」
興味が無いことには、あまり根気が持たないものだ。こそこそと隠れて魔獣の掃討なんて、それこそソルには我慢できない。一刻も早く、マモンの残滓を壊すことを考えているのだから。
「手始めに光線でも打ち上げようか! 放出!」
立ち並ぶ結晶から、細い光の筋が空を貫く。多くの大烏が落ち、僅かだが狐の魔獣も穿たれた。頑丈な魔獣の体を、焼き貫くエネルギーはそう長くは持たなかったが、僅か数秒の放出で生き絶えた魔獣は百に届きそうだ。
「さて、魔獣共。俺までたどり着けるかな?」
押し寄せる魔獣達は、今までどこにいたのかと言うほどに減らない。しかし、狐の大きさはそれほどでもなく、南の魔獣のように手強く無いのは救いだろう。
「アジス様、ボスと王国騎士団への伝令、完了しました!」
「マカか! すぐで悪いが、外にいる住人の回収を頼む!」
「はっ!」
三本の尾を持つ狐を、その爪で薙ぎ払うアジスが叫ぶ。魔獣に対応するのは、体躯の大きく戦力に優れた者達だ。
アジスも小さくはない体格をしているが、熊や虎と言った獣人に比べると小柄に見える。踏みつけている死骸は一番多いが。アジスと同等に戦える者は、今も南で魔獣を間引いているのだろう。
「ようマカ。戻ったか。」
「カローズ、もう動けんのか?」
「当たり前よ! そう柔に出来てねぇって。」
今回は素直にアジスの指令を聞いたのか、彼には珍しく戦闘をしていない。抱えられた子供は、雑な抱え方に少し不満げだが。
「こういうのって、人間の騎士団がやるんじゃねぇの?」
「別の所で忙しいんじゃないか? 人間って、階級とかあってすぐに代わりを出来ない上の奴が少ないんだと。」
「はぁ? 自分の身も守れないのかよ。」
「そこが僕達と違うんだろ?」
獣人は、上とは強い者を指す。ある程度知恵が無ければ生き残れず、生き残れば強くなる環境で生きるからだろう。
「不満を言う割には、素直に助けてるじゃん。」
「協定を崩さない為なんだろ? アジス様に言われたら動くしかないじゃないか。」
「……様?」
「負けたし。」
そういえばこういう奴だった、とマカは彼の思考回路の真っ直ぐさに少し呆れた。むしろ逆らってた今までは勝てると思っていたことにも、少なからず驚いたが。
カローズの抱えていた子供が、家を指し示したのでそこに彼が放り込む。投げられる子供には若干同情するが、まだ外に出ている人は多そうだ。
「少し離れて探そうぜ、この辺りは探してる奴が多そうだしよ。」
「何人くらいこうやってるんだ?」
「半分以上だな。取引とかやってたのは皆。」
「それなら散って走った方が良いか。」
路地を曲がり、近道をしようと暗い細い道に入る。その瞬間にマカは微かに音を聞いた気がした。
神経を張っていた彼は、その僅かな音に少し硬直した。
「ん?どうし」
後ろから迫っていたカローズが、声をかけると同時にマカは尻餅をついてへたり込む。
奥から足音が近づいて、黒い外套を羽織った男が姿を表す。
「残念、後一歩進んどけばなぁ。鼻先くらい断たせてよ。」
「なんだよ、てめぇ!」
ブラブラと大太刀をぶら下げるアルスィアに、カローズがその辺りにあった鉄棒を片手に殴りかかる。
外套を翻して避けるアルスィアは、振り返り際に一閃する。カローズは咄嗟にしゃがむことで事なきを得た。
「おいおい、大層な武器の割にはスッとろいぜ!」
「この武器は僕の魔法だからね。」
「あっ? 魔法!?」
驚いたカローズの隙を、アルスィアは切り上げにかかる。走りよったマカに蹴り飛ばされたカローズ、体毛が数本、空を舞う。
「いってぇ!」
「そこは礼ぐらい言えよな。」
「じゃあ、僕は恨み言を言わせて貰おうか。」
アルスィアの妖刀が怪しく閃き、二人の獣人に向けられた。